ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸にある人を祀った神社(2)

2018-08-31 19:43:33 | 水戸

 

報徳二宮神社(全隈町1416-3)
 森林公園内にある、二宮尊徳(金次郎)をまつった神社だそうです。二宮尊徳は、幕末、報徳仕法といわれる改革をおこなって、疲弊した藩や農村の建て直しを図った民間の人だそうです。茨城県でも、合理的思考のもと、下館藩等や天領の、財政再建や復興にあたったそうです。現在いわれている地域おこしのひとつの形をつくった一人といってよいのでしょう。見直されなければならない人のようです。

 

 

愛宕神社(愛宕町10-5)
 祭神は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)ですが、いっしょに建借馬命(たけかしまのみこと)が祀られています。愛宕神社は、佐竹義宣(よしのぶ)が水戸城から愛宕古墳上にうつしたそうですが、この古墳は初代那珂国造(なかのくにのみやつこ)だった建借馬命の墓だったので、いっしょに祀られたのでしょう。

 

 

速刀神社(吉田神社境内社  開江町499)
 吉田神社の境内社です。新田宮流の居合術をおこした和田平助をまつっているそうです。吉田神社の春季大祭には居合の奉納演武があるそうです。

 

 

清正公神社(市杵姫神社境内社 本町1-6-17)
 市杵姫(いちきひめ)神社の境内社・手継(てつぎ)神社にいっしょにまつられている、加藤清正の神社だそうです。清正の家臣で、その後、徳川頼房に1000石でつかえた下野氏が氏神として建てたものだそうです。戦前に、横竹隈の屋敷跡で朽ち果てていた神社が、市杵姫神社にうつされたそうです。

 

 

秋山神社(本行寺境内社 上水戸4-8-1)
 本行寺境内にある痔の神さまです。秋山自雲(しゅうざんじうん)は岡田孫右衛門という人の法号だそうですが、孫衛門は悪性の痔に悩み、それによって死んだそうですが、そのときに痔に悩む人を題目を信仰すれば助けようと請願したそうです。台東区にある本性寺に葬られていて、題目堂にその像が安置されているそうです。水戸では加倉井砂山墓の近くにもあります。日蓮宗の寺に、ときとしてあるようです。

水戸にある人を祀った神社(1)

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水戸の天井(1)

2018-08-30 20:21:43 | 水戸


 部屋の上部にはった板を天井というようですが、天井板のない屋根裏部分も天井ということにしてご紹介します。

 

好文亭東西の広間(常磐町1-3-3)
 網代(あじろ)天井というそうですが、この場合は杉の皮が使われているようです。板を使わなかったのは行事が行われる広間で、簡素さを目立たせる意味があるのでしょう。

 

好文亭何陋庵(かろうあん 常磐町1-3-3)
 何陋庵は好文亭に付属した茶室です。竿縁(さおぶち)には太さの違う竹などをつかい、天井板にはたぶん杉板を使っているのでしょう。好文亭は復元なので、元がどうだったのか分かりませんが、今はあまりよい板を使っていないようです。これも網代天井と同じ意味があるのでしょうか。

 

偕楽園四阿(あずまや 常盤町1-3-3)
 放射線状に広がる垂木(たるき)の姿は印象的です。

 

中崎家住宅(鯉淵町2897)
 竹や丸太を縄で巻いて固定させた屋根裏です。囲炉裏や竃(かまど)の煙でついたすすが、屋根の強度を増し、害虫の駆除もするようですが、きれいさが際立ちます。屋根裏の煤竹(すすたけ)は、茶杓などの茶道具にもなるようです。

 

中根寺摩利支天堂(加倉井町59)
 木を格子状に組んだ格(ごう)天井に、いろいろな家紋が描かれています。

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水戸の神明造り(2)

2018-08-29 20:54:23 | 水戸


 おもに脇に出た棟持柱(むなもちばしら)を気にして見てみました。この柱は、屋根の頂部に置かれる棟木(むなぎ)を支える役目だそうですが、建物の構造上、強度には余り関係はないそうです。

 

笠原子安神社本殿(笠原町992)
 吉田神社の別宮で、水戸7社の1つだそうですが、水戸徳川家との関係も深かったそうです。

 

金刀比羅神社本殿(泉町3-2-8)
  寛文年間(1661-1673)に、個人が自宅の庭へ四国から勧請した神社だそうです。昭和9年に泉町の管理になったそうです。

 

稲荷神社本殿(平戸町938)
 鳥居をくぐって正面にある赤い拝殿とはまるで違った雰囲気のある本殿です。拝殿から本殿に向かう参道には3対の狐像があります。

 

慰霊堂(持福院観音寺脇 鯉淵町)
 堂前には殉職供養碑があります。けが観音の伝説を持つ観音寺の背後にあります。

 

竃神社本殿(本町1-2-6)
 これは棟持柱とはいわないでしょう。それでも、小さな本堂側面中央に柱はいらないはずですので、棟持柱を意識してはめ込んだのではないでしょうか。もちろん素人判断です。

水戸の神明造り(1)

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水戸の奉納額(6)

2018-08-28 20:40:35 | 水戸

 神社の奉納額は、一般に絵馬といわれるようですが、本来は祈願のためや、その祈願が成就したお礼として奉納されたもののようです。したがって、神社に生きた馬の代わりに板に書いた馬を奉納した意味の、絵馬という言葉が、奉納額の起源であるということはないようです。

 

銭谷稲生神社(浜田町150)
 申年(さるどし)の大正9年の奉納額す。願主が女性で、鶏(酉)が親子になっていますで、来年には子供が授かりますようにという祈願額ではないでしょうか。

 

地蔵尊(杉崎町 内原駅入口信号近く)
 昭和2年2月の奉納額です。女性2人と子供2人だけの参拝ですので、夫の戦場での無事を願ったもののように見えます。

 

大井神社(飯富町3475)
 白蛇と卵と宝珠が描かれています。境内にある二寅霊神を祀る古木を描いているのでしょうか。

 

熱田神社(吉沢町)
 二段重ねの鏡餅を描いた、いわば「絵餅」です。奉納されたときは、さぞかしあざやかな色彩だったことでしょう。

 

中根寺(加倉井町595)
 牛、龍、猪等いろいろな年の古い絵馬がかかっていました。

 

愛宕神社(愛宕町10-5)
  これは今年5月に行ったときの写真です。前回見たときはきれいだったのですが。

水戸の奉納額(4)

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水戸の「ふつう」と違う読み方

2018-08-27 21:51:41 | 水戸

 水戸に来て、漢字が難しいということではないのですが、読み方が「ふつう」と違っていて、覚えるのに苦労した地名や神社名を並べてみました。水戸以外の方は、いくつ正解できるかチャレンジしてみてください。読み方の答えは下にあります。

 

     

①上市と下市
 「ふつう」なら「うえいち」と「したいち」でしょう。かつての水戸は、お城のある高台と、本町(ほんちょう)というおもに商業地がある低地で成り立っていたようです。江戸時代は上町(うわまち)・下町(したまち)という言い方をしていたようですが、明治時代の地名表示では、上市〇町といった書き方をしたそうです。本町で行われる正月のだるま市を初市と言ったので、「町」が「市」になったという説があるそうです。写真は、上町と刻まれた信願寺の手水鉢と、下町と刻まれた下市不動の表示です。

 

 

②別雷皇太神(元山町1-1-57)
 「ふつう」なら「わけいかづちこうたいじん」でしょう。雷さまを祭神にした神社で、伝承では水戸で一番古い神社ということです。

 

③日吉神社(東野町)
 「ふつう」なら「ひえじんじゃ」でしょう。はじめは山王権現といったそうです。寛文元年(1661)に今の地に移され、天保年間(183-1845)に日吉神社に改称したそうです。ほかにも数社、日吉神社があります。

 

④土師神社(吉田神社 宮内町3193-2)
 「ふつう」なら「はじじんじゃ」でしょう。常陸第三宮・吉田神社の境内社です。群馬県藤岡市にある古社・土師(はじ)神社を勧請した神社だそうです。祭神は野見宿禰(のみのすくね)です。

 

⑤水門町(柳町2)
 「ふつう」なら「すいもんちょう」でしょう。桜川の水門見付(みつけ)のゆかりからつけられた町名のようです。

 

⑥明星町(城東1)
 「ふつう」なら「みょうじょうちょう」でしょう。昭和になって、明星ケ池を埋めたてて町のほとんどができたのでついた町名だそうです。

 

⑦荒神町(城東2)
 「ふつう」なら「こうじんちょう」でしょう。かつてこのあたりに、竃神社があったそうです。竃神社は、その頃は三宝荒神といわれたので、荒神町という名前になったそうです。

 

答 ①うわいち・しもいち ②べつらいこうたいじん ③ひよしじんじゃ ④どしじんじゃ ⑤みずもんちょう ⑥めいせいちょう ⑦あらがみちょう

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