ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

旦那のあかし1

2011-04-06 09:54:05 | ワッフル旦那のあれこれ

 

                 雪が解け、ふきのとうも顔をだしました。

 

実はいわゆるキリスト教的な証というちょっと添加物の入った話(特に自分でする事)は好きではないがある方のブログを読んで書いてみる気になったので3つ程に分けて掲載することさせて頂きます。もちろん私の個人的な経験ですが私がこのような事をしてきたと言うのではなく神が私にこのような事をして下さったというイエスの証です。

それはまだ私が神様を信じて無かった頃、私は電気屋をしていた。
たまたま人に勧められ一日バイトで雇った男にランチタイム「どうしてまた、猿が人になったんだろうね」
と、聞くと聞いたことも無い答えが返ってきた。
「神が、人は人として造った。」と言う。(私は、初めて聞いた)
おいおい、20世紀にもなってそんな神話みたいな事を信じている人がいるのかと、驚いたより呆れた。
サンタクロース信じてるよりめでたいだろ、後日、友人にその話をした。
当然「ウケル~、ありえない。」となると思っていたら
「そうですよ。あたりまえじゃないですか。」って
なんだか世界中が私をドッキリカメラに貶めようとしているんじゃないかと疑った、、。

それからは、彼らに会うたびに、如何に私の信じている事が正しくて彼らの信じている事が間違っているかを説明し続けた。
そのたんびに、自分の主張する考えの最も大事な証拠が欠けている事にイライラしたり不思議な感じがした。
ある時、一人で考えた、まあ常識で考えて有りえない事だけど、でも仮に「神」なんでいう存在がいると思ってこの世とか考えたらどうなんだろうって考えてみた。
すると、びっくり頭の中でパズルが10倍速でハマっていくように全ての疑問がぴったりハマるではないか。
それには本当に仰天した。そして出来たパズルには「神は、いる」と書かれてあった。
ものすごい発見をしたと思ったのもつかの間、すぐにものすごい嫌ーな気分になった。
「知らなければ、よかった。」と、なぜなら神がいるという事実は私より上に絶対的にかなわない存在がいると言う事。
これは不味い、どうしよう。神がいるとわかっても私はその神が何処の誰で何者かも知らないし、コンタクトを取ってないし取り方も知らない訳で、、。
正直、愕然とした。

その神って奴は何もんなんだと昨日まで神などいないと思っていたクセに「ちくしょー一体何処にいるんだ。」と神探しの人生が始まってしまった。
神と付けば何でも行って聞いてみた。取り敢えず「違うんじゃないか」と思っても神主さんや寺の坊主にまで聞きに行った。
多分向こうも驚いただろうと今は思う。アポなしにやってきた男が「私を造ったのはこちらの神ですか」って真っ先に聞くわけですから、、。
すると「実は私も知らんげけど。あんたの答えは教会って所にあるんじゃないかなー」って言うんです。
実は薄々私をも造った神って聖書の神じゃないかとは疑っていた。
最初に会ったバイトの彼は知らなかったが後で聞いたら歴史の教科書でならったザビエルと同じ職業だったし、
友人はいつの間にか、エホバの証人になっていたのだ。
ただ同じ聖書を使っていても彼らの神は違うようだし、どういうこっちゃ、どっちがホントそれともどっちも偽物?って思った。
そのうち宣教師の彼は長野に引っ越して彼からもらった”聖書”だけが手元に残った。(私は買うって言ったんだけどね)
それからはもう、調べて調べてその「神」って奴が誰なのかを追求する日々が続いた。
でも探しても探してもどうもわからない。聖書には例えばこう書いてあってもそれが本当なのかどうか確信が持てない。
以前間違った考えを信じていた自分としては、今度は間違えたくない。
もし私が間違って入信すれば家族も巻き込むことになるだろう。だからどれだけ本当の様に見えても、ぜったいホントだって確信するまでは信じないぞと思った。(2に続く)