「FLESH&BLOOD」二次小説です。
作者様・出版社様とは一切関係ありません。
海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。
シャラシャラと、宝石をつけた美しい鞍が動く度に揺れた。
「花嫁さんだ!」
「綺麗な方ね。」
「本当に。」
白馬に乗せられているのは、白無垢姿の花嫁だった。
彼女は今、峠の向こうにある龍の元へと嫁ぐのだ。
龍―その昔、この国に豊饒な土地と莫大な富を与えた守護神。
龍は気まぐれで、一年に一度、生贄を差し出さなければ干ばつや水害などを起こし、村に災いをもたらした。
いつしか、龍に生贄を差し出す際、豪華な花嫁行列を支度して生贄を送り出すようになった。
馬上の花嫁、もとい生贄となる少女は、角隠しの下で必死に涙を堪えていた。
(父様、母様・・)
故郷の村で盛大に送り出されたが、少女は自分がどのような運命を辿るのかを知っていた。
「着きましたよ。」
「はい・・」
少女は白馬から降りると、静かに龍が住むという社に向かって歩き出した。
―お前が、俺の“花嫁”か?
「はい・・」
社の奥から“龍”の声が聞こえ、少女が震える声でそう答えると、社と外を繋ぐ扉が音を立てて開いた。
(さようなら、父様、母様・・)
社の中に入った少女は、この世と別れを告げた。
「何だこれは、俺を殺す気か!?」
「申し訳ございません、旦那様・・」
「まったく、お前は味噌汁も満足に作れないのか!」
頭から冷水を浴びせられ、罵倒された赤毛の娘は、只管耐えていた。
―またなの?
―可哀想に・・
―でも、“あれ”じゃぁねぇ・・
厨房の床に散らばった朝食の残骸を片づけながら、赤毛の娘―海斗は唇を噛んでいた。
海斗は、この家の養女であったが、ある理由で使用人同然の扱いを受けていた。
あかぎれだらけの手を擦りながら、海斗は一人屋敷の中庭で大量の洗濯物を洗っていた。
凍えるような寒さの中で、海斗は薄い絽の着物しか着ていなかった。
「これで終わり・・」
「あら、こんな所に居たのね。」
そう言って海斗を睨みつけたのは、この家の一人娘である愛梨だった。
「相変わらず辛気臭い顔をしているのね。」
「すいません・・」
「まぁいいわ、これ以上お前に構っている時間は無いの。」
美しく着飾った愛梨は、そう言うと海斗に背を向けて去っていった。
悴む手を擦って海斗が母屋で洗濯物を畳んでいると、そこへ愛梨の母であるかの子がやって来た。
「海斗、洗濯物を畳むのを終わったら、夕飯を作って頂戴。」
「はい・・」
「わたくし達は外で済ませておきますから、“あの子”の分だけ作って。」
かの子はそう言った後、愛梨と何処かへ出掛けてしまった。
厨で“あの子”の夕飯を作ると、海斗はそれを蔵へと持って行った。
「失礼致します、お夕飯をお持ちしました。」
「わかった。」
蔵の扉が静かに開き、中から一人の青年が出て来た。
彼の名はナイジェル。
この家の当主が外の女との間に作った私生児だった。
「いつも済まないな、カイト。」
「いいえ・・」
背中まである長さの髪を櫛で梳きながら、海斗はそう言ってナイジェルを見た。
「どうした?」
「綺麗な髪だなぁって思って。俺の髪はどうして、皆と違うんだろう。」
「俺は、お前の炎のような髪が好きだ。」
「え・・」
「カイト、これを。」
そう言ってナイジェルが海斗に手渡したのは、銀細工の美しい簪だった。
「母の形見だ、受け取ってくれ。」
「そんな大切なもの、受け取れないよ。」
「お前はもっと着飾ってもいい。あいつらがお前をどう思おうと、俺はお前が好きだ。」」
「ナイジェル・・」
「何処で油を売っていたのかと思ったら、こんな所で乳繰り合っていたのね。」
我に返ったナイジェルと海斗が背後を振り向くと、そには鬼のような形相を浮かべたかの子が立っていた。
「奥様・・」
「海斗、お前に良い縁談があるわ。母屋へわたくしといらっしゃい。」
「はい・・」
海斗がかの子と共に母屋へ向かうと、そこには何やら深刻そうな表情を浮かべて話している村人達の姿があった。
「奥様、その子が・・」
「ええ、この子が、“花嫁”よ。」
「おぉ・・」
「今年も、村は安泰ですな。」
「喜びなさい海斗、あなたはとても高貴な御方の元へ嫁ぐ事になったのよ。」
「はい・・」
訳がわからぬまま、海斗は名も知らぬ相手に嫁ぐ為の準備に追われた。
「まぁ、見事な白無垢です事!」
「これで海斗様も安心して嫁ぐ事が出来ましょう。」
「あの子だけずるいわ!」
「愛梨、我慢なさい。」
「でも・・」
「あの子がこの家から居なくなれば、楽しくお母様と“二人”で暮らせるわ。」
「そうね、お母様!」
嫁入りを前日に控えた夜、海斗は不安と恐怖で眠れなかった。
「カイト、起きているか?」
「ナイジェル、どうしてここに?」
「一緒に逃げよう、カイト。」
ナイジェルに手をひかれるがままに、海斗は暗闇の中で必死に走っていた。
「花嫁が逃げたぞ!」
「追え!」
「逃がすな、生け捕りにしろ!」
背後から追手の声が聞こえ、海斗は恐怖で顔を強張らせた。
「俺が必ず、お前を守る。」
「ナイジェル・・」
「居たぞ!」
海斗は、追手に斬りつけられそうになったが、ナイジェルがその刃を受けた。
「ナイジェル、しっかりして!」
「娘を連れて行け!」
「ナイジェル、ナイジェル~!」
ナイジェルの右目に最後に映ったものは、海斗の泣き顔だった。
「全く、恩を仇で返すなんて、この裏切り者!」
「奥様・・」
「さっさと遊郭に売り飛ばしてしまえ。うちの家名に泥を塗るような娘の顔など、もう見たくない。」
ナイジェルがあの後どうなったのかわからぬまま、海斗は遊郭へと売られる事になった。
「お母様、あの子は売られるの?」
「今夜売られるそうよ。厄介払いが出来て良かったわ。」
かの子はそう言うと、美味そうに紅茶を一口飲んだ。
海斗は、白無垢姿で白馬に乗せられ、遊郭へと連れて行かれた。
―何だい、ありゃ?
―今年の“花嫁”だよ。
―可哀想にねぇ。
「後少しで着くぞ。」
「はい・・」
海斗が馬から降りようとした時、突風が彼女を襲った。
―待ちくたびれたぞ、我が花嫁。
海斗が目を開けると、自分の前には金髪碧眼の美男子が立っていた。
「あなたは、誰?」
「俺について来い。」
海斗は、無意識に自分の前に差し出された男の手を取り、男と共に歩き出した。
「あの、ここは?」
「ここは、これからお前が俺と共に住む家だ。」
「え・・」
「今日からよろしくな、カイト。」
金髪碧眼の美男子に連れられ、海斗がやって来たのは、四方を山に囲まれた寝殿造りの屋敷だった。
「ここは?」
「今日から俺達が住む家だ。よろしくな、カイト。」
「あの・・俺は・・」
「カイト、お前は俺の事が嫌いか?」
「いいえ・・」
海斗は、彼と共に居ると心が安らぐのを感じた。
「あなたはどうして、俺の名前を知っているの?」
「お前の事は、昔から知っている。」
ジェフリーはそう言うと、海斗と初めて会った日の事を思い出した。
それは、まだジェフリーが霊力を持たない、子供の時だった。
彼は好奇心に駆られて下界へと降りたものの、金髪碧眼の龍の子を見て金儲けをしようとした人間達に攫われ、命からがら逃げだしたものの、力尽きて何処かのお屋敷の中庭で気を失って倒れてしまったのだった。
「見て、あそこに人が倒れているわ。」
「お嬢様、大丈夫ですか?旦那様にもしこの事が知られたら・・」
「大丈夫よ!」
ジェフリーは、赤毛の少女―海斗の看病によって回復した。
「また会える?」
「あぁ。その時は、君を俺のお嫁さんにしてやるよ。」
「本当!?」
「本当さ。」
そう言って、ジェフリーは海斗に翡翠の首飾りを贈った。
あれから十数年の時が経ち、成長したジェフリーは海斗の事を捜したが、彼女は両親を亡くし、遠縁の親戚の家で使用人同然の扱いを受けていた。
彼女が遊郭へ売り飛ばされる前に、間に合って良かったと、ジェフリーは思った。
「ん・・」
海斗は、見知らぬ部屋の中で目を覚ました。
「目が覚めたか?食事にしよう。」
「はい・・」
海斗がジェフリーと共に広間に入ると、そこには色とりどりの豪華な料理が並んでいた。
「あの、これは全部、俺の為に?」
「あぁ。」
あの家ではいつも冷えた残飯ばかり食べていたので、湯気が立っているご飯や味噌汁を食べるのは、何年振りだろうと海斗は思った。
(こんな立派な家に嫁ぐのに、俺は・・)
「どうした、気に入らなかったのか?」
「あの、こんな俺でもいいのですか?俺は、家柄も良くないし、こんなみすぼらしい着物しか持っていないし・・」
「何だ、そんな事を気にしているのか?着物は俺が買ってやる。」
ジェフリーの言葉を聞いて、海斗は驚いた。
(俺はこの人の生贄で・・いつか喰う生贄の為に、そんな・・)
「どうした?」
「俺は、生贄としてあなたの元に嫁ぎました。だから・・」
「生贄?あんな古いしきたり、もう廃れた。いいかカイト、俺は心の底からお前を妻として迎えたいと思っているんだ。」
「龍神様・・」
「ジェフリーと呼んでくれ。」
「ジェフリー・・」
「カイト、今日は美味い飯を食って、寝ろ。」
「わかりました。」
ジェフリーと夕食を済ませた後、海斗は湯殿へと向かった。
そこは、神聖な雰囲気がある、広い浴場だった。
今まで垢が浮く残り湯で風呂を済ませて来たので、海斗は広い浴槽を堪能した。
「海斗、着替えを持って来た・・」
「きゃぁっ!」
ジェフリーが脱衣所に入ろうとした時、運悪く彼は海斗の裸を見てしまった。
海斗は、男女両方の性を持っていた。
その身体よりも、ジェフリーの目をひきつけたのは、海斗の全身に残る痣や火傷痕だった。
「誰にやられた?」
「俺が、悪いんです。」
海斗はそう言ってしゃくり上げると、その場に座り込んだ。
「薬湯だ。これを飲むと気分が落ち着く。」
「ありがとうございます。」
夜着に着替えた海斗は、ジェフリーの手から薬湯を受け取り、それを一口飲んだ。
「父さんと母さんが亡くなって、俺は今の家に使用人として引き取られました。いつも殴られていました。殴られるだけなら、まだいいんです。」
「辛い事は言わなくてもいい。」
ジェフリーは、海斗の手が小刻みに震えている事に気づき、そっと彼女を抱き締めた。
「俺はお前の味方だ、カイト。」
「ジェフリー・・」
海斗が“生贄”に選ばれた日の夜、村は大雪に見舞われた。
ナイジェルは右目から血を流しながら、遊郭を彷徨っていた。
「カイト・・カイト・・」
ナイジェルは覚束ない足取りで数歩歩いた後、意識を失った。
夢の中で、海斗は見知らぬ男と並んで歩いていた。
ナイジェルがどんなに海斗を呼んでも、彼女は振り向こうとしない。
(カイト、俺はここに居るぞ!)
海斗に向かってナイジェルが手を伸ばそうとした時、彼は悪夢から醒めた。
「お目覚めですか、若様。」
襖が開き部屋に入って来たのは、狐の面を被った少年だった。
「これは・・」
「さぁ、お召し替えを。」
状況がわからないまま、ナイジェルは白無垢に着替えさせられ、少年によって広間のような部屋に通された。
「待っていたぞ、俺の花嫁。」
そう言って鳶色の瞳を持った妖狐は、自分を睨んでいるナイジェルを見た。
「俺は、貴様の花嫁になったつもりはない。」
「面白い。俺は、一筋縄ではいかない花嫁が好きでね。」
妖狐―キットは、舌なめずりをした。
「何故俺を助けた?」
「お前の事が気に入ったからさ。」
「ただそれだけで、お前を信用しろと?胡散臭いな。」
「では、俺がお前の幼馴染が今何処に居るのかを知っている、と言ったら?」
「カイトを、カイトを知っているのか?」
ナイジェルはそう言ってキットに詰め寄ったが、ナイジェルは苦痛に顔を歪めると、その場に蹲った。
「怪我が治るまで、ここに居ろ。なぁに、心配するな。お前の幼馴染とは、すぐに会えるさ。」
キットはナイジェルを寝室まで運ぶと、屋敷を出て町へと向かった。
「いらっしゃいませ。」
「親爺、きつねうどんひとつ。油揚げが大きい奴を頼む。」
「あいよ!」
キットが焼酎を飲んでいると、店に黒髪の鬼が入って来た。
―あの方は・・
―ほら、あの・・
(目を合わせないようにしないとな。)
キットがそんな事を思いながら油揚げを頬張っていると、黒髪の鬼が何処か険しい表情を浮かべた後、突然店から飛び出していった。
(一体どうしたんだ?)
キットが店の中から外の様子を見ていると、黒髪の鬼が赤毛の娘と何かを言い合っていた。
「・・めて、あなたには・・」
「彼と別れろ、カイト!」
「痛い!」
「親爺、代金はここに置いておくぜ。」
「ありがとうございました~!」
キットは店から出ると、言い争っている黒髪の鬼と赤毛の娘との間に割って入った。
「おやおや、可愛い娘に絡むなんて、穏やかじゃないなぁ。」
「狐は黙っていろ!」
「そうはいかないね。俺は困った者を助けるのが仕事なんでね。お嬢さん、お名前は?」
「東郷海斗と申します。あの、あなたは・・」
「俺はクリストファー=マーロウ、キットと呼んでくれ。カイト、この人とは一体何があったんだ?」
「実は・・」
海斗は、数分前に起きた事をキットに話し始めた。
「カイト!」
数分前、海斗がジェフリーと買い物をした後、一人で町を歩いていると、元許婚であった鬼のビセンテと会った。
彼は、愛梨と腕を組んで歩いていた。
「あらぁ~、その着物は何?地味な色ね。」
海斗が二人に背を向けて歩き出すと、ビセンテがすぐに追いかけて来た。
「カイト、わたしは・・」
「俺はもうあなたとは何の関係もないから、その手を離して下さい。」
「わたしは、納得出来ない。」
「俺はもう、別の人と一緒になったの、だから・・」
ビセンテは怒りに燃える緑の瞳で海斗を睨むと、彼女を掴む手に力を込めた。
「どんな奴だ?」
「やめて、あなたには関係ない!」
「まだわたしは、お前の事を諦めていない!だから、彼と別れろ、カイト!」
キットはそこまで海斗の話を聞いた後、黒髪の鬼―ビセンテを見た。
「未練がましい男は嫌われるぜ?」
「黙れ、狐!」
ビセンテがそう怒鳴ってキットを睨みつけた時、凄まじい霊気と共に金髪をなびかせたジェフリーがやって来た。
「誰かと思ったら、根暗な鬼じゃないか?俺の妻に手を出さないでくれるかな?」
そう言ったジェフリーの目は、笑っていなかった。
「また会おう、カイト。」
「大丈夫か、カイト?怪我は無いか?」
「うん・・」
海斗はキットに軽く会釈すると、ジェフリーと共にその場から去って行った。
(あれが龍神かぁ・・)
キットがジェフリー達に会って数日後、彼は二人と町で再会した。
「カイト、元気そうだな?」
「キットさん、この前は助けて下さりありがとうございました。」
「今日は二人で何処に行くんだ?」
「ちょっとした集まりに出るんだ。」
「へぇ、そうかい。」
キットはそう言って出掛けて行く二人を見送った。
「ねぇ、俺の格好変じゃないかな?」
「いいや、とても綺麗だ。」
ジェフリーはそう言うと、美しい桜色の着物を着た海斗を見た。
―ねぇ、あれ・・
―どうして・・
(どうして、あの子ばかり注目されるの!)
愛梨は、美しく着飾っている海斗を見て嫉妬の炎をその胸に燃え上がらせた。
「カイト、あいつがお前を虐めていた娘か?」
「うん。ジェフリー、何をする気なの?」
「挨拶をしに行くだけさ。」
ジェフリーはそう言うと、海斗から離れた。
キットが二人に町で再会する数日前の事―
「これは?」
「あぁ、招待状だ。毎年桜の季節になると、人と様々な種類の妖が集まる宴があるんだ。」
「宴って事は・・」
海斗の脳裏に、ビセンテと腕を組んで歩いていた愛梨の姿が浮かんだ。
「俺、行けないよ。だって・・」
「着物なら、買ってやるさ。」
「いいの?」
「いいに決まっているだろ。」
こうして海斗は、ジェフリーと共に町で一番大きな呉服屋へと向かった。
「いらっしゃいませ。まぁ、これはこれは・・」
店主はジェフリーの顔を見て満面の笑みを浮かべた後、海斗とジェフリーを店の奥へと案内した。
そこには、美しい色とりどりの着物が並べられていた。
「妻に似合う着物を何着か見繕ってくれないか?」
「わかりました。」
「そうだ、妻の赤毛に似合う簪を頼む。」
「はい!」
「こんな高そうなの、貰えないよ・・」
「何を言う、俺がお前に贈りたいんだ。だから遠慮せずに、好きな物を選べ。」
「・・はい。」
海斗は初めて、自分が好きな物を選んだ。
「どうした?」
「え・・」
「ただ買い物に来ただけなのに、何も泣く事はないだろう?」
そこで初めて、海斗は自分が泣いている事に気づいた。
あの家では、いつも感情を押し殺していたので、素直に感情を表す事が出来なかった。
だから、嬉しさの余り、涙を流してしまったのだ。
「ごめんなさい・・」
「謝らなくていい。」
二人が屋敷へと戻ると、そこには一人の女が彼らの帰りを待っていた。
「あらぁ、この子が新しい生贄?」
「鵺がここに何の用だ?」
「別にぃ。」
女は淡褐色の瞳でじっと海斗を見た後、去っていった。
「あの人は?」
「あいつは鵺だ。」
「鵺?」
「人や妖を騙し、それを生き甲斐にしている妖だ。あいつには近づかない方が良い。」
「わかった。」
“桜の集い”当日、愛梨は一番上等な振袖を着て行った。
「あらぁ、愛梨様じゃありません事?」
「素敵なお召し物です事。」
「まぁ、ありがとう。」
愛梨は周囲から着物を褒められ、すっかり有頂天になっていた。
しかし、それは一瞬で終わった。
―ねぇ、見て・・
―あれが、“生贄”・・
周囲が突然ざわつき出したので、愛梨が周囲を見渡すと、会場に一組の男女が入って来た。
金髪碧眼の美男子は、妖の世界を統べる龍神・ジェフリーだった。
その隣に居るのは、美しく着飾った“生贄”の海斗だった。
「ジェフリー、俺、おかしくないかな?」
「いいや、とても綺麗だ。」
(どうしてあの子が、わたしより注目されているの?そんなの、許されないわ!)
そんな事を愛梨が思っていると、龍神がふと自分の方へと近づいて来ている事に、愛梨は気づいた。
「妻が、世話になったな。」
静かな怒りを孕んだ蒼い瞳に睨まれ、愛梨は悲鳴を上げその場から逃げ出した。
―ねぇ、愛梨様が・・
―お気の毒にねぇ・・
―まぁ、龍神様の逆鱗に触れてしまったのだもの、当然の報いよね。
「ジェフリー、お嬢様に何をしたの?」
「挨拶をしに行っただけだ。それよりもカイト、何をしているんだ?」
「繕い物です。」
「そんな事、しなくて良い。」
ジェフリーはそう言うと、あかぎれだらけの海斗の手を握った。
「お~いジェフリー、居るかぁ!?」
「キット、どうした?」
「いやぁ、妙な噂を人里で聞いてなぁ。何でもお前さん、あの家の一人娘を脅したんだって?」
「挨拶をしただけだ。」
「まぁ、その娘は精神を病んだみたいだ。」
キットはそう言うと、ジェフリーに団子を手渡した。
「そういや、鵺が最近お前さんの事を探っているみたいだぜ?」
「へぇ・・」
ジェフリーは眉を微かに吊り上げた。
「キットさん、こんにちは。」
「カイト、元気そうだな。」
キットは、数日前にあった時とは違い、海斗の表情が明るい事に気づいた。
「どうやら、お前さん達は上手くやってそうだな。」
「ここへは無駄話をしに来たのか、キット?」
「いや、実はお前さん達に会わせたい奴が居てな。」
「俺達に会わせたい奴?」
「カイト!」
「ナイジェル!」
キットに連れて来られたナイジェルを見て、海斗は思わず彼と抱き合った。
ジェフリーが嫉妬で険しい表情を浮かべているとも知らずに。
「カイト、こいつは誰だ?」
「前に居た家でお世話をしていたナイジェルだよ。ナイジェル、こちらは・・」
「はじめまして、カイトの夫の、ジェフリーだ。」
「夫だと?」
ナイジェルは、そう言いながら灰青色の瞳を眇めた。
「俺は、頭にカビが生えた爺共とは違って、生贄制度を廃止にしているんでね。それに、俺はカイトを心の底から愛している。」
「ほぅ・・」
ナイジェルは、ジェフリーの言葉に苛立ち、まるで獣のような唸り声を上げた。
(何?)
ビリビリとした空気と共に、海斗はナイジェルの周囲で蒼い焔が燃えている事に気づいた。
「ナイジェル、落ち着け!」
「うるさい!」
慌ててナイジェルの怒りを鎮めようとしたキットだったが、彼に殴られ池に落ちてしまった。
「狗神か・・初めて見たな。」
「ナイジェル、やめて!」
「カイト・・」
我に返ったナイジェルは、池に落ちたキットを救出した。
「酷い目に遭ったぜ。」
「済まない、キット。」
「いや、力が暴走するのは良くある事だ。」
キットはそう言うと、ジェフリーから渡された手拭いで濡れた髪を拭いた。
「それで?お前とカイトとはどんな関係なんだ?」
「だから、ただの幼馴染だって!」
「そうか。」
「そんなに嫉妬するなよ、ジェフリー。」
キットは団子を頬張りながらそう言うと笑った。
「俺はあの家の蔵でずっと暮らしていた。今は、キットと暮らしている。」
「いやぁ~、長い間独り身だったから、こいつには助けられたぜ!流石、俺の妻・・グェッ!」
「俺は貴様の妻ではない!」
「つれないなぁ・・」
ナイジェルはキットを無視して、海斗の方を向いた。
「カイト、今まで心配をかけて済まなかった。今日ここへ俺が着たのは、これをお前に渡しにきたんだ。」
ナイジェルは、海斗の実母の形見であるロザリオを手渡した。
「ありがとう、ナイジェル。あの人達に、とっくに捨てられたのかと思ってた・・」
「俺が、蔵にお前の両親の形見を隠していたんだ。お前と逃げようとした時に蔵から全て持ち出そうとしたが、結局これしか持ち出せなかった。」
「これだけ持ち出してくれただけでも、嬉しいよ。」
ナイジェルからロザリオを受け取った海斗は、それを大切そうに握り締めた。
「カイト、誤解して済まなかった。」
「いいえ。あ、俺お茶淹れて来ますね。」
「カイト・・」
「まぁまぁジェフリー、やらせてやれ。」
ジェフリーは海斗の後を追おうとしたが、キットに止められた。
「カイトは、今まであの家で辛い目に遭って来た。だから、まだこの生活に慣れていないんだ。」
「この生活・・?」
「カイトは両親を亡くしてから、あの家で使用人として扱われて来た。だが今はとても恵まれた生活を送っている。あいつは、環境の変化に慣れていないから、黙って見守っていてくれ。」
「そうか。キット、鵺の件はどうなっている?」
「音沙汰無しだ。嵐の前の静けさ、ってやつなのか、どうしても胸騒ぎがしてならないんだ。」
「胸騒ぎ、か・・」
ジェフリーは、団子を食べながらそう呟くと、海斗の様子を見に厨へと行った。
「あれ、ここかな・・」
海斗が厨の戸棚を開けて茶碗を探していると、背後からジェフリーが抱きついて来た。
「あの、どうしたのですか?」
「お前が、欲しくなった。」
海斗はジェフリーに着物の上から膣を撫でられ、甘く喘いだ。
「んっ、こんな所で・・」
「嫌か?」
ジェフリーの問いに、海斗は静かに首を横に振った。
「二人共、遅いなぁ・・」
「様子を見に行こう。」
「やめておけ、お前が行っても気まずくなるだけだ。それよりも、俺と・・」
「帰る。」
「おぉ~い、待ってくれ!」
ナイジェルに殴られてもなお、キットはナイジェルの事を愛していた。
「カイト、無理をさせて済まなかったな。」
「ジェフリー・・」
「俺は不安なんだ、いつかお前が居なくなってしまうんじゃないかって・・」
「ジェフリー、どうしたの?」
「少し、昔の事を思い出してな。」
「良かったら、話してくれないかな?夫婦になったから、あなたの事をもっと知りたい。」
「わかった。」
ジェフリーは深呼吸した後、自分の両親の事を初めて話した。
「俺の母は、人間だった。だが、父は外に女を作った。嫉妬に怒り狂った母は、父を呪い殺した。だがその所為で寝たきりになってしまった。母は俺が寝ている間、吐いた物を喉に詰まらせて窒息死した。母が死んだ後、俺は時々人里へ下りるようになった。そうしないと、飢え死にしちまうからな。」
「ジェフリー・・」
「俺の周りに居る者は、俺の前から急に消えてしまう。」
「大丈夫、俺はずっと傍に居るよ。」
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あかぎれだらけの手を擦りながら、海斗は一人屋敷の中庭で大量の洗濯物を洗っていた。
凍えるような寒さの中で、海斗は薄い絽の着物しか着ていなかった。
「これで終わり・・」
「あら、こんな所に居たのね。」
そう言って海斗を睨みつけたのは、この家の一人娘である愛梨だった。
「相変わらず辛気臭い顔をしているのね。」
「すいません・・」
「まぁいいわ、これ以上お前に構っている時間は無いの。」
美しく着飾った愛梨は、そう言うと海斗に背を向けて去っていった。
悴む手を擦って海斗が母屋で洗濯物を畳んでいると、そこへ愛梨の母であるかの子がやって来た。
「海斗、洗濯物を畳むのを終わったら、夕飯を作って頂戴。」
「はい・・」
「わたくし達は外で済ませておきますから、“あの子”の分だけ作って。」
かの子はそう言った後、愛梨と何処かへ出掛けてしまった。
厨で“あの子”の夕飯を作ると、海斗はそれを蔵へと持って行った。
「失礼致します、お夕飯をお持ちしました。」
「わかった。」
蔵の扉が静かに開き、中から一人の青年が出て来た。
彼の名はナイジェル。
この家の当主が外の女との間に作った私生児だった。
「いつも済まないな、カイト。」
「いいえ・・」
背中まである長さの髪を櫛で梳きながら、海斗はそう言ってナイジェルを見た。
「どうした?」
「綺麗な髪だなぁって思って。俺の髪はどうして、皆と違うんだろう。」
「俺は、お前の炎のような髪が好きだ。」
「え・・」
「カイト、これを。」
そう言ってナイジェルが海斗に手渡したのは、銀細工の美しい簪だった。
「母の形見だ、受け取ってくれ。」
「そんな大切なもの、受け取れないよ。」
「お前はもっと着飾ってもいい。あいつらがお前をどう思おうと、俺はお前が好きだ。」」
「ナイジェル・・」
「何処で油を売っていたのかと思ったら、こんな所で乳繰り合っていたのね。」
我に返ったナイジェルと海斗が背後を振り向くと、そには鬼のような形相を浮かべたかの子が立っていた。
「奥様・・」
「海斗、お前に良い縁談があるわ。母屋へわたくしといらっしゃい。」
「はい・・」
海斗がかの子と共に母屋へ向かうと、そこには何やら深刻そうな表情を浮かべて話している村人達の姿があった。
「奥様、その子が・・」
「ええ、この子が、“花嫁”よ。」
「おぉ・・」
「今年も、村は安泰ですな。」
「喜びなさい海斗、あなたはとても高貴な御方の元へ嫁ぐ事になったのよ。」
「はい・・」
訳がわからぬまま、海斗は名も知らぬ相手に嫁ぐ為の準備に追われた。
「まぁ、見事な白無垢です事!」
「これで海斗様も安心して嫁ぐ事が出来ましょう。」
「あの子だけずるいわ!」
「愛梨、我慢なさい。」
「でも・・」
「あの子がこの家から居なくなれば、楽しくお母様と“二人”で暮らせるわ。」
「そうね、お母様!」
嫁入りを前日に控えた夜、海斗は不安と恐怖で眠れなかった。
「カイト、起きているか?」
「ナイジェル、どうしてここに?」
「一緒に逃げよう、カイト。」
ナイジェルに手をひかれるがままに、海斗は暗闇の中で必死に走っていた。
「花嫁が逃げたぞ!」
「追え!」
「逃がすな、生け捕りにしろ!」
背後から追手の声が聞こえ、海斗は恐怖で顔を強張らせた。
「俺が必ず、お前を守る。」
「ナイジェル・・」
「居たぞ!」
海斗は、追手に斬りつけられそうになったが、ナイジェルがその刃を受けた。
「ナイジェル、しっかりして!」
「娘を連れて行け!」
「ナイジェル、ナイジェル~!」
ナイジェルの右目に最後に映ったものは、海斗の泣き顔だった。
「全く、恩を仇で返すなんて、この裏切り者!」
「奥様・・」
「さっさと遊郭に売り飛ばしてしまえ。うちの家名に泥を塗るような娘の顔など、もう見たくない。」
ナイジェルがあの後どうなったのかわからぬまま、海斗は遊郭へと売られる事になった。
「お母様、あの子は売られるの?」
「今夜売られるそうよ。厄介払いが出来て良かったわ。」
かの子はそう言うと、美味そうに紅茶を一口飲んだ。
海斗は、白無垢姿で白馬に乗せられ、遊郭へと連れて行かれた。
―何だい、ありゃ?
―今年の“花嫁”だよ。
―可哀想にねぇ。
「後少しで着くぞ。」
「はい・・」
海斗が馬から降りようとした時、突風が彼女を襲った。
―待ちくたびれたぞ、我が花嫁。
海斗が目を開けると、自分の前には金髪碧眼の美男子が立っていた。
「あなたは、誰?」
「俺について来い。」
海斗は、無意識に自分の前に差し出された男の手を取り、男と共に歩き出した。
「あの、ここは?」
「ここは、これからお前が俺と共に住む家だ。」
「え・・」
「今日からよろしくな、カイト。」
金髪碧眼の美男子に連れられ、海斗がやって来たのは、四方を山に囲まれた寝殿造りの屋敷だった。
「ここは?」
「今日から俺達が住む家だ。よろしくな、カイト。」
「あの・・俺は・・」
「カイト、お前は俺の事が嫌いか?」
「いいえ・・」
海斗は、彼と共に居ると心が安らぐのを感じた。
「あなたはどうして、俺の名前を知っているの?」
「お前の事は、昔から知っている。」
ジェフリーはそう言うと、海斗と初めて会った日の事を思い出した。
それは、まだジェフリーが霊力を持たない、子供の時だった。
彼は好奇心に駆られて下界へと降りたものの、金髪碧眼の龍の子を見て金儲けをしようとした人間達に攫われ、命からがら逃げだしたものの、力尽きて何処かのお屋敷の中庭で気を失って倒れてしまったのだった。
「見て、あそこに人が倒れているわ。」
「お嬢様、大丈夫ですか?旦那様にもしこの事が知られたら・・」
「大丈夫よ!」
ジェフリーは、赤毛の少女―海斗の看病によって回復した。
「また会える?」
「あぁ。その時は、君を俺のお嫁さんにしてやるよ。」
「本当!?」
「本当さ。」
そう言って、ジェフリーは海斗に翡翠の首飾りを贈った。
あれから十数年の時が経ち、成長したジェフリーは海斗の事を捜したが、彼女は両親を亡くし、遠縁の親戚の家で使用人同然の扱いを受けていた。
彼女が遊郭へ売り飛ばされる前に、間に合って良かったと、ジェフリーは思った。
「ん・・」
海斗は、見知らぬ部屋の中で目を覚ました。
「目が覚めたか?食事にしよう。」
「はい・・」
海斗がジェフリーと共に広間に入ると、そこには色とりどりの豪華な料理が並んでいた。
「あの、これは全部、俺の為に?」
「あぁ。」
あの家ではいつも冷えた残飯ばかり食べていたので、湯気が立っているご飯や味噌汁を食べるのは、何年振りだろうと海斗は思った。
(こんな立派な家に嫁ぐのに、俺は・・)
「どうした、気に入らなかったのか?」
「あの、こんな俺でもいいのですか?俺は、家柄も良くないし、こんなみすぼらしい着物しか持っていないし・・」
「何だ、そんな事を気にしているのか?着物は俺が買ってやる。」
ジェフリーの言葉を聞いて、海斗は驚いた。
(俺はこの人の生贄で・・いつか喰う生贄の為に、そんな・・)
「どうした?」
「俺は、生贄としてあなたの元に嫁ぎました。だから・・」
「生贄?あんな古いしきたり、もう廃れた。いいかカイト、俺は心の底からお前を妻として迎えたいと思っているんだ。」
「龍神様・・」
「ジェフリーと呼んでくれ。」
「ジェフリー・・」
「カイト、今日は美味い飯を食って、寝ろ。」
「わかりました。」
ジェフリーと夕食を済ませた後、海斗は湯殿へと向かった。
そこは、神聖な雰囲気がある、広い浴場だった。
今まで垢が浮く残り湯で風呂を済ませて来たので、海斗は広い浴槽を堪能した。
「海斗、着替えを持って来た・・」
「きゃぁっ!」
ジェフリーが脱衣所に入ろうとした時、運悪く彼は海斗の裸を見てしまった。
海斗は、男女両方の性を持っていた。
その身体よりも、ジェフリーの目をひきつけたのは、海斗の全身に残る痣や火傷痕だった。
「誰にやられた?」
「俺が、悪いんです。」
海斗はそう言ってしゃくり上げると、その場に座り込んだ。
「薬湯だ。これを飲むと気分が落ち着く。」
「ありがとうございます。」
夜着に着替えた海斗は、ジェフリーの手から薬湯を受け取り、それを一口飲んだ。
「父さんと母さんが亡くなって、俺は今の家に使用人として引き取られました。いつも殴られていました。殴られるだけなら、まだいいんです。」
「辛い事は言わなくてもいい。」
ジェフリーは、海斗の手が小刻みに震えている事に気づき、そっと彼女を抱き締めた。
「俺はお前の味方だ、カイト。」
「ジェフリー・・」
海斗が“生贄”に選ばれた日の夜、村は大雪に見舞われた。
ナイジェルは右目から血を流しながら、遊郭を彷徨っていた。
「カイト・・カイト・・」
ナイジェルは覚束ない足取りで数歩歩いた後、意識を失った。
夢の中で、海斗は見知らぬ男と並んで歩いていた。
ナイジェルがどんなに海斗を呼んでも、彼女は振り向こうとしない。
(カイト、俺はここに居るぞ!)
海斗に向かってナイジェルが手を伸ばそうとした時、彼は悪夢から醒めた。
「お目覚めですか、若様。」
襖が開き部屋に入って来たのは、狐の面を被った少年だった。
「これは・・」
「さぁ、お召し替えを。」
状況がわからないまま、ナイジェルは白無垢に着替えさせられ、少年によって広間のような部屋に通された。
「待っていたぞ、俺の花嫁。」
そう言って鳶色の瞳を持った妖狐は、自分を睨んでいるナイジェルを見た。
「俺は、貴様の花嫁になったつもりはない。」
「面白い。俺は、一筋縄ではいかない花嫁が好きでね。」
妖狐―キットは、舌なめずりをした。
「何故俺を助けた?」
「お前の事が気に入ったからさ。」
「ただそれだけで、お前を信用しろと?胡散臭いな。」
「では、俺がお前の幼馴染が今何処に居るのかを知っている、と言ったら?」
「カイトを、カイトを知っているのか?」
ナイジェルはそう言ってキットに詰め寄ったが、ナイジェルは苦痛に顔を歪めると、その場に蹲った。
「怪我が治るまで、ここに居ろ。なぁに、心配するな。お前の幼馴染とは、すぐに会えるさ。」
キットはナイジェルを寝室まで運ぶと、屋敷を出て町へと向かった。
「いらっしゃいませ。」
「親爺、きつねうどんひとつ。油揚げが大きい奴を頼む。」
「あいよ!」
キットが焼酎を飲んでいると、店に黒髪の鬼が入って来た。
―あの方は・・
―ほら、あの・・
(目を合わせないようにしないとな。)
キットがそんな事を思いながら油揚げを頬張っていると、黒髪の鬼が何処か険しい表情を浮かべた後、突然店から飛び出していった。
(一体どうしたんだ?)
キットが店の中から外の様子を見ていると、黒髪の鬼が赤毛の娘と何かを言い合っていた。
「・・めて、あなたには・・」
「彼と別れろ、カイト!」
「痛い!」
「親爺、代金はここに置いておくぜ。」
「ありがとうございました~!」
キットは店から出ると、言い争っている黒髪の鬼と赤毛の娘との間に割って入った。
「おやおや、可愛い娘に絡むなんて、穏やかじゃないなぁ。」
「狐は黙っていろ!」
「そうはいかないね。俺は困った者を助けるのが仕事なんでね。お嬢さん、お名前は?」
「東郷海斗と申します。あの、あなたは・・」
「俺はクリストファー=マーロウ、キットと呼んでくれ。カイト、この人とは一体何があったんだ?」
「実は・・」
海斗は、数分前に起きた事をキットに話し始めた。
「カイト!」
数分前、海斗がジェフリーと買い物をした後、一人で町を歩いていると、元許婚であった鬼のビセンテと会った。
彼は、愛梨と腕を組んで歩いていた。
「あらぁ~、その着物は何?地味な色ね。」
海斗が二人に背を向けて歩き出すと、ビセンテがすぐに追いかけて来た。
「カイト、わたしは・・」
「俺はもうあなたとは何の関係もないから、その手を離して下さい。」
「わたしは、納得出来ない。」
「俺はもう、別の人と一緒になったの、だから・・」
ビセンテは怒りに燃える緑の瞳で海斗を睨むと、彼女を掴む手に力を込めた。
「どんな奴だ?」
「やめて、あなたには関係ない!」
「まだわたしは、お前の事を諦めていない!だから、彼と別れろ、カイト!」
キットはそこまで海斗の話を聞いた後、黒髪の鬼―ビセンテを見た。
「未練がましい男は嫌われるぜ?」
「黙れ、狐!」
ビセンテがそう怒鳴ってキットを睨みつけた時、凄まじい霊気と共に金髪をなびかせたジェフリーがやって来た。
「誰かと思ったら、根暗な鬼じゃないか?俺の妻に手を出さないでくれるかな?」
そう言ったジェフリーの目は、笑っていなかった。
「また会おう、カイト。」
「大丈夫か、カイト?怪我は無いか?」
「うん・・」
海斗はキットに軽く会釈すると、ジェフリーと共にその場から去って行った。
(あれが龍神かぁ・・)
キットがジェフリー達に会って数日後、彼は二人と町で再会した。
「カイト、元気そうだな?」
「キットさん、この前は助けて下さりありがとうございました。」
「今日は二人で何処に行くんだ?」
「ちょっとした集まりに出るんだ。」
「へぇ、そうかい。」
キットはそう言って出掛けて行く二人を見送った。
「ねぇ、俺の格好変じゃないかな?」
「いいや、とても綺麗だ。」
ジェフリーはそう言うと、美しい桜色の着物を着た海斗を見た。
―ねぇ、あれ・・
―どうして・・
(どうして、あの子ばかり注目されるの!)
愛梨は、美しく着飾っている海斗を見て嫉妬の炎をその胸に燃え上がらせた。
「カイト、あいつがお前を虐めていた娘か?」
「うん。ジェフリー、何をする気なの?」
「挨拶をしに行くだけさ。」
ジェフリーはそう言うと、海斗から離れた。
キットが二人に町で再会する数日前の事―
「これは?」
「あぁ、招待状だ。毎年桜の季節になると、人と様々な種類の妖が集まる宴があるんだ。」
「宴って事は・・」
海斗の脳裏に、ビセンテと腕を組んで歩いていた愛梨の姿が浮かんだ。
「俺、行けないよ。だって・・」
「着物なら、買ってやるさ。」
「いいの?」
「いいに決まっているだろ。」
こうして海斗は、ジェフリーと共に町で一番大きな呉服屋へと向かった。
「いらっしゃいませ。まぁ、これはこれは・・」
店主はジェフリーの顔を見て満面の笑みを浮かべた後、海斗とジェフリーを店の奥へと案内した。
そこには、美しい色とりどりの着物が並べられていた。
「妻に似合う着物を何着か見繕ってくれないか?」
「わかりました。」
「そうだ、妻の赤毛に似合う簪を頼む。」
「はい!」
「こんな高そうなの、貰えないよ・・」
「何を言う、俺がお前に贈りたいんだ。だから遠慮せずに、好きな物を選べ。」
「・・はい。」
海斗は初めて、自分が好きな物を選んだ。
「どうした?」
「え・・」
「ただ買い物に来ただけなのに、何も泣く事はないだろう?」
そこで初めて、海斗は自分が泣いている事に気づいた。
あの家では、いつも感情を押し殺していたので、素直に感情を表す事が出来なかった。
だから、嬉しさの余り、涙を流してしまったのだ。
「ごめんなさい・・」
「謝らなくていい。」
二人が屋敷へと戻ると、そこには一人の女が彼らの帰りを待っていた。
「あらぁ、この子が新しい生贄?」
「鵺がここに何の用だ?」
「別にぃ。」
女は淡褐色の瞳でじっと海斗を見た後、去っていった。
「あの人は?」
「あいつは鵺だ。」
「鵺?」
「人や妖を騙し、それを生き甲斐にしている妖だ。あいつには近づかない方が良い。」
「わかった。」
“桜の集い”当日、愛梨は一番上等な振袖を着て行った。
「あらぁ、愛梨様じゃありません事?」
「素敵なお召し物です事。」
「まぁ、ありがとう。」
愛梨は周囲から着物を褒められ、すっかり有頂天になっていた。
しかし、それは一瞬で終わった。
―ねぇ、見て・・
―あれが、“生贄”・・
周囲が突然ざわつき出したので、愛梨が周囲を見渡すと、会場に一組の男女が入って来た。
金髪碧眼の美男子は、妖の世界を統べる龍神・ジェフリーだった。
その隣に居るのは、美しく着飾った“生贄”の海斗だった。
「ジェフリー、俺、おかしくないかな?」
「いいや、とても綺麗だ。」
(どうしてあの子が、わたしより注目されているの?そんなの、許されないわ!)
そんな事を愛梨が思っていると、龍神がふと自分の方へと近づいて来ている事に、愛梨は気づいた。
「妻が、世話になったな。」
静かな怒りを孕んだ蒼い瞳に睨まれ、愛梨は悲鳴を上げその場から逃げ出した。
―ねぇ、愛梨様が・・
―お気の毒にねぇ・・
―まぁ、龍神様の逆鱗に触れてしまったのだもの、当然の報いよね。
「ジェフリー、お嬢様に何をしたの?」
「挨拶をしに行っただけだ。それよりもカイト、何をしているんだ?」
「繕い物です。」
「そんな事、しなくて良い。」
ジェフリーはそう言うと、あかぎれだらけの海斗の手を握った。
「お~いジェフリー、居るかぁ!?」
「キット、どうした?」
「いやぁ、妙な噂を人里で聞いてなぁ。何でもお前さん、あの家の一人娘を脅したんだって?」
「挨拶をしただけだ。」
「まぁ、その娘は精神を病んだみたいだ。」
キットはそう言うと、ジェフリーに団子を手渡した。
「そういや、鵺が最近お前さんの事を探っているみたいだぜ?」
「へぇ・・」
ジェフリーは眉を微かに吊り上げた。
「キットさん、こんにちは。」
「カイト、元気そうだな。」
キットは、数日前にあった時とは違い、海斗の表情が明るい事に気づいた。
「どうやら、お前さん達は上手くやってそうだな。」
「ここへは無駄話をしに来たのか、キット?」
「いや、実はお前さん達に会わせたい奴が居てな。」
「俺達に会わせたい奴?」
「カイト!」
「ナイジェル!」
キットに連れて来られたナイジェルを見て、海斗は思わず彼と抱き合った。
ジェフリーが嫉妬で険しい表情を浮かべているとも知らずに。
「カイト、こいつは誰だ?」
「前に居た家でお世話をしていたナイジェルだよ。ナイジェル、こちらは・・」
「はじめまして、カイトの夫の、ジェフリーだ。」
「夫だと?」
ナイジェルは、そう言いながら灰青色の瞳を眇めた。
「俺は、頭にカビが生えた爺共とは違って、生贄制度を廃止にしているんでね。それに、俺はカイトを心の底から愛している。」
「ほぅ・・」
ナイジェルは、ジェフリーの言葉に苛立ち、まるで獣のような唸り声を上げた。
(何?)
ビリビリとした空気と共に、海斗はナイジェルの周囲で蒼い焔が燃えている事に気づいた。
「ナイジェル、落ち着け!」
「うるさい!」
慌ててナイジェルの怒りを鎮めようとしたキットだったが、彼に殴られ池に落ちてしまった。
「狗神か・・初めて見たな。」
「ナイジェル、やめて!」
「カイト・・」
我に返ったナイジェルは、池に落ちたキットを救出した。
「酷い目に遭ったぜ。」
「済まない、キット。」
「いや、力が暴走するのは良くある事だ。」
キットはそう言うと、ジェフリーから渡された手拭いで濡れた髪を拭いた。
「それで?お前とカイトとはどんな関係なんだ?」
「だから、ただの幼馴染だって!」
「そうか。」
「そんなに嫉妬するなよ、ジェフリー。」
キットは団子を頬張りながらそう言うと笑った。
「俺はあの家の蔵でずっと暮らしていた。今は、キットと暮らしている。」
「いやぁ~、長い間独り身だったから、こいつには助けられたぜ!流石、俺の妻・・グェッ!」
「俺は貴様の妻ではない!」
「つれないなぁ・・」
ナイジェルはキットを無視して、海斗の方を向いた。
「カイト、今まで心配をかけて済まなかった。今日ここへ俺が着たのは、これをお前に渡しにきたんだ。」
ナイジェルは、海斗の実母の形見であるロザリオを手渡した。
「ありがとう、ナイジェル。あの人達に、とっくに捨てられたのかと思ってた・・」
「俺が、蔵にお前の両親の形見を隠していたんだ。お前と逃げようとした時に蔵から全て持ち出そうとしたが、結局これしか持ち出せなかった。」
「これだけ持ち出してくれただけでも、嬉しいよ。」
ナイジェルからロザリオを受け取った海斗は、それを大切そうに握り締めた。
「カイト、誤解して済まなかった。」
「いいえ。あ、俺お茶淹れて来ますね。」
「カイト・・」
「まぁまぁジェフリー、やらせてやれ。」
ジェフリーは海斗の後を追おうとしたが、キットに止められた。
「カイトは、今まであの家で辛い目に遭って来た。だから、まだこの生活に慣れていないんだ。」
「この生活・・?」
「カイトは両親を亡くしてから、あの家で使用人として扱われて来た。だが今はとても恵まれた生活を送っている。あいつは、環境の変化に慣れていないから、黙って見守っていてくれ。」
「そうか。キット、鵺の件はどうなっている?」
「音沙汰無しだ。嵐の前の静けさ、ってやつなのか、どうしても胸騒ぎがしてならないんだ。」
「胸騒ぎ、か・・」
ジェフリーは、団子を食べながらそう呟くと、海斗の様子を見に厨へと行った。
「あれ、ここかな・・」
海斗が厨の戸棚を開けて茶碗を探していると、背後からジェフリーが抱きついて来た。
「あの、どうしたのですか?」
「お前が、欲しくなった。」
海斗はジェフリーに着物の上から膣を撫でられ、甘く喘いだ。
「んっ、こんな所で・・」
「嫌か?」
ジェフリーの問いに、海斗は静かに首を横に振った。
「二人共、遅いなぁ・・」
「様子を見に行こう。」
「やめておけ、お前が行っても気まずくなるだけだ。それよりも、俺と・・」
「帰る。」
「おぉ~い、待ってくれ!」
ナイジェルに殴られてもなお、キットはナイジェルの事を愛していた。
「カイト、無理をさせて済まなかったな。」
「ジェフリー・・」
「俺は不安なんだ、いつかお前が居なくなってしまうんじゃないかって・・」
「ジェフリー、どうしたの?」
「少し、昔の事を思い出してな。」
「良かったら、話してくれないかな?夫婦になったから、あなたの事をもっと知りたい。」
「わかった。」
ジェフリーは深呼吸した後、自分の両親の事を初めて話した。
「俺の母は、人間だった。だが、父は外に女を作った。嫉妬に怒り狂った母は、父を呪い殺した。だがその所為で寝たきりになってしまった。母は俺が寝ている間、吐いた物を喉に詰まらせて窒息死した。母が死んだ後、俺は時々人里へ下りるようになった。そうしないと、飢え死にしちまうからな。」
「ジェフリー・・」
「俺の周りに居る者は、俺の前から急に消えてしまう。」
「大丈夫、俺はずっと傍に居るよ。」
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