ゴルバチョフ氏は、ソ連で展開された「共産党独裁・指令型計画経済国家」というシステムが、社会の発展を促すものではなく、人々の生活を豊かにするものでもなかったことは理解していた。
8・31・2022
20世紀最大の出来事は、その膨大な死傷者と破壊力から、2度にわたる「世界大戦」だったと指摘する人は多いと思う。しかし、それにも劣らず、世界的に歴史に残る大きな事件だったのは、「ソ連崩壊」なのかもしれない。そして、その立役者が、ゴルバチョフ元ソ連大統領(元ソ連共産党書記長)だった。
【2022年に亡くなった方々】海部俊樹さん、水島新司さん 多分、ゴルバチョフ氏を抜きにしてソ連崩壊は語れないし、ソ連崩壊とともに崩れた米ソ冷戦構造、社会主義国家体制、さらには社会主義思想そのものを総括することができないと思われる。
なぜ、ソ連は崩壊したのか? そもそも、ソ連という国家は何だったのか? そして、ゴルバチョフ氏は何を考えていたのか?――という疑問は、実は、今もきちんとした説明がない。その理解は、人によって、国によって、そして、その世界観によって違う。
一般的に、ソ連と対立した西側諸国のゴルバチョフ観は、「無神論独裁国家にリベラルな欧米思想を導入し、破壊へと導いた功労者」ということで、肯定的で親近感を持ち、評価は高いと思う。「ともかく、米ソの“第三次世界大戦”の恐怖だけは遠のいた。ゴルバチョフにはその功績があった」ということにもなる。
しかしロシア国内では、ソ連崩壊により、ロシアは世界から孤立し、その自負も誇りもズタズタにされたと感じている人は多い。その後に「自由と民主主義」という名のもとに実現されるはずだった「市場経済」の導入は、一部の人々に富が集中する「経済格差」の正当化でしかなかった。未曽有の混乱と不公平と、悲惨な生活をもたらしたというのが実感だった。
ゴルバチョフ氏は、ソ連で展開された「共産党独裁・指令型計画経済国家」というシステムが、社会の発展を促すものではなく、人々の生活を豊かにするものでもなかったことは理解していた。また、事実上ソ連の支配下にあった東欧などの社会主義国家群の国家運営も行き詰まり、未来への見通しがないことも理解していた。すべて解放せねばならないとも思っていたと思う。
だから、「ペレストロイカ(立て直し)」という社会主義体制の改革に、おずおずと乗り出した。しかし、その行動は中途半端で、最後まで共産党独裁体制から抜け出ることができなかった。1991年夏のクーデター未遂事件で、予期しなかった部下の“反乱”に動揺し、軟禁先のクリミア保養地から戻ったゴルバチョフ氏は、「別の国から帰ってきた大統領」と皮肉られることにもなった。
事件後、ゴルバチョフ氏は、エリツィン・ロシア共和国大統領(当時、後のロシア大統領)に権力を奪われ、公式の場での活躍はなくなった。それでも、ゴルバチョフ氏は「社会主義の夢」にこだわり、語り続けた。過去のソ連の歴史の「負の遺産」を振り返ると、それは、まったくドン・キホーテのような世界でもあった。人々の心はゴルバチョフ氏を離れ、理解をしてくれるような状況ではなくなっていった。
ソ連崩壊後、「社会主義」は没落し、「身分・経済格差」を認める「新自由主義思想」が一時的に世界を席巻した。しかし現在、再び「不平等・不公平」の問題が、大きく立ち上がっている。
多分、ゴルバチョフ氏は、その現実を見ながら、解決できずにこの世を去っていくことに、無念の思いがあったと思う。
ゴルバチョフ氏の歴史的評価が、どこに落ち着くか。まだ、答えは出ていない。
【石郷岡建(元毎日新聞モスクワ支局長)】