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「地球で最初の生命は、進化では誕生できない」…進化論で生じた「すこぶる当然の疑問」

2024年05月09日 20時05分49秒 | 生き物のこと





生命はRNAから始まった>RNAワールド仮説

圧倒的人気を誇るこのシナリオには、困った問題があります。生命が存在しない原始の地球でRNAの材料が正しくつながり「完成品」となる確率は、かぎりなくゼロに近いのです。ならば、生命はなぜできたのでしょうか?


この難題を「神の仕業」とせず合理的に考えるために、著者が提唱するのが「生命起源」のセカンド・オピニオン。そのスリリングな解釈をわかりやすくまとめたのが、アストロバイオロジーの第一人者として知られる小林憲正氏の『生命と非生命のあいだ』です。今回から数回にわたって、本書から読みどころをご紹介していきます。


今回は考察の原点となるダーウィンの進化論と、その後の「生命はどこから生まれたか」議論の変遷を見ていきます。

*本記事は、『生命と非生命のあいだ 地球で「奇跡」は起きたのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。


ダーウィンのオリジナル概念ではなかった「進化」
1859年、チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)は、ジョン・マレー出版社から『自然選択という手段、または生存闘争の中で好ましいとされる種が保存されることによる種の起原について』という長いタイトルの本を出版しました。これが、今日の生物進化学の基礎を築いた、『種の起源』という名で知られている著作の正式な書名です(「起“源”」ではなく「起“原”」と訳されました)。


実は「進化」という概念自体は、ダーウィン以前にもありました。たとえば、彼の祖父のエラズマス・ダーウィン(1731〜1802)は、生物学に進化(evolution)という言葉を持ちこんでいました。また、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルク(1744〜1829)は、キリンの首は高いところの葉を食べようとして伸びた、といった「用不用説」と呼ばれる考え方で進化を説明しようとしていました。


ダーウィンは初め、医者である父のあとを継ぐためエジンバラ大学に進学しましたが、医学学には向かずに退学し、牧師になるべくケンブリッジ大学に進みました。そして卒業後、恩師から、船で世界を一周する旅に誘われました。これが彼の人生を変える旅となりました。


1831〜1836年、ダーウィンを乗せたビーグル号は世界のさまざまな土地に立ち寄りましたが、とりわけ1835年に訪れたガラパゴス諸島での観察が、のちに彼が発表する進化論のベースになりました。


その頃のヨーロッパでは、キリスト教の教えにもとづく「デザイン論」が優勢でした。地球上のさまざまな生物たちは、創造主である神によって、うまく生きられるようにデザインされたとするものです。これは、前述したアリストテレス哲学とキリスト教の教義とが融合した結果、広まった考え方でした。


しかし、ダーウィンはビーグル号での航海で得たさまざまな標本や、観察の経験をもとにデザイン論を捨て、新たに自然選択にもとづく進化論を構築していきました。


その作業には長い年月がかかりましたが、1858年、イギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823〜1913)からの手紙で、彼が似たような考えを持っていることを知って発表を急ぎ、その年にリンネ学会において自身の論文とウォレスの論文を並べて発表し、翌1859年に、いわゆる『種の起原』の出版にこぎつけたのです。


『種の起原』は、世界は神が創造したとする創造説と進化論との間で大論争を引き起こしましたが、“ダーウィンの番犬”と呼ばれたトマス・ヘンリー・ハクスリー(1825〜1895)の援護もあり、進化論が徐々に認知されていきました。



【写真】チャールズ・ダーウィン、アルフレッド・ラッセル・ウォレス、トーマス・ヘンリー・ハクスリ

ダーウィンの進化論が生んだ「新たな問題」
すると、新たな問題が生じました。進化論では、ある生物種は別の生物種から進化することにより誕生します。これをずっと過去に遡っていくと、最初の生物にたどり着きます。では、その生物はどのようにして誕生したのでしょうか?


この問題に対して、ダーウィンは1871年に、友人の植物学者ジョセフ・ダルトン・フッカー(1817〜1911)宛ての手紙の中で、こう書いています。


「もし(ああ、何とありそうもない「もし」なのでしょう)さまざまな種類のアンモニアやリン酸塩が溶けた温かい小さな池に、光や熱や電気などが加えられたとしたら、タンパク質分子が化学的に合成され、より複雑なものへと変化したでしょう。今日ではそのような物質はすぐに食べ尽くされてしまうでしょうが、生命が誕生する前では、そうはならなかったでしょう」



今日の目から見てもなかなかいい線をいっているように見えますが、その後、ダーウィンはこの考えをさらに進めてはいないようです。ここに「生命はどのようにして誕生したのか」、つまり「生命の起源」という科学上の新たな問いが誕生したのです。


「パンスペルミア説」の登場
最初の生命は生物進化によっては誕生できないので、自然発生したと考えるしかありません。しかし、自然発生は、パストゥールの有名な「白鳥の首フラスコ」(空気は入るけれど微生物は入らないようにすに考案した実験装置)」を使った実験によって、否定されています。地球上では生命の自然発生ができないのならば、生命は地球外から持ちこまれたのではないか?


このように生命の起源を地球外に求めようと考える科学者たちが現れました。その中には大物科学者も含まれていて、熱力学第二法則で知られる英国の物理学者ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿、1824〜1907)もその一人でした。トムソンは1871年に英国協会で「生命の種が隕石によってもたらされた」という考えを述べています。


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【写真】ウィリアム・トムソンとスヴァンテ・アレニウス(

20世紀が始まってまもない1903年、スウェーデンの物理化学者スヴァンテ・アレニウス(1859〜1927)は、『Die Umschau』という雑誌に「宇宙における生命の分布」という論文を発表しました。そこで彼は、宇宙空間には生命の種(sperma)があまねく(pan)存在しており、それらが光の圧力によって移動して地球にたどり着き、地球生命のもとになったと述べて、「パンスペルミア」という言葉を用いました。


アレニウスは高校の教科書にも名前が載るほど有名な物理化学者であり、同じ年にノーベル化学賞を受賞しています。今日でもパンスペルミアというと必ずアレニウスの名前が引用されるなど、生命の地球外起源説の代表とされています。



パンスペルミア説への批判としては、まず、生命の種が過酷な宇宙空間で長時間生きつづけるのが困難と考えられることがあります。しかし現在では、生物の惑星間移動の可能性が実験などで検証されていて、この点からはパンスペルミアは一概に否定できなくなりました。


第二の批判は、その宇宙から来た「生命の種」がどのようにしてつくられたかについては、何も答えていないことです。つまり、問題を先送りしているにすぎないというわけです。こちらは「生命の起源」を議論するうえでは致命的といえますね。


*      *      *


このように「進化」という考え方が認知された結果、その原点にある「生命の起源」という問題につきあたりました。そこから、「生命の種」がどのようにしてつくられたか、そして、生命と非生命の違いとは何か、という問題も生じてきてきたのです。


続いて、近代における生命論の変遷の後半を見てみましょう。舞台は、19世紀から20世紀へと移っていきます。


生命と非生命のあいだ 地球で「奇跡」は起きたのか


生命はどこから生命なのか? 非生命と何が違うのか? 生命科学究極のテーマに、アストロバイオロジーの先駆者が迫る!


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この犬、拾ってください」の張り紙 横浜のショッピングモールに放置された大型犬 リードや散歩を嫌がるのは捨てられた記憶のせい?

2024年05月03日 09時05分08秒 | 生き物のこと



「この犬、拾ってください」の張り紙 横浜のショッピングモールに放置された大型犬 リードや散歩を嫌がるのは捨てられた記憶のせい?



(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース 

この犬、拾ってください」の張り紙 横浜のショッピングモールに放置された大型犬 リードや散歩を嫌がるのは捨てられた記憶のせい?
3/29(水) 20:30配信
1319コメント1319件

元捨て犬のめご(メス)

2019年の秋口のある日、横浜のショッピングモールに、リードに繋がれたゴールデン・レトリーバーとおぼしき大型のワンコが座っていました。そのかたわらには「この犬、拾ってください」と書かれた張り紙があり、捨て犬であることがすぐにわかりました。

 【写真】引き取ったころ、体はノミだらけでした 「今どきそんなことがあるのか」と悲しみを覚えるばかりですが、心ある方が現れ、「捨て犬の大型ワンコを引き取ってもらえないか」と保護団体を10件ほど問い合わせしました。しかし、10件はいずれもキャパシティなどの諸事情からNG。

11件目に問い合わせをしたのが東京・足立にある保護犬カフェPETSでした。


病院直行後、ノミだらけだった体をシャンプー


PETSのスタッフは一も二もなく、受け入れを承諾。すぐにその大型ワンコを引き取り、

「めご」と名付け、まずは病院へと直行し、めごの検査をしてもらうことにしました。 めごの血液検査では異常がなかったものの、体はノミだらけ。同団体に戻ってすぐにスタッフはめごにシャンプーをしました。28キロもあるめごのシャンプーに対し、

「自分の体力的にこたえました。夜にやるもんじゃないですね(笑)」とスタッフは振り返りますが、ここからめごとスタッフの、気持ちを通わせる生活が始まりました。 翌日からはめごがそれまでに過ごしてきた習慣を推測することにしました。トイレは室内トイレ・庭トイレ双方を簡単にでき、どうも馴れている様子。そして、お散歩ができるかどうかもチェックします。お散歩に行くためにリードを付けようとしましたが、めごは極度にこれを拒みました。

リードやお散歩を極度に嫌がる理由


めごがリードを極度に嫌がるのは、もしかするとあの日ショッピングモールに繋げられ、捨てられた記憶が残っているからかもしれません。

 リードでつなぎ、去っていく元飼い主の背中を、めごはどんな気持ちで見つめていたでしょうか。それを思うと憤りを通り越し悲しくなるスタッフでしたが、怒ったり嘆いても、これからのめごが幸せになるわけではありません。

めごに「ごめんね」と言いながらリードをつけ、さっそくお散歩をすることにしました。 すると、めごはスタッフの足の周りをグルグルベタベタとまとわりつき1メートルも動きません。スタッフは一瞬「お散歩されていなかったのかな?」と思いましたが、お家のほうに帰ろうとすると一転。めごは安心しきった顔でスタスタ歩き出します。やはり「お散歩」を拒む理由もまた、捨てられた記憶が強く残っているからではないかと感じさせました。 スタッフはまた目頭が熱くなりました。

「もう大丈夫だからね。私は捨てないよ。絶対に捨てないから安心してね」とめごに言い聞かせました。同時に、めごは、里親さんへの譲渡ではなく「PETSの看板犬」としてスタッフ自身がずっと一緒に過ごすことに決めました。

以下はリンクで


https://news.yahoo.co.jp/articles/0e146a449ba9c5977b24a496d402d5c509fafa4b
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チェルノブイリを徘徊するオオカミたちは突然変異で抗がん能力を獲得していた

2024年05月02日 23時05分19秒 | 生き物のこと
>オオカミたちは突然変異で抗がん能力を獲得していた

オオカミにできるなら、同じ哺乳類の人類も可能かもしれませんね。
「突然変異で抗がん能力を獲得」分子メカニズムを研究すると、
究極の抗がん治療法の開発につながるかも☆





チェルノブイリを徘徊するオオカミたちは突然変異で抗がん能力を獲得していた
2024.02.14 WEDNESDAY


2024.02.13 TUESDAY


1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故により、周辺地域には放射性物質がまき散らされました。


そして、現在のウクライナとベラルーシにまたがる原発から半径30kmの区域が「チェルノブイリ立入禁止区域」となりました。


今もなお、人間の立ち入りは制限されていますが、この区域を徘徊するオオカミたちにはある特別な変化が生じているようです。


アメリカのプリンストン大学(Princeton University)に所属する進化生物学者のカーラ・ラブ氏によると、チェルノブイリ立入禁止区域のオオカミたちには、がんに関連した遺伝子的変異が生じているというのです。


オオカミたちは毎日、人間における法的安全限界の6倍に当たる放射線を受け続けているにも関わらず、その影響に対して驚異的な回復力を示していたのです。


この新しい研究は、2024年1月にワシントン州で開かれた生物学に関する年次総会「Society for Integrative and Comparative Biology(SICB)」にて報告されています。


Mutant Chernobyl wolves evolve anti-cancer abilities 35 years after nuclear disaster
https://www.newswise.com/articles/mutant-chernobyl-wolves-evolve-anti-cancer-abilities-35-years-after-nuclear-disaster
Mutant wolves exposed to Chernobyl disaster have evolved a new superpower, scientists discover
https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-13061267/Mutant-wolves-Chernobyl-disaster-evolved-cancer.html
大倉康弘
大倉康弘Yasuhiro Okura


得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。
海沼 賢
海沼 賢Kainuma Satoshi




目次


チェルノブイリ原発事故から数十年、立入禁止区域のオオカミが抗ガン能力をもつ
1996年の放射能汚染地図。青色の円が半径30kmの「立入禁止区域」



 Credit:Wikipedia Commons_チェルノブイリ立入禁止区域
原発事故以来、チェルノブイリ立入禁止区域では、イノシシ、シカ、アライグマ、オオカミ、200種以上の鳥類など、多くの野生動物が再定着しています。


それら動物は被ばくしながらも、何世代にもわたって生き残っているのです。


そこで2014年、ラブ氏ら研究チームは、発がん性のある放射線に対するオオカミの反応を理解するために、調査を開始しました。


彼女たちは、チェルノブイリ立入禁止区域で生活するオオカミ(学名:Canis lupus)たちに、現在位置と放射性物質を検出する特殊な首輪を付けて追跡し、その血液を採取することで、オオカミたちの状態を詳しく分析することができました。


チェルノブイリ立入禁止区域でオオカミたちが生息できる理由は?





その結果、チェルノブイリ立入禁止区域のオオカミたちは、生涯にわたって毎日11.28ミリレム (mrem:1 レム = 0.01 シーベルト) 以上の放射線にさらされていることが分かりました。


ラブ氏によると、これは法的に定められている人間の労働者の許容被ばく限界の6倍です。


では、どうして立ち入り禁止区域で生息するオオカミたちは、そのような状況でも生き続けられるのでしょうか。


研究チームが、立入禁止区域の内側のオオカミを外側のオオカミのDNAの違いを調べたところ、チェルノブイリ立入禁止区域内のオオカミたちは、放射線治療を受けているがん患者と同様に、免疫系が変化していました。


チェルノブイリ立入禁止区域のオオカミたちに、がんに関連した遺伝子変異が見つかる





分析の結果、そのオオカミたちは、がんに関連する多くの遺伝子に変異が生じており、人間を対象とした安全限界の6倍に相当する放射線を受け続けているにもかかわらず、その影響に対して高い回復力をもっていることが分かりました。


オオカミたちは、放射線から身を守れるよう、過酷な環境に適応していったのかもしれません。


もちろん、さらなる研究が必要ですが、チームは「この発見が、ヒトにおける新たながん治療の開発につながる可能性がある」と期待に胸を膨らませています。


しかし残念なことに、新型コロナウイルス感染症とこの地域で進行中の戦争により、ラブ氏ら研究チームと協力者たちは、チェルノブイリ立入禁止区域に戻ることができていません。


それでも彼女らの研究は、2024年1月にワシントン州で開かれた生物学に関する年次総会「Society for Integrative and Comparative Biology」で発表されており、世界中が今後の進展を見守ることになるでしょう。


【編集注 2023.02.14 10:50】

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だってそれ、結局「神様のやったこと」にしてないか…? 量子力学で「高名な物理学者」の言葉に噛みついた「生化学者のこだわり」

2024年04月18日 11時05分50秒 | 生き物のこと


だってそれ、結局「神様のやったこと」にしてないか…? 量子力学で「高名な物理学者」の言葉に噛みついた「生化学者のこだわり」

4/18(木) 7:07配信



現代ビジネス
photo by gettyimages


 「地球最初の生命はRNAワールドから生まれた」


 圧倒的人気を誇るこのシナリオには、困った問題があります。生命が存在しない原始の地球でRNAの材料が正しくつながり「完成品」となる確率は、かぎりなくゼロに近いのです。ならば、生命はなぜできたのでしょうか? 
 この難題を「神の仕業」とせず合理的に考えるために、著者が提唱するのが「生命起源」のセカンド・オピ
ニオン。そのスリリングな解釈をわかりやすくまとめたのが、アストロバイオロジーの第一人者として知られる小林憲正氏の『生命と非生命のあいだ』です。本書からの読みどころを、数回にわたってご紹介しています。


【画像】宇宙のはじまりを「ビッグバン」という名付けて嘲笑した天文学者


 ダーウィンの進化論がきっかけになって始まった「生命の起源」に対する探究は、地球外に起源を求めた「パンスペルミア説」が登場しました。さらに、「遺伝のしくみ」が徐々に明らかになるにしたがって、大きく変容する生命の起源をめぐる議論を追っていきます。


 *本記事は、『生命と非生命のあいだ 地球で「奇跡」は起きたのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。


コアセルベートと「化学進化」
コアセルベート


 1935年、モスクワにソ連科学アカデミー・バッハ記念生化学研究所が設立されると、オパーリンはその副所長に就任し、植物の加工などについての実務的な研究を行う傍ら、生命の起源の考察も進めていきました。そして1936年には、前著の小冊子『生命の起原』を大幅に拡張した『地球上の生命の起源』を発表します。


 少しくわしい人は、オパーリンというと「コアセルベート」を連想し、それについて書かれたのは1924年の『生命の起原』であるという印象を持っているかもしれませんが、コアセルベートが登場するのは、この1936年版が初めてです。というのは、オランダの化学者H・G・ブンゲンブルク・デ・ヨングが「コアセルベート」という命名をしたのが1929年だからです。


 前述のようにオパーリンは、コロイド溶液を生命のもとと考えていました。しかし、この溶液は、他の物質を加えるなどすることにより、コロイドが高濃度に集まった部分と低濃度の部分の2つに分離することがあります。これをコアセルベーションといいます。そして高濃度に集まった部分は、多くの場合、球状になります。これがコアセルベートです(図「コアセルベート」)。


 コアセルベートは単なるコロイド溶液が「境界」を持ったことで、原始的な細胞のモデルとみなせます。オパーリンは、アラビアゴムとゼラチンの薄い水溶液に酸を加えたときにコアセルベートができることを例としてとりあげて、生命の起源について、自身のコロイド説をさらに進めた仮説としてコアセルベート説を唱えたのです。


 その後もオパーリンは、生命の起源に関する著作の出版や改訂を続けていきました。日本でもそのいくつかが邦訳され、 1955年には初来日したことなどから、日本では「生命の起源」といえばオパーリン、といったイメージさえできました。


 なお、オパーリンが考えた「生命は物質の進化によって誕生した」というシナリオは、いまでは「化学進化説」または「オパーリン仮説」として知られています。ただし欧米では、英国人ホールデンの寄与も忘れてもらっては困るということで「オパーリン・ホールデン仮説」とよばれることが多いようです。


シュレーディンガーの生命観
エルヴィン・シュレーディンガー photo by gettyimages


 オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1961)は、量子力学の創始者の一人として有名で、1933年にはノーベル物理学賞を受賞しました。しかしその後、生命に興味を持ち、1944年に『生命とは何か』という本を著したこともよく知られています。


 彼が生命に興味を持ったきっかけとしては、20世紀前半に、「遺伝」のしくみが徐々に解き明かされてきたことがあります。19世紀に、細胞の中に「染色体」とよばれる棒状の構造体が見つかりました。20世紀に入り、トーマス・ハント・モーガン(1866~1945)らにより、染色体に遺伝をつかさどる物質が含まれていることがわかりました。


 「遺伝子」とよばれるようになったこの物質を、シュレーディンガーは、大きなタンパク質だろうと考えていました。遺伝というまさに生命と非生命を分かつ重要なものが、物理・化学で解明できる期待が高まっていました。


 なお、遺伝子の本体がタンパク質でなく、核酸という別の高分子であることがわかったのは、『生命とは何か』出版と同じ1944年、米国の細菌学者オズワルド・エーブリー(1877~1955)によってでした。


物理学者による新たな生命観の中身
熱力学の第二法則:エントロピーは増大するのみである


 シュレーディンガーは『生命とは何か』の中で、物理学者による新たな生命観を提示しました。熱力学の第二法則から、孤立した系においては、「乱雑さの度合い」をあらわす「エントロピー」が増大していきます。


 たとえば、ビーカーに入った水に色のついた液体をたらすと、色のついた部分は徐々に広がり、最終的には溶液全体に均一に広がりますが、それがもとに戻ることはありません(図「熱力学の第二法則」)。



 しかし、生物の中では生体分子や組織や器官がつくりだされていく、つまりエントロピー(乱雑さ)が減少していくように見えるのです。このことをシュレーディンガーは比喩的に「生命とは負のエントロピーを食べているもの」と言いました。



 その後、1953年に、ロザリンド・フランクリン(1920~1958)、ジェームズ・ワトソン(1928~)、フランシス・クリック(1916~2004)らの働きによって、DNAの構造が解明され、核酸(DNA)が遺伝をつかさどる物質であることがわかりました。これをきっかけに、「分子生物学」という、シュレーディンガーが期待したような物理学的手法を用いた生物学が誕生したのです。


 分子生物学には多くの物理学者が参入しました。彼らは生命現象において遺伝あるいは自己複製を最重視するところが、代謝あるいは触媒作用を重視してきた生化学者と異なります。生命の起源の研究においても、この二つのアプローチは時にぶつかり、時に協力しながら、発展してきました。


 シュレーディンガーは著書のなかで生命の起源について直接的には言及していませんが、最後に生命のことを「量子力学の神の手になる最も精巧な芸術作品」と表現して結んでいます。


 生化学者であるオパーリンは後年の著作『生命ーーその本質、起原、発展』(1960)のなかで、シュレーディンガーの言葉は神による生命の起原を認めている、と批判しています。“化学屋”はやはり実際の物質を見せてもらわないと納得しないところが、“物理屋”と大きく違うところです。


 * * * 


 この百数十年のあいだに、生命の起源をめぐる議論は、ご紹介したような深まりをとげてきました。次回は、現代の議論に通じる変遷と、いま私たちが「生命の起源について考えるポイント」についての解説をお届けします。


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生命と非生命のあいだ 地球で「奇跡」は起きたのか
生命はどこから生命なのか? 非生命と何が違うのか? 生命科学究極のテーマに、アストロバイオロジーの先駆者が迫る! 
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120年に1度の珍事 「黒竹」が佐賀の民家で開花 不吉か吉兆か

2024年04月04日 06時05分00秒 | 生き物のこと

佐賀県神埼市千代田町の山田照彦さん(69)方で竹の一種クロチク(黒竹)が花を咲かせている。専門家によるとクロチクの開花は120年に1度と言われ、山田さんと妻明美さん(69)も「めったにないことだ」と驚いている。 【120年に1度…開花した黒竹】  

4/21/2022



山田さん夫妻が、庭造りのためにクロチクを植えたのは約30年前。当時は高さ2メートルほどだったが、今では4~5メートル、約10平方メートルの竹林に成長した。半月ほど前に山田さんが庭を見回っていて花に気づいた。 



 竹はイネ科に属し、おしべが飛び出しイネが開花した状態に似ている。  山田さんは「珍しいのでうれしい半面、言われているように枯れてしまうのかと思うとちょっと残念だ」と、クロタケを見上げた。

  竹の生態を研究する東京大学大学院農学生命科学研究科の久本洋子助教によると、クロタケは日本で一般的なハチク(淡竹)の仲間で、木の幹にあたる稈(かん)が黒く、見た目が良いことから庭園などに植えられる。 

 竹の開花メカニズムはまだよく分かっていないといい、久本さんは「クロチクが咲くのは120年に1度と言われ、不思議なことに花を付けても種はできない」と言う。 

 数年前からクロチクの開花情報が各地から寄せられており「開花期に入っているようだ。もしかしたら国内で同じ株が流通した可能性もある」と見る。

  久本さんは「竹は花が終わると地上部分は一気に枯れてしまうので不吉とされる所もあるが、逆に吉兆と受け止められている地域もある。ただ、クロチクの場合は枯れ切らず、一部の地下茎が生き残り竹林として復活すると思う」と話している。

【西脇真一】


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