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高麗神社の凄み>浩宮殿下<天皇陛下>の参拝記念

2024年05月05日 08時06分44秒 | 皇室のこと




高麗神社の鳥居の前記念碑、宮様時代の天皇陛下の参拝記念碑でした。
これに気づいている人は少ないですね。



高麗神社には、なぜかビッグネームの参拝記念碑が随所にみられますね
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悠仁さまは推薦入学で東大を目指すも…名門・筑波大付属高校が持つ「4人」の枠に入れるのか?

2024年04月27日 13時05分13秒 | 皇室のこと


悠仁さまは推薦入学で東大を目指すも…名門・筑波大付属高校が持つ「4人」の枠に入れるのか? (msn.com) 



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筑付高から下校される悠仁さま(2023年4月)/(C)日刊ゲンダイ

© 日刊ゲンダイDIGITAL
【秋篠宮家の学校選び】#12


「悠仁さまも浩宮時代の天皇陛下のように、もう少し親しみやすさが出せればいいのですが」と心配そうに話すのは宮内庁OB。ここのところ、皇室の明るい話題といえば、愛子さまが独占している感がある。就職先の日本赤十字社での充実ぶりが伝えられ、その人気は急上昇。一方、大学の進学先の選択に苦慮する悠仁さまの周辺には重たい空気が漂っている。

将来、天皇になることが定められている点ではかつての浩宮さまと立場は同じ。ただし、置かれている環境はずいぶん異なる。一番の違いは受験の有無である。幼稚園から大学までずっと学習院ですごした浩宮さまは上級校への内部進学を重ねていったので、受験の必要はなかった。



■超進学校では視線枠に入ること自体がハイレベル


かたや東大への推薦入学(学校推薦型選抜)も視野に入れている悠仁さまは安閑としていられる状況ではない。「ある意味、一般入試で東大を目指すよりハードルが高い」(個別指導塾幹部)ともいわれる。


1校当たりに与えられている推薦枠は4人。ただし、男女各3人以内という条件が付けられており、男子校や女子校は3人しか出願できない。悠仁さまが在学する筑波大付属高校は共学なので4人まで可能だ。


「まず推薦枠に入ることが大切になってくるわけですが、筑付高のような超進学校ではハイレベルな競争が繰り広げられる。志願者を絞る学校側にも公平さが求められ、皇族だから選んだと疑われるような事態だけは避けたいはず」(塾幹部)


推薦枠に入れたとしても合格までの道のりはまだ遠い。第1次選考、面接、大学入学共通テストを経て合否が決まる。24年度は志願者256人に対して合格者は91人で倍率は2.8倍だった。


「ただ、悠仁さまの場合は筑付高の4人の枠に入れれば、合格の確率はかなり高い。ある分野で突出した成果を上げていることが合格への近道。悠仁さまが昨年11月に発表したトンボの論文が大きな武器になる」(同)


将来の天皇といえども合格が約束されているわけではない。高3の悠仁さまにとって、合格発表がある来年2月中旬までの9カ月半、やきもきする時間をすごさなければならない。


「年の離れた姉が2人いる悠仁さまは周囲の目を気にするタイプ。そこに受験という重圧が加わり、すっかり快活さが失われている。浩宮さまのようにおっとりしていれば、少しは楽だと思うのですが」(前出の宮内庁OB)


小学生の浩宮さまが南アルプスの山に登った時のこと。山小屋で「ジュースをください」といって、そのまま代金を払わずに持っていこうとした。管理人が「ボウヤ、おカネがいるんだよ」というとモジモジしだした浩宮さま。小遣いを持たされていなかったのだ。その無邪気な様子に管理人はすっかりファンになった。


現天皇にはこうしたエピソードがたくさんある。悠仁さまが親しまれる天皇になるためには、目の前の目標に直進するだけでなく、余裕も必要ではないだろうか。


(田中幾太郎/ジャーナリスト)





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悠仁さまがキリスト教の大学を選択することにナゼ違和感? ICUと皇族の意外な接点

2024年04月21日 21時05分49秒 | 皇室のこと
さまがキリスト教の大学を選択することにナゼ違和感? ICUと皇族の意外な接点




眞子さんに続き佳子さまもICU出身(代表撮影)


2週間ほど前、東大推薦入学が最有力とみられる悠仁さまが「国際基督教大(ICU)への進学も視野」とのニュースが流れると、疑問を呈するコメントが数多く寄せられた。「将来天皇になられる方が不適切」といった意見に代表されるように、皇室がキリスト教の大学を選択することに違和感を持つ人は少なくない。そうした声に対し、「問題があるとは思えない」と反論するのは宮内庁OB。「そもそも、ICUの設立に皇族が深くかかわっていた」と話す。


戦後、実質米国の占領下に置かれていた日本でマッカーサーGHQ最高司令官を中心にキリスト教の学校を作る計画が進められていた。そこで日本側の責任者となったのが昭和天皇の弟の高松宮さま。設立準備委員会の名誉総裁を務め、1953年にICUが開学した。



「それから半世紀以上もたってから秋篠宮家の長女・眞子さんがICUに入られ、佳子さまが続いたわけですが、驚きはなかった。もし悠仁さまが同校を選ばれても、不自然な流れではない」


■上皇后・美智子さまもミッションスクール出身


こう話す宮内庁OBはもはや皇室にとってキリスト教はタブーではないと言い切る。だが、かつて問題視する勢力がいたのも事実。上皇后・美智子さまが上皇と結婚された時も激しいバッシングに遭った。その理由のひとつがキリスト教との関係だった。幼稚園と小学校は雙葉、中学から大学は聖心とミッションスクールに通った。


明治以降初めて民間から皇族になった美智子さまを快く思わない学習院女子の同窓会「常磐会」や旧華族にとって格好の攻撃材料になった。「さまざまなデマも飛び交った」と振り返るのは週刊誌のベテラン記者だ。そのひとつが結婚3年目に起きた「聖書事件」である。


上皇の弟・常陸宮さまが昭和天皇夫妻と会食をしていると、美智子さまが入ってきた。すると、常陸宮さまが「キリスト教の話ができるようになって非常にうれしい」と漏らした。それに激怒した昭和天皇はあとで美智子さまを呼びつけ、「二度と皇室の中でキリスト教の話をしないでくれ」と命じたという。

>のちに藤島氏の話はガセであることが判明する


この話は皇太子(現上皇)の学友を売りにしていた藤島泰輔氏が雑誌の座談会で明らかにしたもの。常磐会や旧華族と太いパイプがあり、そこから情報を得たようです」(ベテラン記者)


ちなみに藤島氏の妻は旧ジャニーズ事務所の名誉会長まで務めたメリー喜多川氏。SMILE-UP.代表取締役の藤島ジュリー景子氏は長女である。


「のちに藤島氏の話はガセであることが判明する。こうしたウワサが流れている事実を知った昭和天皇は入江相政侍従に『事実でないばかりか、心に思ったことさえない』と全否定したのです。美智子さまを陥れようとする勢力のデッチ上げだった」(同)


さまざまなウソに翻弄されてきた美智子さま。現在の最大の気がかりは、筑波大付属高校3年生になった孫の悠仁さまの進路であるのは間違いない。


(田中幾太郎/ジャーナリスト)





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天皇の宮中祭祀 だれのために祈っているのか

2024年04月05日 21時05分25秒 | 皇室のこと

天皇の宮中祭祀 だれのために祈っているのか
4/4(木) 7:35配信






毎日新聞
大嘗祭の「悠紀殿の儀」で、帳殿に進まれる十二単姿の皇后陛下(現在の上皇后美智子さま)=皇居・東御苑の大嘗宮で1990年11月22日、代表撮影


 天皇の宮中祭祀(さいし)は、なにをしているのか、なんのためにしているのか、わかりにくいところもあります。


【写真】「衛門参役者」がともすかがり火のなかで行われる「主基殿の儀」


 東京大学大学院総合文化研究科教授の山口輝臣さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ――宮中祭祀は縁遠く感じます。


 山口氏 宮内庁が一部を映像で公開するなど、より開かれたものにしようという動きは以前からあります。ただ、天皇がどのような考え方で、なんのために祭祀をしているのかはなかなかわかりませんでした。最終的には天皇本人が言わない限りわからないことだからです。


 そのことを明らかにしたのが、2016年に当時の天皇陛下(現在の上皇さま)がビデオメッセージで明らかにした退位についてのおことばです。


 おことばは、天皇の務めとして大切にしてきたものとして二つをあげています。一つは国民の安寧と幸せを祈ることです。宮中祭祀を指していると思います。


 もう一つは、人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことです。例として日本各地への旅をあげ、天皇の象徴的行為としています。「平成流」といわれるものと、ほぼ重なります。


 おことばでは、この二つに密接な関係があると述べています。


 ――天皇自身が宮中祭祀についての考えを明らかにした、ということでしょうか。


 ◆天皇の告白だと思います。「平成流」と祈りは別々のものではなかったということです。


 宮中祭祀は回数も多く、時間も早かったり、遅かったりします。寒いことも暑いこともありますし、準備も大変です。なぜ宮中祭祀をするのか、自分にとってどういうものかということをはっきり国民に伝えたのだと思います。象徴天皇のなかに宮中祭祀を位置づけ直す作業と言っていいと思います。


 ――宮中祭祀がどういう位置づけなのかはこれまでよくわかりませんでした。


 ◆戦後の宮中祭祀は、戦前と異なり、明確に法的根拠と言えるものはありません。だからこそ天皇個人の意向を反映させやすいとも言えますし、あるいは最終的には天皇自身が判断するしかない領域だといえるかもしれません。規定がないことをおことばによって補ったとも言えます。


 天皇みずからが宮中祭祀の意味について表明したことは、今後のあり方にたがをはめた面があります。この形を次世代に継承したい思いもあったのではないでしょうか。しかもおことばは国民に支持されましたから、象徴天皇のなかに宮中祭祀が位置を確保したと言えます。


 ――保守派の一部には、天皇は祈るだけでよいという意見もあります。


 ◆一見、戦前回帰の考え方のようにみえますが、そうではありません。戦前の天皇は統治者であり、元帥でもありました。そのなかであえて宮中祭祀が一番重要だという人は多くありませんでした。


 むしろ戦後になって出てきた、「武ではない文としての天皇の本質」というような考え方から、戦前も戦後も共通しているものは何かとなった時に、宮中祭祀が浮かび上がってきたということです。実は戦後的な発想です。


 上皇さまは、これまでの天皇とは大きく違うやり方で、国民との距離を詰めました。威厳のある天皇であってほしいと考える保守派の一部には「平成流」は何か違うという感覚があるのかもしれません。


 ――「平成流」であれ、宮中祭祀であれ、天皇が社会に影響を与えることをどう考えるべきでしょうか。


 ◆憲法に規定がある以上、天皇の政治や社会に対する影響力がゼロになる想定は現実的ではありません。かといって何をしてもいいということではありませんから、そうしたことを含めて議論することが憲法の想定しているところです。最終的に決めるのは、主権者の国民であることに変わりはありません。


 ただし、宮中祭祀をやめることはできないでしょう。天皇にもそれなりの自由があります。宮中祭祀は私的行為として天皇が選択している立て付けですから、制限は難しいでしょう。


 宮中祭祀については、事柄の性質上、どうしても天皇のイニシアチブが強くなりますが、国民がどう考えるかはまた別の問題です。要するに天皇からボールが投げられたということではないでしょうか。せっかくボールを投げてくれたのですから、もう少しみんなで考えましょうということだと思います。


 おことばが明解なわりには、祈りの側面に着目した人があまりいないのは不思議なことだと思っています。それだけすごい変化球だったのではないでしょうか。(政治プレミア)




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「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由

2024年03月30日 08時05分42秒 | 皇室のこと

「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース 




「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由
3/21(木) 6:10配信


デイリー新潮
愛子さま


 この4月から愛子さまは「新社会人」としての生活をスタートされることとなる。進路に関しては、小室眞子らと同様、大学院にご進学されるとの見方もあったが、卒業即就職ということになった。なぜ愛子さまはそのような選択をなさったのか。また、卒業までどのような学生生活を送られたのか。愛子さまと同じ学習院女子中・高等科、学習院大学の卒業生で、『学習院女子と皇室』(新潮社)の著作がある昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員の藤澤志穂子さんが、OBらの話もまじえて解説する。聞こえてくるのは、茶目っ気も持ちつつ聡明で控え目なプリンセスの評判であった――。以下、ご卒業を祝しての藤澤さんの特別寄稿である。


【写真を見る】「もはや家じゃなくて館!」 愛子さまの「いとこ」、眞子さんが引っ越すと噂された2億円豪邸


 ***


 天皇ご一家の敬宮愛子さまが学習院大学文学部日本語日本文学科を3月20日にご卒業された。4月からは日本赤十字社に嘱託職員として勤務される傍ら、ご公務を本格化される。愛子さまの進路については、小室眞子さんのように大学院へのご進学もしくは留学されることが大方の予想だったろう。そこで就職の道を選ばれたことには、学習院関係者のみならず国民も驚いた。


 だがよく考えれば「愛子さまらしい、地に足の着いた選択だった」と私は考える。その理由を、愛子さまと同じ学習院女子中・高等科、そして学習院大学の卒業生で、曾祖父から4代の学習院出身、『学習院女子と皇室』を書いた立場からひもとくと、母である皇后・雅子さま、叔母である黒田清子さん(紀宮清子さま)、近しい親戚である三笠宮彬子さまの、大学ご卒業後の進路を参考にされたのではないか、と思う。


雅子さまと黒田清子さんもすぐにご就職
 まずお母さまの雅子さまは、大学ご卒業後の外務省ご就職であった。米ハーバード大学をご卒業後、帰国され東京大学法学部に編入、在学中に外交官試験に合格された。愛子さまとはやや異なるご経歴ではあるが、大学院に進むことがスタンダード、というお考えではないだろう。


 そして黒田清子さんも、同じく大学卒業後に就職している。清子さんは愛子さまと同じ学習院大学文学部国文学科(現日本語日本文学科)卒業後、山階鳥類研究所に非常勤職員として勤務された。この研究所は旧皇族で元侯爵の山階芳麿が戦前に自邸内に創設した標本館が母体で、皇室との縁が深く、現在は秋篠宮殿下が総裁を務めている。そうしたご縁あっての就職であったろう。


 清子さんは勤務の傍ら多くの公務をこなされた。「皇室の行く末を想う気持ちは、最初から運命づけられているお兄様方よりも、皇室の外に出ることが前提としてお育ちになったという、異なる立場において大変お強い」(学習院教員OB)との評がある。内親王時代から降嫁した今に至るまで、現在の上皇・上皇后陛下そしてお兄様の天皇ご一家をお支えしたいお気持ちは強いはずだ。


日本赤十字社と皇室との縁
 愛子さまのご勤務先の日本赤十字社は、伝統的に皇室・皇族との縁が深く、名誉総裁が雅子さま、名誉副総裁が秋篠宮紀子さま、常陸宮華子さま、三笠宮百合子さまと信子さま、高円宮久子さまと複数の女性皇族が務められている。皇室・皇族ゆかりの組織へのご就職は黒田清子さんの前例もある。清子さんのように、ご公務の傍ら天皇・皇后両陛下をお支えし、上皇・上皇后陛下のおそばに寄り添いたい、と考えられるのは、ごく自然な成り行きだったのではないか。


 なお学習院女子中・高等科の卒業生の場合、結婚後も実家に寄り添う女性たちの比率は、一般より高いように私は感じている。スープの冷めない距離に住み実家と行き来し、子供たちの面倒を見てもらうケースに加え、子供たちが独立した後は実家に戻り、父母と自分たち夫婦との二世帯住宅を建てて住み替える、高齢になった親の介護をする、といった話を、50代を過ぎた最近になってよく聞くようになった。


 両親を支え、祖父母を支えるといった、家族を思いやる心は、華族女学校時代以来の学習院の教えでもある。


「そんな心が卒業生には自然に備わっており、愛子さまも同じ」


 そんな評価を卒業生から聞くこともある。


三笠宮彬子さまのご活躍
 いっぽう愛子さまの「大学院へ進まない」という選択を意外に思った国民も多かっただろう。小室眞子さん(秋篠宮眞子内親王)は国際基督教大学卒業後に英レスター大学大学院に留学し、博物館学の修士号を取得した。愛子さまの場合、国内のみならず、海外の大学院へ進まれるという選択肢もあり得たはずだ。なぜそうされなかったのか。


 推測でしかないが、おそらくは三笠宮彬子さまのご活躍ぶりを参考にされてのご判断ではなかったか。


 彬子さまは学習院大学文学部史学科をご卒業後、英オックスフォード大に留学され、日本美術史を専攻、博士号を取得された。女性皇族として初、海外の大学からの博士号取得も皇族として初である。現在は京都産業大学の日本文化研究所の特別教授として、研究を続けながら学生指導をされている。


 研究者の道を究めるのは、生半可なことではできない。一般論として、修士号を取得した程度では入り口に過ぎず、その後に時間をかけて博士論文をまとめ、博士号を取得して初めて研究者の卵となれる。


 彬子さまは、ご自身に歴史という学問の面白さを最初に教えて下さったのが祖父の三笠宮崇仁殿下だったと、学習院女子中・高等科の同窓会である常磐会の会報誌「ふかみどり」(2020年発行の第35号)で書かれている。その影響で研究の道を究めようとされているのだろう。


 彬子さまは「真摯に指導するということがどんなに大変であるかがわかり」「自分が面白いと思っていることを学生たちに共有し、学ぶことは面白いと思ってもらえるような種を彼らの心に蒔くことならば、私にもできるかもしれないと思った」とも綴られている。


 報道によれば愛子さまは、学習院大学の卒業論文を「中世の和歌」をテーマに執筆されたという。もう少し、勉強したい、というお気持ちもおありだったかもしれない。だが研究の道を究めるのは厳しい。


 真摯に研究に取り組まれる彬子さまの姿は素晴らしい。しかし、「同じようにはできない」と考えられたのではないだろうか。彬子さまは女王殿下、愛子さまは天皇家の内親王とお立場が違い、公務の質も違い量も多くなっていく可能性が高い。そんなお立場の違いも踏まえてのことだったろう。

廊下で道を譲る優しさを持つ
 ここで愛子さまの微笑ましい「素顔」についても少し触れておこう。


 小学生(学習院初等科)時代を知る学習院OB・OGの間では「ごくごく“普通の女の子”でいらした」との声が多い。同級生たちと、ちょっとしたいたずらをして、先生に叱られる、といった“茶目っ気”もおありでいらしたらしい。


 学習院女子中・高等科では美化委員会に所属。校内の清掃を指揮する委員の集まりで、かつて在学した黒田清子さんも所属していた。思春期で、掃除をさぼりがちな女子生徒たちに協力を依頼する立場であり、場合によっては率先して自ら清掃に手を動かす。奉仕の心がなければできないだろう。


 女子部在学中の愛子さまのご様子については「廊下の通行で、他の生徒たちに進んで道を譲るような優しい方だった」「国語や古文がお得意でいらした」「受験勉強をなされば、東京大学にも進学できるレベルの学力をお持ちでいらした」との声がある。


 こうした愛子さまのご様子は、私自身が女子部在学中に拝見した、二年下の黒田清子さんの姿と重なりあう。「皇族」であることは感じさせず、決して派手さはなく、他人に尽くす振る舞いが自然に備わっている、とでもいうべきか。


「茶目っ気あるいたずらっ子」の愛子さまは、学習院女子部で「大人の女性」になられたのだと私は思う。


 女子部卒業生が集まると、よく話題になるのが「私たちは、出るところに出れば、きちんと振る舞うことができる」という自負心だ。女子部で躾(しつけ)を受けた賜物だと私自身も今になって感謝している。


 例えば入学当初は言うのが恥ずかしかった挨拶ことば「ごきげんよう」を、授業の始まりと終わりなど日々、繰り返し口にし、自然に言えるだけの美しい日本語の言葉遣い、お辞儀の角度とTPO(学習院以外の方には、「ごきげんよう」は奇異に思われるので使わない等、微妙な心遣いまで)などなど。皇族・皇室の方々が身近におられ、ごく自然にそうした方々と接する機会があることも大きかったようにも思う。

昭憲皇太后、貞明皇后の下賜の「御歌」の教え
 こうした教育の基礎は歴代皇后から下賜された「御歌」の中にある。学習院女子部の事実上の校歌は、昭憲皇太后(明治天皇の妃)の「金剛石・水は器」。勉学に励み、切磋琢磨しよき友と学べという内容で、入学式で歌われる。


 貞明皇后(大正天皇の后)の「月の桂」は卒業式で歌われる「御歌」で、鍛錬すれば高根の花も、月にある桂の木にも手が届く、身の行いを正し、家も守り、国に尽くせといった教えが込められている。下賜された当時は、皇后・皇太后が頻繁に学習院に行啓しており、御前でこの御歌を当時の生徒たちが歌ったこともあったろう。


 その唯一無二の経験と教えは、現代の学習院女子部にも特別な歴史と文化として伝わっている。卒業生はほぼ例外なく今でもこれらの御歌を口ずさむことができるし、知らず知らずのうちに心の支えになっている。女子中等科に入った早々、生徒たちはこれらの御歌の意味を学び、唄い方を練習する。それが自分自身の血となり肉となり大人の女性に育ててくれる。愛子さまも同じであったろう。初等科時代の愛子さまを知る卒業生が、ご立派との評価が高かった愛子さまの会見を見て「自分にも娘ができたら学習院女子に進学させたい」とも語っている。


 先述した常磐会会報誌「ふかみどり」は5年に一度の刊行で、近年の号では三笠宮彬子さまが教鞭を執られる大学でのご様子を、高円宮承子さまは日本ユニセフ協会の嘱託職員として働く日々を綴られている。次号36号は来年2025(令和7)年の刊行予定だ。愛子さまには是非、日本赤十字社でのお仕事ぶりを率直にご寄稿されてほしいと願っている。


藤澤志穂子(フジサワ・シホコ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。学習院大学法学部卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退。1992年産経新聞社入社、経済本部、米コロンビア・ビジネススクール客員研究員を経て2019年退社。著書に『出世と肩書』『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』『学習院女子と皇室』。


デイリー新潮編集部













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