marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(591回) ノンクリスチャンの方へ 「聖霊はすべてを教えてくれるであろう」

2019-09-26 08:52:07 | 聖書・聖句

◆「聖書、聖句」のブログカテゴリーに投稿の人々は、それぞれが上から促しがあって投稿をされるのだろうと思います。一般の方々は常識から読めば、失礼ながら少し良い意味でですが、考えが変わっている人々なのかと思われる方が多いのではないかと思うのですが(その証拠に投稿数が少ないなど)、人も一つの生き物としてのジャンルであるともっと高い次元でといいますか、イエスの言われた言葉のその意味を体験するようなことに少しでも触れると、その個人では創作できないが内からの言葉が湧いてくるという何とも言えない喜びのような感覚を持つものです

◆それは、生きている「霊」に触れているから、ということになるでしょう。ここでまた日和見的に考えれば、ある人々はそら、抹香臭くなってきたぞと思うかもしれない。しかし、そうではありませんね。この地上には不完全であるが人以上の言論を話す生き物がいないので、それは人が人に言葉や文字で伝えることの人間の限界かもしれません。しかし、キリスト者というのは、人間界以上のことを教えられている生き物として、どのような状況になろうと内からの促しのことばを発せざるを得ないのです・・・ということになりますね。一点、それは喜びであるからです。人は、そのことを批判できないのです。神はその人に語るのであって、巷に流布された一般化された固定化観念から判断する基準は持てないのが事実であるからです。DNAも含めた人それぞれに神は示されるから、ということになります。もし、そのことが誤っていればその人に神は人生を通して誤りを示すでしょうし、正しければ多くの人の「霊の次元」の共感を呼ぶでしょう。

◆心理学的には、それらの人は過去に心に傷を負っていた人なのかもしれない。そのことに気づいていないのかもしれない。あるいは、その肉(キリスト教では、霊と魂と肉体を人に対して用いることがある、一人の人を形成するものとして)を引き継いできてくれたご先祖からのDNAを誰でもが引きずっているわけですが、それらの今はいない人の促しによるのかもしれない。僕はそのことを無視しません。事実あるのではありませんか。聖書の中にもそのことを恐れた人々が出てきているのですから。ここから、律法戒律などの意味が読み取れてくる場合があります。一つはそれらの障害の「霊」が何世代にもわたり、後代に現れることがあるからです。(キリストはこれを遮断したのです!)

◆人には自分でありながら、自分の思いがどこから来るかなど考慮できないことがあります。その人の「霊」以外に誰がその思いを知ることができるでしょうとパウロの手紙にありますが、当時者はそのことには普段気づいていないものなのです。一人の肉をもつ人なのにその内に「あなたは神の聖者なのだ」とイエスを認めている墓場に鎖でつながれた一人の狂人の話が出てくる。彼はイエスによりその彼の悪霊を豚に乗り移されて正気にもどる。この男の中の矛盾!。今を生きている僕らは決してこの話を昔の話だったで済ませてはいけない。

◆キリスト者以外の方がこのブログジャンルを読まれるとすれば、ここまで読まれた方に説教じみた話にはならず淡々とお尋ねしたいのです。ほとんどの方は家の風習に倣い、この国は仏教だと思います。何宗ですか? キリスト教も歴史において宗派ができてきましたが、その時代の必要性に迫られ、同様に上からの促しにより起こされてきたものだからと言えましょう。天地創造のキリストの父なる神、人間をも創造した唯一の神は、ご自分のもとに、創造された人を永遠の不死の世界に共に過ごさんために帰還されようとして、「わたしが神であること知りなさい」と地上に災いをももたらす方であることを知ることです。だから、キリスト者には実に重い課題が負わされていることになります。

◆イエスは言うのです。「私は見なくなるが『聖霊』を送る。『聖霊』はあなたがたにすべてを教えてくれるであろう」と・・・・ Ω