marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(899回)⑦"善い宇宙人"がどれほど僕らを愛していることか 

2021-07-18 19:19:51 | 小説

◆姉夫婦から電話が来た”善い宇宙人”と”悪い宇宙人👽”の話は、まだ続いている。彼女にそのような啓示が現れてきたのは、時代が迫って来た、あるいは、彼女もそろそろ真理の目覚めをしなければいけないとの啓示を受け始めたのだと思われたのだ。彼女ばかりではない。UFOのことはようやくアメリカでも何か分からぬものの、確かに来ているのは認めたわけなのであるから。彼らは、遙か以前から来ていたのだが、テレパシーを持った人々は、その兆候を何らかの形であからさまに感じ始めているのだ。それは、夢の中に現れるかもしれないし、日常の人とのかかわりの中で教えられるかもしれない。あるいは、あなたの隣人として本人が気が付いていなくともいるかもしれない。そしてそれは、多くの人にとって、人生の試練として啓示される。それがどういうことかと言えば、受像機たる、しかも誰でもが完全ではないその肉体において経験する苦難、困難において、人は自分の言葉でまずそれを解消しようとするその自らの言葉捜しという行為に現れるのである。

◆そこで、この不完全な肉体が与えられた事実の理由、そして誰でもがそれぞれの不完全さとしての障害を何らか持ち合わせているのではないか、その受け取る波長の強弱は異なろうとも、自らの言葉で納得する言葉探しを始めることにおいて、客観的に自省することが始まり、自己を客観的に見つめ、苦難の意味、さらに他人は、人は、人類は、などなどとスケールアップしていき、こういう状況下でこの地上に生き死にする”人とは何なのか、自分とは何なのか・・・”という相対的、客観的な考えまで行きつくのである。”私とはどういう性格を持っているのか? 人生の試練はどういう意味があったのか? なぜ自分はこういう男、女と結婚しなければいけなかったのか? 何か意味があったのか? しかり、僕ら地球時を創造した彼らのプログラムにおいて、霊を媒介するその肉体を増殖するその交わりにおいての生殖プロセスは、人にゆだねられたものの、その霊のコントロールは、彼ら宇宙人の手にあるからなのである。プログラムからの逸脱、”罪”が”的外れ”と言われるのはそういう意味である。生殖プログラムがどの宗教も”みだらな思いをもってはいけない”と言い、”結婚は神の奥義である”とさえ言われるのはそういう意味なのである。

◆彼らの過去の痕跡は、何度かの洪水のあと、この地上からことごとく抹殺されたのである。かろうじて善い宇宙人が残したのが、唯一、世界のベストセラーなのである。それは、選別されたと言っていい。しかも、彼らの中から編集集団が選ばれ保護された。他の抹殺された多くの世界の古文にはあまりにあからさまに彼ら👽のことが書かれていたからなのである。それが淘汰されて来なかったら今も多くの混乱を起こして、人類の地上の歴史は途絶えていたことだろう。それでなくとも今でも、それぞれの彼らの遺産として宗教の争いを僕らは日々、目にしているではないか。”善い宇宙人”は、人類の救済として、その存在を気付かせるため、天変地異の変動(洪水、地震)を起こし、疫病を起こし、今でも世界のベストセラーとして、それを普及させ、読まれれなければならないと今も啓示(テレパシー)を送り続けているのである。(あなたは、これを信ずるかぃ?👽)


世界のベストセラーを読む(898回)⑥こういう祝詞(遊び)を宇宙人は昔していたのか・・・

2021-07-18 06:03:09 | 小説

〔これは小説である〕・・・◆人は三人。窓は開放する。その日は雨が降りそうな夜だったらしい。紙に五十音を書いて、コイン(10円玉)を中央に載せて、三人の人差し指の先をそっと10円玉の上に同時に載せ、答えを貰いたい人がコックリさんにお願いをするのだ、という。答えを貰うとそのお礼を返さないといけないらしい。コックリさん、コックリさん来て下さいと呼ぶ。・・・来ると、その三人の指が同時に文字を示して動くらしいのだ。文章となって、それを解読する。そこで、彼女は自分の前世は、どういう人だったかと訪ねたというのだ。

◆コックリさんからの返答。これが、先のブログに書いた、フランスで過去に荒くれどもも相手にするバーの飲み屋の経営者ママをしていて、かなり切り盛りが上手で切った貼ったとのやり手だった、といういことだった。それで、かなり繁盛していたらしいのだ。美人かどうかは、言わんかったが、それなりの要望もしていたのだろうなぁ。そう言われて見れば、性格として見事に当たっているし、苦労しながらも今の彼女そのものや、と僕は思ったのである。・・・問題は、お礼をする内容だった。

◆コックリさんがいうには、自分は太平山という信仰の山から来た。(確かに信仰の山はある。そこから登り口までは30キロくらい離れている。頂上までは更にある。僕がいるところには、遠くから拝む、遙拝殿というお宮もある。)そこにお礼に来いというのだ。夜だし、雨が降り始めた。おいおい、なのだ。それは、無理ですと返答したらしい。それでは、というのでコックリさんが言うのには、酒を飲んで、外で一時間立って欲しいと。

◆彼女は、コップ酒を買って来て雨の中で飲んで一時間立っていたらしい。それでお礼として許して貰ったというのである。全然、酔いもしなかったと・・・その姉は今、仙台にいる。お前みたいな軟弱な弟は、勝手にしろ、と時折、ヤクザまがいの口調になる彼女は、両親の葬儀にも誰も呼ばず、母親の納骨も来ないでそれは、坊主と俺だけだった。あぁ、僕にはふさわしい、母親の送り方だなと思ったのである。何も悲しいとか残念とか思わなかった。それは、僕には善い宇宙人がいつもついてくれていて、次の世界に行くには必要な儀式だと教えてくれていたからなのだ。誰でも、人生の試練は、善い宇宙人とコンタクトをとるためにあるのだと教えられたのであるし、今も教えられている。

(※ちょうどこれを書き終えた後、ここまで揺れは来なかったが地震が起きた。配信は明日の朝としよう。)