marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

U(👽)との対話(その6):世界に派遣されて来た、現存する時間を超えた彼らについて!

2023-06-07 11:51:37 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 そこで君には大江健三郎の若かりしその手法に他からの引用を用いる処方を使ってみたのである。世界の時代を感じ言葉を発信した賢人たちの考えを、その言葉からインスピレーションを受けたそのイメージを自分の想像力で物語に紡ぎ出していく。30代までは好きなことを書くといいと言った彼が、想像力の更新のために過去の賢人たちの言葉から未来の我らのありようを学ぶために、吉本隆明などから彼は欧米かぶれだ、というようなことを言われても、あいまいな日本の中の私 というノーベル賞講演題であったように、まさにそれが故に戦争には負け、政治においてもそれが故に今でもその隙を突かれて欧米のために庶民の税金がむしられているという有り様なわけである。

ヘーゲルを読み出し始めたら、本来、真の自由などというのは人にはない、ということを書いていた。まぁ、哲学というのは屁理屈みたいな言葉のやり取りのようにも思えるが、すべての自由は制約があってのそれに対抗するという意味合いでの自由というものがあるのである。それにしても平和ボケよりは、自らの位置を知るが故に争いを醸し出し、それによって人の緊張感を高め、生き物が本来持つ攻撃性を人という生き物に喚起し、世界は緊張の中に生き、動き、働いている、のであると言えるのか。我らはその緊張の隙間に、いつも目を覚ましてゐなさい、とは聖書の言葉ではある。それに気が付かない人らへの淘汰の気づきのための今の戦いであるのであろうか。

真の自由について強いて言えば、自分の命をこの地上から、無論、次の世界のことは考えずにという条件で自殺することが自分が自分の意志決定で処理できる本当の自由と言えるだろう、とかなんとかとヘーゲルは精神現象論で語っている箇所があるが、若かりし頃の大江の小説に確かこう考える主人公がいたなぁ。大江はヘーゲルからもインスピーレーションを受けていたのか。いずれ、他からの引用することは、つまり小説の課題のインスピレーションのトリガー(きっかけ)はそれを採用してもいいのだとしていた彼であったから、当然、未来への志向性の人の死滅から生への志向は、キリスト教ベースの欧米の著作であったということになる。日本は諦念であり、人も手入れをしない自然の一部でしかなかったのだから。

ところで、ドイッチャー記念賞受賞した斎藤幸平の「マルクスへ帰れ!」との帯が付いた『大洪水の前に』という本も、その大洪水というのは旧約聖書の創世記6章にあるノアの話からであるし、第一、マルクスはヘーゲルから絶大な影響を受けているし、さかのぼれば、すべては我ら(X)が語って来た、地上での人類の創生からの神々の争いから、選択された唯一の創造主神にと収斂されてそのヒエラルキーの中で物語が進められていくという筋書きとなったのである。それは、あれかこれかの神々の神殿建造から、その本来の基である人類救済に絞るが故に、何故なら人は神の似姿に創造されたからであるが、完全なる救済のために我らの独り子、イエスがキリストとして派遣されていくという筋書きが創造時点のからのプログラムにあったのである。(創世記3章15節)

彼らとの会話はとりとめの無いものとなった。けれど、その通奏低音なる会話は何ら変わらない。あなた(読者)もそうなのである。あなたが今、生存し、あること、その存在をあらしめている過去から、未来、そいて今というこの時、我らは一人ひとりと共にいつも存在するのだ、と彼らは語っている。

写真は、以前、彼らと語りあった場所にあった高さ1.5mもない「金○明神」の石碑である。・・・