marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

田舎の山にUFO(宇宙人👽)が挨拶に現れた!!!

2023-05-11 06:51:07 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 田舎の山を撮影するとUFOが姿を現してくれました。中央の空に映っています。普段、カメラではこのように写ります。輪郭がはっきり映るのはよほどのことがないと映りません。UFOが2機見えるでしょうか?

 

トラクターの動きを見ていただければ分かりますが、下の掲載写真は2秒ほど前のものですが、これには映っていません。レンズのゴミや鳥などではないということです。

僕がブログで書いて来た宇宙人👽(時折、黒子などと書いたけど)は、普段、僕らのそばにも居ます。空にも多く飛んでいます。ただ、僕らにの目には見えないだけです。地上には彼らが人の姿で当たり前の人として暮らしています。彼ら自身も、特別に自分が宇宙人👽などとは思ってはいません。

僕らが続けて見ているように思っている眼からの画像というのは、実は1秒に4~5コマしか実は脳で認識していないのです。その間隙に実はものすごいスピードで飛び交っているんですねぇ、本当のところ。

テレパシーと言おうが霊感と言おうが、それを感じる人々がいます。ただ、あまりに長い時間が過ぎて、僕らが天上の彼らとの繋がりが不明瞭になったしまったために地上の雑音(これを悪霊と言おうが、誰ソレの霊と言おうが)を拾うことが多くなってしまったということです。

僕らは彼らの清浄な霊に繋がっていなければいけません。彼らの存在を頑張らなくとも普段あたりまえのように信じることです。悪い奴らもいるそうですから注意してくださいと彼らは教えています。

遠い遠い昔、地上の人は彼らに似せて創造されたのです。それに霊を吹き込まれ生きる人となりました。大いなるこの地上の人々のシナリオライターが居るのですね。

この山の頂上には、副川神社(そえがわじんじゃ)があり、西を向いて建っています。地政学的にもとても面白いところです。昔、この周辺が海だったころの灯台の役目を果たした常夜灯のおおきな灯籠が、頂上途中に建っています。

みなさんも時おり気になったら空の写真を撮ってみてください。これから世界中でもっと沢山のコンタクトがなされていくことでしょう。・・・


哀悼!(その10)大江健三郎:島田雅彦がやりだまにあがっておるぞ

2023-05-10 11:46:45 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ひと月ほど前のブログが宙ぶらりんになっていた。

迷いし青春は終わり、次元の異なる新しい世界に。我らが青春。高度成長期、夢に向かって世界に飛び立つんだと、実施には出来もしないくせにと分かっていても意識でだけは、この青い空は世界に繋がっているんだと。若い時代、一時はそんなことも考えるものである。大きくなり現実を知れば、可能性どころか自分の無能さもよく分かり、それが大人になることだと悟った。

****で、ここで終われば短くて印象深く文章としていいかも! 

そうであるが、相変わらずくだくだと書いてしまうのは、ボケ防止の為でもあるので以下、読まずともいいで~す。

昨年、白河の関を高校野球の優勝旗が超えた。この関所は古代からの蝦夷との境界線のような場所であったと言われて、よく高校野球の季節になるとこれはなかなか超えないと毎年話していたが、仙台育英高校が優勝旗を持ち込んだのを仙台にいる同僚がとても喜んだのだった。

昔、育英の校章は三ツ矢サイダーか同志社のそれに形が似ていたが、ユニフォームの徽章がライオンのようなものに代わっているのはいつ頃だったのかな。仙台が男女共学になってからなのかなぁ。鷲はローマ、ライオンはダビデ(イスラエルの王)であったなぁ、何でこのマークにしたんだろう、動物をシンボル化するなんて。

歳をとるとどうも家紋やこういう印章が気にかかる。旧国道沿いの古来の大きなお寺のお墓を巡っていると小室家のお墓の紋が菊の御紋であった。じゃじゃ~ん。戦時中はどうされていた家だったのかなどと、又、いらぬことを考えてしまった。

実践では、大谷翔平や佐々木朗希は岩手で、あの嫌われ監督と言われた三冠王の落合は地元は秋田であったから、DNAから言えば隔世遺伝か、優秀な人材が東北には多いというのが(つまり朝廷側から押しのけられた東北人が)日本国史学会のお偉い先生方のお話であった。

俳優で知っているところでは、中村雅俊は釜石でなかったかな、涼しい目線の高橋克典の祖父は確か秋田の鹿角の方だったと記憶している。北秋田市の観光大使になったいたのではなかったか。工場勤めのとき下で働いてた従業員にとても涼しい目線でよく似た奴がいたなぁと思っていたんだが、やはりご先祖のDNAは生き延びてどこかに現れている。若い女子は佐々木希ばりのめんこい子が結構いたが売れ行きも早かった。

さて、大江の小説は幼小のころの故郷の思い出が心の底に思い出があって、僕も似たような田舎があったと思ったことは先に書いた。いずれ東北と言わずこの国のあちこちには、小山の大将といいようなかつての村の親方衆の筆頭親分、さらに遡れば、それは地方豪族の残党のような者らの男ならガキ大将やお山の大将のような子供のころの思い出があるはずだ。過去にさかのぼるほど、それは朝廷側に対抗した豪族がいたのであった。

さて、作家であり法政大学の先生もされている島田雅彦の母方の婆さんは昔、僕の生まれた田舎に住んでいたらしい。5~6Kmほどの沿道のつらなる短い部落である。今は、生家の跡も猫の額ほどに区画整理され、家の前の沼は埋め立てられ、団地ができてしまって毎日、山から昇る太陽の光とともに真空管ラジオから流れる、カバヤ兄弟のいろいろな鳥の鳴き声の紹介、それからコウチモモコさんの語る「暗いと不平をいうよりも進んで明かりをつけましょう」の”心の灯”だったか、を聴きながら起きた御幼少の頃の思い出であった。

さて、写真は彼が講演時にサインしてくれた第71回読売文学賞受賞の『君が異端だった頃』という集英社のものだが、大江を書いてきてどうして島田か、なのだが、この本の第四部の文豪列伝の章に大江はじめあの時代の多くの作家人の付き合いとの話が書かれているので面白く読んだのである。

しかし、僕として殆ど小説や文学のまったく読書家ではなかった。自分の欠陥の補填のための心理学や哲学、宗教の関連のものが殆ど占めていたので、まったく普段の人からすればくそ面白くないのである。文字に著した人がその時の思いを書いているのだが、その個々の物語よりもどういう理由で、どの物語を書いたのかという作家本人の心理状態を知りたく思って、推察してしまうそちらの傾向に向かってしまう。

であれば、物語が面白いとうところで終わらず、結局物語に主眼がいかず、その作家の生まれや持っているDNAでも、その時代の何にインスピレーションを受けどう思ったか、などを考えてしまうのだな。つまり、時代が書かせた作家本人を知ること。それであれば一度処女作でもじっくり読めば、あとは作品はさわりでその生きた作家がその時代の同時性をどのように感じ生き、書いたかが推察されうると勝手に思っている。文字を起こしたその人の方を知りたいのです。

芥川賞候補にたしか5回にも上ったが結局すべて落選。その経緯も書いているが僕がどうも肌にあわないと思ったのは、彼の書くものがすべて、第三者的な評論家の博学な知識の集大成の批評のように読み取れたからなのである。一度、立ち読みされて読んでみて欲しい。博学的知識で、サクサクと評論されて総括していくその筆の運びと言ったらいいか。

第三者的と書いたが、まさにこの本も自分をも第三者的にみなして『君』と書いているのである。無論、これは縄文時代から一章から始まるので、本人の成長期の年代に合わせてその時々の思い出を各章に書いているのである。『バカの壁』を書いた養老先生の目には自分がこう映ったと書く。

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養老先生に映る君は「とにかくよく動く」という印象が強かったようで、君が書く小説に対しても「be動詞の使用方法を知らないのではないかというくらい、あらゆる表現が動詞的表現となる」と評した。基本、「動かない死体」を相手にする解剖学者は「よく動く生体」に揺さぶられ、疲れてしまったらしい。(p214)

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さて、やり玉にあがったのは、この帯に書かれていた通りなのである。なにがやり玉にあがったか。どこかで読まれた方がいるかもしれない。「安倍晋三元首相が亡くなってよかった」というような発言の言葉尻をとらえられてしまったのであった。法政大学はこういう人間を指導者にしておいていいのか、国から大学への賛助金でも貰って運営しているんだろうに。大学はこういう奴を雇っておくのか、というのが、炎上の一端であった。

無論、彼は言い方に反省もしたようなのだが、その言わんとした真意はどこにあったのかを深く考えてみる必要があるだろう。さて、この国の人々はその言葉をもっているかどうかなのであるが・・・。『君が異端だった頃』というこの本の帯に書かれている文章を書いて終わることにしよう。

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正直者がバカを見るこの国で本当のことを言えば、異端扱いされるだろうが、それを恐れる者は小説家とはいえない。

ただ、一人称で書く恥ずかしさには耐えられず、私事を他人事として突き放した。

いうまでもなく、君は私で、私が君だ。(本文より抜粋)    ・・・fine  /// inakano yama ni ikou !