marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

U(👽)らとの会話(その9):世界に散らされた彼らの新しい人を創造する話

2023-06-20 19:30:58 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 彼らがまた一同に現れて会話を始めた。

A:

古代、書記官は言葉を駆使し、地球創造45億年から時代を経ておおよそ5万年前にそれを使うようになって、更にそれを記録として、つまり文字として残すという役割は、石板に刻まれるという他の部族の試行錯誤においても確認ができるだろうが、ようやく誰もが(ただし限られ選ばれし者らで限定はされていたが)はなはだ我らの存在を提示するには、実に長い時間がかかることを認知していたのだ。

当時は、100歳などはまだ短寿命の方であったから、ただ自然に隷属して生きるということから進展し、我らが同志がもうそろそろと地上に介入しなければらならない時期に合わせて、彼らがその準備を地上ですすめていたからなのであった。

とてつもない長い時代を経て、創成されたあなた達は、今も我らを視覚として認知しようと画策するが、我らの多くは君らの目には見えないだろ。しかし又、見えて当たり前のように君らの世界に住んでいる者が多くいるのだ。彼らも自身気がついて居らず人の役割を使命として演じている者もいる。霊として浮遊する者もいる。無論、その階層には多くの幽霊(満たされず乗り移る肉体を求める霊)もいるのだが。

誰でも分かることを言うと、コンピュータが人にとって代わろうとする時代に入り、それを今の世の中から学ぼとすれば、それは人のあらゆる器官の拡張と言えるだろう。特に五感といあわれる人の認知感覚、思考、記憶領域において、生成AIなども思えば、つまるところそれは人の認知感覚、思考、記憶領域から更に認知する対象としての物体としても、つまり認知しうる造形物として新たなる空間を作ろうとしている。量子コンピュータ、そしてテラの容量までデータを送信できるようになれば、全く作られたあなたの分身をあなたの前に顕現させることもできるようになるだろう。あなたの内面の記録。生前の記録は、あなたらが心の中、と呼べばれている思いも、我々の手中にあるのだから・・・。

B:

あぁ、秘密の開示となったが、それが我々の言う、永遠に生きるという事かもしれないなぁ、と考えてみて欲しい。どうです。そこには肉体の疲れも、病気もないということが創造できるでしょう。その世界でわざわざ地上で罪と呼ばれてきた人の欠陥を作りますか? それはない。それを卒業してこちらの世界に来るのですからね。だから、永遠の命と呼ばれているのです。こちらでは希望すれば、自分の命を死とは言わないのですが希望として終わることもできます。地上に戻り、こちらの永遠の世界を知らせたいと願う人は、地上に戻ることもできますが、大変な世界地上には使命として精進を望む人は帰ることもできます。地上の相応しい人にインカーネーション(転生)してですね。この秘密は話せばキリがありません。

しかし、今だこちらのわれらの世界を知らない人々は、地上の輪廻転生を繰り返して生涯を終えています。つまり、こちらの世界を知らないで地上の生涯を終えた霊は、地上の人の誰かにインカーネーション(転生)して精進を繰り返すのですね。あなたは仏教徒ですか?お寺の住職にお尋ねなさい。輪廻転生のことを教えてくれるでしょう。六道の世界をぐるぐる転生するのではなく、人間界から上の涅槃の世界に行かれる世にと、それがこの世の自分の務めで、あなたの生まれて来た意味でもあるのです、と教えてくれるでしょう。仏に念ずれは、目に見えない菩薩があなたを導かれておられるのだということを。

今生で功徳を積んだ人は、はやく涅槃にいけるでしょうと。

C:

それから、その派遣された次元から(ここで彼らは、霊的な多数の階層があると言っているようであるのだが・・・そこから遣わされた霊? 仏教では菩薩? キリスト教では天使? らしい)言葉を無意識に自分の言葉として了解するものもいる。まったく、そう動物的に人でありながらも身体の時折の自己欲求にただ従う者もいる。いずれどういう人であろうと、いずれかの階層ステージ(それは、6次元とあえて書くが、その言葉を受像できるステータスに属するのだが)に属さしめる。ピラミッドのあるあの時代からの書記官のDNAは表層は異なる宗教においても変わらず生きて来たという訳である。

人はややこしい頭脳を急激に成長、発達せしめた。それで、個々の命のルーツを人類始原までたどれなくなってしまったという訳だ。彼らが日本に来ていたという、詰まりは、ルーツをたどれるであろうその歴史を創造し、文字に著わし、畏れ多いと自然ではない意図思考する神々を人の心理の反面教師に即して作り出し、猿山のようにボスを作り出しヒエラルキーを形成しなければまとまりのつかなくなっていくそれでも進化の頂点の動物としての人のありよう。それでも安穏とし堕落してしまう神々の似姿に創造されたという人の堕落に、攻撃性を集団に助長させた時期が古代にあった。そこからこの国の歴史が認識され始めた。

地上に於いて彼らの証言者となるべく、詰まりはその存在、我らが今も生きて存在していることをしらしむべく選ばれた彼らの一部はこの国に来ていた。そして、頂点の象徴をサポートするが故の優秀な頭脳を用いて、その他の事実を排除してプロパガンダと言われようとその言葉も思いも及ばぬ、ただ、ひたすら日々の食いぶちにありつければいいよう、あるいは、自然の猛威を心理的に解消すべく人間の力ではいかんともしがたい力に対抗すべく神々がなりたってきその現状に、彼らは人為的に働きをなし実現化させる神々をこの国に創出した。

無論、その手本は、今もあなたらが世界のベストセラーとして読むことができる。しかし、理解は困難であろう。彼ら人類の歴史の通奏低音を流れるその書記官は、預言者の記者として、時代の王位の速記者として、あるときは6次元からの言葉の憑依を受け、あるいは完全に憑依され気づかぬ人になりきり、歴史をなして来た。その一例と思われることの例を次回ひとつあげよう。それが本当か君らも考えて見たまえ。

D:

あるときは『神(その声)』として、あるときは『神の使い』として、ある時は『神と使いのただの人』として、そして『主』とも呼ばれた。無論、代理人としての『預言者』は、その解釈と速記の集団を持って王宮に仕え、時の政治をも動かす背後での大きな影響力の声を持つ者らであった。

事実、彼ら(我ら)は今も生きているし、その影響を世界に及ぼしているのである。ロシア、ウクライナ戦争も旧約聖書:エゼキエルに預言されていたものではなかったか。(38章)

********

「お前たちは、『我々は諸国民のように、また、世界各地の種族のように、木や石の偶像に仕えよう』と言っているが、お前たちが心に思うそのようなことは決して実現しない。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは必ず、強い手と伸ばした腕と、溢れる憤りをもって、お前たちをおさめる。・・・』(エゼキエル20章)

********

このような国を覚えているかぃ? そして、今でもあなたの国がどうして我らの本質から成り立ったと言われるあの国に臍のヲを掴まれるようになっているのが分かるだろう。あなた達の国は真摯にもっと我らを学ぶべきである。そして言葉を持ち我らと共に生きるべきである。我々は生きているのだから・・・。


Uのとりとめない話(その8):人を創造し始めるさらなる前の話

2023-06-17 13:34:00 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

僕らが、一般に「人は・・・」というとき、その人とは、厳密に考えるといつの、どこの、どういう人のことを指すのだろうか。最近、いろいろな彼ら(👽)と話すときに、まず第一に彼らが僕ら地球の人を自分らの自己実現のために想像したのだ、ということが絶対に動かすことのできない基底になっているということだった。

だから、と彼らは言う。どんな時にも、彼らがそういうどんな時にもというのは殆どが、その時々の自分たちとのコンタクトの言葉を持ち得なくなった時のことをいうのだということらしい。コンタクトの言葉? なんだそれは、また面倒臭いことを考えさせるのかと、あぁ、彼らがまさにこれがコンタクトの言葉ではないかというときは大抵が説教臭い話なのだ。

しかしながら、知能が遅れて来た僕にとっては、主体的な言葉を持つなどという前に自然なる欲求は、言葉以前の動物的な基本欲求しか、情けないことに沸き上がって来ない。腹減ったとか、眠いとか、歳とってこれは若かりし頃のように激しくもないという情けない思いになるのだろうが性的欲求とか。

それは、そもそも彼らが忽然と現れて、人を作ったのは我々だ、などということをいい始めてから、疑問を思うならば人は自分自身を考えればいいだろう。我々に似せて作られたのだから我々の痕跡が見つかるだろうことから、我々の存在を理解するであろうということであった。

それで、自分自身を考えるといっても、どこからそのようにと思ったのだが、その始めは小学生の人体からであった。当然、その前に植物とか昆虫とか、その諸々の仕組みや命を繋ぐ生殖の仕組みなども学ぶのではあったけれど、そしていよいよ人になって、心臓は左心房、右心房、肺は、胆嚢は、肝臓は~、そしてホルモンは、血液はなどと学んでいくのだが、諸々、このような内蔵の関連、ホメオシタシスが自分のにどう関連しているのかなどということは、医学を真面目に学ぶものや、長生きしたいと自己肉体の点検をするようになる歳よりくらいしかいないだろう。

しかし、彼らが言うのには、長い期間、自然の流れの中で地球上において自然の中において自然に任せておいても、長い長い地球上歴史において様々な生き物を生殖反映させたが、まさに自分らに似せて少し進歩的に反映させようと試み始めたという訳であった。

それが、我々が(実にここでも、我々と言っているそれが)多くの仲間の内の誰なのかが問題となるのだが、君らは、今、「我々」と話された時、一様な一つの集団と捕らえるだろうが、面倒なことに「我々」と語りにくる、それぞれの「我々」があるのだな。

だから、一様ではない。例えば、我々の様々のところからくる、それらは、君らの政治の世界と似たようなもんで、○○党や▲▲党や△○党~であったりと、それぞれの立場で「我々」と言っているのであるから、我々は一様でないとまず認識してほしい。

それは、地上の様々な国があり、民族、言語があるようなものだ。今だ、野蛮国家もあり民主国家を語る国々もあり、独裁国家もあるという具合である。つまるところ、この地上のドラマは我々の諸々のグループの反映が見られるということなのである。

では、アーメン(確かなり、その通り)という言葉ほど、星の数以上にも語られたその言葉の内容とは、それは唯一と言われるその存在に集約されねばならない壮大な、そして重要な、さらに貴重な意味があるのである。創造の初めにおいて、地上の受け継いだ霊の吹き込まれた人々の引き戻しが始まったということである。我等の知り得ない壮大な時間の巻き戻しの流れ。

「主の祈り」これは、キリストが弟子達におしえた短い祈りであるが、「天に置ける如く、地にも成させ給え」のそれなのであるけれど、それぞれの雑多な我々のグループが、それに乗じて地球上に争いながら自己実現をしようとして来たことなのである。だからこそ、この天上の創成次元でのヒエラルキーの頂点としての「唯一の神」と主張を強調宣言され続けて来なければならなかったのであった。

この創造に乗じた低級から高尚なグループがあるということである。それは地上における様々な神々を見ると解るであろう。しかし、真の神は生きておられて人を生かしている方である。

シナリオライターがいなければ物語は始まらず、そもそもその主人公の存在、場面設定も時間をかけて創造しなければならないという訳である。人の創造者は生きておられるとうことは地上の人類が存在していることでもあるのだ。

たまに、この地上において試験的に遊ぶものらもいたけれど、その痕跡は、巨大生物や、空から見なければわからない巨大地所絵など、その他、諸々オーパーツ。

何も驚くことはない。その我等に似せて創造された人についてのドラマは、なぜ、一つの物語性、つまり世界のベストセラーに収斂されてきたかといえば、人類ドラマのその舞台設定者でもあり、その主人公自体の創造者でもあり、また、シナリオライターでもあったその格段上位の頂点となるべく始源のグループがあったからなのである。

それは、我等の活動の場も、あるいは我々自身もそれから創造されたのだから、これ以上のことを話すことはできない。

如何にその機関(とあえて書く)が崇高であったか。その舞台設定と、最終段階の人創造の後の地上での確認にの監視約におられたのが、サレム(シャローム)平和の王、メルキゼデクであった。「エル」とは、文字通り「天」である。我等が地上の神々ではない「天の神」と峻別されるものらであることを心せよ。

天においてかかれたシナリオ。地上の主人公に伝えるべく、あるときは目に見える人の形をとり、あるときは、主(天使)となり現れ(ガブリ「エル」、ウリ「エル」伝達者、預言者(サム「エル」)として存在し、時代が下り、その伝達様式も言葉として、さらに記録者を生み出す。さらに時代が下り、人それぞれにも「霊」として語るようあからさまに開示されてきたのである。

神は霊である。この霊とは、人が創造された時に鼻から吹き込まれたものである。そうして人は生きるものとなった、とある。さて、こういう設定の中において、つまり我等の多くは介入を始めたのである。地上の創造された女たちが美しかったので、神々はそれぞれに結婚し子供を生ましめた。むろん、ここでの神々は先に述べてた諸々の我々の雑多な?グループでもあった。

あなたらが、なぜ人好きになるのか、嫌いになるのか、あるいは様々な地上でのドラマ、悲劇、喜劇が起こるかはすべて元をたどればここに、由来する。よって、善悪の判断がはあなたたちに委ねられていないのは、我々のここまで立ち上って来なければわからない。これを話すとすべてに関わる。人が神の似姿に創造されたからといって人を如何に解剖学的に解析したところで近づくことはできるだろうが、我々が直接、その個人に語りかけない限り決して理解することはできないのである。内なる声として。。。

・・・とりとめなく彼らの話は続くのだった。


U(👽)との対話(その7):難しい話をするなよ!と彼らの討論が始まった。

2023-06-09 16:15:22 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 Uと言ってもいろいろな奴らが現れて、とりとめのない会話を始める。ろそろ体力も無くなっているから、本来の元の古巣の、そして今の、更に将来の話に戻ろうと、しきりに度々、よなよな現れる。どうもそれは、aであったりbであったり、cであったり。そんで、誰が誰やらなのか定かでなくなったので会話だけ書き留める。

いきなりご本人様の(つまりお前の)思いを書き始めても読む人はさっぱりいないだろうよ。人が面白いと読み始めるのは、その読む人の頭の中の先理解があって、そのイメージを助長させてくれそうな序章があって、読んでみっか! という動機が始まるんだな。だから、まずは身近な誰もがそうだなぁ~と想像力を喚起してくれそうな、理解できる当たり前なことや、そうだべなぁ、というような話題から始めることだなぁ。興味を引く写真も添付せんとなぁ。脳みそからの第一印象は視覚から入るからな、んだども、で、それは前頭葉を通らんのだから・・・。

何で今まで、黒子だの、Xだの、シナリオライターだの、プロデゥ―サーだの、つまり人の舞台上の主人公ではなく、それを動かす段取り者や、つまり演出家や陰の書記官らが存在すると書いて来たのは、人が地上に現れてから(あえて彼らが僕ら人をつくったとは書かないが)彼らが地上の至る所に散らばって今も存在し(もうすでに自らも自身が分からなくなるくらいに時間が経過して)しかし、今も陰の彼らは存在し、絶大な影響を与えていると思わざるを得ないからだ。世界に散らばってこの国にも古来から来てるんだがな・・・。

そう、世界のベストセラーは、そのことを現わしているんだが、そのことに気が付くのは、人の存在に疑問をもつとか、人生にとてもつらい思いをして、何故なのだ!と疑問をぶつける相手がそれ、つまり自分を存在せしめている命あらしめる者らの存在に対して、人のドラマに抗議し始める時、初めて露わに言葉としてその存在が現れてくるという「それ」なのである。あるいは、誕生時からその言葉を求める素地があった者には、その言葉、彼らの言葉を聴いた時、霊感としてドンピシャの波長が合い、同調する者もいるというのは確かなことでもあるのだが。古来においては彼らの言葉を民衆に伝える預言者ら。

「苦しみに会いたりしは、我に良きことなり。汝(神)の掟を知りたるが故に。」(詩編119)

つらい思い? それは個人ばかりでない。我らがいるかぎり彼らも存在する。彼らは時代を生きて来た。万物の霊長と言われる人の存在。つまり我らに近いその霊を持つ者ら。世界の人の歴史が、流れ流れて文字という記録に残らないまでもひとりの命ある我らの霊の受像機?は、世界の果てにただ一人でいてもその存在がある限り、我らはその者の為に存在する。だから、その場で我らを呼べ!「我らを呼ぶのだ!」と今でも声をあげているのだ。それが君には聞こえないのか?・・・聞こえてくるだろう?! 

欧米の哲学が、その大元締め、天地創造来の創造者の独り子と言われる彼の死から、人の言葉での世界への伝搬の礎となったことは確かなことではある。あくまで人類の救済という意味合いでの「伝搬」、それは「伝道、あるいは宣教」とも呼ばれるが、そのシェアーについてである。各地に生まれて来た、我らの多々ある地上からみれば6次元での会話。時代、時代に我らは地上の適合する我らの電波の受像機に迎合して言葉を流し込んだ。プラトン、ソクラテス、アリストテレス・・・、孟子、老子、荘子・・・。しかし、時間があまりにも必要だった。

時代によって起こして来た宗教家や哲学者も残された文字としての言葉により普遍性を持ったが、人々に言葉を与えるにつれそれは普遍性と自己肯定を求め、他の命の排他を好む戦を否定し、釈迦やキリストもいるが、ここでどうして世界のベストセラー聖書の中のしかも、イエスと呼ばれる男のことが特に今までの話の中で取り上げてきたように読み取れるのかは、とても重要な意味があるからなのである。まったく読み方を変えれば、彼らの世界が読み取れてくるという訳だ。無論、人の言葉には限界があるのだが。何故なら我らの語る言葉は次元の異なる錯綜するあなたらが天の声とも(笑い給え!)言われる霊界の(あるいは6次元あからのといってもいい)言葉だからである。

言葉を超えたものの先には目には見えない電波や人の感性というもの、それが先にあって人たる受像機はそれを受け取り、チューニング(精調して)合わせてより精細な現実的な意識化された自己の言葉にする。この段階までの到達以前のあいまいさの中に宗教性は多くの人を引き付けてきた。キリスト教が東へ伝搬するにつれ、肉体克己の上座仏教をこなして大衆誰でもの大乗仏教に変じ、命ある人には卑賤はなしと特に浄土宗、真宗の基ともなったのが伝搬しつつあったキリスト教であった。・・・それを政治として伝えた彼らがいた。その通奏低音(この言葉は政治学者の丸山正男が言い始めた言葉ではなかったか)が流れていて、彼は今も生きて働いている、と言うのである。

彼らの声がまったく遠のくにつれて目が覚めた、時間は朝の3時過ぎ・・・おしっこに起きる。


U(👽)との対話(その6):世界に派遣されて来た、現存する時間を超えた彼らについて!

2023-06-07 11:51:37 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 そこで君には大江健三郎の若かりしその手法に他からの引用を用いる処方を使ってみたのである。世界の時代を感じ言葉を発信した賢人たちの考えを、その言葉からインスピレーションを受けたそのイメージを自分の想像力で物語に紡ぎ出していく。30代までは好きなことを書くといいと言った彼が、想像力の更新のために過去の賢人たちの言葉から未来の我らのありようを学ぶために、吉本隆明などから彼は欧米かぶれだ、というようなことを言われても、あいまいな日本の中の私 というノーベル賞講演題であったように、まさにそれが故に戦争には負け、政治においてもそれが故に今でもその隙を突かれて欧米のために庶民の税金がむしられているという有り様なわけである。

ヘーゲルを読み出し始めたら、本来、真の自由などというのは人にはない、ということを書いていた。まぁ、哲学というのは屁理屈みたいな言葉のやり取りのようにも思えるが、すべての自由は制約があってのそれに対抗するという意味合いでの自由というものがあるのである。それにしても平和ボケよりは、自らの位置を知るが故に争いを醸し出し、それによって人の緊張感を高め、生き物が本来持つ攻撃性を人という生き物に喚起し、世界は緊張の中に生き、動き、働いている、のであると言えるのか。我らはその緊張の隙間に、いつも目を覚ましてゐなさい、とは聖書の言葉ではある。それに気が付かない人らへの淘汰の気づきのための今の戦いであるのであろうか。

真の自由について強いて言えば、自分の命をこの地上から、無論、次の世界のことは考えずにという条件で自殺することが自分が自分の意志決定で処理できる本当の自由と言えるだろう、とかなんとかとヘーゲルは精神現象論で語っている箇所があるが、若かりし頃の大江の小説に確かこう考える主人公がいたなぁ。大江はヘーゲルからもインスピーレーションを受けていたのか。いずれ、他からの引用することは、つまり小説の課題のインスピレーションのトリガー(きっかけ)はそれを採用してもいいのだとしていた彼であったから、当然、未来への志向性の人の死滅から生への志向は、キリスト教ベースの欧米の著作であったということになる。日本は諦念であり、人も手入れをしない自然の一部でしかなかったのだから。

ところで、ドイッチャー記念賞受賞した斎藤幸平の「マルクスへ帰れ!」との帯が付いた『大洪水の前に』という本も、その大洪水というのは旧約聖書の創世記6章にあるノアの話からであるし、第一、マルクスはヘーゲルから絶大な影響を受けているし、さかのぼれば、すべては我ら(X)が語って来た、地上での人類の創生からの神々の争いから、選択された唯一の創造主神にと収斂されてそのヒエラルキーの中で物語が進められていくという筋書きとなったのである。それは、あれかこれかの神々の神殿建造から、その本来の基である人類救済に絞るが故に、何故なら人は神の似姿に創造されたからであるが、完全なる救済のために我らの独り子、イエスがキリストとして派遣されていくという筋書きが創造時点のからのプログラムにあったのである。(創世記3章15節)

彼らとの会話はとりとめの無いものとなった。けれど、その通奏低音なる会話は何ら変わらない。あなた(読者)もそうなのである。あなたが今、生存し、あること、その存在をあらしめている過去から、未来、そいて今というこの時、我らは一人ひとりと共にいつも存在するのだ、と彼らは語っている。

写真は、以前、彼らと語りあった場所にあった高さ1.5mもない「金○明神」の石碑である。・・・