ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

どんだけ堕ちれば気が済むのか(呆れ)(追記あり:全くの偶然だが、記事発表日に実刑の判決を受けたこの野郎も、本当にどうしようもないアウトローだと思う)

2024-05-09 00:00:00 | スポーツ

これまたなかなかすごいニュースですね。


元プロ野球選手 窃盗容疑で逮捕 巨人ドラフト1位で入団
05月08日 17時13分

ことし1月、高松市内の住宅で腕時計2点を盗んだとして香川県出身の元プロ野球選手が窃盗の疑いで逮捕されました。

逮捕されたのは、プロ野球、巨人の元投手で清掃業の松本竜也容疑者(31)です。

松本容疑者は、ことし1月8日から12日までの間に、高松市内の住宅で腕時計2点、時価総額33万円相当を盗んだとして、窃盗の疑いが持たれています。

警察によりますと、松本容疑者は、清掃員として住宅に入り、作業中に腕時計を盗んだということです。

被害者の男性が腕時計がなくなっていることに気づいて被害届けを出し、警察が調べたところ、松本容疑者が盗んだ疑いがあることがわかったということです。

調べに対し、「清掃作業で入った部屋から腕時計を盗んだ。時計はすぐにリサイクルショップに売りに行った」と供述し、容疑を認めているということです。

警察は事件の詳しいいきさつや余罪について調べることにしています。

松本容疑者は三木町出身のプロ野球、巨人の元投手で、平成24年にドラフト1位で英明高校から入団しましたが、野球賭博に関与したとして平成27年に無期の失格処分を受けています。

知らなかったんですが、広島カープにも同じ名前の選手が現役でいますが、こちらは元選手です。ご当人野球賭博にからんで現在野球界を追放中の身分です。詳細は、Wikipedia「読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題」をご覧ください。

でさあ、野球賭博だけで「人生おしまい」だと思いますが、その次に窃盗ねえ(呆れ)。前にこんな記事を書いたことがあります。

おそらく窃盗症他何らかの依存症になっているのではないか(元プロ野球選手の窃盗)

元プロ野球選手の小野仁は、万引きを繰り返してこちらの記事によれば


横浜地裁は1日、懲役1年4月(求刑懲役2年)の判決を言い渡した。

となり、さらに


21~22年にも酒を盗んだとして、秋田地裁が22年5月、懲役3年、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡していた。

であったわけです。小野は窃盗癖だとおもわれますが、松本はたぶん依存症でなく、金欠だったか理由はともかく意識的に盗んだんでしょうからね。どんだけ悪い方向に人間が染まっちゃったんですかね。もともと悪い素質の人間だったのかもしれませんが、いちおうプロ野球選手をやっていたのだから、もう少しまともな人生を送ったらどうか、なんて考えましたが、しかしつい先日これまた元プロ野球選手の不祥事がありましたね。記事を。

元オリックス選手がひったくり疑い ドラフト2位で入団の37歳、尼崎出身 73歳女性のバッグ盗み逮捕 西宮

2024/5/7 16:20

 高齢女性からかばんをひったくったとして、兵庫県警捜査3課と西宮署は7日、窃盗の疑いで同県西宮市苦楽園二番町の会社員伊原正樹容疑者(37)を逮捕した。同署によると、同容疑者はプロ野球オリックス・バファローズの元選手。

 逮捕容疑は3月21日午前6時ごろ、同市六湛寺町の路上で、徒歩の女性(73)に後ろから歩いて近づき、現金約1万7千円入りのトートバッグを盗んだ疑い。調べに容疑を認めている。

 同署によると、付近の防犯カメラの映像から同容疑者が浮上した。

 同容疑者は尼崎市出身で、関西国際大学在学中に同球団からドラフト2位で指名され、入団していた。

伊原正樹は、Wikipediaによれば2015年時点で2人男の子のお子さんがいるそうであり、現在結婚しているのか(離婚しているのか)は定かでありませんが、そしてこの子どもたちと同居しているかもわかりませんが、少なくともこの2人の子どもは自分の親のしでかしたことを理解できる年齢ですからね。いまどきひったくり程度なら実名報道されなかったりそもそも報道もされませんが、(元)有名人なら容赦なく報道されます。報道によれば「会社員」だそうで、そうだとしたらそんなことをするほど金がなかったのかとか、いろいろ考えさせられます。
 
伊原についてはそこまではいいませんが、松本に関しては、相当に犯罪者としての傾向が進んでいる可能性がありそうですね。1度論外の不祥事を起こして世間の前から追放された人物が、こんな犯罪をしでかすというのは、つまりは松本という人間は、まともな野郎ではないのでしょう。清掃業は当然廃業でしょうし、こんなことをやらかす野郎をどっかの会社がやとってくれるのか。やとったはいいが、またまたろくでもない不祥事を起こすという可能性も高いのではないか。こういう人間にへたに情けをかけると、さらに事態が悪くなるというのはよく聞く話です。
 
非常に悪質な例を出しますと、元プロ野球選手の奥浪鏡は、免停時に交通事故を起こし、その後特殊詐欺と児童買春で逮捕されて実刑判決となったくらいです。どんだけ自分の人生を台無しにすれば気が済むのかと思いますが、彼も、初めからろくでもない人間だったのでしょうが、最初の道路交通法違反でさらに狂ったのでしょうね。先日今シーズンからウェスタンリーグに参加している「くふうハヤテベンチャーズ静岡」に所属していた元NPB育成選手だった谷川唯人が、無免許運転をとがめられて球団を(実質)解雇されました。記事を一部抜粋してご紹介。
 

今季からファーム公式戦に参入している「くふうハヤテベンチャーズ静岡」は2日、元ロッテの谷川唯人捕手が同日付で退団したと発表した。

 理由については「球団調査により、度重なる無免許運転の事実が発覚したため」と発表。「本件については、地元警察当局へ報告を完了しております」と対応を説明した。

なにもそう自分の人生をだめにしなくていいと思いますが、要は、遵法意識とかが私のような凡人とはちがうのでしょうね。育成あがりで、戦力外となっている身分の人物が、無免許運転なんていう法令違反をしでかさなくったっていいと思いますが、まーったく何とかにつける薬はないですね。ほんと、馬鹿(いけね、本当のことを書いちゃった)は死ななければ直らないのたぐいです。どうしようもありません。

記事発表日の翌日である2024年5月10日午前1時ごろの追記:これは全くの偶然ですが、記事発表日である昨日に下されたこの判決もひどいですねえ。


ソフトバンク元選手に懲役4年6月の実刑判決 侵入盗や詐欺罪で
2024/5/9 17:32

複数の空き家に侵入し金品を盗んだほか、金属スクラップの買い付け名目で知人男性から現金約1200万円超をだまし取ったとして窃盗や詐欺などの罪に問われたプロ野球ソフトバンクの元選手、原田龍哉被告(36)に、神戸地裁は9日、懲役4年6月(求刑懲役7年)の判決を言い渡した。

判決理由で西村彩子裁判官は、短期間に立て続けに侵入し、窃盗の常習性は明らかだとし「ギャンブルの借金返済のためという動機は身勝手だ」と指摘。詐欺については被害者から信用されていることを利用したとして「手口は悪質で被害は高額だ」と述べた。

判決によると昨年5~8月、兵庫県淡路市などの空き家3軒に侵入して腕時計やネックレスなど48万円相当を盗み、同県洲本市の空き家でも金品を盗もうとした。また昨年4月、スクラップを買い付けると偽り、男性に代金を振り込ませた。

被告は近江高(滋賀県)出身で平成18年に高校生ドラフトで指名され、外野手として入団。19年に戦力外通告を受けた。

この人物については、私も記事で何回か取り上げています。

「おいおい」の記事

このブログで以前記事にした2人のその後

ご当人以前は「伊奈」という名字でしたが、名前ロンダリングでもしましたかね? 正直素行不良なこの人物をそう容易に養子などにしてくれる人間が見つかるとも思いませんが、どうなのか。

いずれにせよこれではどうしようもないですね。お話にもなりません。記事で取り上げた松本も伊原も、ぜひ奥浪や原田(旧姓伊奈)のように実刑にいたるまでにはいかないでほしいですね。この連中のレベルまで来ると、ちょっと生きていくのも大変であり、ほんとのアウトローになってしまいます。奥浪や原田はもうそうなっているでしょう。

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元と現役のアスリートの死によせて

2024-04-12 00:00:00 | スポーツ

昨日(2024年4月11日)は、2人のアスリートの死が発表されました。まずは曙太郎の件を。記事をお読みください。


大相撲の元横綱の曙太郎さんが死去 54歳心不全 闘病生活も今月に病状悪化、若貴としのぎ削る
[2024年4月11日10時27分]

大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが心不全で亡くなっていたことが11日、分かった。54歳だった。同期入門だった若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に横綱昇進。かたき役になり膝の故障になきながら、長身を生かした突き押し相撲で11回の幕内優勝を遂げた。現役引退後は総合格闘家としても活躍。近年は闘病生活を送っていたが、今月に入り体調が急変していた。

曙さんはハワイの大学を中退し88年春場所、18歳で初土俵を踏んだ。後に兄弟横綱となる3代目若乃花と貴乃花の若貴兄弟、大関魁皇ら「花の六三組」。2メートルを超す長身を生かした突き押し相撲で、特に貴乃花とは熾烈(しれつ)な出世争いを展開。新十両、新入幕と新三役こそ貴乃花に2場所遅れながら、序ノ口から歴代1位の18場所連続勝ち越し。92年名古屋場所の新大関、そして93年春場所での横綱昇進は、いずれも貴乃花を4場所、11場所も先んじた。優勝決定戦も含めれば通算対戦成績も25勝25敗の好敵手だった。

92年夏場所で初優勝し場所後に大関昇進。93年初場所で2場所連続優勝を果たし、第64代横綱の座に就いた。北勝海(現八角親方)引退後の横綱空位を埋めるとともに、貴乃花の昇進まで一人横綱を11場所務め、横綱3場所目からは3連覇し年間最多勝も獲得。98年長野冬季五輪では、開会式で晴れの横綱土俵入りを披露した。

一方で膝のケガに悩まされた。初優勝から2年で7度優勝も、94年の両膝故障もあり以降はほぼ10場所で1度と優勝のペースも落ちた。00年は7年ぶりの全場所皆勤と年間最多勝と復活したが、年が明けた01年初場所を両膝悪化で全休し、回復が見込めないと判断。「もう優勝争い出来ない」「横綱として惨めな姿で土俵に上がれない」と現役引退を表明した。いかつい表情ながら、謙虚な態度に横審の内館委員長も「いつも曙の悪口を言っている自分が恥ずかしくなるほど礼儀正しさに感激」と述べた。

引退後は曙親方として東関部屋で後進の指導にあたっていたが、03年11月に日本相撲協会を退職。翌日には格闘技のK-1参戦を発表。大みそかのボブ・サップ戦、チェ・ホンマンやボビー・オロゴンとの対戦など話題を提供したが、総合格闘家としては芽が出なかった。

◆曙太郎(あけぼの・たろう)69年5月8日、米国ハワイ州オアフ島出身。出生名ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ。パシフィック大を中退し63年春場所初土俵。90年春場所新十両、同年秋場所新入幕、91年春場所新三役。三役で3場所通算34勝を挙げ92年名古屋場所で大関に。4場所通過で93年春場所新横綱。横綱在位は48場所。通算成績は654勝232敗181休。幕内優勝11回、三賞6回、金星4個。96年4月に日本国籍取得。

このブログでも何回か彼について記事を書いています。

どうでもいい話かもしれませんが

元K-1プロデューサーの本を読んで、「どうもなあ」と思ったこと

下の記事から、『平謝り』という本での谷川貞治氏の話を。曙を、K-1にスカウトしようとした際のものです。


僕は石井館長を交えて、格闘技界のこと、曙をどうやって練習させ、スターにしようと思っているか、必死に口説きました。

(中略)

でも、ここで重要なことがあります。その時に僕が曙に言ったのは、

「横綱、やる気があるんだったら奥さんにだけ相談して決断して下さい。相撲関係者に相談したら絶対に反対されるに決まっています。賛成する人は一人もいませんよ。反対の意見を聞きたいんだったら相撲関係者に相談して下さい」

そうしたら、

「いや、相撲関係者には相談しません。家内と相談します」と、曙は言ってくれた。やったと、心の中で僕はガッツポーズをしました。

(中略)

東京のホテルに部屋を取って、祝杯のシャンパンをあらかじめ用意して、ちゃんとした契約書も用意して曙を待ちました。奥さんも呼んでもらって。曙に関しては十分脈があったので、この日はとにかく奥さん一本に絞って説得しようと思いました。

「奥さん、もう一度、横綱がスポットライトを浴びる舞台に立たせましょう。奥さんは横綱がOKなら、認めてくれる人ですよね」

「ええ・・・・・、まぁ私はこの人がよければ」

「じゃあ、新しい門出を祝して乾杯!」

ほとんど、考えさえる間を与えませんでした。

(中略)

今度は「夜逃げ」の話しを持ち出しました。

とにかく、僕は周りから引き止められることだけが怖かった。まず曙を相撲の世界から切り離すことに必死になりました。(中略)ちょうど東関部屋全体で出稽古に出る日があったので、その日を狙って荷物を持ち出してもらったのです。(引用者注:2003年)11月5日に帰京、その足で北の湖理事長に辞表を提出してもらい、曙の決心が揺らがないうちにすぐ翌日に記者会見を開きました。ここまでやれば、相撲協会ももう追って来られない。(p.122~p.124)

やっていることがまるっきり悪徳商法じゃないですか(苦笑、他人事だから笑います)。


ほとんど、考えさえる間を与えませんでした。

って、こんなの誇らしげに書くことではない。考える間もなく付け込まれて最後は自殺するまで追い込まれた女性の話は下の記事を参照してください。

詐欺というのは、現在から過去へ逆算していけば、だれも引っかからない(が、その場での判断を余儀なくされるのが厳しい)(追記あり)

それにしても曙の奥さんからすれば、ほんと踏んだり蹴ったりですよね。彼女は、おそらく曙に負い目があったと思われます。彼女と結婚して後援会が解散したりして、金銭が潤沢にならず年寄株を取得できず、また所属していた東関部屋も、東関親方(元高見山)から経営能力を評価されず後継者になれずと今ひとつ能力不足でした。だから、奥さんは、相撲協会を退職した際に離婚するということができなかったのでしょう。また彼は、かなりの酒豪だった。こちらでも、


来日当初は、日本人の酒好き、たばこ好きが不思議だったそうだが、本人もある時、1980円で飲み放題の店に入り、チューハイをジョッキで40杯飲んだ。翌日も顔を出すと店主が青ざめ、その店は力士の飲み放題お断りになったという。相撲部屋の近所では、しばしばある話。昭和の力士たちと違い、日本酒やウイスキーではなくチューハイなどが多いので、酒豪と言っても少し割り引く必要はあるが、エピソードとしては豪快で面白い。

とあるくらいです。これでは身体にいいはずがない。曙が最後に表舞台に姿を見せたのは、早逝した潮丸元康の葬儀の際ですかね? これが2019年12月18日とのことで、それから3年半弱ほぼ外に出ることも難しかったのかもしれません。先日記事にした山本弘のように、心肺停止が続いた時点で再起は無理だったでしょうが、やはり節制していれば、そしてこれは言ってもしょうがないことですが、相撲協会を退職しなければ、こんな死に方はしなかったかもしれませんね。その可能性は高かったと思います。

やはり最初の脳梗塞で、事実上山本弘の物書きとしての命脈は断たれたのだろう

では次に現役アスリートの死を。騎手の藤岡康太が、競技中の事故で亡くなりました。記事を。


藤岡康太騎手死去 35歳 6日の阪神競馬場でのレースで落馬
2024年4月11日 14時43分 

JRA=日本中央競馬会は今月6日のレースで落馬し、病院で治療を受けていた35歳の藤岡康太騎手が亡くなったと発表しました。

藤岡騎手は今月6日に阪神競馬場で行われた第7レースで手綱をとっていた馬が第3コーナーを回る際に前の馬と接触して落馬し頭と胸を負傷して病院で治療を受けていました。

JRA=日本中央競馬会は藤岡騎手が10日午後7時49分に亡くなったと発表しました。35歳でした。

藤岡騎手は、滋賀県出身で父が調教師で兄が騎手という競馬一家で育ち2007年にJRAの騎手としてデビューしました。

3年目の2009年にはNHKマイルカップでジョーカプチーノに騎乗し、思い切った先行策から早めに先頭に立つ積極的なレース運びで初めてのG1勝利をあげました。

その後も堅実に勝利を重ね、去年秋のマイルチャンピオンシップでは14年ぶりとなるG1勝利も果たし、通算勝利を803勝まで伸ばしていました。

藤岡騎手は、ことし最初のG1レースで勝利した兄の佑介騎手とともに兄弟そろってのさらなる活躍が期待されていました。

JRAの騎手がレース中の事故で死亡したのは2004年に障害レースで落馬した竹本貴志騎手以来、20人目となります。

武豊騎手「まだ信じられない」
日本騎手クラブの会長を務める武豊騎手は「こんなにつらく、悲しいことはありません。まだ信じられないです。今後、康太の思いを胸に乗っていきたいと思います」とコメントを発表しました。

実は藤岡は、つい先日通算800勝を達成したばかりです。記事を。


阪神10R・仲春特別】藤岡康太騎手がJRA通算800勝「いろんな関係者、馬に支えられて達成できた」
2024年3月30日 15時54分スポーツ報知 # 競馬

 3月30日の阪神9R・仲春特別(4歳上2勝クラス、芝1200メートル=15頭立て)で藤岡康太騎手=栗東・フリー=がタツダイヤモンド(牡4歳、栗東・鮫島一歩厩舎、父サトノダイヤモンド)で制し、JRA通算800勝を達成した。JRA史上58人目で、現役では27人目。2007年3月にデビューし、1万745戦目での達成となった。重賞は22勝で、G1を2勝(2009年NHKマイルC=ジョーカプチーノ、2023年マイルCS=ナミュール)している。

 藤岡康騎手「数多くの騎乗依頼をいただき、いろいろな関係者、馬に支えられて達成できた数字だと思います。ナミュールでG1(昨年のマイルCS)を勝つことができ、注目していただいているなかで、いい流れでくることができています」

当然ですが、まさかねえ、この時にほんの数日後の悲劇を予想はできません。亡くなった日の午前に、兄である藤岡佑介が次のような談話を発表していました。


たくさん心配されている方もいらっしゃると思うので現状をお伝えしておきたいと思います。落馬でご迷惑、心配をお掛けて申し訳ありませんということと、まだ意識が戻っていない状態で、本人の頑張りに期待するしかないというところで、僕ら家族も見守っている状態です。ファンの方もたくさん心配されている方がいらっしゃると思うので、何とか帰ってこられるように願ってあげてほしいと思います

私もこれを読んで、「たぶんかなり厳しいのだろうな」と思わざるをえませんでした。他人様の命のことなのでめったなことは言いませんし言えませんが、非常に悪い状況であることは容易に予想はできるというものです。中央競馬の騎手は、2004年に死亡した竹本貴志以来殉職者は出ませんでしたが、つい先月高知競馬塚本雄大が落馬事故により死去したばかりです。あらためてレースの協議というのは危険だなと思います。競輪の競技中の死亡者競艇の競技中の死亡者オートレースの競技中の死亡者などのカテゴリーもWikipediaにありますし、公営競技でなくてもカーレーサーのアイルトン・セナのようにカークラッシュで死亡したレーサーはたくさんいますし、「ツール・ド・北海道」は、昨年の事故で今年は開催を見送られたくらいです。

いずれにせよ機械や動物などに乗って速さを争う競技は非常に危険ですね。1歩間違うと死が近い。ほんと、みなぎりぎりのラインで勝負していますから、どんな名手であろうと事故とは無縁でない。セナが事故を起こすのだから、誰だって事故を起こします。

私は正直競馬はよく知らないので、藤岡のことも知っているとも言えないのですが、曙に関しては、さすがにそれ相応には知っています。正直藤岡は、危険な競技をしているのだから、死をも覚悟しないと騎乗はできませんが、曙は、ハワイから日本にやってきた当初、自分がこのような死を遂げるとは想像していなかったでしょうね。するわけもありませんが、相撲界を引退した後の曙の人生は、とても苦しいものだったでしょうね。格闘家やプロレスラーになるより、もう少しまともな人生を送ることはできなかったか。やはりこの人も、あまり器用に生きられる人間ではなかったのでしょう。

曙太郎さんと藤岡康太さんのご冥福祈ってこの記事を終えます。

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依存症というのは、まさに常識や愛情や情けなどでは克服できない

2024-03-22 00:00:00 | スポーツ

昨日報道されたこちらの件にはやはり驚かされますね。


ドジャース 大谷翔平の水原一平通訳を解雇 違法賭博に関与か
2024年3月21日 18時26分 

大リーグ、ドジャースは、大谷翔平選手の通訳を務める水原一平氏を解雇したことを明らかにしました。アメリカの複数のメディアは水原氏が違法賭博に関与したなどと報じていますが、球団は解雇の理由については明らかにせず、情報を収集しているとしたうえで、「現時点ではこれ以上のコメントはない」としています。

米メディアによると、水原氏は、20日夜の試合後にドジャースのチームメートに対して、みずからがギャンブル依存症であるとした上で「すべて自分のせいだ」などと説明したということです。記事では、ギャンブル依存症についてもお伝えします。

米複数メディア “水原氏が違法賭博に関与” と伝える
アメリカの複数のメディアは20日、大谷選手の代理人弁護士が水原氏が違法賭博に関与したと明らかにしたなどと伝え、このうちロサンゼルス・タイムズは、水原氏が連邦捜査の対象となっている違法な「ブックメーカー」と呼ばれる賭け屋で賭けるために、大谷選手の資金を「大規模に盗んだ」としています。

また、アメリカのスポーツ専門チャンネル、ESPNによりますと、大谷選手の口座からこのブックメーカーに対して450万ドル、日本円でおよそ6億8000万円が送金されていたということです。

これについて球団はNHKの取材に対して、「報道の内容は把握している」としたうえで、水原氏を解雇したことを明らかにしました。ただ、解雇の理由については明らかにせず、情報を収集しているとしたうえで、「現時点ではこれ以上のコメントはない」としています。

(中略)

水原氏「すべて自分のせい」 米メディア 
ESPNは水原氏がギャンブルで多額の借金を抱えていたとも伝えていて、取材に対して、水原氏本人が去年、借金の返済を大谷選手に依頼したと明かしたとしています。

その中で水原氏は「翔平はギャンブルに全く関与していなかったということを知ってほしい。このギャンブルが違法だとは知らなかった」などと話したということです。

また、20日夜の試合後には、水原氏がドジャースのチームメートに対して、みずからがギャンブル依存症であるとした上で「すべて自分のせいだ」などと説明したということです。

米スポーツ専門チャンネル 水原氏のインタビュー取材を詳報
水原氏が違法賭博に関わったとされる問題について、アメリカのスポーツ専門チャンネル、ESPNが水原氏へのインタビュー取材をもとに詳しく報じています。

取材のきっかけは、違法とされるブックメーカーに大谷選手の口座から複数の送金があることがわかったことだったということで、ESPNが今週に入り水原氏に取材した際には、「ギャンブルで多額の借金を抱え、その返済を大谷選手に依頼した」などと話しました。

借金は450万ドル、日本円で6億8000万円にのぼったとされ、借金が増えていったいきさつについては「勝ったことは一度もなく、沼にはまって借金がどんどん大きくなり、取り返すためにさらに賭けて負け続けた。もう二度とやらない」と明かしたといいます。

そして「当然、彼はよく思っていなかったが、二度とやらないように私を助けてくれると支払ってくれた。翔平は賭博には一切関与してないことをわかってほしいし、私もこの賭博が違法だとは知らなかった」と話し、当初は大谷選手に相談の上で借金の問題に対処したとしていました。

しかし、その翌日になって大谷選手の代理人事務所の広報担当者がESPNに対して水原氏の発言を撤回したということで、大谷選手の弁護士も「大谷選手が窃盗行為の被害者であるということが発覚した」というコメントを発表しています。

さらに、水原氏も取材に対して「大谷選手は自分のギャンブルや借金、その返済についてなにも知らない」と前日のインタビューの内容を否定し、「これはすべて私の責任で、受け止める準備はできている」と話したということです。

記事のこの後の部分をあとでまた引用いたしますことをお許しください。

件の人物である水原一平氏(一応まだ逮捕などはされていないので、敬称をつけておきます。大谷翔平については、いまさら敬称をつけることもないと思うので省略します)なる人物は、Wikipediaから引用すれば(注釈の番号は削除)、

2012年からは帰国して北海道日本ハムファイターズの球団通訳となり、ブランドン・レアードクリス・マーティンなど日本ハムに所属する外国人選手の通訳や生活のサポートを務めた。選手たちに「連絡があったらすぐ駆けつける」と約束し、選手の家族にまで配慮を行った

日本人選手からも好かれており、「一平ちゃん」との愛称で呼ばれた。また陽岱鋼(当時日本ハム所属)とは特に仲が良く、たびたびキャッチボール相手を頼まれた

マスメディアによる外国人選手たちへの取材に協力的で、記者たちから好評であった

大谷翔平の専属通訳として

2017年オフに日本ハム所属だった大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍したことに伴い、大谷の専属通訳としてエンゼルスに所属。通訳以外にも運転手キャッチボールの相手など、公私にわたり大谷をサポートしている

とあるくらいで、単なる通訳というのではなくて、なかなかのやり手のようですね。当方のように特に大谷について報道に着目しているわけではない人間でも、水原氏のお名前はよく耳にしていてその存在はおなじみでした。おそらく相当いいギャラももらっていたろうし、彼自身現在の自分の立場に関しても、非常に満足度は高かったのではないかと思います。

が・・・ご当人ご自分で認めるようにギャンブル依存症だったようですね。NHKの記事の続きを。


ギャンブル依存症とは
ギャンブル依存症は、競馬や競輪、パチンコといったギャンブルをやめたくてもやめられない状態に陥り、本人や周りの人たちの生活に支障が生じる精神疾患の1つで、借金をする、仕事や学業を休む、睡眠や食事がおろそかになる、周囲との関係が悪くなるといった特徴があると厚生労働省は位置づけています。

国内でも社会全体で予防を図ることが重要だとして、政府も基本計画を策定して対策に乗り出しています。

それによりますと、依存が疑われる人は成人の2.2%と推計しているということです。

ギャンブルにのめり込むことで、本人や家族の日常生活や社会生活に支障を生じさせるだけでなく、多重債務や犯罪といった重大な社会問題を生じさせる場合があるとして対策が必要だとしています。

ギャンブル依存症は、早期の支援や適切な治療で回復が十分可能だとしていて、政府は、地方自治体や事業者などと連携して必要な取り組みを包括的に講じていくとしています。


専門家 ”社会的に成功した人でも依存症のリスク” 
ギャンブル依存症の患者の治療にあたっている大阪精神医療センターの入來晃久医師は、依存症の人に見られる特徴について「基本的には日常生活や人間関係、仕事などに支障が出ているにもかかわらずギャンブルを続けてしまうのが特徴で、人間関係や社会的な地位を失ってしまうことにもつながる。患者は真面目な性格で物事に一生懸命取り組み、能力も高い人が多い気がする。社会的に成功した人であっても本音が言えなかったり、ストレスをため込んでいたりする人はギャンブル依存症のリスクがある」と指摘しました。

その上で対策については「正直に話せる場所や人がいることが非常に大切だ。患者本人は恥ずかしいとか自己責任だとか思ってしまいがちで、自分で何とかしようと考えて治療や支援につながらないことが対策が難しい理由になっている。周りの人も正しい知識を持って偏見をなくすことが大切で、患者を責めたりすることがないようにしてほしい。同じ依存症の人が集まる自助グループに参加したりするのも有効だ」と話していました。

というわけです。世の中死刑になるような重罪をした人間のなかにも、明らかにギャンブル依存症だったと思われる人物がいます。名古屋女子大生誘拐殺人事件泰州くん誘拐殺人事件長崎・佐賀連続保険金殺人事件など。上の引用での入来氏のお話にもあるように、


人間関係や社会的な地位を失ってしまう

ということもあるわけです。ギャンブルではありませんが、何らかの性依存の一種であると思われるこちらの件についてはどうか。私が何度もご紹介しているケースです。


日本IBM元社長を盗撮容疑で書類送検へ 警視庁
2012年8月30日 13:03

日本IBMの大歳卓麻元社長(63)が女性のスカートの中を盗撮したとして、警視庁四谷署が事情聴取していたことが30日、同署への取材で分かった。同署は元社長を東京都迷惑防止条例違反(盗撮)容疑で書類送検する。

四谷署によると、元社長は22日午前8時ごろ、JR四ツ谷駅構内の上りエスカレーターで、女性のスカート内を携帯音楽プレーヤー「iPod」の動画撮影機能を使って盗撮した疑いが持たれている。元社長は事情聴取に対し「盗撮に興味があった」と話したという。

iPodには動画が残っていた。盗撮に気づいた通行人と元社長が口論になり、別の通行人が交番に届け出たという。

日本IBMなどによると、元社長は今月、同社最高顧問を辞任。三菱UFJフィナンシャル・グループと明治安田生命保険、カルビー、TOTO、花王の5社で社外取締役を務めていたが、30日までに辞任した。総務相の諮問機関、情報通信審議会の会長も辞めた。

日本IBMの元社長が、金や女に不自由するわけがない。が、それでもこういうことをしてしまうわけです。さてさて、金銭のスケールは違うとはいえ、読者の皆様は、次のような記事を読んでどうお考えになりますかね?


消防職員の任意団体の資金約1000万円を横領 小樽市の50代消防職員が警察に自首していたことわかる
2024年 3月19日 19:02 掲載

小樽市の消防職員が、消防職員の任意団体の活動資金を横領し、警察に自首をしていたことがわかりました。

小樽市消防本部は19日、50代の職員が自らが事務局長を務める任意団体「小樽市消防職員行政研究会」の活動資金およそ1000万円を横領し、今月8日に警察に自首したと公表し、謝罪しました。
小樽市消防本部によりますと、2021年9月時点でおよそ1100万円あった任意団体の預貯金が現時点ではほとんどなくなっていて、資金は事務局長の職員が管理していたとのことです。
警察は、金の使い道や動機などについて詳しく調べています。

いろんなご意見はあるかもですが、この人が会計を任された背景には、たぶん「不祥事は起こさないだろう」という仲間内の判断があったはず。さすがに過去に金銭不祥事を起こした人に、こんな役割は託されないでしょう。が、それでもこの人は、事情は不明ですが、よろしからぬ不祥事を起こしてしまったわけです。

彼(女)がどういう理由で横領をしたのかは現段階定かでありませんが、やはり何らかの形での依存症のようなものがあるのではないかと思います。ギャンブルか女(男)か、あるいは何らかの浪費癖か。そのあたりは今後報道されるかもですが、それ相応の社会常識があると思われていた人間が、ここまでしてしまったわけです。

それで、窃盗症と思われる人間の不祥事というのもひどいものです。元記事はすでに削除されているようですので、拙記事からの再引用で。

窃盗癖というものは、かくのごとく他人の期待や情けを裏切り、迷惑をかける(性犯罪、アルコール依存、ギャンブル依存その他もご同様)


2023.08.22 18:45
万引きで逮捕の小学校教頭「以前にも万引き」懲戒免職に 校長は市教委に報告せず 大阪・堺市

 書店で万引きをしたとして逮捕された堺市立小学校の教頭(43)が、「以前にも万引きをした」と話していることが分かりました。教頭は22日付で懲戒免職となりました。

 懲戒免職になったのは堺市立小学校の男性教頭で、7月28日、堺市南区の書店で参考書1冊を盗んだ疑いで現行犯逮捕されました。

 堺市によりますと、教育委員会の聞き取りに対し、教頭は7月中旬と今年4月にも書店や量販店で商品を万引きしたと話していたことがわかりました。

 一方、4月に教頭が万引きし、警察から事情聴取を受けた際、上司の校長が身元引受人になっていましたが、校長が教育委員会に報告していなかったこともわかりました。

 校長は「教頭が泣きながら『絶対にもう二度としません』と話したため、報告していなかった」と話しているということで、堺市は22日付で教頭を懲戒免職処分に、校長を戒告処分としました。

こんな話は紹介したらきりがないのでもうやめますが、ともかく依存症というのは水原氏だろうが、日本IBMの元社長だろうが、校長に情けをかけてもらった堺市の教頭だろうが、なっちゃったら容易には克服できないということです。ともかく「これはまずい」と思ったら、やばくなる前に医者や自助グループほかに行くに限ります。あなただけのためじゃないよ、周りの人間のためでもあるんだよです。これも何回も引用している依存症についての金言をまたご紹介してこの記事を終えます。

これはなかなかの金言だと思う(というわけで、読者の皆さまにもご紹介)

依存症の分野では、それまで常識と考えられていたことが、次々に覆される。以下はパラドックスの例だ。

・手を放せ

・重症者の方が回復する

・やめようとすることをやめろ

・自分の意志を使うな

・病気になったことは恵み

・無力を認める

・嫌いな人は自分の鏡

・希望をもつのはいい。だが、期待するな

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スポーツの大きなイベントの地上波テレビ中継も、かなり厳しい時代になってきた感あり

2024-03-14 00:00:00 | スポーツ

記事を。


テレ朝 ゴルフの全英オープン中継から撤退へ 42年間放送も放映権料高騰で苦渋の決断
[ 2024年3月13日 03:00 ]

22年、セントアンドリュースの18番ホールでティーショットを放つ松山英樹
Photo By スポニチ
 ゴルフの海外メジャー「全英オープン」の中継からテレビ朝日が撤退する方向であることが12日、分かった。今季は7月18日から21日までスコットランドのロイヤル・トルーンで行われるが、5億円と言われる放映権料で折り合いがつかず、82年から42年続いた歴史に幕を閉じることになった。地上波によるスポーツ中継は他競技でも減少傾向にあり、転換期を迎えている。
 海外でのスポーツ中継は近年、放映権料が上昇の一途。複数の関係者によれば、視聴率が良くても採算が取れない状況が続いているという。ゴルフも例外ではなかった。1982年から昨年まで42年間、中継してきたテレビ朝日も5億円とも言われる放映権料がネックとなり、今回は苦渋の決断となった。

(中略)

 一方でサッカーのW杯アジア予選が同じく放映権料の高騰により地上波中継が減少。また井上尚弥が4階級制覇をするなど盛り上がったボクシングも昨年の世界戦は全てインターネット中継へと移行した。全英も流れにあらがえなかった。現時点では代理店の打診に対し、テレビ朝日に代わって中継の意向を示す他のテレビ局はなく、動画配信サービスのU―NEXTが交渉を進めている。男子ゴルフ関係者は「日本でメジャー中継が減るのはゴルフ界にとって衝撃」と明かす。今季の海外メジャーを地上波で見られるのはTBSによる4月のマスターズのみとなる。

〈中略)

 ≪五輪はNHKと民放で放映権共同購入≫スポーツコンテンツの動画配信サービスへの移行が相次ぐ中、五輪は地上波中継を維持している。NHKと民放各社が枠組みを超えて番組を共同制作する放送機構ジャパンコンソーシアム(JC)を組織して放映権を購入。国際オリンピック委員会(IOC)に支払う額は22年北京五輪と今夏のパリ五輪の2大会で440億円に上る。

 既にJCは、26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪、28年ロサンゼルス五輪、30年冬季五輪(フランス・アルプス地方が有力)、32年ブリスベン五輪の4大会の放映権獲得もIOCと総額975億円で合意済み。NHKと民放連の放映権料の折半比率は非公表だが、7対3程度とされる。今後さらに放映権が高騰すれば、JCから撤退する民放が出る可能性もある。34年冬季五輪以降も地上波放送が継続できるかは不透明な部分も多い。

 ≪カタールW杯は地上波3局撤退≫22年W杯カタール大会では放映権料が約350億円とも言われるほど高騰、国際サッカー連盟(FIFA)とジャパンコンソーシアム(JC)の交渉がまとまらず、日本テレビ、TBS、テレビ東京の地上波3局が撤退した。14年W杯まではNHK、民放が共同で放映権を購入していたが、18年W杯ではテレビ東京が撤退するなど地上波によるW杯中継は年々、困難な状況となっている。

私はゴルフを観ないので、この件で鑑賞しにくくなったという遺憾な心境のようなものはないのですが、ただその後の解説のくだりにもありますように、


スポーツコンテンツの動画配信サービスへの移行が相次ぐ

ということに話はつきますね。もはや30年も前の話になりますが、1994年12月4日にあった薬師寺保栄_対_辰吉丈一郎戦では、Wikipediaから引用すれば、

ボクシング史上初の日本人同士による世界王座統一戦であり、日本中から大きな注目を集めた。事前に興行権入札が実施され、薬師寺陣営が落札した。両者で繰り広げられた激しい舌戦と1億7000万円とも言われた破格のファイトマネーも話題になった

入札に至った背景には両陣営のテレビ放映権がネックとなり興行権がまとまらなかったことにある。薬師寺陣営はTBS系列中部日本放送、辰吉陣営は日本テレビ系列よみうりテレビがそれぞれ放映権を持ち、開催地も薬師寺陣営は名古屋、辰吉陣営は大阪または東京、それぞれ主張し、どちらも譲らなかったためである。入札には両陣営に加え、世界的プロモーターのドン・キングも参加したことも大きな驚きとなった

試合は中部日本放送製作TBS系列で生中継され、視聴率は関東地区39.4%、関西地区43.8%、東海地区52.2%を記録した。ラジオも中部日本放送製作JRN16局ネットで生中継された。

ということになったわけです(注釈の番号ほかは削除。以下の引用も同じ。)。以上の記述で分かるように、ボクシングの有力選手の所属するジムには、テレビ局がついていました。で、そのような蜜月関係が、井上尚弥の試合のテレビ中継が、動画配信サービスに移行したということで分かるように、成立しにくくなりました。井上レベルの傑出した選手の試合も地上波での放送がされなくなり、このままではサッカーのワールドカップの今後の中継も怪しいし、オリンピックの中継すらどうなるか予断を許しません。

そう考えていくと、やはり地上波でスポーツを観るというのが、どんどん難しくなるというのはこれは避けられませんね。こんなことを書いている私自身、昨今ろくに地上波を観ていない(苦笑)。最近見ているのは、NHKのニュースとドキュメント(これは民放もふくむ)ばかりであり、あとはCSで、昔のドラマを観ることが多い。つまりは私がそんな年齢になったということでもありますが、昔ながらの無骨なドラマが面白いということもあります。

偶然読んだ井上尚弥の本から引用した記事に、次のようにありました。


ボクシングの世界でビッグマネーを手にできるのは海外のリングだ。「WBSS」や「SUPERFLY」といったイベントが誕生してきたが、世界のボクシングビジネスの世界では、軽量級はまだ市民権を得るに至っていない。中量級、重量級とは人気もファイトマネーの桁も違う。

ミドル級の統一王者、サウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)は、有料のスポーツ通信メディアである「DAZN」と、5年11戦で総額3億6500万ドル(約390億円)のメガ契約を結んだ。

というわけです。日本のテレビ局などではちょっと手に負えない金額が動いているわけで、この傾向はたぶんこのままますます進むのでしょうから、これはペイ・パー・ビュー(PPV)など、いままで日本では必ずしも使われたがらなかったシステムも、導入、一般的になることが加速するかもしれません。とくにゴルフはそうでもないかもですが、ボクシングを始めとする格闘技は、PPVとは相性がいい。

私は、現在BSとは契約しているし、複数のCSのパッケージされたセットを業者(JCOM)と契約していますし、あるいはパッケージされていないチャンネルを、自分の観たい番組の放送予定がある際に契約したことがありますが、PPVを観たことはありません。私が観るのは、映画や昔のドラマのことが多く、いまだそれを目的に契約してスポーツ中継を観たことはありません。しかしこのままでは、私も、PPVほかの手段でスポーツ中継を観る日はそんなに遠くないかなと思います。実際テニスも、全米オープン

2021年現在、アメリカではESPNが、日本ではWOWOWが放送している。地上波では、2014年大会に限り、錦織圭が男子シングルス決勝に進出したため、NHKが録画中継した。

2015年以降、ESPNがアメリカでの独占放映権を獲得。1968年よりシングルス決勝などを放送していたCBSは、2014年大会を最後に撤退した

であり、全仏オープンは、

フランス国内ではフランス・tv(2027年まで[7])とPrime Video(ネット放送(コート・シモーヌ・マチューとナイトセッション))で、アメリカ国内ではNBCテニス・チャンネルなどで放映されている

日本では2023年現在、衛星波でWOWOW放映権を持っている。また、WOWOWオンデマンド(ネット放送)も同時に行われている

2021年までは地上波としてはテレビ東京も放映されていた。なお、民放局ではテニスの四大大会を中継していたのはテレビ東京が唯一でもあった

という状況、全豪オープンは、

オーストラリア国内ではナイン・ネットワークで放映され、男女シングルス決勝は現地時間で夜間に開催される。

2022年現在、日本国内ではWOWOWで放送されている

衛星波については、WOWOWが開局直後の1992年より保有している過去においては、地上波ではテレビ東京による民放中継が2001年まで男女シングルス決勝戦のみ行われていたが、2002年以後は取りやめになった。さらにそれ以前は讀賣テレビ放送を制作局として日本テレビ系列向けに1988年から1991年まで放送していた。2012年以降は日本放送協会(NHK)が一部試合の放送を行っていたが、2015年に地上波の放映権を獲得。原則としてミッドナイトチャンネル枠での録画中継となるが、錦織圭大坂なおみなど日本人注目選手が出場する場合、生中継を実施している。ただし、NHK総合のマルチ編成「サブチャンネル」を活用して錦織圭/大坂なおみ選手の試合を中継することもある。その後も2021年まで放送していた。

となっています。ウィンブルドン選手権(全英)は、

2018年現在、日本ではWOWOWが衛星放送権を、NHKが地上波放送権を持つ。

過去の放送権については、日本ではシングルスはテレビ朝日(~1986年。当時の放送時間は準決勝までは深夜枠にて、女子のシングルス決勝は土曜日のニュース最終版終了後の深夜枠にて衛星中継、男子シングルス決勝は「日曜洋画劇場」を休止して衛星生中継で放送していた。途中ニュース最終版などの挿入による中断あり)→NHK(1987年以降~)、ダブルスはGAORAで長年放送されていた。シングルスはNHKデジタル衛星ハイビジョンで全日程生中継され2003年まではNHK衛星第1テレビ(年によっては衛星第2テレビ)でも大半の試合を生中継していたが、年々NHKがウィンブルドン放送を担当する時間は大幅に減少していき2008年からはNHKに替わってWOWOWがウインブルドンの衛星放送権を獲得している。

NHKは地上波総合テレビのみでの放送となり、毎日24時台~4時15分の日付起点時間までの終夜体制で録画中継を行う。生中継は一旦廃止されたものの2012年から男子シングルス決勝と女子シングルス決勝の生中継が復活した。また大会終了から1週間後に衛星第1でシングルスの決勝戦を2時間程度にまとめた録画版を放送している(2009年の男子は試合が長引いたので3時間程度のものになった)。

というわけで、現状ウィンブルドンのみ地上波での放送がありですが、こちらのほうもどうも放送時間の縮小の傾向は贖えそうもありありません。いずれにせよ四大オープンを観たいのなら、WOWWOWと契約せいということです。上の引用でもわかりますように、米国ほかでも配信サービスに押され気味ですね。英国は、BBCが頑張っているようです。

個人的には、やっぱり地上波でいろいろなスポーツイベントを鑑賞できればそれに越したことはないと思うものですが、あまり先行きは明るくなさそうです。

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これは金言だと思う(当然の発言であるが、それができないから不要な苦労をするのだ)

2024-02-09 00:00:00 | スポーツ

先日ちょっと読んだ記事で(当然ではありますが)なかなかのいい言葉だと思う発言がありました。1987年に横浜大洋ホエールズ(当時)に入団、その後巨人とヤクルトスワローズで活躍した後1998年に現役を退いた大野雄次氏の発言です。大野氏は、東京・三田でうなぎ屋を経営していましたが、先月(2024年1月)いっぱいで閉店したとのこと。以下の引用で、色の変化と太字は引用者によるもの。


 現役引退後、飲食業界に参入する元プロ野球選手は多い。しかし、何年も生き残り続けることができるのは、ひと握りだ。大野はどうして成功したのか? どんな心構えで仕事と向き合ってきたのか?

「大見栄切って、単価の高い店ではなく、地道に安い単価でやってりゃ、そんなに失敗はないと思うけどね。飲食の場合、大切なのは店主として、自分がいつも店にいるかどうかということ。人任せにしたり、大儲けしようと考えたりすると失敗するんじゃないのかな?」

 そして、大野は「元プロ野球選手としてのプライド」について言及する。

「頼まれていまも野球教室をすることもあるんだけど、グラウンドでは“元プロ野球選手だ”ってプライドを持って、子どもたちを指導しているよ。でも、この店ではプロ野球選手だとかどうとかを意識したことはないよ。だって、まったく別の世界なんだから」

 新しい世界に飛び込んでも、「プライドが邪魔をしてうまくなじめない」という話はよく聞く。大野は、それを笑い飛ばした。

「オレがこの店を辞めて、ガソリンスタンドで働くとするじゃない。そこで元プロ野球選手のプライドを発揮してどうするの? ネームプレートに《元プロ野球選手・大野》って書くわけにもいかないでしょ? そんなヤツがいたらバカみたいじゃない。下手なプライドが邪魔するケースをオレもたくさん見てきたけどさ

 大観衆が見守る華やかな世界で生きてきた人間が、そう簡単に気持ちを切り替えることができるのだろうか? そんな質問を投げかけると、社会人野球経験者の大野は鼻で笑った。

「あのね、オレは社会人で7年やってたんだよ。最初から、そんなことは理解していたよ。当然のことだよ」

大野氏は、専修大学を中退後川崎製鉄千葉に入社、社会人としてドラフト会議で指名された際は、すでに子どもさんまでいたとのこと。

で、この記事を読んで思い出したのが、昨年のちょうど今頃に発表した記事です。

元プロ野球選手のセカンドキャリアの関係もふくめていろいろ考えさせられる(入来智氏の事故死によせて)

元プロ野球選手の入来智が亡くなったのが昨年の2月10日でした。上の拙記事で引用した記事を再引用します。

> 
当時入来氏は浪費や離婚による慰謝料などで野球選手時代の貯金は底をつき、故郷・宮崎に戻ってもコンビニのアルバイトや酒造メーカーでの短期雇用など日銭を稼ぐその日暮らし。たまたま聡子さんが経営する美容室の前を通りがかったことで再会し、再び交際に発展。結婚することになった。

 次に入来氏が就職したのは聡子さんの兄が家業を継いで経営する仕出し弁当店。子宝にも恵まれ第2の人生を歩み始めたが、2年後に店を飛び出すことになる。から揚げの揚げ方など弁当作りで細かく注意されることが耐え切れなかったのだという。

 入来氏は「自分の中で野球やってたプライドも多少あるんですよ、やっぱり。心の調整ができなかったです」と当時を心境を口にし、聡子さんも「俺様を何だと思ってるのよ、みたいな。俺は入来やぞ、みたいな感じのところがすごく出ていた」と夫の姿勢を振り返った。

 それから仕事もせずに聡子さんの美容室に入り浸るようになる入来氏。その体たらくを見かねた聡子さんは大きな決断をする。「美容室を辞めた方がお互いに2人で頑張っていけるのかなって思って思い切って辞めました」。

 大きな起爆剤を与えられても入来氏はなかなか定職につけないまま。せっかく見つけた住宅メーカーの営業職も一時は精を出していたものの1年で退職してしまった。

 どうすれば夫は第2の人生をまっとうに歩めるのか。悩み抜いた聡子さんは「あの人は私がいない方が、ひとりで頑張れるのかもしれない」という結論に至る。そして離婚話を切り出すと、入来氏はかたくなに拒否。「野球しかしてこなかったから…。野球以外に何していいかわからない」と、これまでの苦しみや胸のうちを全て吐露し、号泣した。

大野氏は能力の高い人間であり、またご当人も語るように7年間の社会人経験がありました。おそらく彼は、社会人時代に、それ相応の経験をしていて、「野球馬鹿」ではなかったのでしょうね。入来氏も高卒→社会人(三菱自動車水島)のあとプロへ行きましたが、3年間の社会人生活では、野球しかしなかったのでしょう。それで入来のいう


自分の中で野球やってたプライドも多少あるんですよ

というのは、「多少」じゃありませんよね(苦笑、いや笑っちゃ悪いか)。おそらく彼のアイデンティティのすべて、そうでなくてもほとんどのはず。

なお記事を読んだ限りで私の感想を申し上げますと、入来兄って、発達障害めいたものもあるんじゃないかという気がしますが、実際のところはわかりません。ただそれにしても、障害があるのならその点を考慮する必要があるかもですが、社会常識というレベルで話をするのなら、「甘ったれるのもいいかげんにしろ」と言われても仕方ないと思います。が、それはともかく。

入来兄の10年間で10回転職したとかいうのもなかなかすさまじいですが、最終的にどうなったかはわかりませんが、少なくとも記事がかかれたこの当時は、大野氏のいう「下手なプライドが邪魔」した典型的なケースではないか。ほかにも具体的な固有名詞をあげるのは避けますが、下手なプライドがたたったために、よろしくない不祥事を起こしたプロ野球選手もいるわけです。

プロ野球選手とか芸能人、あるいは中央官庁の役人や政治家なんかもそうかもしれませんが、それなりに世間から注目を集めたり、あるいはそれ相応に敬意をもって扱われる仕事をしてきた人たちが、過去の威光が役に立たない仕事についたら、過去とは決別ですからね。過去のいらない記憶や栄光を引きずっても生きにくいだけです。そんなことは当然ですが、その当然のことができないと、入来兄みたいにいらない苦労をするわけです。弟の入来祐作が、二軍の用具係というシビアな立場に耐えたのも、自分の兄貴がいろいろ苦労しているところを目の当たりにして、自分はああはなりたくないと思ったということもあるはず。

いずれにせよ入来兄のようなおそらく発達障害がある可能性のある人には、親なり奥さんなりなんなりが、財布を抑えるなり、むりやりでも働かせるなりする必要がありそうですね。「自由」にさせるとろくなことがない。残念ですが、そういうことだと思います。だれもが、大野氏のようにちゃんとできるわけではない。

大野雄次氏の今後のご活躍を祈ってこの記事を終えます。

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1974年のFIFAワールドカップ西ドイツ大会のレジェンドたちも、だいぶお亡くなりになっている

2024-01-17 00:00:00 | スポーツ

フランツ・ベッケンバウアーがお亡くなりになりましたね。記事を。


サッカー 「皇帝」ベッケンバウアーさん死去 旧西ドイツ名選手
2024年1月9日 19時30分 

1974年のサッカーワールドカップで当時の西ドイツを優勝に導き「皇帝」と呼ばれた名選手、フランツ・ベッケンバウアーさんが死去しました。78歳でした。

これは、ドイツサッカー連盟が8日、発表しました。

ベッケンバウアーさんは、1974年、当時の西ドイツ代表のキャプテンとして地元開催のサッカーワールドカップに出場してチームを優勝に導き、試合の流れを支配する冷静かつ華麗なプレーで「皇帝」と呼ばれました。

また、1990年のワールドカップイタリア大会では監督として西ドイツ代表を率いて優勝を果たしました。

その後、ベッケンバウアーさんは、2006年のサッカーワールドカップのドイツへの招致活動に先頭に立って取り組みました。

ドイツサッカー連盟によりますと、ベッケンバウアーさんは7日に死去しました。78歳でした。

これを受けてベッケンバウアーさんの死を悼む声が国内外から上がっていて、ドイツのショルツ首相はSNSで「ドイツにとって最も偉大な選手であり、多くの人にとっての『皇帝』だった」と功績を称えました。

また、UEFA=ヨーロッパサッカー連盟も「ヨーロッパで最も偉大な選手の1人が亡くなった。『皇帝』は並外れた選手で、監督としても成功した」とSNSに投稿しました。

フランツ・ベッケンバウアーさんとは 
フランツ・ベッケンバウアーさんは、1960年代から1980年代にかけて活躍した当時の西ドイツの名選手です。主にディフェンダーとしてプレーしながら攻撃力も兼ね備え、背筋を伸ばした優雅なプレースタイルと冷静沈着な統率力から「皇帝」と呼ばれました。

1964年に地元のクラブチーム、バイエルンミュンヘンとプロ契約を結び、1966年には20歳で西ドイツ代表としてワールドカップイングランド大会に出場してチームの準優勝に貢献しました。

1970年のメキシコ大会でも中心選手として活躍して3位となり、1974年地元開催となった西ドイツ大会はキャプテンとして卓越したリーダーシップでチームを2回目のワールドカップ優勝に導きました。

また、現役引退後の1984年には西ドイツ代表の監督に就任し、1990年のイタリア大会では接戦を次々とものにして監督としてもワールドカップ優勝を成し遂げました。

その後はバイエルンミュンヘンの会長としてクラブの経営に携わったほか、2006年ワールドカップドイツ大会の大会組織委員会のトップやFIFA=国際サッカー連盟の理事を務めるなど多方面で活動していました。

日本サッカー協会 川淵三郎 相談役「いつも紳士的で優しかった」
フランツ・ベッケンバウアーさんが亡くなったことを受けて、日本サッカー協会の川淵三郎相談役は協会を通じてコメントを出し、2006年のワールドカップでドイツに渡航した際、ゴルフを一緒に楽しんだことが思い出されるとして「ボビー・チャールトン氏に続き偉大なる名選手が亡くなったのは寂しいかぎりだ。『カイザー』のニックネームが示すとおり、いつも紳士的で優しかった。あれほどのスターとお付き合いできたことは、今思えば夢のようだ。ベッケンバウアーさん、安らかにお眠りください」などとしています。

日本サッカー協会 田嶋会長「サッカーの発展に多大なる貢献」
日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「長年、憧れ続けていた往年の名選手がいなくなったことが残念でならない。選手として、監督として、FIFA理事として、世界のサッカーの発展に多大なる貢献をされた。ベッケンバウアーさんが安らかな眠りにつかれますよう心よりお祈りします」などとコメントしています。

で、74年の英雄たちも、だいぶお亡くなりになっていることに気づきますね。ヨハン・クライフは、すでに2016年にお亡くなりになっています。この時は私も記事を書きました。

ヨハン・クライフが亡くなった

西ドイツのストライカーであるゲルト・ミュラーは、2021年に亡くなっています


「爆撃機」ゲルト・ミュラー氏死去「皇帝」も圧倒したゴールへの執念
[2021年8月15日23時13分]


「爆撃機」と呼ばれた元西ドイツ(当時)代表FWゲルト・ミュラー氏が15日に死去したと、同日にバイエルン・ミュンヘンが発表した。75歳だった。

同氏は同クラブに15年間在籍し、ブンデスリーガ歴代最多となる365ゴールをマーク。代表チームでは72年欧州選手権、74年W杯ではいずれも決勝戦でゴールを奪って、優勝の原動力となった。野性味あふれるプレースタイルも含め、「記録」にも「記憶」にも残る伝説的ストライカーだった。

   ◇   ◇   ◇

Bミュンヘンによると、ミュラー氏は15日の早朝に夫人と娘を残して亡くなったという。死因は明らかにされていない。

偉大な記録の持ち主だった。1964年にBミュンヘン入りし、同クラブで607試合で566ゴールを挙げ、7回の得点王。71-72年のリーグ戦での40得点という数字は、現在Bミュンヘンのエースであるレバンドフスキが20-21年に41得点するまで、半世紀近く破られなかった。その決定力の高さと、どんな体勢からでも泥臭くゴールを奪うことで「デル・ボンバー(爆撃機)」と呼ばれ、相手から恐れられた。

73-74年から欧州チャンピオンズ杯(現在の欧州CL)3連覇を果たし、自国開催だった74年W杯決勝ではオランダから決勝ゴールを奪った。クラブでも代表でも同志で“同部屋のパートナー”“兄弟”と振り返る「皇帝」フランツ・ベッケンバウアー氏は昨年、「ゴールへの執念は、仲間までも圧倒した」「今後100年間、人々は彼について語り続けると確信している」と話していた。

引退後、一時はアルコール依存症に苦しみながら、元チームメートの支えで克服したとも伝えられ、Bミュンヘンでユース世代のコーチなども務めた。15年にはアルツハイマー病の治療を受けていることが発表されていた。同クラブのCEOであるオリバー・カーン氏は「彼の業績は比類ないもので、Bミュンヘンとドイツサッカー界の偉大な歴史」とその死を悼むとともに、選手としてだけでなく人柄にも敬意を表する声明を発表している。

<ゲルト・ミュラー>

◆生まれ 1945年11月3日、西ドイツ・バイエルン州ネルトニンゲン

◆所属クラブ 地元のクラブでキャリアをスタートし、64年にバイエルン・ミュンヘンに入団。15季プレーした後、米国のクラブに移籍し、82年に現役引退。

◆タイトル 西ドイツ代表では72年欧州選手権、74年W杯で優勝。Bミュンヘンではリーグ優勝4回、欧州チャンピオンズ杯3回。個人ではブンデスリーガで7度の最多得点。70年W杯でも1大会10ゴールを挙げて得点王に輝いた。

◆リトル・ゴール 175センチ、77キロと、ずんぐりとした体形ながら脅威の得点力を見せ、ペナルティーボックス内、至近距離からの「リトル・ゴール」を積み重ねた。いわゆるゴールへの嗅覚が鋭かった。

◆歴代最多得点 Bミュンヘンでは公式戦通算607試合566得点。ドイツ1部リーグ通算427試合365得点。西ドイツ代表では通算62試合68得点。W杯での通算14得点は06年ドイツ大会でブラジル代表FWロナウドに抜かれるまで個人通算最多だった

そしてそのミュラーに決勝で勝負を決する2点目を取られたオランダのゴールキーパーであるヤン・ヨングブルートも、昨年お亡くなりになりました。彼は、キャッチングなどがものすごく秀でていたわけではないのですが、勇敢にゴールを飛び出してスウィーパーのような役割もなすくらい足技がすぐれていたわけで、現在のGKのさきがけのようなスーパーGKだったわけです。ちなみにオランダでは、大会前彼は第3GKくらいの扱いでしたが、レギュラーGKのケガや、クライフの推薦で、ヨングブルートが起用されたとのこと。

日本でも監督を務めたオランダのヴィム・ヤンセンは、22年に亡くなりました。かれもミュラー同様認知症だったとのこと。

ちょうど今年で50年になりますので、選手たちがお亡くなりになるのも仕方ありませんが、ブラジル代表監督だったマリオ・ザガロ氏もお亡くなりになりました。70年大会では優勝を勝ち取り、74年ではオランダに撃破され、3位決定戦にポーランドに敗れ4位でした。西ドイツを率いたヘルムート・シェーン監督は96年に、サッカー史上最高の監督とまで言われるオランダのリヌス・ミケルス監督も、2006年に亡くなっています。

ベッケンバウアー氏やヨングブルート氏ほからのご冥福をお祈りして、この記事を終えます。

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知名度と実績が大幅に解離するのはアスリートとしても辛いところだと思う(本田真凛の引退)

2024-01-15 00:00:00 | スポーツ

フィギュアスケートの本田真凜が引退を発表しましたね。記事を。


本田真凜が引退会見「幸せな競技生活だったと思います」晴れやかな表情で語る
[ 2024年1月11日 14:06 ]

 フィギュアスケートの16年世界ジュニア選手権女王の本田真凜(22=JAL)が11日、都内で引退会見を開いた。
 約100人のメディア関係者が集まった中で、白いスーツに身を包んだ本田が口を開いた。「今シーズンをもちまして選手生活を終える決断をしました。たくさんの方に応援していただいたこと、本当にありがとうございました」と感謝の意を述べ、「スケートを始めてから今年で21年目になるんですが、こんなにも長い間、私のスケートに携わってくださったみなさんに感謝しています。見守ってくれたからこそいろんなうれしさに出会え、いろんな葛藤に向き合って乗り越えてこられた。私のこれまでの人生はどんな時を振り返っても全ての思い出にスケートがあります。幸せな競技生活だったと思います」と晴れやかな表情で語った。

 妹の望結、紗来とともにスケート一家として知られる本田は2歳から氷に乗り、ジュニア時代に頭角を現した。16年に世界の頂点に立ち、17年同大会でも平昌五輪金メダルのザギトワ(ロシア)に次ぐ銀メダル。一方で17年のシニア転向後は伸び悩み、モチベーションの低下にも苦しんだ。21~22年以降は日本連盟の強化指定選手から外れたが、明大4年で最終学年となる今季まで競技は続けると決めていた。

 昨年12月の全日本選手権はショートプログラムで最下位の28位(44・42点)。2年連続で上位24人のフリーに進めなかった。右骨盤を痛めた中での強行出場で、回転不足ながら3回転サルコーを着氷した。取材では今後について「お答えできることは今の時点でない」と話すにとどめていたが、5日に現役から離れることを所属事務所が発表した。

  ◇本田 真凜(ほんだ・まりん)2001年(平13)8月21日生まれ、京都市出身の22歳。5人きょうだい3番目の次女。2歳からスケートを始め、12年全日本ノービス選手権ではBクラスで歴代最高点を出して優勝。18年4月から関大高から青森山田高に編入し、1年ほど拠点を米国に置いた。明大4年在学中。全日本選手権の最高成績はジュニアながら出場した16年の4位。男子で世界選手権2連覇中の宇野昌磨(トヨタ自動車)と交際中。1メートル63。

上にもありますように、


昨年12月の全日本選手権はショートプログラムで最下位の28位(44・42点)。2年連続で上位24人のフリーに進めなかった。

ですからね。ご当人大学4年までは競技を続けるという意志だったとのことで、正直最後の2年くらいは、出るのもつらいというところがあったんじゃないんですかね。で、成績はしょうがないですが、上の記事にもあるように、


ジュニア時代に頭角を現した。16年に世界の頂点に立ち、17年同大会でも平昌五輪金メダルのザギトワ(ロシア)に次ぐ銀メダル。

というわけで、将来を嘱望されていたわけですが、その後は21年~22年シーズンから強化指定選手を外されるということになったわけです。相当本人も悔しかったはず。

で、それにもかかわらず自分が知名度が高く、マスコミでも大きく取り上げられるというのは、彼女にとって非常に苦しかったんじゃないんですかね。それで私が思い出すのが、ビーチバレーの浅尾美和ですね。彼女の引退の際に、私も記事を書いています。

浅尾美和の引退にちょっと思うところ

残念ですが、彼女は美人でスタイルがいいということが注目されましたが、実力はオリンピック出場に及びませんでした。が、彼女の場合実力よりもその美貌で事実上ビーチバレーの宣伝素材としての役割でしたからね。彼女の全盛期は、ほかはともかく浅尾の名前は知っていたという人も多かったはずで、正直彼女も、本来トレーニングしなければいけないときにグラビア撮影とかをしたわけです。一番ひどかったのが、北京五輪の際のレポーター起用でしょう。この時は相当にアスリートから嫌がられたらしい。それは当然な話で、彼女が取材に来たって多くのアスリートは不快なだけでしょう。てめえみたいに半分芸能人みたいな人間なんかと話ができるかと思われてもしょうがないでしょう。オリンピックに出るアスリートは、それこそ自分のいろいろなことを捨ててオリンピック出場を勝ち取ったわけですから。

もちろん本田は、そこまでひどいことはなかったとは思いますが、それでも芸能事務所(オスカープロモーション)に所属していた時代もあったというのは、あまりいい顔はされなかったかもしれません。JALに所属するという恵まれた立場であったことも、やはり実績とのギャップがあったはず。そして冒頭に掲載させたいただいた写真などでも彼女は笑顔です。どちらかというと、苦しさから解放された喜びがあるのでしょうね。本来彼女はもっと早く引退したかったのでしょうが、待ちに待った日というと厳しいかもですが、現役最晩年は、早く引退したいと考えていたのかもしれません。おそらく自分の知名度と実績のギャップに苦しんだのではないか。そういう点では、ほんと大変だったと思います。

彼女は今後プロスケーターとして活動するとのことですので、そちらの方が彼女ものびのびとできると思います。もう少し早く引退しても誰も何も言わなかったのでしょうが、でも彼女にとっては、学生の間は現役のアスリートであるということが、自分に課した最低の目標だったのでしょう。お疲れさまでした、今後も頑張ってくださいともうしあげてこの記事を終えます。なお上の写真は引用した記事より。下は、こちらより。昨年の日本選手権のSPでのものです。

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これもけっきょく暴力の連鎖だと思う(NPB安楽智大の暴力と宝塚歌劇団などの不祥事)

2023-12-07 00:00:00 | スポーツ

やや旧聞で恐縮ですが、プロ野球選手である東北楽天ゴールデンイーグルス所属である安樂智大(以下面倒につき、引用を除いて「安楽」と新字体で表記します。乞うご容赦)が、球団内でいろいろよろしからぬことをしたということで、球団側から来年度の契約を更新しない(自由契約とする)という措置を受けました。いろいろ報道されていますが、Wikipediaから引用すれば、


2023年11月25日の朝に複数のメディアが安樂のパワーハラスメント加害疑惑を報じた。報道された内容は以下のとおり。

「アホ」「バカ」など、日常的な後輩選手への暴言や人格否定
後輩選手を食事へ誘う際、1か月先の予定を聞いて何度も参加を強要する行為
食事会の参加を断る回数が多い選手には態度を豹変させ、断った日の深夜に執拗に電話をかける・翌日にあいさつを無視する・「罰金」と称して金銭を強要するなどの行為
球場のロッカールームにて、若手選手を逆立ちさせて身動きが取れない状態にし、ズボンとパンツを脱がせ、露出した陰部に靴下を被せて笑いものにする行為
2021年の春季キャンプ中に選手(報道時点で楽天を退団済み)の頭部を平手でたたいた暴力行為

というものです。注釈の番号は削除します。

正直「これ刑事事件だよなあ」と言わざるをえないもの(ロッカールームの件なんて、一発通報でしょ)があるので、楽天球団側の契約更新せずという判断も当然というものでしょう。で、これ球団フロントだって、選手からの訴えがある前からある程度把握していたんじゃないのとか、一部有力選手が安楽を止めるべきだったとか、いろいろ考えなければいけない部分がありますが、この記事ではその件については触れないとして、やはり安楽という人物は、高校生の時代からよろしからぬところがあったようですね。つまり安楽が在籍していた高校でのトラブルです。


済美いじめ「悪質」1年間対外試合禁止
[2014年9月10日7時1分 紙面から]


 日本学生野球協会は9日、都内で審査室会議を行い、2年生6人による1年生19人への悪質な部内いじめがあった済美高(愛媛)に、8月9日から来年8月8日まで1年間の対外試合禁止処分を科した。1年間は対外試合禁止処分としては最も長い期間で、来春センバツはもちろん、来夏の甲子園出場も絶望となった。

 済美高は春夏の甲子園に通算6度出場し、春は優勝と準優勝、夏も準優勝の実績がある強豪。4月末以降、2年生が1年生に対して、恒常的に顔や腹部などへの暴力を振るい、被害部員が19人と多かったことも、重い処分につながった。

 主ないじめは

 ◆カメムシ事件

 4月の練習試合中、2年生2人と1年生1人がボールボーイ役を務めた。2年生1人が1年生に対してもう1人の2年生にちょっかいを出して怒らせるように指示。怒った2年生が、棒で拾った死んだカメムシを食べるか、灯油を飲むかの選択を迫り、1年生はカメムシを3秒間口に含んで、吐いた。

 ◆ケンカ事件

 5月31日の練習前、2年生4人が1年生同士でケンカをさせることを発案。順番に7組ケンカさせ、「もっと強く殴れ」などと指示した。主導した4人のほか、2年生5人が傍観していた。

 他にも練習中の態度などを理由に、尻をバットでたたいたり、至近距離から硬式ボールを投げ付けたりと日常的に暴力を振るった。レギュラー組が遠征時などが多く、日本高野連・西岡宏堂審議委員長は「悪質で、根が深い」と言った。

 同校野球部には、ドラフト1位候補の安楽智大投手(3年)が所属していた。8月初旬に問題が発覚してから活動を自粛し、秋季愛媛大会への出場を辞退。今月2日には、04年センバツで初出場初優勝に導いた上甲正典監督(享年67)が、胆管がんのため死去した。

記事にもある上甲正典監督は非常に厳しい指導で知られており、まあはっきり言って鉄拳制裁を辞さないタイプだったのではないか。また彼は、Wikipedialから引用すれば


初戦の三重との試合の前の取材では、「球数の問題はプロでもよくいいますね。でもそれは日本の伝統ある高校野球にはそぐわない。肉体の限界を精神力で乗り越える。武士道精神のような厳しさもまた高校野球だと思います」と述べていた。同大会において、地方大会から甲子園敗退まで全イニングを安樂に投げさせた采配などが、高校球児の登板過多問題の一例として一部で取り上げられることもあった。

と発言したくらいで、つまりはかなり古色蒼然とした指導者、生徒にも無茶をさせる人物だったと思われます。そもそも済美高校という高校自体もともと女子高で、2002年度から男子も入学し、その前年の2001年に


同年9月10日に野球部の創部とともに初代監督に就任することが発表された。

というわけで、つまりはこの高校の野球部は、まさに上甲監督の力がすべてだったと思います。なにしろ部の卒業生すらいなかったのだから、あらゆる部分が彼の力によるものではなかったか。そしてそういう高校で上の引用でご紹介した不始末が生じたとなれば、つまりは監督の影響がきわめてその背景にあったと解釈されても仕方ないでしょう。こういっちゃなんですが、上甲監督が絶対そういうことを許さないという態度で接すれば、そんなことが起きるわけがない。

上の不祥事は2年生がしでかしたということで、安楽自身は不問でしたが、「いや、安楽だってかかわっていた」という話もある。そのあたりの真偽はともかくとして、やっぱり彼のプロ(NPB)になってからしでかした不祥事というのが、上に引用したような代物で、とてもまともな大人がするようなものではないということは、高卒でプロに入った彼の高校時代の影響の故でしょう。彼だって、おそらく上甲監督や諸先輩の薫陶(?)を受けなければ、ここまでひどいことはしなかったのではないか。

それで先日私、『拝啓天皇陛下様』という映画を観ました。兵隊作家である棟田博の原作で、野村芳太郎監督の作品です。渥美清が無学な主人公を演じ、長門裕之が兵隊仲間のインテリ兵を演じていました。役名は「棟本博」で、つまりは程度の差はあれ原作者の棟田氏自身を投影しているということでしょう。で、軍隊に入ったら、2年目の古兵(西村晃がさすがの演技を見せてくれました)からいじめられます。古兵が満期となり、二年兵になった渥美と長門らは、今度は新年兵をいじめるわけです。これは、軍隊での毎度おなじみの年中行事でしたが、これだって、西村だって、渥美も長門も、さらには同じく同年兵を演じた桂小金治も、そのほとんどは軍隊以外では、そんな無茶はしないはず。これも暴力・虐待の連鎖です。

そして、これは宝塚歌劇団も同じでしょうね。これも先輩らから代々受け継いでいるよろしからぬ伝統がひどくなった。けっきょく昔ながらの時代錯誤な育成システムや公演システムが継続され、しかし公演数の増加する一方、待遇面の改善が進まず、労働強化は悪化したという側面が大きいはず。ギャラなどでも、団員に要求する労働量は増えて、待遇は安いままという歌劇団側のいいとこどりという側面があり、そして先輩→後輩のラインでの、指導という名の暴行、パワーハラスメントも、代々受けついだということでしょう。

そう考えると明治大学野球部の島岡吉郎監督の指導を受けた星野仙一(彼は、島岡監督から体罰は受けなかったとのことですが)がやたら「鉄拳制裁」とかマスコミから面白おかしく報じられたり、柔道の小川直也が明治大学柔道部でひどいしごき(という名の虐待)を受け、で、ご当人が主将になったら、後輩の吉田秀彦をめちゃくちゃしごいたとかいう話もあるわけで、やはりこれも虐待の連鎖です。

そうとなると、宝塚歌劇団のいろいろな闇の部分を、誰かが食い止めることになりますが、はたして宝塚歌劇団の新理事長らは、どれくらいできますかね。今の代ですべて解決するということも難しいでしょうが、やはり可能な限りのことはしないといけません。それなりのやる気があるかどうか。

旧統一協会やエホバの証人なども、やはり二世以降の信者らが過去に受けた虐待の後遺症により自分の子どもらに虐待をしてしまっているという残念な現実もある。ほかもそうですが、エホバの証人などは、子どもへのムチ打ちをかつてはやたら信者にしろしろと言っていたくせに、問題となったら「それには組織は関与していない」と、うそ八百で逃げるのだから、お話にもなりません。遺憾ながらこのような組織に自浄作用はない。けっきょく被害を受けたご当人と外部が何とかしなければいけないのですが、これもどれくらいできるか。いろいろ考えさせられます。

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南アフリカ勝利の場合のロースコアという予想は当たった(しかしニュージーランドが勝つと予想していた)

2023-10-30 00:00:00 | スポーツ

まずは記事を。


【ラグビー】南アフリカ2連覇で史上最多V4「南アを愛している」NZとの宿敵対決で12-11
[2023年10月29日7時31分]

南アフリカ(世界ランク1位)が2連覇を飾り、史上最多4度目の頂点に立った。

ニュージーランド(同2位)とのライバル対決を1点差で制し、史上初となった1次リーグ1敗同士の決勝で白星をもぎとった。ジャック・ニーナバー監督は「ファンのおかげです。選手たちはW杯の決勝に進出したことがあるし、3度目の出場だった選手もいる。その経験が彼らを引っ張った。みんなが戦士で、南アフリカを愛しています」と感慨深げに振り返った。

全ての力を出し尽くし、緑のジャージーの男たちが歓喜の瞬間を迎えた。

前半をSOポラードの4PGで12-6とリードして折り返し、後半18分には相手FBのB・バレットに両チーム最初のトライを許した。一進一退の攻防で体を張り、それでもリードは許さなかった。前回王者は強かった。

9月8日に開幕したW杯。大会中には主将でフランカーのコリシは「私たちの国の多くの人々は失業し、家がない人もいる。チームがスポーツだけでなく、国にとって、過去にどのような意味を持っていたかを知っている」と力を込めた。この日も多くのファンが、パリ郊外サンドニに集った。

最後に笑ったのは、南アフリカだった。

ニュージーランドは、後半のトライの際のコンヴァージョンゴールと、その後のPGを外したのが痛かったですね。どちらも容易な位置ではなかったし、外したくないのは当然ですからこれは仕方ありませんが、どちらか1つでも入っていればリードは奪えたわけであり、このあたりはまさにギリギリの攻防だったのだなと痛感させられます。南アフリカは、前半の4本のPGをすべて成功させて勝利したわけで、このあたりキックの正確さが勝負を分けたということです。

で、やはりNZキャプテンが前半で退場になったことも痛かったのももちろんです。そう考えると、雨が降っていたことといい、この決勝はやや南アフリカに運があったということは確かかと思います。では、最終的な結果が出たトーナメント表と結果のスクリーンショットを。出典はこちら。準々決勝と準決勝のスクリーンショットも。

全8試合のうち、南アフリカは、勝った3試合すべて1点差での勝利というのがすごいですね。イングランドは2試合を6点差と3点差で勝ち、アルゼンチンは12点差の勝利、ニュージーランドは4点差と38点差であり、6試合までが1トライ1ゴールで逆転する僅差です。なんだかんだいってやっぱり力が均衡していますね。そしてその均衡した中で勝ち上がったのがスプリングボクスとオールブラックスだったわけで、この2国はやはりもうしばらくは、ラグビー界でも別格な存在であり、各国はこの2か国を目標として戦っていくのだろうなと思います。

さてさて、私は、前記事で、次のような予想をしていました。

決勝は、私はなんとなくニュージーランドが勝つのならわりと点差がつき、南アフリカが勝つのなら僅差の勝負になるのではないかと(勝手に)予想しています。どうなるかはもちろんわかりませんが、準決勝の戦いぶりからしてそんな気がします。個人的にはニュージーランド有利と考えますが、どんなものか。

予想通りの結果であんまり面白くないが、最強同士の戦いではあると思う(ただ北半球もそうとう強くなったのは確かだ)

南アフリカが勝つのなら僅差という予想は当たりましたが、ただ私は、「まあニュージーランドが勝つんだろうな」と思っていました。ただどっちみち今回の南アフリカは、決勝トーナメントの段階では、相手チームを圧倒する勝利は望めなかったわけで、決勝は、逆転ではなく常にリードを保った勝利だったとなると、これはまた会心の勝利ということになりそうです。ニュージーランドは、後半は非常にいいラグビーをしましたが、大量点を取れる展開には持っていけませんでした。

ところで南アフリカは、RWCに関しては、アパルトヘイトの時代だった第1回と2回は参加できなかったわけで’(1987年と91年)、初参加が南アフリカ開催の95年で、以下8回の大会のうち半分優勝しているわけであり、これまたすごい話です。アパルトヘイトの時代の最後は、そもそもテストマッチすら行えず実力が低下してしまいましたが、ここまで復活させたのは大したものだと思います。

というわけで、次の大会は、これは私も遠征したいなと考えてしまいました。行ったらレポートを書きますので乞うご期待。行かなかったらごめんなさい。

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予想通りの結果であんまり面白くないが、最強同士の戦いではあると思う(ただ北半球もそうとう強くなったのは確かだ)

2023-10-27 00:00:00 | スポーツ

ラグビーワールドカップ2023・決勝トーナメントで、準決勝2試合の結果が、下です。出典はこちら

正直結果は「予想通り」「想定内」「(個人的には)つまらん」というものでしかないのですが、ただ今回の決勝は、最強同士の戦いではあるのでしょうね。圧勝だったニュージーランドはもちろん僅差だった南アフリカも、たぶん総合力はイングランドよりあるでしょう。

個人的には、アイルランドとフランスがひいきの国なのでその2国を応援していましたが、準々決勝で討ち死にしたので、準決勝は「(できたら)イングランドに勝ってほしいなあ」と思っていましたが、でも難しいだろうなと考えていました。で、やっぱり難しかったのですが、ただ個人的な意見では予想以上にイングランドがいいラグビーをしたなという感はあります。もちろん負けてはよろしくないですが、世界ランキングで北半球でもアイルランドやフランスより下位にあったイングランドが、準決勝というところで南アフリカにきわめていい勝負をしたあたりに、南北の力の差が縮まったことはうかがえます。ただそれでも1点差であっても勝っちゃうのが南半球の強さなのでしょう。下の記事を参照してください。

このあたりが、南半球のラグビー強国の強さなのだろう

で、決勝は、私はなんとなくニュージーランドが勝つのならわりと点差がつき、南アフリカが勝つのなら僅差の勝負になるのではないかと(勝手に)予想しています。どうなるかはもちろんわかりませんが、準決勝の戦いぶりからしてそんな気がします。個人的にはニュージーランド有利と考えますが、どんなものか。

決勝が終わったらまた記事を書きます。

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