ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

最悪のタイミングで起きた噴火

2014-09-30 00:00:00 | 社会時評

御嶽山の噴火は、実に最悪のタイミングで起きたと思います。なにしろ、①紅葉シーズンの②週末土曜日の③正午近くです。これにおまけに④天気が良かったから、まさに最悪です。

御嶽山 大噴火!

上の動画は、NHKのニュースでも放映されました。

当たり前ですが、登山というのも年がら年中山が込んでいるということはないわけで、込むシーズンがあり、込む曜日があり、込む時間があります。そして、その日の天気があります。今回は、山頂に人が多くいる要素が、片端からそろってしまっています。こうなるとどうしようもありません。亡くなったか、ケガをしたか、何とか無事に下山できたかは、正直運でしかありません。今回の噴火は、たぶん山岳遭難の規模としては戦後史上最悪でしょう。噴火自体の災害とかではなく、山岳遭難としては、1963年の薬師岳の愛知大学の遭難や、記憶に新しい2009年の大雪山系トムラウシ山での大量遭難などと比較しても非常に大規模な山岳遭難です。もちろん今回の遭難は1つのパーティーの遭難ではありませんが、ほぼ同じ時に単独の山で起きた遭難という点では、そうそうめったにない規模の山岳遭難です。1991年の雲仙普賢岳の火砕流による大災害は、犠牲者は登山者でなくマスコミ、その関係者(タクシー運転手など)、公務員(自治体職員、警官、消防団員)、山岳学者らです。

それでNHKのカメラが、ちょうど噴火の直後の映像を撮影したというのがまさに上に書いたタイミングを象徴しているわけで、つまりNHKは、紅葉を撮影しようと考えてこの取材をしていたわけです。そういう時期にこのような噴火が起きるというのも、全く予想がつかない(いくら群発地震が起きていたとはいえ、それは気象庁の判断でも「危険」という認識ではなかったわけですから、これまたどうしようもありません)ことです。悪天候の遭難とかなら、冬山は避ける(あるいはそれなりの覚悟をして行く)、悪天候なら無理をしない(トムラウシ山の遭難は、つまりは悪天候で無理に出発して、それでどうにもならなくなったケースです)という判断もできます。天候だったらネットなりラジオなりで天気図もわかりますから、低気圧が接近しているとかは分かるし、あとは自分の判断で小屋にとどまるとかそもそも登山を中止することもできます。トムラウシ山で無理に出発した理由は、同じ日に同じ会社のツアーのパーティーが遭難したパーティーの宿泊した山小屋に入る予定だったので、そうすると山小屋に収まりきれないので出発を強行したというのが公然となっています(最終的な判断をした添乗員兼チーフガイドの人は亡くなっているので真相は不明ですが、まずそのような考えがあったのは間違いないところでしょう)。詳細は、下の書籍参照。

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)

また台風などは発生する季節も決まっていますし、天気予報でだいたいのことは分かりますから、その時はレジャーを控えるとかいろいろ対応はできます。分かって無茶をする人間も存在しますが、それは個人の問題であって、ある意味仕方ないことです。

しかし火山の噴火というのは、地震などと同様、雲仙普賢岳の際のもののように噴火が繰り返されていてそれであのような大火砕流が発生したものなどは登山者などいるはずもありませんが、突発的な噴火というのは当然ながら予想が難しいので、なってしまったらどうしようもないですよね。誰も噴火することを前提に山に登るわけもないわけで(研究者とかだって、そんなに危険なところへは当然行きません)、火口の近くにいて噴火でもされたら目も当てられないとはこのことです。

そうこう考えてみますと、いまの時代「休火山」とか「死火山」とかいうものはすでに学術用語としては使われないようですが、火山に登るからには、もちろん富士山であっても、最悪の事態というのは考えなければいけないかもですね。富士山はこの何百年噴火していませんが(宝永大噴火が、1707年)、御嶽山は1979年に噴火、というわけで、そんなに安全な山でもありません(といいますか、Wikipediaの「死火山」の記事にもあるように、79年のこの山の噴火が、「死火山」という言葉の定義に大きな疑問符をつける結果となったわけです)。もちろんめったなことでそんなことに遭遇するわけでもありませんが、最悪の事態というのはいろいろあるわけで、富士山だって噴火しないわけじゃないくらいの考えではいたほうがいいと思います。少なくとも火山は、火山でない山よりは危険です。それは考えないといけません。

もう一つ、今回の件にかぎった話ではありませんが、個人が容易に写真のみならず動画を撮影できて、それを容易に不特定多数の人間が閲覧できるようになった時代というのもすごいですよね。今回でも、かなり臨場感のある動画がいろいろニュース番組でも使われていました。それこそ公共放送であるNHKだって、YouTubeの動画をニュース番組に使用するくらいですから、いろいろな動画がいろいろなところで見られる時代だということも考えさせられます。動画にかぎらず、HPなりブログなりツイッターなりフェイスブックなりで自分の意見なり行動なりを不特定多数に発信して、それで時に苦情が殺到して「炎上」なんて事態になることもありますが、あらためてネット時代というのはすごいものだなと思います。いい悪いはともかく、油断のならない時代です。

そして、やはり登山届も考え直す必要がありますね。保険と同じく、何もなければ意味がないものなので、「面倒」「無意味に個人情報が警察に知られる」とかでおよそ提出されませんが、家族に渡すくらいのことはしておいたほうがいいのでは。様式を作って、必要なところだけ書けばいいようにしておけば、2回目からはそんなに面倒でもないでしょう。

といいつつ私も、登山はしませんが、海外をほっつき歩いている際は、どこにも連絡先を伝えないこともありますから(一応旅行の届けは職場にしますが、未定の場合もある)、そんなにえらそうなことはいえないか。

あ、それからどうでもいい話ですが、登山者が行方不明になったりして、消息がつかみにくい場合は、警察はその人の自宅のPCなどを調べます。その場合、アダルトサイトとかしょうもないサイトをひんぱんに閲覧していたり、しょうもない写真や動画を保存しておくとそれも確認されますので、そんなことは心配しても仕方ないことかもしれませんが、一応知っておいてください。無事に帰ってきたはいいが、奥さん(夫)と家庭不和になるということもなくはない。

今回は、inti-solさんの記事(こちらこちら)を参考にしました。感謝を申し上げます

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自分の肉体管理に甘い部分があったのだと思う(香川伸行)

2014-09-29 00:00:00 | スポーツ

なぜそんなに読者数が多いのかわかりませんが、このブログでやたら読者の多い記事に、元野球選手の伊良部秀輝について書いた記事があります。やはり私が、

>こういうことを書くのはよくないのでしょうが、私は正直伊良部みたいな人は好きではありません。非常に苦手なタイプです。で、私みたいに彼と近づきたくないと考える人は少なくないと思います。

って書いたからかな? 死んだ直後の人にこう書いたらよくないのは確かでしょうが、しかしやっぱり伊良部みたいな人とは関わりあいたくありません。夜の街で複数回トラブルを起こす人物とはつきあいたくありません。

で、伊良部みたいな自殺ではありませんが、突然死、急死の類で、やはり元野球選手の香川伸行が亡くなりました。記事を。

>ドカベン香川伸行さん急死 52歳心筋梗塞

 浪商(大阪、現大体大浪商)、南海、ダイエーで活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行(かがわ・のぶゆき)氏が26日午後、心筋梗塞のため福岡県朝倉市の甘木中央病院で急死した。52歳。徳島県出身。葬儀等の日程は未定。同県朝倉郡の自宅で倒れているところを家族が発見。救急搬送されたが帰らぬ人となった。

 「ドカベン」が早すぎるゲームセットを迎えた。香川氏が福岡県朝倉郡の自宅で眠るように倒れているのを2人の娘が見つけたのは、午後4時ごろ。弘美夫人(52)が救急車を呼び、朝倉市内の病院に運ばれたが、午後7時過ぎ、心筋梗塞のため帰らぬ人となった。弘美夫人は「突然のことで…」と言葉を詰まらせた。

 香川氏は3年前から受けている人工透析治療をこの日も受け、自宅に戻っていた。野球をやめた後、腎不全などを患っていた。家族によれば昨年1月にも1度、心筋梗塞で倒れていた。その際は回復していたが、医師に「次、倒れたら危ないかも」と告げられていたという。

 高校野球、プロ野球で活躍し、野球ファンから愛されたヒーローだった。大阪の名門浪商では牛島和彦(元横浜監督)とのバッテリーで3年春の甲子園(79年センバツ)で準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打。太めの体形で強打の捕手だったことから、野球漫画の主人公にちなみ「ドカベン」のニックネームが当時から定着した。

 79年ドラフト2位で南海入団。1年目の80年7月8日近鉄戦(日生)で、プロ初打席初本塁打。83年には夏場まで打率1位に立つなど急成長し、球宴初出場。最終的には規定打席不足ながら、3割1分3厘をマークしベストナインにも選ばれた。チームが福岡に移転した89年を最後に引退。野球評論家のほか、実業家としても活動していた。

 北九州市から病院に駆けつけた長男英斗さん(26)は遺体と対面し「いつものような顔で死んでいるようには思えない。生きているような顔でした」と話した。香川氏は毎年秋、関係者を招待してチャリティーゴルフを佐賀で開催していた。今年が20回目となる予定で、英斗さんに「今年で最後にする。来年からはお前がやれ」とバトンを渡す予定だった。あまりにも早い別れだった。

 ◆香川伸行(かがわ・のぶゆき)1961年(昭36)12月19日、徳島県生まれ。浪商から79年ドラフト2位で南海入団。捕手だけでなく86年には三塁手としても21試合に出場。89年に引退した。現役通算714試合、460安打、270打点、78本塁打、打率2割5分5厘。現役時代は170センチ、100キロ。右投げ右打ち。

 [2014年9月27日7時45分 紙面から]

写真は、引用した記事に掲載されていたものです。2011年11月の写真とのこと。

香川といえば、最近は同じ名字のサッカー選手がまさに国民的英雄といっていいくらいの知名度と人気を誇っていますし、いまではまるっきり「過去の人」でしたが、それはともかくこの写真を見ると、さすがにあまりに太り過ぎだったことは確かです。もちろんこれはプロ引退後の写真ですが、現役時代から

>その後は太り過ぎにより成績が下降。これは、人柄の良い香川が、関係者からの食事の誘いを断れなかったからだとされる。体重が110kgから130kg近くまで激増したこともあり、球団も減量のための様々な策を採り、毎シーズン野球がオフの時期になると、きまって減量に取り組む香川の姿が報じられた。1986年には三塁手へのコンバートも経験している

とまでWikipediaにも書かれているくらいで、いかんせんプロとしての体調管理として最低限の摂生ができていなかったといわれても仕方ないでしょう。私も人工透析をしていたのは知っていましたが、心筋梗塞もやっていたとは知りませんでした。透析患者は、わりと突然死が多いという話もあります。もっと早い時期に、透析とかをせざるを得ない段階の前の時点で、減量で本格的に入院するとかできなかったんですかねえ。

彼の場合、Wikipediaには書かれていませんが、自己破産をしていたり、けっこういろいろエピソードがあります。これもやはり上の記事でいう

>人柄の良い香川

というのが悪い形で響いちゃったのかなと思います。

想像ですが、もっと自己鍛錬をしていれば野球選手としてももっと成功したし、こんな早死をしなくても済んだでしょう。「善人は若死にする」というのもひどい表現ですが、たぶんいろいろな意味で厳しさの足りない人だったのだと考えられます。ご冥福をお祈りいたします。

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(16)

2014-09-28 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

再びヘルシンオアに着きます。今度はこの私鉄でヒレロズに向かうことにしたのです。運転士にコペンハーゲンカードが使えることを確認します。

隣の駅まで行きましたが、あれ、この列車で大丈夫かと考えてしまい、つい降りてしまいます。

またヘルシンオアの駅まで意味なく戻ります。途中ですれ違った子どもたちの集団。なかなかかわいい子どもたちです。

けっきょく同じ列車にまた乗ります。

この女性も脚が長い。

ゆっくり車窓を観察します。

とある駅にて。あるいは、右の男性が、地元に帰ってきたのかも。ちょうど夏休み真っ盛りに旅したせいもあり、そこらじゅうでこのような光景を見ました。

さすがデンマーク、山のない真っ平な地形です。

そうこうするうちにやっとこさっとこヒレロズの駅に着きます。ここまで来るのにずいぶん苦労をしました。

食事をしようと思ったのですが、駅前にある1件は夏休み中(デンマークのレストランは、夏休みを取るレストランがあります)、こちらに行きました。

味はまあ普通ですかね。オーナーはアラブ系だかトルコ系でした。なお、デンマークのコカコーラは、ファーストネームをラベルにいれるということをやっていて、男性・女性さまざまな名前がラベルに書き込まれていました。

フレデリクスボー城に向かいます。

ヒレロズの街を抜けます。

(つづく)

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(15)

2014-09-27 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

このあたりも「いかにも」です。また、さすがに写真を撮るのは控えましたが、草っ原に男女がくっついて寝そべっていました。その近くでは、男性がひとりごろ寝。そういうところです。

この辺りから「NO PHOTO」という警告が多くなります。怖いので、カメラはカバンにしまいます。

すると警官が10人ほど現れました。手入れかと思いましたが、日常のパトロールのようです。つまりはそうでもしていないと危険なのでしょう。警官がいればそんなに悪さもないだろうと、かえって安心します。

麻薬を売っているというあたりをうろつくと、アジア人(日本人ではなく、東南アジアらしき人たちでしたが、あるいは中国系かも)もいました。声をかけてくる連中もいますが無視します。やはり独特のムードがあります。

警官です。おいとまします。行かれる方は、そんなにものすごく危険とまでは思いませんでしたが、それなりの注意はされることをおすすめします。

駅に戻ります。

今日もデンマーク中央駅へ。

なにげにこのような美女がいるのが北欧のすごいところです。

デンマーク国鉄とドイツ鉄道共同のレリーフですかね。

カウンターで、ドイツのフレンスブルク行の列車の切符を買います。フレンスブルクは宿も決めずに出たとこ勝負で旅をする予定です。

外国人観光客も多いわけですが、美女の多い国です。

今日はヒレロズ(Wikipediaでは「ヒレレズ」。地球の歩き方の表記を優先)にあるフレデリクスボー城を目指します。ここも世界遺産です。

しかしまた電車が、ヒレロズへ向かいません。しょうがないから、ヘルシンオア経由で向かうことにします。

途中の駅です。

さあ、どうなることか…。

(つづく)

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勝鬨橋が最後に上がった日(追記あり)

2014-09-26 00:00:00 | Weblog

過日門司港を観光した際、観光用の跳ね橋(ブルーウィングもじ)がありました。

で、これを見て、私「たしか勝鬨橋ってのも上がる橋だよなあ」と思いました。もちろん私は、勝鬨橋が上がっているところなど見たことはないし、今後見る機会もなかなかなさそうですが、そう考えて私は、

「で、勝鬨橋ってのが最後に上がったのっていつだったんだい?」

という疑問を持ちました。あいにくスマートフォンやタブレットを持っていないので、自宅にもどって検索してみました。するとその年月日は、1970年11月29日であることがわかりました。この日は日曜日です。この時点では船の運航のために橋を上げることはなくなっていたので、これは作動確認、メンテナンスのための可動です。そしてそれ以降、橋が上がることはありませんし、橋をあげるための施設もすでにありません。

「1970年か」と私は思いました。それでは、私が橋の上がっているところを見られるわけもありません。

勝鬨橋が上がることがなくなった理由は、そもそも橋を上げる必要のある大型船の運航が減少して上がる必要性がなくなったことが1つ、そして交通量が激増して、交通止め(だいたい20分ほど橋が上がっていたとのこと)をすることによる弊害が非常に大きくなったことです。必要性がなくなり、おまけに交通止めをするための社会コストが大きくなれば、まさに必然として上がらなくなったと言わざるをえないでしょう。

勝鬨橋が船の運行のために上がったのが、1967年が最後です。勝鬨橋の竣工は1940年ですので、橋が実用として上がったのが27年、実際に上がったのが30年ですので、つまりは上がらなくなってからのほうがずっと長くなっているということです。上げるための変電所も1980年に撤去されていますので、もし勝鬨橋を上げるとなると都の算定によると10億円かかるとのこと。上げて何か実用的なプラスがあるわけでもないので、上がるのは現実性はなさそうです。あるいは2040年に「勝鬨橋完成100周年」とかで、誰かが突然馬鹿になって上げるなんてことがあるかも…たぶんないでしょう。

前に読んだ和田誠著「新人監督日記」という本の中に、著者が「麻雀放浪記」を映画化するに当たって、勝鬨橋を上げることができないか、と考えて調べてもらったというくだりがありました。それを読んだ時「そりゃ無理でしょ」とすぐ思ってしまった記憶がありますが、一応は調べてみるということも必要なことかもしれません。それで結果は、物理的に(つまり交通止めとかの話以前に)制作費以上の金がかかる、ということが分かって、(やっぱり)断念します。

本によると、1984年当時で2億円かかるとのこと(p.55)。いまならむしろCGで再現、ということになるかと思いますが、確かに壮大な計画ではあります。なお、映画ではけっきょくミニチュアを使って撮影をしています。

それで、勝鬨橋が上がっているところの写真というのを探してみましたが、あまり多く見つかりません。何とか1970年の最後の時の写真を、こちらのサイトで見つけることができました。

 

完全に上がっている写真は、こちら。橋に大勢見物人がいることがわかります。

見物人には、子どもたちの姿が目立ちます。つまり親が、このようなものを見る機会も今後難しいのではないかと考えて、子どもを連れてい行ったのかもしれません。また、この時の跳開は朝だったようですね。11月29日の日曜日の朝、つまり一番交通に障害がない時間に橋をあげたわけです。

それで、この日の様子が新聞記事になっていないかと、「朝日新聞」の縮刷版を確認してみましたが、探した限りでは「勝鬨橋」の関係の記事などは発見できませんでした。いまの時点のニュースヴァリューなら当然それなりの大きさで報じられるのではないかと考えられますが、都内版にも報じられていませんから、つまりはこの時の橋の上がりはさほど話題になることはなかったと推測できます。

NHKとか民放その他で記録映像として残っていないかは分かりませんが、この後勝鬨橋が上がる予定がない、と分かっていればともかくとして、この時点では特に決まっておらず、上がった後に決まった、となると、確かにこれといって報道されなかったというのもわかる気はします。そのあたりの事情は不明です。(2016年11月29日追記:下の追記部分をお読みになってください)

全くの余談ですが、縮刷版を調べていて、三島由紀夫の自殺のニュースが大々的に報じられていまして、そういえば11月29日だから11月25日の直後だったんだなと思い当たりました。そして、三島由紀夫があの事件を起こしたのが水曜日であったことを知りました。事件の性質上、平日の事件であることは当然ですが(平日でなければ東部方面総監はいない)、何曜日だなんてことは(当然といえば当然ながら)とくに関心がなかったもので、調べもしなかったのです。

この事件の余波で、益田兼利東部方面総監は、事件翌月の12月22日に辞任を余儀なくされています。益田氏は、旧陸軍大学校を首席で卒業しているくらいですから、陸上幕僚長も狙える優秀な人物だったのですが、ご本人は当然として、自衛隊にとっても迷惑な話です。本来なら、氏は三島の遺族に、何らかの損害賠償請求でもするべきでしょう。Wikipediaの「三島事件」の記事によれば、さすがに自衛隊に対しては

>このときに総監室での被害額は、金額で数百万円相当(当時)であったとされる。後に平岡家(三島の本名)は全額弁償した。

とのことですが、益田氏その他に対してはどうだったんですかね? まあ益田氏は純粋な刑法犯罪の被害者なので、その後の出世うんぬん以前に迷惑にもほどがあるというものです。お気の毒です。氏は事件から3年もたたない1973年7月に亡くなっています。

それはともかくとして、勝鬨橋が上がっているところをとらえた動画というのもあまり見当たらないのですが、いいものを見つけました。つい最近(2013年!)に発見された1940年の竣工当時の動画です。

写真は動画より。うーん、豪快に上がっていますねえ。やっぱりいいですね、こういう瞬間は。

突然思い出しましたが、映画「ブルース・ブラザーズ」にも、上がる橋を車で飛び越えるシーンがありました。East 95th Street Bridgeとのこと。銘板はしっかり映画にも写っていますね。

The Blues Brothers - Bridge Jump Scene

1970年の時の動画があるかどうかは知りませんが、1970年のニュースフィルムでも調べればあるかもという気はします。もし確認できたら、このブログで紹介します。

2016年11月29日追記:上で

>1970年のニュースフィルムでも調べればあるかもという気はします。もし確認できたら、このブログで紹介します。

と書きましたが、見つけることができましたので、下の記事でURLを紹介しました。ぜひお読みになってください。

1970年11月29日の勝鬨橋が最後に橋を上げた際の動画を見つけた(ほかに貴重な写真をご紹介)

その記事でも書いたように、上空をヘリコプターが複数機飛んでいるので、それなりのマスコミ取材はされていたのかもしれません。

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野球だって、監督はスーツを着て指揮をとることができないわけじゃない

2014-09-25 00:00:00 | スポーツ

子どものころ、なぜそんなことを考えたのかは覚えていませんが、「なんで野球の監督は、ユニフォームを着ているのだろうか」と考えたことがあります。

アマチュアはともかく、プロの監督は背番号までついています。他のスポーツで、監督なりコーチが選手と同じユニフォームを着ている例はあまり多くないはず(ソフトボールは、完全に野球の影響でしょう)。

過日行われたサッカーのワールドカップでも感じたことがありまして、サッカーの監督の服装は、スーツ姿、カジュアル系シャツ姿、ジャージ系、ポロシャツなど、監督の趣味というか個性がいろいろで面白いものがあります。かの岡田武史氏は、川淵三郎氏から「スーツを着ろ」といわれてスーツにしたとか。

他のスポーツも監督(ヘッドコーチ)はスーツ姿が目立ちますが(普段カジュアル系の服で指揮をとっている人も、たとえばオリンピックではスーツを着たりします)、アメリカンフットボールのヘッドコーチはそうでもないですね。これもしきたりなんですかね?

プロ野球の監督については、一応Wikipediaを参照すると

>野球の監督の特徴としては、選手と同様のユニフォームを着用していることが挙げられる。これは、野球の創成期に選手の中からチームのまとめ役(選手兼任監督)が選ばれていた名残、あるいは、野球は監督がプレイフィールドに入ることが許可される競技であるからとされている。

とあります。

しかしWikipediaには同時に次のようにも書かれています。

>なお、公認野球規則においては監督にユニフォームの着用を義務付ける規定はなく(ただし、協会・大会の特別規則により義務付けられていることがある)、コニー・マックのようにスーツ姿で指揮を執る監督も存在した。

え、そうだったの?

記事には、次の写真も添付されています。

紹介されているコニー・マックという人は、スーツ姿で指揮をとるのが有名でした。彼は、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグが来日したことで知られる1934年の大リーグ選抜でも監督を務めました。

なお、記事に出ている

>公認野球規則においては監督にユニフォームの着用を義務付ける規定はなく

というのは、こちらのくだりのようですね。出典は、こちらのサイトより。

>3・15
 試合中は、ユニフォームを着たプレーヤーおよびコーチ、監督、ホームチームによって公認されている報道写真班、審判員、制服を着た警官、ならびにホームチームの警備員、その他の従業員のほかは、競技場内に入ってはならない。

(後略)

つまり条項の解釈として、

>ユニフォームを着た

というところが

>プレーヤーおよびコーチ

まで修飾して、

>監督

には係っていないというわけですね。つまりは、そのリーグ、大会などのローカルルールとして「監督・コーチはユニフォームを着用するものとする」みたいなものがなければ、スーツを着ていようがジャージを着ていようが、それ自体は批判されるいわれはないということです。とあるHPには、のように解説されています。

>マック監督が私服を着た理由は、長身でやせているのでユニホームが似合わなかったため、と言います。 紳士姿そのままにマック監督は、50年間の監督生活で1度も退場になりませんでした。

 大リーグ最後のスーツ姿の監督は1948年から50年までのドジャース監督のバート・ショットンですが、以後は皆無。 伝統を守る習慣法で監督もユニホームを、となっているようです。 日本のプロ野球では、私服姿の監督はいませんでした。

バート・ショットンの写真も探してみました。

むしろ今のような時代だからこそ、ユニフォームじゃなくてスーツその他で指揮を取ったら面白そうだなあと私などは思いますが、しかし世の中の常識はそういうものでもないんでしょうね。

長嶋監督が、33から3の背番号に替えたとき、けっこうマスコミも話題にしたくらいですから、とくにプロ野球の監督なら論外の沙汰、アマチュア野球でも関係者が黙ってはいない、というところでしょうか。それは仕方ないというものですが、しかし個人的には、いい年をした人は、ユニフォームよりスーツとかのほうが似合うんじゃないかと思う…というのは私の偏見ですかね。たぶん偏見なのでしょう。私が、たぶん野球に思い入れがない人間だから、そういう風に考えるのでしょう。

まあしかしそういいつつも、スーツ姿で指揮をとるプロ野球の監督というのも、1度見てみたいと個人的には考えます。なかなか実現しそうにありませんが。

なお一応解説しておきますと、ソフトボールの監督は、宇津木麗華、サッカーはヨアヒム・レーヴルイス・フェリペ・スコラーリ、バスケットはレイカーズバイロン・スコット、アイスホッケーは、レッドウィングスマイク・バブコック、アメリカンフットボールは、パッカーズマイク・マッカーシーです。

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そんなに危険なら、組み体操なんかやめてしまえばいいと思う

2014-09-24 00:00:00 | 社会時評

こちらの記事を読んで驚きました。はてなブックマークでも、たくさんのブックマークがされています。

「組み体操」事故で後遺症20件

9月22日 15時22分
 

各地で運動会や体育祭のシーズンを迎えていますが、多くの学校で行われている子どもたちが積み上がる「組み体操」による事故で後遺症が残ったケースが10年間で20件に上ることが名古屋大学の調査で明らかになりました。
専門家は「組み体操は最近、巨大化しているが、子どもの安全を最優先で対応を考えてほしい」と注意を呼びかけています。

この調査は名古屋大学教育学部の内田良准教授が日本スポーツ振興センターの資料を基にまとめたものです。
それによりますと、平成24年度の1年間に全国の小学校でけが人が出た組み体操の事故は6533件に上り、とび箱とバスケットボールに次いで3番目に多くなっていました。
さらに平成24年度までの10年間に組み体操で後遺症が残った事故を調べたところ、20件に上りました。
中には、ピラミッドのように積み上がった子どもたちが途中で崩れ、一番上にいた子どもの膝が一番下の子どもの腰に当たって、脊柱に障害が残った事故なども報告されています。
ことし5月には、熊本県内の中学校で生徒140人が参加して10段のピラミッドを作る練習をしていたところ、バランスが崩れて上の段の生徒が転落し、一番下の段にいた生徒が腰の骨を折る大けがをした事故も起きています。
内田准教授の試算では、10段のピラミッドを作ると、一番下の段の子どもには最大で4人分に近い体重がかかるということです。
内田准教授は「組み体操中の事故は頭や首、背骨などに関係するケースが多く、かなり重い障害が残っている。今は、組み体操が巨大化し、アクロバティックになっているが、リスクがかなり高まるので、子どもたちの安全を最優先で対応を考えてほしい」と話しています。

記事中「名古屋大学の調査」というところで、「もしや」と思ったら、そうでした。今回の調査をしているのは、

>名古屋大学教育学部の内田良准教授

です。内田氏は、以前私が書評をした「柔道事故」の著者です。

柔道が危険なスポーツなのではない、日本の柔道が危険なのだ

関係ない話ですが、この記事も発表したのが、昨年の9月21日でちょうど1年たったんですね。さいわいといっていいのか、多くの読者に読んでいただき、はてなブックマークもたくさんいただきました。

私も小学生のころ、この種の組み体操(人間ピラミッド)のたぐいをしたことがあります。それで、間にいる馬鹿が下にいる生徒に悪戯をして非常に危険だったことがあります。その際はさすがに事故などはありませんでしたが、しかし崩れたら危険です。で、そういう危険を少しは考えてほしい、って考えているのでしょうが、しかし部活における柔道の事故などと同様、どうもこういった危険に無頓着ですよね。はてなブックマークにも、

zakkie 音楽付けたり、巨大化した組立体操は教師と親のエゴ。なんで去年より豪華にしようと思うのか。曲に合わせるなんて事故の温床。/教育効果の高い種目なので適正な指導を確立してほしい。

shigeto2006 内田良氏が取り組んできた「組み体操」の問題がNHKでも報道されたというのは、画期的なことだろう。こんなものは子どもの人権侵害でしかないので、これ以上被害者が出る前に止めてほしい

yasugoro_2012 そういえば、中3の時に自分も組体操の「飛行機」で上から落っことされ、後頭部を強打して気づいたら病院のベッドの上だったということがあった。

yas-mal 後遺症20件(死者は0?)か…。こんにゃくゼリー(13年間で死者22件)との反応の温度差が興味深い。(骨折など重篤でない事故もあるので一概に比較は難しいけど)

shiroikona333 これ放送見てたけど「こうやれば安定して怪我しない」「十分に注意して行って」とか言っててびっくりした。そうじゃなくてやめればいいじゃん。

uturi   “1年間に全国の小学校でけが人が出た組み体操の事故は6533件に上り、とび箱とバスケットボールに次いで3番目に多く”ひどいな。『学生が無駄な苦労をすることを賛美』という文化があるから放置された結果か

hahiho 柔道は馬鹿が調子乗って素人虐めするのを阻止できるなら容認する余地があるが、30人31脚と人間ピラミッドは各個人の判断で危険回避する余地が全くないので子供にやらせるもんじゃないと思う。

など、いろいろ興味深い意見が紹介されています。

たしかに日本の小学校の運動会って、最近の運動会については詳しくありませんが、伝統的にはマスゲームめいたものとか入場行進とか好きですよねえ。こちらのbogus-simotukareさんのご意見を。

bogus-simotukare 昔の運動会って(日本は元ナチ同盟国なのに)ためらいもなく「ナチス式敬礼」を来賓にやってたし、体育会系は感覚が古いんじゃないかと思う。

 かつては国体ですらやっていましたからね。これは今はやっていないと思いますけど。

それにしても、学校というのも生徒の自殺とかでいろいろ学校のほか教育委員会が批判、非難されたりしますけど、柔道事故といいこの組み体操といい、こういった、やろうと思えばすぐに対策が取れてしかも効果が大きいものに対する取り組みが非常にのろいですよね。いじめの問題などは、言うまでもなく根絶とかは難しいし、もぐら叩きのようにどんどん出てきますが、柔道やこの件のような部活動、体育授業、学校行事に関することなどは基本的に学校側が主体的に行うものですから、基本的に生徒が行ういじめなどより学校なり教育委員会、あるいは文部科学省その他による対応はずっとしやすいし効果も直接役立ちます。そういったことがなかなか進まないのは「大人の事情」かなにか知りませんが、態度が非常に他人事というかやる気がないんですかね。

hahiho 柔道は馬鹿が調子乗って素人虐めするのを阻止できるなら容認する余地があるが、30人31脚と人間ピラミッドは各個人の判断で危険回避する余地が全くないので子供にやらせるもんじゃないと思う。

 というご指摘も考えさせられますね。柔道に関しては、エホバの証人の生徒が高専で格技の授業(この件では剣道)を拒否して留年処分・退学処分になったのは、裁量権の逸脱であり憲法の信教の自由を侵害する行為かが争われた有名な訴訟があります(憲法学の教科書にも出てくるものです)。つまりこの訴訟の最高裁の判決では、

>所論は、神戸高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。しかし、信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。さらに、代替措置を採ることによって神戸高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないとした原審の認定判断も是認することができる。そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない。

としています。これは宗教上の拒否という特異な理由によるものですが、30人31脚や人間ピラミッドを小学生が拒否するのはより困難かもしれませんね。それこそそれだけで仲間はずれの対象になるということも考えられる、教師だっていい顔をしないでしょう。

上に引用させていただいた

shiroikona333  これ放送見てたけど「こうやれば安定して怪我しない」「十分に注意して行って」とか言っててびっくりした。そうじゃなくてやめればいいじゃん。

というのを読むと(私は、このニュース自体は見ていませんが)、えー、こういうのって続けることをそこまで固執するほどのものなのかい、っていう気がします。後遺症の残るほどの怪我が生徒にでたら、そのような競技あるいはゲームのたぐいは、禁止するかあるいは少なくとも中止するか、最低でも実行するために最大限の安全を確保することを努力するべきものであって、

>こうやれば安定して怪我しない

というのはまだしも(しかし、完全に防げるっていうものなんですかね? そうは思えませんけど)、

>十分に注意して行って

というのは、そんなアドバイス何の役に立たないじゃんと思います。注意したって駄目な場合は多々あるし、また小学生、あるいは教員たちにそれを事故がないように注意あるいは監視を徹底させるというのも現実問題としてできない相談でしょう。なんで

>子どもの安全を最優先で対応を考えてほしい

程度のことができないんですかね。これじゃあほかも推して知るべしのたぐいでしょう。いずれにせよ困ったものです。

だいたいこのような問題は、体育の専門家、あるいは体育教育の専門家がより積極的に警鐘を提起すべきではと思います。人間の命に関わることなのだから、それくらいのことはちゃんとしてほしいというもです。

と、ここまで書いた後で、当の内田准教授の「リスク・リポート」というサイトを知りました。またニュース記事にもなっていますね。一応削除後のことも考えて、魚拓を残しておきます(魚拓1魚拓2)「リスク・リポート」は読んでみて、もしかしたらその感想を記した記事を書きたいと思います。ただ、そのサイトの中で「これはひどい」と思ったくだりがあるので、それを引用してこの記事を終えます。こういうものを読んでいると、組み体操というものは、なるほど、続けることをそこまで固執するほどのものなのだ(と関係者が考えるものだ)ということがよくわかります。太字は元のサイトのままです。

>「自分の子どもがかつて小学生のときに、人間ピラミッドの頂点から地上に墜落して重傷を負い、数ヶ月間の絶対安静を強いられました」というのである。

これだけでも重大な事態であるが、その保護者が嘆き強調したのは、事故そのものとは別のことであった。「それだけの重大事故があったにもかかわらず、学校はその翌年も同じようにピラミッドをつくりました。信じられないことだと思い、その後も毎年見にいきましたが、少なくとも事故後3年間は同じ状況が続きました。それが許せないんです。」

>なんと、かつて大ピラミッド(人間ピラミッド)の崩壊により,4人が同時に骨折をしたというのである。巨大であったために崩壊時の負荷が大きかったものと推察される。それらの事故を受けて報告資料では、安全配慮として組み方の順序や腕の置き方などの留意点が示され、そして結局は大ピラミッドの研修が続けられていったのである。

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(14)

2014-09-23 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

翌朝、朝食の前にちょっとホテルの周囲を歩いてい見ます。郊外ですからわりと空気もきれいだし、さすがに北欧の朝ですから涼しい気温です。この旅行は、実は暑くて本当に参りました。私は肥満体なので暑いのは苦手なのです。

このホテルの朝食は、温かい料理は何一つありませんが、ハムやパテはなかなかのものでした。

最近開発された地区ですから、ビルも機能的です。

炎で雑草を駆除しています。

また地下鉄に乗ります。今日は、コペンハーゲンの解放区(?)クリスチャニアに行きます。Wikipediaの紹介によると

クリスチャニア (デンマーク語: Christiania) は、デンマークの首都コペンハーゲンにある、850人の住人と34ヘクタールの土地をもつ地区である。自治を自称する。1971年に軍の所有地に建国されて以来、たびたび論争の中心となってきた。この地区内では、2004年まで大麻が合法であった。

というわけで、私のような物好きには大変面白そうなところです。

クリスチャンハウンの駅を降りてクリスチャニアに向かいます。

ここからたった600mです。

教会とこの真っ黄色な建物を抜けると-

クリスチャニアに入ります。昔のヒッピーの時代を思い出しました、って私も歴史でしか知らないけど。

いろんな言語で書かれています。

もうちょっと奥まで行ってみましょう。

(つづく)

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安倍晋三が60歳になった日に思ったこと

2014-09-22 00:00:00 | 社会時評

すみません。本日は、ほかに特に付け加えることもないので、昨日9月21日にbogus-simotukareさんのブログに投降したコメントと、bogus-siotukareさんからの返しのコメントをご紹介したいと思います。

>Bill_McCreary 2014/09/21 19:08 あ、まあどうでもいい話ですが。このニュースを見て私思わずPCの前で「馬鹿か」と口にしました。

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6132044

>還暦の安倍首相「気持ちは40代」

安倍晋三首相は21日、60歳の誕生日を迎えた。同日出席した公明党大会でお祝いの花束を贈られ、「還暦を迎えるこの日に党大会にお招きいただき、忘れ得ぬ誕生日となった」と謝意を伝えた。また、今年は年男だと自民党の若手議員に話した際に「(一回り下の)48歳ですか」と言われたエピソードを紹介し、「これからも40代の気持ちで頑張っていきたい」と若さをアピールしていた。(時事通信)

ただこれは、安倍ばかりを馬鹿にしていいものでもありませんね。安倍を復活させた自民党やそれを支持している有権者、あるいは安倍復活などあり得ないと断言してしまった私もふくめて、大変馬鹿だと思います。いずれにせよ私は、安倍が首相に復活したことにより、日本への希望をなくしました(笑)。

しかしそれはともかく、安倍レベルの馬鹿が首相になって、それで実に批判が少ないというのは、日本は先進国とかじゃないなと思いますね。少なくとももう少し批判がなければ健全な民主主義国家ではないと思います。

bogus-simotukare 2014/09/21 19:12 id:Bill_McCrearyさん
 ご指摘には全く同感です。いや正確には「安倍復活などあり得ないと断言してしまった私もふくめて、大変馬鹿」というの「だけ」はいかがなもんかなと。
 「馬鹿な日本人や馬鹿な自民党に対する認識が甘かったと言う意味」では「安倍復活なんてない」と考えていた小生やMcCrearyさんは「バカ」なのでしょうが、まあ、「バカな出来事を予想できないから馬鹿」てのは「何か釈然としない」ものがありますね。

bogus-simotukareさんに感謝します。

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コペンハーゲン、マルメ、フレンスブルク紀行(2014年7月~8月)(13)

2014-09-21 00:00:00 | 旅(欧州―英国・アイルランド以外)

たまたまこのカフェが目にとまりました。ちょっと休むことにします。カフェ・オスカーという店です。参考までに、サイトはこちら

さしもの、夏の北欧の太陽が出る長い時間も、そろそろ太陽が完全に地平線に沈もうとして、終わりに近づいています。

ビールを頼みます。普段はカフェではコーヒーを頼むことが多いのですが、なんとなく自然にビールを注文してしまいました。

気分よく店を出ます。感じのいい店だったので、機会があったらまた来ようと思いましたが、残念ながら来ることはありませんでした。

今日の夕食を食べようと、ガイドブックで目星をつけたパキスタン料理のレストランに向かいます。

「サヒル」と読みたくなりますが、「地球の歩き方」には「サール」と紹介しています。サイトはこちら

タンドリーチキンと-

ガーリックナン、

バターチキンのカレーをいただきます。インド系(パキスタンその他をふくむ)のレストランは比較的はずしが少ないので、海外では実はねらい目です。

今日はこれでホテルに帰ります。お休みなさい。

(つづく)

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