ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ちょっと36時間未満の旅に行ってきます

2008-05-31 18:39:36 | 旅(中国本土ー広州・深圳以外)
今日はこの記事を、成田空港で書いています。すでに出国手続きは済みました。

これから、某国の某都市へ36時間未満の旅をしてきます。休日出勤の代休が6月2日にとれたので、最近海外旅行もしていないので、しばらくぶりに出国して旅をしてきます。

明日は、その国のインターネット環境で日本語が打てるか自信がありません。次の更新は月曜日になるかも。

月曜日には、早速36時間未満の旅の結果を少し報告できると思います。よって、韓国紀行は少し中断します。

今度行く都市は、私もはじめて行く街ですので、今のところどのような旅行になるのか見当もつきません。が、私はその街に行くことをとても楽しみにしているので、いい旅行になればいいなと考えています。

ついでながら、私が今回の航空券を手配したのは、先週の金曜日です。かなり超特急の旅になりました。が、やろうとおもえば海外旅行って、こんなに簡単に出来るんですね。

とりあえず、無事に帰ってきたら、レポートを書きますのでお楽しみに。
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ソウル、仁川紀行2007年(8)

2008-05-30 00:24:53 | 旅(韓国)
さて、これは韓国らしいと思ったのですが、鮮やかに真っ赤な唐辛子が干してありました。



孔子の像の前に真っ赤な唐辛子が干してあるというのも、なかなかユニークな光景です。



日帝時代の建物が、まだ若干残っています。





これらは、とっておこうとしたというよりは、壊すタイミングを失ったために保存されただけなのかもしれませんが、でも古い建物が保存されていることは、いいことです。私は好きです。

仁川は港町なので、倉庫の類もたくさんあります。荒廃したというか、荒涼とした雰囲気もあります。







ほんのわずかなショートトリップを終えて、ソウルに戻ります。
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ソウル、仁川紀行2007年(7)

2008-05-29 00:11:57 | 旅(韓国)
さて、しばらく歩いていると、昔の中国の人の像があります。また儒家か何かの像かなあなどと考えて近づいて見ますと、なんと(というほどでもありませんが)儒家ならぬ書家の王羲之の像ではありませんか。



この人は、高校の世界史の教科書にも出てくるくらい有名な中国の書家です。

でも、この人、本当にこういう顔していたのかなあ。

それにしても、仁川なんてところで、なんでこんな人の出来たて(でしょう、おそらく)の像があるんでしょうか。もしかしたら、地元の有力者に書道の達人でもいるのかな。


さて、そんな話はさておき、ちょうどここは、清国と日本の租界の境界線だそうです。いわれてみれば、右側の旧日本租界には、日本風の建物があり、左側にはそうでもない建物があります。






こちらは旧清国租界側の建物です。「地球の歩き方」にもこの建物の写真が載っていました。



こちらは、旧日本租界の建物です。仁川には、今でも植民地時代の日本の建物がいくらか残っています。
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ソウル、仁川紀行2007年(6)

2008-05-28 00:02:20 | 旅(韓国)


中華街ですので、レストランが当然たくさんあります。韓国くんだりまで来て中国料理を食べることも無いのですが、やっぱり食べちゃいます。



私が入ってみたのは、紫禁城という大きな店です。ガイドブックを参考にしました。客の入りはかなりのものです。

ジャージャー麺と鶏のローストを食べました。ジャージャー麺は少し甘すぎたかな。でも、これが韓国人の好みです。

韓国は、文化の影響力という観点では、日本以上に中国から影響を受けたと思いますが、食い物に関しては、かならずしも日本ほど中国料理が食われているわけではありません。たぶんこれは、日本人より韓国人のほうが食い物に保守的だからでしょう。というより、日本人ほど食い物に非保守的な民族は少ないかもしれません。





中華街をぶらっと歩いていると、トラのぬいぐるみをこれでもかと置いてある店がありました。今は、北朝鮮の山奥にもトラはいないのかもしれませんが、もともと朝鮮半島のシンボルの動物(のひとつ)はトラです。ソウルオリンピックのときも、トラがシンボルでしたよね。

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ソウル、仁川紀行2007年(5)

2008-05-27 00:22:12 | 旅(韓国)
おいしい食事に満足して、地下鉄の駅を歩くと、階段に物売りがいます。韓国では、地下鉄などに物売りの人がでます。日本だったら、鉄道会社社員や鉄道警察につまみ出されてそれ相応の処分を受けますが、韓国も禁止はされているのですが、実際には大々的におこなわれています。



今回は、ソウルをちょっと離れて、仁川へ行ってみることにしました。今は国際空港がありますが、もともと港町で、チャイナタウンもあります。朝鮮戦争の際、国連軍も上陸しました。日本で言うと、横浜か神戸みたいな街です。

地下鉄に乗り入れている鉄道で向かいます。





一応鉄道の終わりです。私、この光景が大好きなんです。



仁川駅は、ずいぶんこじんまりした駅です。

駅のすぐ前に、中華街の看板が見えます。ソウルには、大規模なものが無いので(明胴あたりにそれらしきものもありますが)、仁川のそれは、一番大規模なものです。かつては、ここに清国の租界もありました。日本のもです。



とりあえず、中華街を散策することにします。

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ソウル、仁川紀行2007年(4)

2008-05-26 00:05:29 | 旅(韓国)
食後の運動と称して、夜の明胴の街を歩きます。





街は、新村などよりは、歩いている人の平均年齢が低いみたいです。ぶらっと歩くには、いい通りです。

スナックを売っているおばさんです。でも、なーんで韓国の女性って、一定のご年齢に達したら、この女性みたいにパーマをかけるんでしょうかね。これも、時代の流れとともに、だんだん減ってはいくでしょうが。




ホテルで暑苦しい夜を過ごし、早々にチェックアウトしました。私のソウルの定宿「メトロ・ホテル」に今日の宿泊の予約を入れました。このホテルは、安くてきれいで、私のような貧乏人にはありがたい宿です。

江南にいき、「プロケジャン」なる店で、カニを食べに行きました。朝っぱらからそんなもの食べなくてもいいじゃんと思われるかもしれませんが、このレストランは24時間営業なので、行きたい時に行けるわけです。






上はしょうゆ漬け、下はカニのビビンパプです。

味はというと、すばらしい味です! 私もそこらじゅうでおいしいものをたくさん食べていますけど、これはすごいレベルです。日本でも食えるみたいですが、韓国で食べたほうがたぶんおいしいと思います。

正直安くはないですが、でもカニが好きなら、絶対食べる価値はあります。というわけで、カニが嫌いではない方は、ぜひ一度食べてください。後悔はしないと思います。
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ソウル、仁川紀行2007年(3)

2008-05-25 10:30:19 | 旅(韓国)
翌日ホテルをチェックアウトして、買い物その他いくつかの用事を済ませ、食事を銅雀というところにあるローストチキンの店でとりました。バンポチキンという地元や日本人観光客の間ではちょっと名の知れた店です。長屋風の建物の1ブロックの中にある店です。




内装もぱっとせず、中も暗い地味な店ですが、ここで食べられるローストチキンは、はんぱでないおいしさです。



フライドチキンにガーリックの味を濃厚につけていて、ほんと感動物の味です。ソウルの在住者は、このチキンを食べることが出来て幸せだと本気で思います。店内には、この店を紹介した日本の単行本や雑誌の切抜きなどもあります。

この後国立博物館に行ったのですが、やや私は体調を崩してしまったらしく、巨大な博物館の前の庭のベンチで、寝転がって本を読んで休みました。結局博物館には入りさえしませんでした。われながら愚かな気もしますが、でもまた来ればいいと気楽に考えました。

安宿にチェックインしたのですが、冷房も満足でなく暑くて閉口しました。が、何とか疲れも取れたので、明胴の通りを散策します。

この街も、韓国名物アクセサリー露店があります。



夕食は、「古宮」という店で、全羅道系のビビンパプを食べました。つきだしがゴージャス。





でも昔旅した全州では、これより段違いにすごいつきだしが出ました。あとユッケも頼みます。おいしい夕食をいただきました。

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ソウル、仁川紀行2007年(2)

2008-05-24 10:18:54 | 旅(韓国)
新村は、サラリーマンばかりでなく、女子大生、高校生も多く、なかなか明るい雰囲気もあります。で、このような街は、おいしい食堂がたくさんあるわけです。



露店がたくさんあって、女の子向けのアクセサリーなどを売っています。

私の入った食堂は、もう何回も入っている冷麺屋です。黒田福美の本で知った店です。



これはスユクというゆで牛肉です。つまり、スープの元の牛肉を出して商売にしちゃおうというわけです。こんなぜいたくなスープのとり方をしているのですから、まずいわけがありません。日本で冷麺を商っている店も、ゆで牛肉とか称して売ればいいと思うんですけど、あんまりそういうことはしていないみたいですね。盛岡なんかでもしていないんでしょうか。盛岡の冷麺て、ずいぶん昔に一度食べただけです。



この店の冷麺は平壌式だそうです。もともと冷麺は、北の方の食べ物で、南のほうの麺は、カルクッスといううどんだそうです。

写真が手ぶれをしています。すいません。

ホテルのある明洞へ移動します。ここも露店がたくさんあります。




私が泊まったのは、イビス・アンバサダー明洞という2006年に出来た新しいホテルです。ホテル・ロッテの前にあります。だから、場所は最高です。部屋も簡素ですがきれいな部屋です。フランス資本のシンプルな部屋です。


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ソウル、仁川紀行2007年(1)

2008-05-23 18:26:26 | 旅(韓国)
前このブログで、36時間未満の旅と題してソウル紀行を書いたところ、わりあい評判・アクセスともに良かったことと、ブログ仲間のRieさん がルーマニアから韓国ソウルに引っ越したこと、同じく仲間のElekt_raさん が韓国へ旅行に行かれるとのことですので、2007年8月にソウルと仁川を旅した時の記事を書きます。なお、この旅は3泊4日でした。


仁川空港で入国手続きを済ませると、金捕空港までの鉄道に乗ることにしました。前回(3月)に韓国へ行った時は開業直前だったので、乗るのはこのときが初めてです。



超近代的ななかなかかっこいい駅です。




切符を買って、ホームへ向います。




いかにも韓国人らしい姿勢のいい女性が歩いていました。ミスコンか選挙の立候補者みたいなたすきをかけていますけど、彼女は駅員です。



車両の印象は、香港のエアポートエクスプレスにちょっと似ているかなと。私が乗ったのは、快速でしたが、他に通勤電車タイプの車両もあります。快適に進みました。なお、電車の中のテロップが、韓国語、英語、日本語のほかに中国語もありました。これも時代というものですね。

金浦空港が終点なので、地下鉄に乗り換えました。ここから新村へ向います。ここは、中心部から少し外れたところにある繁華街で、学生も多いわりと華やいだ街です。

いよいよ旅のスタートです。
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アニセー・アルヴィナ 1979年のインタビュー(5)

2008-05-21 23:43:52 | アニセー・アルヴィナ
━(「シネ・レヴュー」)自分と同じような役者の活動をする人たちのおかげで、あなたはいらだっている喜劇女優のようです。それは、まったく意外なことでしょうか?


(アニセー・アルヴィナ)極端な話、私は喜劇俳優が好きじゃないの! しばらくは、顔を合わせるのも嫌だったし、ついには、いらだっちゃうことに気づいたのよね。やたらいつも、おんなじことばっかり聞かされてね。そういった場合ほとんど、男の方がすぐに気を悪くしちゃうのね。あの人たちって、それが人生だってことがまだわかっていないし、現実の人生の中のいろんなことについての基礎知識も全然ないわ。自分自身の中に閉じこもっちゃって、よそよそしく気難しくなっちゃうの。それって、あの人たちの戯れの中にも残るわね。明らかに誤っているわよ。人生とは何かっていう基礎知識に欠けているのではね。私には、この仕事における最高の学校は、人生であって、何かの講義ではないわね。役者になりたいと思ったとして、技術という点を除けば、人から教わることではないと思うわ。


━喜劇についての授業は、まったくうけなかったのですか?

ええ、でも、私にはそれって全く満足できることではなかったと言わなければならないわね。私はすぐに「レッテル」という面でいらいらさせられたわ。それって、「お前は、その種の役を演じるために存在するんだ」ってことね。あたしが演劇学校の授業に出始めた1番最初の時、 「お嫁さんの学校」のアグネスとジジの役を与えられたの。少々私には重荷だったといわねばならないわ。そういうわけで、私はさぼっちゃった。


マニアたちの小宇宙


━美しさというのは、役者の仕事をする上で重要でしょうか?

美人だってことは、ある意味ハンディね。というのは、フランスでは、美しいと必然的に愚かと見なされちゃうから! ほんと全くばかげているわね!アラン・ロブ=グリエの映画に出た後、私がしらずしらずに太っちゃった理由がそれなの。身体を壊そうとしちゃったわ。考えたものよ。「みんな、あたしを「かわいい女」っていうタイプにレッテルばりするんだなあ。ほんと、そればっかり。あたしは違うのよってことを証明するんだ!」こんな側面もあったわよ。「私が醜いように、でもうまく演じているように見て!」ばかばかしいわよね。他の役を演じられることを証明するために5キロも体重を増やさなければならなかったわ。そのうえ、私が出演した「夜明けのバリケード」やプロのレベルでうまく演じることのできた作品について言うと、今挙げた映画での私の演技にみんな驚いていたわね。それらのジャンルの映画でも、私は役をこなせるってことを明らかにしたってことよね。

次に、そういったことが原因のやっかみもあるわ。感じのいい人がいたら、打ち壊さなけりゃってこと。美人が、困惑したり、少し非難されたり―官能的な側面のようにね。マリリン・モンローやブリジット・バルドー・・・彼女たちは、どこかを非難されたわ。いろんな役を演じてきて、1度くらいはそれが大したことでないと理解する…。私はそのタイプの反応を挑発するのがすきよ。全然そんなことはないけど!


━最後に、あなたは、商業的にはほとんど成功していません。ヒットする映画に出演すべき時期だとはお考えになりませんか?

ええ、それが、私がこの連続テレビドラマに出演した理由の1つね。私の幸運は、ルイス・ギルバートの2本のアメリカ映画に出演したことね。外国での知名度の面で役に立ったわ。フランスよりもほんとに重要だったわ。フランスでは、何それって感じだったから。ほんとごく僅かなものだったわ。フランスのコメディエンヌにとって、外国人に人気があるのって、あんまりあることはないしね。外国では人気はあっても、フランスではいつだって人気を得るべき時なの!今、私はすばやく突き進んで、過去を厄介払いして、テレビでの感覚でいたいの。ブームを引きおこすためにね!

2本のアメリカ映画のおかげで、私は日本ですごい人気を得たの。それは無視すべきことではないわよね。米国からのとともに、日本からも仕事の依頼を直接受けているの。たとえば、「地獄の黙示録」のプロデューサーの1人からね。1か月日本に滞在したんだけど、彼の地ではずっとあたしは人気があるって説明を受けて、とてもうれしかったわ。


━困難な時期を経験して、絶望はしませんでしたか?

したわよ。私はすごい楽観的な時期から悲観的な時期まで、すごい勢いで過ごしたことが何回かあったわ。もう自信をなくしちゃった時期もあったわね。その場合には、自分を疑うことをやめることね。というのは、喜劇俳優の仕事って、自分に助けを求めるしかないのよね。だから、仕事が上手くいかなかったら、問題を再検討して、くれぐれも、物事を悪くとらずに自分自身で最終的には建設的でいることね。それから、たとえば日本で私が人気があることって、気持ちが前向きになるわよね。「日本で人気があるんだから、そもそもフランスであたしに人気がない理由なんて、あるわけがないわ・・・」って、考えているのよ。


━ある種の映画にものすごく出演したということが、今までで顔をあわせた人たちになんらかの反応をおこさせたことがありますか?

ええ、いつだってあたしは付きまとわれているわよ。あたしにすごい好意をもっているマニア連中の小宇宙があるのよね。私を少々困惑させるし、でも今じゃ慣れちゃったけどね。そうは言っても、「ちょっと待って!」言わざるをえない時もあるわよ。すごい意地悪になっちゃうわよね。ベルナール・クエッサンヌとの連続ドラマの撮影の最中にあったわよ。撮影に間に合うため、毎朝7時に起きていたのよ。ところが、夜中の2時から朝の5時までひっきりなしに私に電話をかけるので、電話を取ることが出来なくなっちゃったの。というのは、ドラマのアシスタントが毎朝電話で私を起こしていてくれたから。それってすごい不愉快よね。私はもう眠れないし、昼まで体力に物をいわせて起きていなければならないわ。つらかったけど、他に解決する方法もなかったし。いうならば、不特定多数の人たちの前に姿を見せるっことは、明らかにその類のことに身をさらすってことね・・・。

(了)
                     ((聞き手)ベルナール・アレ)



          *                                                      *


私の解説は蛇足になりますので、手短に済ませます。

いろいろ興味深い内容のインタビューですが、アニセーが日本の話をしているのが目を引きます。日本の雑誌のインタビューでなく、フランスの雑誌でのそれですから、お世辞抜きで、彼女は日本を気に入っていたようです。日本からの仕事のオファーとは、高田賢三監督の「夢・夢のあと」のことでしょう。この映画は、翌年の80年に撮影され、81年に公開されましたが、しかし、この映画でも、彼女はヌードになっているんですよねえ・・・。また、その宣伝のため(でしょう、おそらく)に出た雑誌のグラビアでもヌードになっています。なにも、インタビューでここまで話をしていて、そんなことしなくてもいいじゃんと思うのですが、彼女はセルフマネジメントの能力が弱かったのかもしれません。

ほかにもストーカーに付きまとわれている話とかも興味深いところですが、個人的には、

>「日本で人気があるんだから、そもそもフランスであたしに人気がない理由なんて、あるわけがないわ・・・」って、考えているのよ。


というくだりは、彼女がまもなく映画界を去ることを知っている私には、胸がいっぱいになってしまうものでした。

また、彼女のインタビューを入手できたら、このブログで翻訳したいと思います。



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