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明石アワーズホールの前に

2018年12月11日 | ライブ・公演・舞台

明石、あとになりましたが、振り返りです。明石は神戸市のお隣、西にあり、親しい友人も親戚もいるので、年に何度か行く機会があります。

明石アワーズホールと三田の郷の音ホールには、あの きんぴらさんも はるばる関西までお越しになりました~ こちらが東京に遠征した時にはお世話になっています。

関西でライブと言えば、聖地といわれる大阪か京都に行きたいと言われるのが普通と思うのですが・・ローカルな明石。しかもライブの前に「魚住の住吉神社」に行きたいと言われます。なんでローカルな魚住なんぞの神社に?他にもっと有名な観光場所もあるのに、地味すぎる選択、はて??

調べてみました。→魚住住吉神社 なんと、源氏物語の縁の神社ではありませんか!→源氏物語「明石」巻 あの明石の入道が祈った神社。海の前に建つ神社のHPの画像を見た途端にウ~ットリ・・ すっかり心を奪われてしまいました。

私も是非行きたいです!ということで、J友さんら4人で行ってきました。

JRの山陽本線にのって西に向かうと、須磨の海が見えます。ここは京都から源氏の君が流された場所で、電車の車窓から海を眺めながら、いつも光源氏を演じたジュリーの源氏の君が 海に向かって立っていた姿を思い浮かべます。

が、ジュリーの「源氏物語」では、明石の巻はないのよね。時間的に無理だったんです。神戸市民としては残念です。東が源氏を演じた、橋田寿賀子のシナリオでは有ったの。あれは二回に渡ってやったのでね。明石を演じたのは誰やったかな?古手川祐子だったような・・?

明石から鈍行にのって小さな駅で降りると、海辺の近くに静かに住吉神社が佇んでいました。

さほど広い境内ではないのだけれど、海に向かって立つ神社は 静かな中に厳かさを感じられました。世界平和と、ジュリーさまと家族の健康をお願いしてきました。

きんぴらさんは、宮司さんに御朱印をいただいていました。丸山応挙の絵馬(複製)があると知り、どこですか?とお尋ねしたら、どうぞ拝殿の中に入って見てくださいとのこと、有り難く拝見しました。

この年齢になってから、神社仏閣を参拝するのが いっそう有り難いと思うのは、歳をとったせいだろうか。次の目標は、柴又の帝釈天と とげぬき地蔵です~

神社の周りの景色も古き良き美しき日本を思い起こすような風景でした。初めて降りた山陽魚住駅だったけれど、良い経験になりました。

 

この後は明石駅でJ友さんらと待ち合わせ、ライブの前に明石焼きを食べました。明石焼きの店、まるまるさん。

1人前で15個。おだしにつけて食べるのが、明石焼。ついでにソースもヌリヌリ。ふわふわトロトロ、しかも安い。

実は隣に、もっと有名な行列のできるお店があるの、それでも ここを選んだのは、2013年の明石のコンサートの時に、ジュリーが初めのMCで「パリパリ パリパリ タコせんべい! まるまる まるまる 明石焼き!』と言ったからで、この店の名前が「まるまる」で同じだ~!と思ったの。もちろん タマタマだと思います。

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②三田市 郷の音ホール

2018年12月11日 | ライブ・公演・舞台

J友さんから情報です(^-^)

こちら→“人間・沢田研二”に学ぶ「筋を通す生き方」

こちら→沢田研二の1980年代は妖艶で美しすぎ/芸能ショナイ業務話


yukiさんから情報をいただきました、有難うございます。

●12月30日(日)12:00~14:00予定
BS-TBS 日本レコード大賞 60周年記念特番 「厳選名曲を一挙公開!日本レコード大賞60年の歴史」 


締め切り迫る!→紅白歌合戦2018「出てほしい歌手」「出てほしくない歌手」アンケート募集開始!応募〆切は2018年12月13日(木)18時です。



昨日の三田で、「屋久島MAY」で、ジュリーの突然の空白について、3列の神席(実質2列)でご覧になったゆみこさんから、詳しくコメントをいただきました。 

ゆみこさんより 『「屋久島MAY」のあとは緊張感が走りましたね。
正直、私もどこが間違ったのかよくわからなかったけど、自ら間違ったことを申告したあと かなりの時間の沈黙…
しきりに鼻、目、口元を触ったり上をずっと向いていたり…
その間に変なヤジが飛んで来ないかと、ハラハラしてました。
どうなるんだろうと思ってたら、沈黙にシビレを切らしたカズさんがジュリーの方へ行きかけ、ジュリーがカズさんに何かを言った表情が 少し怖かった気がしたのは私だけかな?
そしてもう一度歌うのかなと思いきや、結局「ロイヤルピーチ」へと行きました。
7日の明石でもヤマトのやり直しがあったと聞いてたし、ツアー終盤近くになって納得できないことがジュリーの中で積み重なってたのかもしれないですね。』

ゆみこさん、詳しく有難うございました(^-^)


ちょっと思い出したことなど・・

三田郷の音ホールは、まだ新しい綺麗な会館です。

      

チケットを見せて入った入り口の前に、いつもいる黄色い原発反対の署名のブースがあって、今回はまた目立つ場所だこと・・ 久しぶりに目の前だったので、署名しました。今回、なんでこんないい場所で?と思ったら、何の事はない ここのロビーはさして広くはなく、ここしか居場所が無かったのでした。

郷の音ホールは大きさが千席未満で、本当はこのくらいの規模が今回の古稀のツアーには似合った大きさなのでは、と思います。で、入ってみて気がついた。ここは二階がないのです。舞台から斜め上にズラーっと席があるの。私の後ろの方から、ジュリ~♪という 男性の野太い声が何度もあがっていました。

「風は知らない」はやっぱり、最初は身構えて聴いてしまうのだけれど、そのうち大丈夫そうだと安心して聴き進む。21歳になるやならずやのジュリーは、その当時どんな思いでこの曲を歌っていたのか。A面は「美しき愛の掟」、GSブームの退潮を言われていた1969年の初めで、それまでメルヘンチックな王子様的な曲を歌っていたのに、それからすると かなり背伸びした愛の歌だった。そのB面の「風は知らない」は、正直に言ってろくに私の記憶には残らなかった。

まして、それから50年たってジュリーが70歳になって歌うとは、ジュリー自身が一番 予想もつかない事だったのに違いない。今のジュリーはどんな感慨を持って、この曲を歌っているんですか?とジュリーにお尋ねしてみたい。ジュリーは今は大空の広さを知っている。知っていて、それでもさらに冒険をしようとしているんだね。 

「マンジャーレ」で、練習しようか・・といいながら2階の無い客席を見て、「しなくていいね。」あら、練習無しなの・・したかったわ!

高槻、明石、三田と ハプニング続きのライブだったけど、それこそライブはナマなんだ、と言うことを教えてくれるものになりました。ジュリー「どういたしまして~」と何度も言ってました(^-^)

最後に、舞台からはけるとき そのまま入ってしまわずに、ヒョコっと顔だけ出して ニーッコリ(^-^) 左手の席の私達は、またもや こっちに向かって笑ってくれた~ !と単純に喜ぶ、昔の少女だったのでした(笑)


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