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86年、架空のオペラ

2014年06月11日 | 新聞・雑誌 記事

86年10月の「女神」の夜ヒットのジュリーを見て、やっと私は
気がついたことがありました。先日、J友様からいただいた、
ジュリーの超色っぽい雑誌記事の画像。
この頃のものだったんですね。

見せていただいた時、ヒエェ~~ 色っぽい・・
そして、あまりにスキャンダラス
いま、こういうジュリーの姿が普通にTV画面に流れたら、
世の人の反響は、いかばかりなんでしょうか??
アップしたいけど、 してもいいのかどうか・・・と、躊躇っていましたが
下さったJ友様は、多くの方に見て欲しいとの事でした。↓

『多くの人に見て欲しい〜! 
私はTGじゃなくて、大人のジュリーが好き。
75年からのファンだから、私も結婚していたし、
ジュリーの私生活には怒りながらも気になって週刊紙買ってました!
ジュリーも、上手にマスコミに対応すればいいのに、
独立もあり、今まではナベプロがガードしてくれたけど、
ぐちゃぐちゃだったのでしょう。私もしんどかった。
91年にNHKで25時間放送したのを見て、
よみがえった人はあの頃を知りたいと言っています』

こう J友様はおっしゃるので それならばと、
私のように忘れた、知らない、という方もあるでしょうから、
遠慮なくアップさせていただきます。

※ジュリー年表
85年、1月から半年間休養宣言をし、ザ・タイガース時代から
在籍していた渡辺プロダクションより独立し、
株式会社ココロを設立(渡辺プロダクションの子会社)し、
レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍。
 

85年、2月 映画、カポネ大いに泣く
    6月 自叙伝「わが名はジュリー」
    7月 コンサートツアー「架空のオペラ」
    8月 シングル「灰とダイヤモンド」発売

86年、4月 NHK「はね駒」
    4月 シングル「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」
    6月 CO-CoLO1 アルバム「夜のみだらな鳥たち」
    7月「架空のオペラ PART2」コンサートツアー
    10月22日 シングル「女神」発売


「架空のオペラ PART2」のコンサートツアーが始まった記事。
86年7月、新宿厚生年金会館

             

沖縄でのコンサート (1986年、10月16日)



コンサートには毎回必ず行っていますが、
こんな衣装 だったとか、殆ど覚えていなくって・・・
「架空のオペラ」のライブアルバムを、あの時 
テンションどん底の私はライブ盤だから買わなくってもいいや
と買わなかったので、コスチュームなど覚えていなかったのだ
 ※数十年のちに後悔してレコードを手に入れました。

私は当時、私生活でマスコミに追いかけられている
ジュリーの姿を見たくなくて、ワイドショーや週刊誌の記事などは、
完全にシャットアウトしていた。 
都合の悪い物は見たくないもの。

でも今は違います、2014年の今 見て見ぬふりをしていた、
あの当時のジュリーを改めて見なおしたい
お陰様で、28年もたってからあの当時の画像を見られました。
今なら、また違った眼で見られます、ジュリーとっても妖艶で色っぽい
すっごく頑張ってたんだな~、やっと気がついた

J友様、有難うございます。本当に有り難い事です

そして、その1年前の85年7月朝日新聞の休業明けの記事
※ネットで拾いましたm(__)m
奇行っていわれていましたね 心身症は当時の流行語だ。


『沢田研二が帰って来た。東京、大阪でのコンサート再開に続き、
近く新曲も出る。昨年大みそかの紅白から約半年ぶりの登場だ。
「復活、でもないし、カムバックでもないし。やぁ、しばらく
。ごぶさたしました、という感じかな。」
デビューから十八年、走り続けて来た。ドラマに映画にと次々に新しい顔を見せ、
矢継ぎ早に新曲を出し、そのつど新しい意匠でファンを驚かせた。
それは、最近はすっかり少なくなったスターらしいスター、ジュリーだった。
しかし、昨日の沢田を今日の沢田が古くする。
はた目にも、伸び切ったゴムの緊張があった。危機感の深まった昨秋、
初めて自分から休養を決めた。
レコード大賞をはじめ、タイトルを総なめにした歌手の半年もの休養を、
今の芸能界はほっておいてはくれない。
「奇行」「心身症」といった記事が芸能誌をにぎわした。
「ちょこちょこっとマスコミの前に出てみて、おお、書かれたな、
まだ忘れられてないな、なんてね。世間の様子を探って少し安心したりもした」
休養の間に長年所属したプロダクションから独立し、レコード会社も移籍した。
再登場にあたっては綿密なプロジェクトを組んだ。
出演番組を絞り、取材に応じる対象を選ぶ。
「映画、テレビ、CMと、各方向から光が当たると、陰の部分がなくなってしまう。
立体感を出すために、光は一本に絞りたい。せんえつですが」とスタッフ。
あえてイメージチェンジはしない。バラードを中心にし、
古いヒット曲は歌わないというだけ。
「昔のファンも、もうすっかりおばさんになってる。
スポーツ的快感ではなく、じんわりと聴いてほしい』


うちはずっと朝日だが、この記事は知らない。関東版のみ???
この時のジュリー側の思惑がわかったけれど、
ファンを「すっかりおばさんになってる」とは、それはない(=_=;) 
まだ、30代半ばのはず。それはともかく、例えおばさんの域になっていても
ジュリーを思う気持ちは、少女の気持ちのままなのに・・・
わかっていないなー、と思う。

 

みんなからのコメント コメントする

YUMIちゃん、昔の若くて美しいジュリーならわかるのですが、今の還暦を過ぎた
ジュリーのファンになってくれて、有難う~☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
「新しいファンなんか増えない、減る一方」と、ジュリー自身がコンサートで
そう話していましたから、ジュリーの素晴らしさに気がついてくれた方には
感謝しきれませんヾ(〃^∇^)ノ いったい、還暦過ぎのジュリーの何が良かったんです?(笑)
ananさん、今晩は~♪ この当時はお忙しかったという事ですが
ジュリーファンはどなたでも、家庭や仕事で忙しい年代でした。
ジュリーも年齢的に岐路に立ち、難しい時であったと思います。
でも今、21世紀になって、沢山のJ友さん達とジュリ~♪と大盛り上がりしているのですから
ほんとにわからないものです。やっぱりジュリーのたゆまぬ頑張りがあったからこそ!
とつくづく実感しています(^O^)
ryoさん、コメントどうも有難うございます♪
ほんとに貴重な記事を見せてくださった、J友様に感謝しています☆彡
ジュリーは妖艶に頑張っていたのですが、ryoさんはこの当時のジュリーには
目が行っていなかったのですね。ジュリーの頑張りが足らなかった、時代の要求に
合わなくなっていた、という事なんでしょうか・・・(-_-;)
こんばんは。
この頃のジュリー、本当に素敵ですね。
まったく後追いの私は、今頃あさる様に観ております。
なんで、当時ジュリーを追いかけていなかったのでしょう。
大!大!大!後悔であります。一生の不覚!
でも今観れて幸せです。
今日も仕事帰りに「アリフライラ」を聴きながら帰ってきました。
saoさん
おはようございます(^^♪
貴重な記事をUPしていただき、ありがとうございます。

この頃は、自分自身も仕事とか忙しかったし・・あまりテレビとかも見れなかったような気がします。

架空のオペラのコンサート・・ほんまに見に行けばよかったと、今更ながら後悔しております。

ライブのレコードの音源を聞くたびに、思います。

当時はなかなか行けなかったコンサートですが、今は毎年行けるようになり、幸せやな~って感じてます(^.^)
saoさん、 おはようございます!
貴重なジュリーを見せてくださってありがとうございます(^^)/
お耽美ジュリーは、今観たかったです。ジュリーが早すぎたのか、私が追いつけなかったのか…。
この頃は、テレビでなんとなく観てましたが、他のアイドルや洋楽に目がいってました(>_<)
こんなに綺麗で色っぽかったとは(泣)
kinpiraさん、今晩は♪コメントどうも有難うございます。
当時のファンはやっと30代になるかならないか、まだまだ若いのに、おばさん呼ばわり。タイガース時代のファンは小中学生が多かったので、ジュリーの方から見れば、おばさんになったと思えたんでしょうか。ジュリー、お互い様ですよ(^^ゞ
そして、少女の時代から見続けていたからこそ、この頃のジュリーの「奇行!」が許せないと、去って行ったファンも多かったと思います。時代の流れや変化など様々な要因が、ジュリーを追い詰めたのかも。
それでも変わらずに、歌しかないと歌い続けてくれたジュリーに感謝したいです。むかーし「ジュリーを好きな自分が好き」という、超自己肯定の台詞があったんですけど、名言です。やっぱり今もそう「ジュリーが好き、そういう自分も好き」幸せな事だと今は思います(^O^)
saoさんこんばんはー。

私も同じ記事を同じジュリ友様にいただいて読んでおります。
このころのことはほとんど知らず・・
当時私の興味はほかに向いてしまい、まったくジュリーを見なくなって
ました。テレビ自体ほぼ見てなかったのですが。
なので奇行だ不倫だ離婚だ・・も風の噂に聞いたぐらいで。
こらーっ!と当時の自分に突っ込んでやりたいです・・(泣
当時ちゃんとファンだった方はいろいろ心痛めて辛い時期だった
のでしょうね。うう・・すみません。

しかし「昔のファンももうすっかりおばさんに」って。当時皆様まだ30代でしょう?
「バラード中心~じんわり聴いて」と言いつつ、今もロックにはじけるステージ。
そんなジュリーに今更ですが会えてよかったです。
コメント

①灘菊と御着城址

2014年06月09日 | 紀行(建築・桜)

日曜日は、H市仲間(姫路市です)のJ友様とランチしてきました。
木、土曜日は伊丹宝塚、日曜日は姫路と、まるで遊び呆けているようですが
そのとうりです。でもちゃんとやる事はやってますよ~
ちょうど、有給中でお休みだったの。
H市は大河ドラマ「軍師勘兵衛」で、たいそう盛り上がっています
ドラマで子供のころからの見慣れた近所の場所や、聴きなれた
地名を聴く度にとっても嬉しくなってしまう。
ランチは姫路の酒蔵「灘菊酒造」
http://www.nadagiku.co.jp/gourmet/maegura



酒蔵の黒い瓦屋根に白い壁、黒板塀など、見ているとやっぱり
日本人だな、しっとりと気持ちが落ち着きます。




赤い扉が物凄くお洒落で、外国のワイナリーみたいだ



お食事は明治に建てられた酒蔵で、入り口のとても大きな招き猫。



3重に折れ曲がった赤い階段が千と千尋の神隠しの世界に来たみたいです。

    

梁をめぐらしたお食事場の天井が高く、土壁が懐かしい。
昭和の30年代頃には土壁は普通にあったよね。



女性好みに綺麗に盛り付けられた「羽柴」


   
粕汁のお鍋がほんのり甘くて美味しかった。車を運転しない私だけが
日本酒を頂きました。お米は、黒紫米で赤くて綺麗。
       
デザートは甘さは控えめ、日本酒のゼリー、黄金色に輝いてこれも綺麗~

       

ランチの後は、私ならきっと行きたいだろうと、J友様が気をきかせて下さり
勘兵衛の縁の地巡です。嬉しい、もちろん行きたかったの!
官兵衛の主君だった、小寺氏の居城御着城址。今は何もないけど
お城を模した、役所の出張所がなかなかいいでしょ。



年輩のボランティアガイドの男性が、親切に
物腰柔らかく 
丁寧に説明して下さり、お蔭様でよく歴史のお勉強になりました。

         

勘兵衛の母とお祖父さんの廟所



近所の天川に昭和40年代まで架かっていたという、立派な石橋。
今は、出張所の裏に移築されている。
かつて江戸時代の参勤交代の武者行列も、この上を通ったのだろうか。



J友様、車での移動、どうも有難うございました。
この後は、J友様の別宅?別荘?セカンドハウス?で
ジュリーを肴にお喋りです。
正確には、亡くなられたお姑さんのお宅です。




 

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YUMIちゃん、コメントどうも有難うございます♪
遊びすぎですか?時間が有ればどっかに行こうと思ってしまうんです。(^^ゞ この他にも、ジュリー以外でもお誘いをいっぱいいただいてます。お誘いが無くても、1人でもどこかに行こうと思ってしまいます。
ananさん、コメントどうも有難うございます♪
大阪からなら、なかなか姫路方面までは来られる機会は
ないでしょうね。ジュリーが龍野でコンサートをしていた頃なら
足を延ばして、見て貰えたのに、ここのところジュリーは
姫路方面にはコンサートは来てくれません(´ε` ) 
良いですね~!酒蔵!いい響き!
行きたいな~!古民家も素敵ですね。
遊び過ぎですよ~!(笑)
saoさん おはようございます(^^♪
歴史が感じられて、風情のある素敵なお店ですね。
お食事も、美味しそう~。
姫路の方は、一度しか行ったことがなくて・・。
また行ってみたいです(^.^)
  • anan
  • 2014年6月10日
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磯前先生と、堺でございます

2014年06月08日 | TV・ラジオ・CM・映画

昨日は、前にお知らせした日文研東京公開講演会
6月7日13時半~16時 有楽町マリオン11階
社会史版「ザ・タイガース 世界は僕らを待っていた」磯前順一
戦後民主主義と経済成長

J友様が参加されたそうで、私も近いところならば行きたかったです。
ピーがゲストで参加し、J友様はピーの近くの席を確保したそうです。
簡単に内容を伺いました、有難うございます。

 

 『内容は磯前さんが本で書ききれなかった、タイガースと当時の
時代背景を主に詳しく説明していました。

天皇制とか、キャンティの文化とか、ヒッピーとか、星の王子様だと
思っていたタイガースも
時代の大きな流れの中で生きた
普通の青年だったんだなと思いました。

ウエスタンの君だけに愛をの映像から始まって、キャーでしたよ。

君だけに~♪と歌ったところで、終わってしまいました・・・。』

   
                 

昨夜の「堺でございます」のゲスト、池上季実子さんのジュリー話


堺さんの「二十歳のころに太陽を盗んだ男に出ましたね」の問いに
沢田研二さんの大ファンだったんです!
ちょうど秋吉久美子さんとTBSでドラマをやっていて、休憩時間に
食事に行くときにジュリーが入って来て、感激してボロボロと涙がこぼれて
秋吉久美子ちゃんに、バカじゃないの!と言われた。

それくらい好きだった。
堺さんが「共演しているじゃない。」
それが不思議なんですよ、ドラマになると別。実際お目にかかった時は

役者という感覚になれるんですよ。



秋吉さんの「バカじゃないの」は誰もファンになったことのない人は
呆れるかもしれないけど、ファンなら泣く気持ちはよくわかりますよね

このお話を聞いていて、むかーし 池上さんがまだ10代の頃の
雑誌の、ごく小さなインタビュー記事を思いだしました。
インタビュアーに向かって池上さんは

『ジュリーが好き!大好きなの!とポニーテールをゆらしながら話した』
という記事。ポニーテールを揺らしながら、という所で いかに池上さんが
勢い込んで話たかという事がわかりました。
そんな小さな記事をなんで私は覚えているのか、と聞かれれば、もちろん
ジュリーの事だったから、いまだに覚えているのですよ~


                   

木曜日に行ったばかりの、宝塚、伊丹。土曜日はガーデニングの買い出しに
行きました。6月は主人のお誕生日月で、宝塚のガーデンから
金券を送ってきてくれるの、今月じゅうに使わないといけない。

私にとって、宝塚、伊丹は、歌劇や空港の街ではなくて園芸の街。
どちらも、かなり昔からの伝統で園芸屋さんが集まっている。
近所にも園芸店はあるけど、宝塚伊丹はお洒落な建物や広いガーデンもあり
見物するだけでも、気持ちがいいの。

宝塚の「あいあいパーク」ブログ登場は三回目かな?駐車料金しかかかりません。

 

     
 



伊丹近辺の空は、遮るものがなく どこまでも高く広い。高層ビルが無い。
ああそうか、伊丹空港があるから高い建物はNGなんだと
やっと分かった。

もうこれ以上 花の苗は買うまい!そう思っていたけど、またまた可愛い花の苗を
見てしまったら、ついつい買ってしまいました。




 

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ananさん、コメントどうも有難うございます♪
秋吉さんには理解しがたかったのでしょうが
あの頃の少女達がどれくらいジュリーに恋焦がれていたのか
池上さんが泣いた気持ちは、私たちには今でもよーっく
わかりますよね!☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
saoさん
おはようございます(^^♪
磯前先生の講演会の様子をご紹介くださり、ありがとうございます。
池上季実子さん、太陽を盗んだ男のときは・・お若かったんですね。
ファンなら、泣きますよね~。
突然大好きで憧れてるスターが、目の前に現れたら・・。

今日も綺麗なお花の画像をありがとうございます。

  • anan
  • 2014年6月8日
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こさわさん

2014年06月04日 | JULIE

古沢さんのラジオを聴きました 「こさわ」さんだったんですね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B2%A2%E8%89%AF%E5%A4%AA

「三丁目の夕陽」や「リーガルハイ」の脚本家 さんであるとは知っていましたが、私のお気に入りの映画「キサラギ」や、あのTVの名作「鈴木先生」も書かれていたのですね!どっちも素晴らしい面白い作品でした!それは嬉しい発見です

ラジオによると、
ジュリーは古沢さんの世代(73年生まれ)とは違うが
圧倒的オーラのスターという感じがした。大人になって最近の曲も
聴くようになってハマッた。ジュリーは毎年アルバムを作 って1曲1曲
勝負している。TVに出ていなくても、この人は凄い人だ。
ジュリーはエンターテイメントに関わる人の憧れ。

古沢さんが選んだ曲は、1986年の「無宿」 作詞はジュリー。
カッコイイですね!ロックですね!

本当の事は何もないさ 何も有るわけないだろ ♪
水だ 空だ 風だ この世はすべてエンタメさ・・・♪


この姿勢!多分86年は、沢田さんは独立して自分のPBレーベル
を出し、一部からバッシングされていた時代だと思うんです。
本当の事は何もない、生身の僕とTVで歌っているジュリーを
混同するんじゃない。 ジュリーは全部虚栄なんだよと
歌っている気がして。

最近のジュリーは自分の唄いたいことを訴えている、福島の事を
歌っている。
GSがダメになったあと、ショーケンたちとやったPYGが
凄くカッコ良かった。滅茶苦茶カッコイイ、短命だったけど。
ジュリー!ショーケン!とキャーキャー言っていたのに
女の子はピンとこなかったんだろうか。
ソロになって沢田さんはカッコ良かった、エンタメまっしぐら。
バリバリロック、お化粧したりしてビジュアル系の先駆者。
1曲1曲のパフォーマンス、実体のない感じが大好きですね。


                       

「無宿」は久し振りに聴くような気がしていたけど 実は
そうではなく、アルバムで聴いていたのだった。
やっぱり正直に言うと、歌詞がねー 今も聴いているとツライの
あの頃のジュリーは、TVで見ていて 痛々しくもあった。
歌と現実のジュリーを混同するなと言われても無理な相談でしょ

当時、あの圧倒的スターであった筈のジュリーがもがき、苦しんでいるのを
知っていたからこそ、どうしてもジュリーの姿と重ね合わせてしまう。
曲は、穏やかなようでいて実は爆発したいけど爆発しない、
その中に秘めたものが、聴くこちらにもどかしささえ
感じさせられてしまうのだった。



 

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ananさん、今晩は~♪コメントどうも有難うございます♪
昨日の古沢さんのジュリーのお話は、もっともっと沢山
聴きたかったですね!
ジュリーの眼は透き通るようですね、何が写っているのかと
思います♡

saoさん
おはようございます(^^♪

いつも情報ありがとうございます。
昨日のラジオ、聞きました。
もっといろんなお話、聞いてみたかったです(^.^)

ジュリーの目、素敵ですね~♡
ryoさん、おはようございます。
御世話になりっ放しで、申しわけありません。
多分、どなたかYOUTUBEに上げて下さるのでは?
思いますが、私ので良かったらどうぞご自由に
お使いくださいね(´▽`)
saoさん、おはようございます!
私、実は古沢さんのラジオ聞けませんでした(>_<)
saoさんが聞いてて良かったです(笑)
私のラジオで紹介させて頂いて良いでしょうか?
今日の私のブログも、ご遠慮なくどうぞ\(^o^)/
コメント

ジュリーファンの脚本家、古沢良太さん。「無宿」

2014年06月03日 | JULIE

ジュリーファンの脚本家、古沢良太さん。

今宵、ロックバーで~ドラマな人々の音楽談議~「古沢良太」 再放送

チャンネル:ラジオ第1  放送日時: 2014年6月3日(火) 
午後9:05~午後9:55(50分) 

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20140603-05-76653
流れる曲が「無宿」沢田研二
※去年の「情熱大陸」に出られたときにも流れたそうです
                       

正直に言いますが無職・・・じゃなかった「無宿」
この曲は『CO-CóLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜』1986年6月25日発売、
※今見たら岡本太郎風のアルバムジャケットですね



http://www.amazon.co.jp/CO-CoLO-1-%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%8C/dp/B00005GLUW

 
この曲ですが、あんまり聴きこんではいません。
ナベプロを離れて、新しい事務所になってからの第一作です。
 「夜のヒットスタジオ」のDVDにも収録されていますが
 これも一回観ただけ。いい思い出が無いんだもの。
この曲でジュリーは何が言いたいの? そう私は冷たくも
思っていた。 自分の居場所が無いってことなのかな。
 今、歌詞を見れば非常に意味深で、私小説風。
 私は「無宿」を理解しようという努力をしていなかっただけのようです。
でもそれは当時のまだ若い20代のファン層の求めるもので
 あったとは思えない。
ジュリーの想いとファンの想いに大きな乖離があるよね
 ファン無視と思っても仕方がないと思うの。

この曲が発表された頃のジュリーは 曲は売れず
 マスコミに追いかけられ、暗くてヤサグレテいました。
ソバージュヘアのジュリーは、今見れば退廃的で背徳的で
妖艶で爛熟した美しさ・・・・今にも崩れて消えてしまいそうな危うさだ。 
 当時はどうしちゃったのジュリー?そう思った。
70年代は同じアルバムを何度も何度も繰り返し聴いていた私も、
この頃から新曲も数えるくらいしか聴かなくなり、シングルも買わなくなり・・

 ファンはやめないけど、アルバムさえ買えばそれでいいや、
そう思っていた時代でした。当時は私と同じような考えの
 ファンが多かったのでは?ファン自身も結婚出産等で忙しく
女性の転機と言える時期と重なっていたと思う。
レコード店にジュリーのコーナーが無くなったのはこの辺かな?

 

コメント

「花も嵐も寅次郎」スケコマシのジュリー

2014年06月02日 | TV・ラジオ・CM・映画

神戸のトークショーのお知らせハガキが、うちにも届きました

     

J友様から、「花も嵐も寅次郎」の時の松竹大船撮影所で撮った
写真はまだあります、と送っていただきました。有難うございます(^O^) 三郎青年のジミな衣装のままですね。
82年10月17日




スケコマシって、スンゴイ題名ですが、この夢の部分のジュリーって
カッコイイイです!三郎青年とは別人
歌はジュリーソングカレンダーから。


曲は「SCANDAL ! 」作詞・微美杏里  作曲 ・沢田研二   編曲・吉田建
TBSラジオ「NISSAN ミッドナイトステーション」から生まれた企画アルバム
 カセットで発売された。
wikiで詳しく⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/JULIE_SONG_CALENDAR


微美杏里(ヴィヴィアン・リーからとったらしいペンネームは女優の藤真理子さん)
実はラジオでジュリーが流したときは、それほど好きでもなかったけれど
この夢のシーンとは、ほんとにピッタリの曲でしたね。
このなかで「あんたなんかイモよ!」というさくらの台詞があるんですが
ワザと?もしかして、かつての新幹線事件に引っ掛けてあるのかな?
だとしたら、ジュリーも82年当時 売れているから余裕しゃくしゃく
何を言われても大丈夫!ってとこなんでしょうか?
JULIE SONG CALENDER ↓http://www.hmv.co.jp/artist_%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%8C_000000000016732/item_Julie-Song-Calendar_1697945

 

 見ていなかったと思っていた「オレたちひょうきん族」、ほんとに
記憶っていい加減。。。。
「ひょうきんベスト10」で、西川のりおさんが、毎回ジュリーをやっていた。
「麗人」の扮装で、三つ編みをブンブン振り回していました。
おまけにタケチャンマンのあの衣装、ジュリーのTOKIOのパクリというのは
有名な事実でした。忘れてた~ 見てたんだ!

 金曜日の「花も嵐も寅次郎」の舞台挨拶で、明石屋さんまさんの事を
特に取り上げるつもりは元々、全く無かった。特にファンでもないし。
でも、さんまさんの事を書いている途中で色々思いだしてきて、
エピソードが思わず膨らんでしまった
「ひょうきん族は」81年からだから、舞台挨拶当時のさんまさんは
もうかなり世間には認知されて、人気者になっていたのだろう。
でも、あの舞台挨拶に来た人には期待も人気も無かったという事かな。
原宿で再びさんまさんを見た、89年頃は「ひょうきん族」が終わった年だから
番組自体の寿命はつきていたが、さんまさんはもう 大スターに
なっていたという事。

 

しかし、明石家さんまさんの当たり役。「アミダばばあ」
衣装はなんとコシノジュンコがデザイン。
テーマ曲「アミダばばあの歌」作曲は、あの桑田佳佑。(84年3月10日まで活躍。)
へぇえええ~、知りませんでしたぁ

 

 

 

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YUMIちゃん、今晩は~♪コメントどうも有難うございます♪
「SCANDAL」思いだしましたか☆彡
衣裳もフリカもッコいいですよね♡
バックダンサーは、松竹映画だからOSKじゃないのかしら?
と思いましたが、この頃にはもうなかったかも。
ryoさん、お返事が大変遅くなりましたm(__)m
純情青年のジュリーもスケコマシのジュリーも
どっちも似合ってしまうのがジュリーですね(^O^)

さんまさんが、白衣を着て原宿の路上で暴れていたのは
間違いないのですが、風船を爆発させていたのかどうかは
覚えていないのです。YOUTUBEか画像がないか
探しましたが、見つけられません(-_-;)
saoさん、「スキャンダル」の動画アップありがとうございました。
思い出しました(笑)ダ!ダ!ダ!ダイヤモ~ンド♪
ウエストサイドストーリーの様なダンスシーンでしたね。
あのダンサーさん達は女性ばかりでしたね、「OSK」とか「宝塚」とか・・・?だったのかしら?
このシーンのジュリーはかっこいいですね!
saoさん、おはようございます!
三郎青年の画像、ありがとうございます(^^)/
地味な服でも(地味だから余計に?)格好良いですね。
このYouTubeのジュリーはスケコマシ(笑)でしたが、格好良くて、どちらも好きです♡
89年に見たさんまさんは白衣を着てたそうですが、水の入った風船を地面に落として、ビックリさせるコント?ですかね。
コメント

神戸でトークショー

2014年06月01日 | JULIE

去年、神戸のホテルオークラで初めて行われた、ジュリーのトークショーですが
今年も10月15日に行われるそうです。
うちにはインフォメーションは届いていませんが、京都のJ友様には、
お先に昨日 お知らせが届いたそうです。
インフォが送られるのは関西圏と岡山の7県のみのようですが
うちは、明日には届くかしら



そして、京セラに行かれたJ友様からタイガースの手形の
ジュリーのみの画像を送っていただきました。
やっぱりジュリーだけのアップが見たかった~
有難うございます この名前は自筆なの?

 

お孫さんと京セラに行かれたそうですが、手形ばっかりが並ぶ
異様な雰囲気に、お孫さんは怖がってしまっていたとか・・・

このところ私が毎日、日参している、一世代下のジュリーファン
ryoさんのブログ「こじらせ猫」
で教えていただきました。
おぎやはぎ驚愕!吉田豪が語るジュリー・沢田研二最強伝説



「最強」っていうから、てっきり人物が「偉大」と言いたいのかと思った
ほんとに「最強」だったのね〜
はっきり言って、かなり大袈裟!だけど、かなりそう・・・・
でもピー先生の話は大袈裟だあ!と思います。
二度目の新幹線イ〇ジュリー事件の話がなくて、良かった・・・

 

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YUMIちゃん、今晩は~♪
そういえば、ジュリーの手相を見た占い師の方が
今まで見た中で、ジュリーが一番素晴らしかった!!✨ 
と感動されていた記事を読んだことがあります。
バースデイパーティーにトークショー、お楽しみが
増えましたね(´▽`)
こんばんは。手形のアップ写真ありがとうございます!

手相読みが出来ればいいんですが・・・。知識不足で・・・???

トークショーにお誕生会、楽しみですね。
よろしく願いしま~す。
ananさん、コメントどうも有難うございます♪
ananさんはトークショーには参加されないのですか?
値段はともかく、ジュリーとベッタリ 濃密な時間が過ごせますよ(^_^.)
しかし、生のジュリーの手形を見てみたいものですね~!
さくるりママさん、今晩は~♪お返事が遅くなりましたm(__)m
「イ〇ジュリー事件」は1976年に新幹線内で、ジュリーに対して言われた言葉です。
こちらをどうぞ→ 1976年の新聞記事
http://town.zaq.ne.jp/u/0224sao/nz1py1gd4s5m85
新聞記事にはその言葉は使われてはいませんが・・・
saoさん
こんばんわ(^^♪

トークショーの情報、手形のお写真・・ありがとうございます。
やっぱり、アップのお写真はいいですね~(^.^)
お花も綺麗です。


saoさん、こんばんは。
お花綺麗ですね。

二度目の新幹線亻○ジュリー事件の話って?凄くきになります???

ryoさん、いつもYOUTUBEを教えていただいて有難うございます。
毎回、面白くって時間がたつのを忘れます(^^ゞ
「最強伝説」はかなり大袈裟にはなっていますが、確かに
かつてそんな話があったと聴いたことがあります。
しかし、ジュリーはいったい どんな人なのかと思ってしまいますね~
少なくとも、数々の武勇伝は若気の至りと思います(´▽`)
saoさん、こんばんは!
ピー先生の、失神の件は字幕で出てました(汗)紛らわしい書き方をしてすみませんm(__)m
吉田豪さんのインタビューの話は、樹木希林さんと内田裕也さんの話とか面白いので、良くネットで見てそこでジュリーの事を話てるのを知りました。
やっぱり大袈裟なんですかね( ´艸`)
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