のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

父ちゃん母ちゃん元気で待っていてくれよな

2014年07月15日 08時18分17秒 | ボランティア

ああ上野駅 この曲の一番と2番の間に こんなセリフが入る

父ちゃん 僕が居なくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうな

今度の休みに必ず帰るから その時は 父ちゃんの肩も 母ちゃんの肩も

もういやだっていうまで叩いてやるぞ それまで元気でいてくれよな

 

 

集団就職で 東北などから大勢の中学生が東京へ来た

行き先は 大田区の町工場 新宿の飲食街 そして 葛飾 江東 墨田へ就職した

新聞配達や機械工場など女子も工員 店員が殆どであった

 

15歳の年齢である 仕事も辛く故郷も恋しかっだろう

そんな時は上野駅に行って 故郷へ帰る列車を見つめていたかもしれない

お盆には しばしの休暇を頂いて 土産を持って故郷の両親に会う

 

昭和29年から50年まであった 集団就職 私も当時 中学を卒業した

景気もよくなりつつあり 昼間の高校へ通う生徒が殆どだ

私は町工場で働き 夜は学校へ行った 

 

学校へ行けない方は 中卒で 就職した

人手不足も加わり 東北から 若い子供たちを東京で働かせた

金の卵と称せられたが 実態は厳しい零細企業の中で働いていたのである

 

 

これらを物語るように 井沢八郎さんの ああ上野駅が歌われ この心情を表す

言って見れば 私たちの世代と同じ歩みで この歌にも郷愁のようなものがある

昨日も 介護施設に行って この歌を皆さんに歌って貰った

 

セリフの部分は間に入れられないから 私が歌の前に この部分を感情こめて読む

みんな 分かるだけに静かに聞いている 心にしみる言葉だ

集まっている皆さんと私は そんなに歳が離れていない 世代も歌も共通だ

 

 

前回まで ここは 何かだらだらと集まり 終わりは大勢になってスタッフも集まる

担当者に話して 始めは しっかりと人数が少なくても これから歌う雰囲気にしよう

ある程度は歌に集中して行こうよと話して スペースも事前準備して貰った

 

フロアの違う入所の方も集まる 初めての方も居るだろうが 歌はすぐに溶け込む

終ると やはり皆さんの笑顔が幾分違う 私も手ごたえが感じられる

比較的 元気な方が多いが 多少の認知症の方も居るようだ

 

元気な方には 元気に歌って貰う

歌えない方は 心で歌って貰う 何も通じない方には 眼で心を送る

どこかで届いて 記憶の糸を呼び戻し 笑顔が浮かべば それが私の幸せでもある

 

昨日の歌の数々

ああ上野駅 憧れのハワイ航路 あの丘越えて 青い山脈 上を向いて歩こう

北国の春 高原列車は行く 高原の駅よさようなら 月がとっても青いから

東京音頭 東京ラプソディ 啼くな小鳩よ 夏はきぬ 夏の想い出 港 我は海の子

喜びも楽しみも幾年月 水戸黄門のテーマ 越後獅子の歌

始まるまで演奏 ベサメムーチョ アロハオエ 上海帰りのリル

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

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コメント (8)
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