のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

平和への 願いを込めて 歌に寄す

2019年08月15日 09時52分50秒 | うたごえ

あれは何年前だったろうか 多分夏の日だった 場所は靖国神社 何気なく寄ってみた

神社境内で 本殿とは離れた場所で 高齢の男性がラッパを吹いていた

私には分からないが 軍隊で何かの時に吹くものか その姿が侘しかったのが妙に忘れられない

 

戦地で散った戦友への鎮魂歌だろうか 自分一人で故国へ帰った辛さだろうかとも思われる

御国のために 決して生きて還るな いのちを捧げよと社会は求めている軍事下でもある

だが 本音は生きて還って 口には出せぬ忸怩たる思いも 家族も恋人も思ったことであろう

 

 

私の一度も見なかった叔父は 硫黄島で戦死したと言う 

たった一枚の紙切れに命の尊厳も無く知らされてきた

両親は 自分の兄弟でも 哀しみを表すことは許されないのか このことに触れたことは無い

 

 

軍隊では無い 普通の仕事や家事にある健康な男子には 召集令状で日本兵として前線に行く

無残に戦地に散り 当時の勝者のニュースが累々たる日本兵の死体を映し出していた

思想も宗教も私には無い たた 国に命を捧げた その鎮魂の靖国神社 

国のトップが不戦の誓いを持って 堂々と参拝して欲しいものだ 散った命が浮かばれない

 

 

昨日は 下町のうたごえ 台風の影響で 突然激しい雨が降ったり 晴れ間があったり

そんな最悪でも75名の方が 亀戸カメリアホールに参加してくれた

皆さんの優しさと活気が 私の健康と意欲にも繋がっている いつも感謝の気持ちは忘れない

 

意識して 終戦記念日や 鎮魂の夏を迎えると 平和の社会の大切さがひしひしと迫ってくる

歌の多くが そんな平和と戦争の虚しさを 曲の中に秘めて訴えていることを感じる

私たちが普段歌う歌 あるいは うたごえでは歌わないが 心痛める名曲が多い

 

 

『埴生の宿』 この歌自体には 反戦も含まれてはいない 自然への感謝である

しかし あの映画 「ビルマの竪琴」に流れる 水島上等兵の調べは 胸を打つ

勝ち味の無い最後の総攻撃の途中に竪琴を弾きだした調べに 両軍しばし射撃砲撃を止めた

 

そして敗戦 生き残った日本兵が引き上げる時に 水島上等兵は 亡くなった両軍の兵士ほ弔う

その為に現地に残り僧侶にもなった 別れのシーンの 塀の向こうから聴こえてくる 埴生の宿・・・

昨日は ミャンマーの遺骨収集の情況がテレビで伝えられていた

 

現地の日本兵の戦死者3千人 未だに故国へ帰れず ミャンマーの土に放置されているのだ

政府も遺骨収集の政策を示しているが ミャンマーの民主化以降 少数民族への迫害などがある

まだ平和が戻ってはいない 内戦状態で 現在は休止である

 

そんな中である民間人 大学の教授で有りながら僧侶でもある方

必死に せめて日本の土を踏ませてあげたいと 一人で遺骨収集の作業をしている

内戦は落ち着いていない中 遺骨と言えど それは命があった証しの骨である

 

 

『長崎の鐘』 長崎原爆のとき 当時放射線技師の 永井博士が寝食忘れて被爆者の診療をした

数日経ってから 妻はどうなったか探しに行った 勿論助かってはいない そこにはロザリオが・・・

自らも被爆者 残る命を妻への懺悔に庵を作り数年過ごす サトウハチローさんが作詞された

 

『もずが枯れ木で』 これもサトウハチローさんが作詞された反戦歌と言えよう

『鐘の鳴る丘』 今日も朝ドラで 戦後の混乱期の両親を亡くした子どもたちに この歌が流れる

この子たちに 食べるものを与え 学習もさせようと実際に奇特な方がいた

 

「君の名は」の作者 菊田一夫さんがこの作詞である

信州の有明の近く このモデルの学校があり 今でも 鐘の鳴る丘音楽祭がある

サーカスの唄』 満州に行かれた方たちが 自分たちの境遇と重ねて歌ったと聴く

 

 

『誰か故郷を想わざる』 この曲も はるか日本を想いながら歌っていたものだ

南国土佐を後にして』 四国・高知の部隊が くじら部隊と名付けられ 故国を偲んだ話しに基づく

ペギー葉山さんは 今までのジャンルでは無いこの曲に抵抗を示したが 実話を聴いて決意した

『りんごの歌』 この歌も同じように 依頼された並木路子さんは 私には歌えないと拒否をした

何故ならば 彼女の家族も戦争や 東京大空襲で亡くなり 失意の中では歌うことが出来ない

しかし それだからこそ 明るく歌って 聴く者に癒しや励ましをと説得されてのヒットであった

 

人生の並木道』 ある方がテレビで語っていた

満州から いのちからがら逃げ惑いながら ようやく引き揚げの港に着き船に乗ることが出来た

やがて 日本が見えた時 誰かがこの歌を歌ったら みんな 涙で大合唱となったと聴く

 

『星の流れに』 看護婦として戦地に行き 引き揚げてきたが 頼る家も家族も無く飢えにもあった

上野の地下道で おにぎりを恵んでくれた人があった それにむさぼりついて食べた 美味しかった

あとは 身体を売るしか生きる道は無い彼女 そんな投書をした こんな女に誰がした・・切ない

 

かえり船』 田端義夫さんが歌っていたが やはり引き揚げ船で故国へ帰るときを詩に託していた

なかにし礼さんが 日本の姿が見られれた時の歓びを語る

それは 万歳では無く ハレルヤが胸の内から 込み上げる感情だったと言う

 

岸壁の母』 品川区に住む母が 引き揚げ船が着くたびに舞鶴港で息子の姿を探す

死亡通知をしても もしや もしやの思いで通う姿が涙を誘う

3年前に亡くなった私の妹 この曲のセリフ入りで優勝するほど 得意な曲だった

 

 

昨日のリクエスト34曲

埴生の宿 長崎の鐘 もずが枯れ木で 波浮の港 鐘の鳴る丘 お山の杉の子

ラジオ体操の歌 昔の名前で出ています ローレライ 美しき天然 夢の中へ

サーカスの唄 誰か故郷を想わざる 忘れな草をあなたに 少年時代

 

ふるさと 月見草の花 まりと殿様 人生の並木道 ああ上野駅 青い山脈

泉のほとり おぼろ月夜 学生時代 君恋し 南国土佐を後にして

サトウキビ畑 青春時代 千の風になって 宵待ち草 からたち日記 宗谷岬 二輪草

 

 

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