らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「挨拶」が返らない人

2024-05-01 | 雑学

雨の日を除いて毎朝、約1時間の早朝ウォーキングをしています。
同じ時間帯にウォーキングをしている人が数人おり、その人たちとは「お早うございます」と朝の挨拶を交わしています。
ところが、私が「お早うございます」と挨拶しても、挨拶が返ってこない人がいます。
次回挨拶をした時も返ってきません。
私はこのような人でも3度は挨拶します。
しかし、それでも返してくれない人には以後、挨拶しません。
「仏の顔も三度まで」ではないですが、その人は礼儀を知らない気の毒な人と無視するようにしています。

でも、何故、挨拶をしないのでしょうね。
見知らぬ人とは言え、同じウォーキングをしている人同志ではありませんか。
朝一番の挨拶は新鮮な空気と共に、心が晴れやかになって気持ちが良いと思うのですけど・・・。

「挨拶」
「あいさつ」を漢字で書くことはあまりないかも知れませんが、漢字では「挨拶」と書きます。
「挨拶」の漢字の意味は、
・挨(あい)は「押す」、
・拶(さつ)は「迫る」です。
漢字だけの意味では「押し合う」という意味になります。

「挨拶の語源」
「押し合う」という意味の「挨拶」は元々、仏教の禅宗で使用されていた「一挨一拶」(いちあいいっさつ)という禅語からです。
「一挨一拶」は、ひとつ押し、ひとつ迫る、心を開いて接するというような意味合いで、問答を交わして相手の仏法修行の悟りの深さをはかったのです。
禅を修行しているお坊さん同士が出会ったとき、相手がどのくらい悟りの道を進んでいるかをたしかめるやりとりを意味する「一挨一拶」が短くなって「挨拶(あいさつ)」になったということです。

「挨拶の意味合い」
仏教でこうしたやりとりが生まれたのは、中国で仏教が禁止された時代のことです。
そのとき、禅の修行僧たちは山のなかにかくれ、たまに出会う修行僧同士で問答をして悟りの道を探しました。
つまり一挨一拶は相手が仲間かどうかを確認するためのものだったのです。
西洋では握手をしてあいさつします。
これも「私は武器を持っていません」ということを示すためです。
つまり、あいさつは味方や仲間であることをアピールするものなのです。

「挨拶が何故大切なのか」
あいさつは、単なる社交的、儀礼的な言葉ではありません。 
互いの存在を認め、関心を持っていますよと知らせるためのものです。
そして、相手に敵ではないことを知らせる手段でもあります。
自分があいさつしたのに相手から反応がなかったとき、多くの人が不快感を持つのは自分の存在を認めてもらえなかったと感じるからです。

「挨拶が返ってこない人」
挨拶は、相手に対して親愛や尊敬などの気持ちを示すための振る舞いです。
その場面に適した挨拶・礼にかなった挨拶は、相手と良好な関係を築くきっかけにもなり、人間関係を円滑にするための手がかりにもなります。
挨拶は社会のあらゆる場面において基本的な礼儀・マナーとして重んじられる作法です。
挨拶が返ってこない人には、「この人は最低限のマナーを知らない気の毒な人」と私は思うようにしています。

挨拶が返ってこないと、朝一番から嫌な気持ちになります。
他人同士であっても、時々顔を合わす間柄なら、挨拶くらい交わしたいものですね。

コメント (1)
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