ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

胃カメラのせいで告別式には ・・・

2008年07月22日 | こんたく堵


まさに、このような姿勢でした!
今日、「胃カメラ」 を初体験しました。
心に何の準備もなしに ・・・・・



  ◆ 末娘が撮ってきた 「天王寺動物園」 の動物の写真を無断で拝借! ◆


昨夜、お通夜から帰ると、
嫁さんと息子は仕事で帰宅が10時頃になるとか ・・・
上の娘は大学の部活(サークル?)でいつ帰るやら ・・・
末娘だけがいつものようにリビングのソファーに “ドテッ” と ・・・

 私 : “もう、晩飯食べた?”
 娘 : “うん、適当にあるもん食べた”
 私 : “(晩飯)何、あるん?”
 娘 : “ハンバーグとさんまの一夜干しと ・・・”
 私 : “また、カロリーと塩分高いなぁ~! 太るでぇ(笑)。”
 娘 : “もう太ってる ・・・ (怒)。”
 私 : ( “ジャンジャン!” )

といった感じで何故か面白おかしく末娘としゃべった。お通夜で神妙な気分に
なったためか、“ひとりでワインを飲むのもなぁー” と思い、娘が作ってくれる
酎ハイを飲みながら、「ナイター(野球中継)」 でなく、「月9」 に付き合った。
「CHANGE/主演:木村拓哉)」 が終わり 「太陽と海の教室/主演:織田裕二」
が始まったらしい。( キタぁー! )

ドラマを見つつ、2時間ほど経った頃、他の家族が一人また一人と家へ帰ってきた。
何となく疲れを感じていたので、今日の出来事を話すのも聞くのも苦痛に感じそう
だったので、私は自分の部屋へそそくさと退散した。

胃がもたれているようだ。少し横に ・・・ 余計にもたれた感じがして最悪の気分だ。
パソコンに向かいつつも集中できない。また、少し横になる。1時間ほど寝たの
だろうか ・・・ 時計は深夜2時。胃痛がひどくなっているようだ。冷汗なのか脂汗
なのか ・・・ 体中の毛穴から汗が噴き出して流れている。( こりゃヤバい ・・・ )

2日ほど前にも同じ症状があったが、その時は痛みが朝方には完全に治まった。
しかし、昨夜から今朝にかけては、一向に良くならない。より痛みが酷くなっている
気配すらあった。もう限界である。朝7時過ぎ、嫁さんが救急車を呼んでくれた。
消防署が自宅の約200m先にあるので、電話を切って約1分で到着した。早い!
( できればサイレン鳴らさずに来てほしかった ・・・ 近所の人にバッチリ見られた )

生涯、4度目の救急車乗車である。過去3度は事故と怪我であった。今回、
初めて病気での要請となった。さて、救急車に乗り込むと、当たり前だが病状を
聞かれる。昨夜からの様子を詳しく話す。隊員の方が携帯電話で搬送可能な
病院をあたりだす。1つ目の病院は急患(救急)で混んでいるようだ。2つ目は
私の症状を聞いて ・・・ だったのか、これまた断られた。3つ目の病院(救急
センター)は搬送可能なようだ。ただし、重篤患者優先なので、待たされることは
覚悟してほしいということだった。

センターに到着。ストレッチャーに乗ったまま、処置室まで運ばれる。アメリカの
テレビドラマ 「ER(緊急救命室)」 に影響されたかのような雰囲気が漂っていた。
あちこちに 「ER(Emergency Room)」 の文字があった。用意されたスリッパにも、
点滴をつり下げる移動可能な危惧にも 「ER」 の文字 ・・・ スタッフが一般外来の
治療室にいるスタッフよりかなり個性的だったのも印象的だった。

年配男性のメインドクターが痛みの具合や症状を何度も訊ねてくる。私は
黙っているよりしゃべっている方が痛みが和らぐので丁寧に詳しく説明した。横に
ついた若い女性スタッフ2名からも違う質問が飛ぶ。私は仰向けになったまま
右見て左見てそれぞれに答える。左側の女性スタッフがおもむろに私の左手を
掴んで血圧と採血、体温を計り、Tシャツをまくって心電図を ・・・

( 私は医療の仕事の役割や区分けについては詳しくないですが )
救急だけあって各スタッフの手際は良いと感じた。右側のショートヘアの若い女性
スタッフがエコーを当てた後、私に、“ズボンを少しずらして横向きになってください”
と告げた。私は言われるままズボンをさげて横を向いた。更に、“パンツも少し
ずらしてくださいね” と声がした。“ええ?” と返すと、“力を抜いてくださ~い” と
聞こえたと同時に、私のお尻の穴に異物が ・・・ 何か棒のようなものでグリグリ
されてしまった。( これは強制的検便だったのでしょうか ・・・? )

それから、点滴をつけたまま別の処置室へ
(救急時間のローテーションの為か)担当医が入れ替わった。新たに若い
ドクターが来て症状と経過を聞いてくる。私は少し煩わしさを感じたが、もう一度、
同じように説明した。すると、その若いドクターから、“症状からして、何かある
かもしれません。外来で精密検査を受けてはどうでしょうか?” と言葉が ・・・
私は言われるがまま、外来病棟の受付へ行き、あちこち検査室を回りました。
「レントゲン」 「エコー検査」 そして、「胃カメラ」 です。
( 救急で搬送され、心に何の準備もなく ・・・ そして長時間の検査を ・・・ )

「エコー検査」 では脂肪肝が広がっていることが判明。初体験の 「胃カメラ」 では
小さなポリープが一つ見つかったので、その内視鏡を使って摘み取ってもらい
ました。最終的に内科の先生の問診で、胃と食道の境目の収縮が弱くなっていて
( この状態を 「ヘルニア」 と言うらしい )、胃で消化されなかった食物と胃液が
食道に上がって行き粘膜や壁にダメージを与えて痛みを感じている可能性がある
らしい。詳しく見れば、それ以外にも色々あるようですが、結局のところ、私の
不摂生と不養生が原因で、胃の周りが崩壊寸前!だそうです。
最終的な診察結果と今後の治療方法については一週間後に ・・・ 。

朝7時過ぎにERに入ってから6時間強、病院を出たのは13時を過ぎていました。
昨夜、参列したのは会社の2代目社長(その後会長、ここ最近は一線から身を
引いておられた方)のお通夜でした。今日は告別式が執り行われましたが、私は
上記のような状態で行けませんでした。どうしても列席したかった告別式だけに、
自身の状態が本当に不甲斐なく ・・・ 。

私の所属する事業部とは直接関わりはないのですが、別会社というより親会社
というような位置づけの会社の前社長として、当然、影響はお持ちでした。その
承認や後押しがあって、私の事業部は進んだわけで ・・・ そして、それ以上に、
私が現場で店長をしている頃、自宅から遠いにも関わらず、奥様とご一緒によく
ご来店戴きました。御夫婦ともに少し濃いめの和風の味付けがお好みでした。
そして、お帰りの際には、必ずスタッフに笑顔で声を掛けて戴きました。その笑顔
は今でも私の脳裏に焼き付いております。また、会社で時々お会いした時にも
“いつもご苦労さん!” と、私ごときにも気軽に声を掛けてくださる腰の低い面も
お持ちの温かい社長(会長)さんでした。

享年89歳。ご冥福をお祈り申し上げます。そして、ありがとうございました。


遠い昔の夏休み。

2008年07月21日 | 昭和懐古


世間では、もう 「夏休み」 のようですね ・・・ 。





遠い昔の夏休みを想い出してみると ・・・


 夏の昼下がり

 いつもの通学路を自転車で走った
 いつもの街とは違う色に視えた
 いつもの街とは違うニオイを感じた
 いつもと違う不思議な感覚に覆われ苛まれ
 アンニュイな空気さえ感じたことを想い出す

 いつもの道々を何度も通ってみた
 いつもの家々の一軒一軒を観て回った
 いつものバス停で時刻表を片目で眺めて
 いつもの工場の看板にある絵柄を凝視すると
 サイケデリックな気分になったことを想い出す

 素直な目で物事を見ることを忘れ
 素直な心で疑問に思うことすら忘れ
 今、昭和に陶酔し懐古しているように
 他人からは思われるだろうか ・・・
 まあ、それも良しとしよう


■ 昭和懐古 ■

 私の中では、遠い、遠い昔に
 既に完成されているものだから ・・・ 。

第五大成丸


コッピーにも相性があって ・・・

2008年07月18日 | こんたく堵


夏の候、
わが家のダイニングカウンターの上には、
小さな魚 「コッピー」 が4匹、居候しております。
ペットとは言いにくい微妙~な存在なのですが、
それがまた、わが家にはイイ感じなのです。





【 COPPER FIN (コパーフィン) 】
 愛  称 : コッピー
 学  名 : タニクシス・アルボナベス
 大きさ : 成魚 3㎝~4㎝
 産  地 : 中国広東省白雲山周辺
 寿  命 : 3年~4年


昔から動物は得意な方ではありません。
特に、爬虫類は全く受けつけないタイプです。
たぶん、虫類も全般的にダメです。

子どもの頃、
犬(拾ってきた雑種)と鳥(伝書鳩、文鳥、十姉妹)は飼ったことがあります。
ただ、どうも長続きしません。最初はいいのですが、散歩や餌やり、ケージの
掃除などがどうしても面倒に感じてしまうのです。ですから、大人になって(特に
結婚して)からはペットと云える動物は飼っていません。

唯一、
家族以外の生き物として何度か付き合ったのは 「金魚」 でしょうか ・・・ 。
そうです、子どもが縁日や祭りの夜店で掬ってきた、あの子金の 「金魚」 です。
前に住んでいた家では、3年ほど育った(生きていた)こともありました。
わが家には、身近で手軽な魚(金魚)あたりが一番、お似合いで相性が良い
のかもしれません。

8ヶ月ほど前、
花屋の店先に並んでいた小さなガラスの容器に入ったコッピー2匹を
嫁さんが買ってきました。1匹はすぐ死んでしまったのですが、残った1匹は
元気に泳ぎ回っていました。1匹になったといえ、小さな器の中で窮屈そうに
泳いでいる姿はやはり可哀想です。少し大きなガラスの器(ピクルスの瓶)に
棲みかをかえてやりました。普段は気にならないけど時々気になる存在、という
位置で暮らしています。( なぜか、水槽の水替えはいつも私の役割です  )

先日、
水を替えてやるために別の容器を探していたら、また少し大きめのガラスの
器が出てきたので、それ(写真中央)に移し替えてやりました。が、いくら成長
したからといっても、1匹の小っちゃなコッピーにはその器は広すぎました。
非常に間抜けな感じさえします。嫁さんと子どもと顔を見合せて ・・・
( “もう1匹、買ってくる?” ・・・ ) となりました。

そして、
コッピーが2匹入った瓶(写真左奥)とコッピー1匹+小さな毬藻(まりも)が
入った瓶(写真右奥)と、なぜか、計2瓶(3匹)も買ってきたのです。もちろん、
みな一緒に入れても狭くはないのですが ・・・ 気になるのは、コッピーは小さな
魚ですが、意外と縄張り意識が強いという話ですので、勢力争い?があるかも
しれず、予想以上の “仁義なき戦い” に発展する可能性もあったりして ・・・

実際、
最初に買った2匹のうちの1匹が直ぐにあの世に旅立ったのも、それが原因
だったかもしれません。と思うと、すぐに合流させることに躊躇いが ・・・
とりあえず一日、器を3つ並べて様子をみることにしました。すると、あとから
買ってきた2匹入りの瓶の中で、大きいめのコッピーが小さいコッピーをいじめて
いるように見えます。広い場所ならテリトリー争いで済むのでしょうが、いかんせん、
この狭いスペースで、常に強い者が弱い者にちょっかいをかけ続ければ、必ず
ストレスで弱ってしまいます。

やはり、
このままでは危ないということで、その弱い方を先輩居候のコッピーが泳いでいる
大きな器に移してみることにしました。同じ結果になる可能性はあったのですが、
何となく、弱い方を1匹にすることに違和感があり、敢えて賭けに出ました。
( まあ、そんな大層な話ではないですが ・・・ 嫁さんと子どもは意外と真剣で !? )

最初、
お互い戸惑っている雰囲気でしたが、徐々に慣れてくると、お互いのテリトリーを
主張することなく、仲よく泳いでいるように見えます。今のところ、問題がないよう
です。この小さな生き物にも人間と同じように、「相性」 というものがあるようです。
“このコッピーは優しくて一緒に居られそう!” って思っているんやろか?と、意味
不明な言葉を嫁さんが発しました。“アホか!こんなちっちゃな魚がそんな感情や
脳みそ使って生きてるわけないやろ!本能!本能!” と私は笑い飛ばしました。

ただ、
“「相性」 って本能なのか?それとも ・・・ ” ということが妙に引っかかって、
10分ほどコッピーたちを眺めて考えに耽りました。仕事で数年、「相性」 を考えて
人事してきた視点とクロスオーバーさせながら、何となく、今後の目線という
意味でヒントを得た気がしました。そしてその時、どうやら私はニヤニヤしていた
ようで、娘が私に向かって一言 “何ニヤついてるん?気持ち悪るぅ~・・・” と。

今、
大きな水槽に2匹、小さな瓶2つにそれぞれ1匹ずつのコッピーがいます。
このまま波風立てずに時間を過ぎさせるのも一つ。逆に、あえて全部合流
させて共存にトライさせることも一つです。もう少し様子を見て合流させるか
どうかは決めたいと思います。


■ こんたく堵 ■

人は、他人と会ったその瞬間、
本能的に合う合わないの判断をしているかもしれない
でないとしても、誰しも 「相性」 の良い者を求め、
選び、残そうとする本能はあるのだろう
ただ、世の中そうそう自分の思うようにはならないもの
それも受け入れて楽しむべきだろう

第五大成丸


 
 


オーサカキンギョは救世主になれるのか?

2008年07月17日 | 造形憧憬


my VAIO が
「阪神タイガース」 や 「甲子園」 以上に
連日、“オーバーヒート” しております。
やはり夏の暑さのせいでしょうか ・・・ ?
ヤバイ感じです。





何となく、熱を持っててパソコンの動きが鈍いです。
 ( イヤイヤ動いてる気が ・・・ )
“暑いからバテている” ・・・ そんなわけないですよね。
 ( 水でも掛けたろか! ・・・ ??? )
たぶん、データが “メタボリック” になっていることも一因?
 ( オッサンのカラダ同様、“ダイエット” せなあかんゎ! )

ほんの気休めですが、VAIOの壁紙を
「オーサカキンギョ(オーサカキングの新キャラ)」 に変えてみました。
ちょっと涼しげになるかと思いましたが、オレンジ色を選んだため、
余計 “熱に魘されたよ金魚” のように見えます ・・・ 失敗 ???
 ( やっぱ、整理して “オーバーホール” せなあかんかなぁ~ ふぅ~ )


甲子園をめざして

2008年07月15日 | 昭和懐古


夏本番!
あの 暑~い~ 暑~い~ 「夏の甲子園」  出場をめざして
只今、高校球児 たちは各地区予選を闘っている真っ最中!でしょうね。





今年の 「全国高校野球選手権大会」 は、90回目の記念大会です。今回は、
出場校数の多い都道府県(北海道・東京、新たに千葉・埼玉・神奈川・愛知・
大阪・兵庫)を分割して、計55代表で真紅の優勝旗を争うようです。激戦区
だった私の出身地でもある兵庫県と現在の地元大阪府も分割されるため、
少し甲子園への確率が高くなったのでしょうか ・・・ 。

実は大昔、私も甲子園を目指していた高校球児の一人でした。
( 結局、1年生の途中でケツを割って私は退部しましたが ・・・ )


中3の夏、最後の大会(たぶん、2回戦敗退だった)も終わり、野球部引退。
“高校で野球続けるんやったら、○○高校か、○○高校がいいみたいやで。

どうしても 「甲子園」 に行きたかったら、やっぱ、○○高校やけど・・・ ”
“お前、どこ(の高校に)行くん?” “お前こそ ・・・?” といった会話を後輩の
練習を見ながらグランドの片隅で同級生と話していたことを想い出します。

その中学校の一つ上の先輩数人は、高校で硬式野球部に入部していました。
しかし、その1年の夏を折り返した時点で野球を続けていたのは、小学校も
私と同じだった二人の先輩だけでした。一人は某有名私学(大学付属高校)の
野球部、もう一人は公立の普通校だったのですが、共に時々、中学校に顔を
出して高校での生活や野球部の練習(厳しさやしんどさ)を話してくれました。

私の中では、この二つの高校のうちどちらに進学しようと考えていました。
「甲子園」 を目指すのであれば、間違いなく私学の方です。しかし、私が選択
したのは ・・・ 公立でした。理由は簡単です。私学は男子校で、公立が男女共学
です。迷わず “男女共学” をチョイスです。甲子園は目指しますが、確率で物事
を選択するようなヤツは嫌いです! ・・・ が、昔からの信念 ??? そうではなく、
ただ最初から校内交際率 “0” の確率の男子校にはどうしても進学したいとは
思いませんでした。( 自分勝手理論炸裂!です )

実は、(もっともらしい)本当の理由は、
“優遇・待遇制度(今で云う 「特待生制度」)有り” といった類の餌を吊り下げて、
セレクションを行ない、有望な生徒(選手)は根こそぎ獲っておこうとするような
学校には行きたくなかった。少し語弊があるかもしれませんが、自校を強くする
という目的より、他校が強くなるのを防ぐためのセレクション?とも取れるような
私学の感覚に私はアレルギーを感じていました。元々、レギュラー候補生は
ピックアップ済みで、授業料や寮費免除の事前提案は当たり前だったと思います。
逆に、獲得したあと、伸び悩む選手への優遇・待遇を減らしたり、自主退部の場合
は退学まで迫るケースさえもあったと聞きました。
( もう30年も前のことなので 「時効」 ということで少し裏側を告白しました )
要は、使える者だけ残し使えない者は ・・・ まるで、今のビジネスの世界です。

一方、私が入学した公立高校の野球部は、“の~んびり” と思いきや、思った
以上に真剣に甲子園を目指していました。これも “時効告白” ですが ・・・
入学試験を受け、合格発表が2日後くらいに迫ったある日、先輩から連絡が
ありました。“合格してるから、明日から練習に来いや!” と ・・・ 。 どうやら、
春の大会が近いので、早めに動かしていたようです。( 公立でこれはええのん? )
「おな中の野球部」 で一緒に受験していた “ピッチャーのS本” も合格していた
ので、次の日から練習に一緒に参加しました。

合格発表の日、ボードに貼り出された合格番号を見て歓声を上げている他の
受験生を遠目で追いながら、私たち野球部受験生(約15名)は、既にグランド
で汗を流していました。4月、正式に高校生、そして野球部員となった途端、春の
四国遠征が待ってました。四国4県を練習試合での行脚です。ほぼ、まだ中学生
の私たちにはハードなスケジュールでした。入学式の日も試合に同行するため、
途中退席して部室に向かいました。1年生歓迎のオリエンテーションや臨海学校、
キャンプなどの学校行事には軒並み不参加あるいは途中離脱が当たり前でした。
( 甲子園を目指すがあまり ・・・ 今なら、それなりに問題になるかも!? )

朝一、グランド整備(1年生)とトレーニング。昼休みもグランド整備(1年生)。
授業終了後、夜9時まで過酷な練習の毎日。日曜日はほぼ毎週、練習試合。
ダブルヘッダーは当たり前で、トリプルヘッダーの日もあった ・・・ 。基本的に
野球部の休暇(休日)はありませんでした。元旦のみグランドや体育館での
練習は行なわず、監督(OBで元プロ野球選手)の家へ挨拶 ・・・ ある意味、
練習より質(たち)が悪い。たぶん、当時、全国で10本の指に入るほど練習を
していた学校だったと思います。とにかく今の時代からすれば異常でした。

私たちが入部した年の3年生は4名(うちレギュラー3名)でした。2年生主体の
チーム編成ですが、“優勝候補を脅かし、ひょっとすれば ・・・” という論評付きの
高い評価の学校でした。しかし、その夏の大会は3回戦?敗退でした。3年生が
引退し、夏が終わりました。( 私は何とか耐えて厳しい夏を超えました ・・・ )
新チームになりました。前年の6人のレギュラーを中心にそのまま成長すれば、
一層、甲子園出場を期待されるチームとなるはずです。

レベルは確実に上がっていました。ただ、2年生は相対的に個々の個性や
主張が強すぎて、まとまりがありませんでした。3年生の前キャプテンは人望
もあり、ちゃんとチームをまとめていましたが、新チームではそこらがうまく
いきませんでした。監督の目の届かないところでの練習に差が出ていました。
監督が見ていなければサボろうとする先輩もちらほら ・・・ 。1年生はそれに
合わせて動くしかできません。これでは今までやってきたことが無駄に ・・・

“楽” という観念が登場します。確かに苦しいので少しは ・・・ とも思います。
しかし、甲子園を目指しているチームの姿ではない、という思いも ・・・ 。
あれこれ考えるうちに、見られている時だけ頑張って、見られていなければ
サボる ・・・ 何か冷めてしまいました。品行方正、真面目に正論を唱えて是非を
問う気はありません。ましてや、私は1年生の中で一番いい加減なヤツでしたから。
ただ、誤魔化したり、嘘をつくために、わざわざこの学校に入ったわけではあり
ません。このままでは野球そのものが嫌いになる気がして ・・・ 退部しました。

( 今思えば、他人依存、他人批判でしかなかったかもしれませんが ・・・ )
半年余りの高校野球生活は、刺激的で、想い出と共にたくさんの教訓を私に
与えてくれました。野球の厳しさや苦しさの中から感じる、“本当の楽しさ” は
その場で体感しなければ、決して得られない貴重なものです。そしてそれは、
青春時代にしか味わえないものでもあることも付け加えておきたいと思います。

ちなみに、私が野球を続けていれば、3年生の夏は59回大会でした。
そして、その夏の59回大会を見事制して優勝した学校は ・・・・・
( まあ、人生そんなもんで、不安やけど先がわからないからおもしろい! )




             ↑ 地元の友人からこんな写真が ↑

先週末(土曜日)、母校の試合(3回戦)があったのですが、あの人気お笑い
芸人の出身校にサヨナラ負けしてしまったようです。1回戦をコールド勝ちして
2回戦では延長を制し、今年はそこそこ期待していたのですが ・・・

選手の皆さん、監督・コーチ、父兄ならびにOB関係者の方々、
大変、お疲れさまでした!残念でしたが、また、新チームを応援してやりましょう!


■ 昭和懐古 ■

世の中、
何年か経ってわかることもある
いや、
何年か経ってわかることのほうが多い
あの時にこうしておけば ・・・
は、もちろんタブー
後悔しない人生のために
を真剣に!

第五大成丸


ルミオン3333

2008年07月11日 | 造形憧憬


前方のシグナルが黄色に変わります。
交差点は軽く通過できる位置です。周りに問題もありません。
ただ何故か、直前で止まりたくなって急停止します。





何気なく、インパネのメーターを見ると ・・・

ルミオンの走行距離が 3,333 ㎞ です。
「3」 が綺麗に並んでいます。( 何かラッキーな気分!・・・ ??? )
思わず、助手席に置いていたデジカメで写真を撮ります。
隣の車線に並んだクルマからヘンな目で見られているような気配が ・・・
Sクラスのベンツに乗った上品な小母様です。ちょっとバツが悪いです。

しかし、
“ 何かええことあるかも ・・・ ” と思うとそれも気にならず、逆に、
そのベンツの小母様に向って軽く会釈して愛想笑いを浮かべてみます。
小母様は更に不審者を見るような眼つきで私を睨みつけます。(笑)

“ おばさん、怖~い顔で怒ってるよりええでしょ! ” と心の中で呟き、
信号が青に変わると同時に 「ビューーーーーン」 とルミオンを加速させ、
重いベンツを尻目に軽やかに走り抜けます。 破顔一笑? 呵呵大笑?


自分がオッサンであることを完全に忘れておりました。
どうも、クルマに乗ると若い時の気分に戻ってしまうようで ・・・ 。


エエ顔してますゎ!

2008年07月10日 | 楽時々益


おばちゃんとの近況報告会とオッサンとの飲み会です。





昨日の昼間、
久しぶりに 「看板屋のおばちゃん?(アナログアートグブラフィッカー?)」 と会い、
お互いの近況を報告 ・・・ 大笑いしながら2時間も話し込んでしまいましたゎ。
 ( 仕事の邪魔して スンマセンでした!)
やっぱ、自身の方向性を見失わず、自身のスタイルで仕事をしているところは、
素直にエエな~ぁと思いますゎ。
 ( 偉そうなこと云うて ほんま スンマセン!!)
それと、なんか長いこと会わんうちに、おもいーっきし、“大阪のおばちゃん” に
なってたんも、意外とエエ感じでしたゎ。
 ( 重ね重ね 失礼なこと云うて スンマセン!!!)
また、顔出しますゎ。
 ( 今度、飲みに行きましょうゃ!今里にある旨い魚の店知ってますぅ ・・・ ? )

そして夜は、
これまで5店舗の設計・デザイン、その他諸々お世話になっている
「デザイナーの先生(偏固なオッサン?)」 と後輩のお店で二人飲み会です。
同年代なので、仕事の話はもちろんですが、仕事を超えた話も気軽にできる
オッサン仲間です。若い世代との仕事上での付き合い方や田舎の友人知人
含めた地方活性化の取り組みへと、“オッサン話” が妙に膨らみます。

やっぱり、仕事に対する考え方や悩みには同年代の共通点を感じます。
“こっち(私)もおんなじですゎ!” とお互い何度、連呼したことか ・・・
そして、看板屋のおばちゃんにも言われたのですが、オッサン二人、
“オッサンで納まらんと、もうちょいパワー出してやりましょうや!” と話が
まとまり今日はお開きに ・・・ ( 気づけば、日付が変わってました )。

お店( 緑地公園の 「武遊田」 )には 「長くてうるさい客」 として、
またまた迷惑を掛けたかもしれませんねぇ。( 申し訳ない! )
まあ、それにしても、このご時勢にも関わらずお店はよう繁盛してましたゎ。
お客さんもスタッフも皆さんエエ顔してましたゎ。特に店長(主人)が元気で
店に活気があってエエ雰囲気ですゎ。( 後輩ですが、いつも刺激を受けてます )
それから、息子さんが手伝いに来ていたのですが、就職(デザイナーの卵)が
決まったそうです。オープン当初はまだ進路はハッキリしてなかったはずですが、
人あたりは良くて、意外とそのままオヤジの後を継ぐのかと思ってましたが、
“やりたい事” がハッキリして前に進んでいるようで輝いたエエ顔してました。

自分の考えや方向性をハッキリ持って、目指すべき道をシッカリ進んでいる
人は皆、やっぱ、エエ顔してますゎ! 輝いてますゎ! 素敵ですゎ!


皆さん、一日お疲れさまでした! そして、ごちそうさまでした!


恩愛の情に絆されて

2008年07月08日 | こんたく堵


この7月を 「世界のナベアツ」 風に言えば、

          
 七夕(たなばた)   G8(ジーエイト)

となるのでしょうか ・・・ ???

                        


昨日は七夕でしたが、全国的に天の川は見えたのでしょうか ・・・ ?

織姫と彦星は、なぜ、この天気が悪く雨の多い時期に、一年に一度しか会えない
デートの約束をしたのでしょうか? ・・・ (少し意味不明なことを言っておりますが、)
今の暦でなく、旧暦(天保暦7/15)でみても、統計的に晴れる確率は50%程度で、
端から毎年は会えないということがわかっていたのではないか、と考えが巡ります。
七夕に降る雨を 「催涙雨(さいるいう)」 または、「洒涙雨(さいるいう)」 といい、
織姫と彦星が流す涙だと伝えられています。こうした伝説が、一層、悲しい恋物語
となり、女子やこどもたちは夜空に思いを馳せるのでしょうね。

悲しいといえば、
昨日から 「G8(主要国首脳会議/洞爺湖サミット)」 が北海道で始まりましたが、
今日は (1)世界経済 (2)地球温暖化 (3)食料・原油高問題 などを中心に討議される
ようです。ただ、昨日のアフリカ7ヵ国を含むアフリカ・アジアの貧困国対策、特に
食料問題の緊急性が高いということで首脳文書とは別に特別文書をまとめるという
報道がなされました。一方で、テレビ放送では、晩餐会で振る舞われた豪華で贅沢
な食事の内容が紹介されていました。ホスト国としてのもてなし、そして、「北海道」
という我が国でも有数の食材の宝庫を海外に紹介(アピール)して、国益を上げよう
という狙いはわらないでもありませんが、どうも納得できない部分と理不尽な気持ち
は残ります。何となく 「昭和」 の悪い部分が未だに顔を覗かせているようで日本人
としてはちょっと悲しい気分でもありました。

また、大阪の代名詞とも言うべき、道頓堀の 「くいだおれ」 は、今日、閉店です。
確かに、時代の大きなうねりが大波となって襲いかかります。ただ、その世間の
厳しい流れの中でも、利益優先でなく、創業者の教えを守り長きに渡り営業されて
きた姿勢に対して、私は畏敬の念を抱き、高く評価されるべきものだと考えます。
3代目?になるかもしれなかった御子息(創業者のおじいさんと同じ名前?の方)と
またまた宴席をご一緒させて頂いたことがありました。その時に、この苦労話を
聞いた経緯があります。また、私は同業者として、この 「閉店」 という世間の仕打ち
ともいえる結果に心が痛みます。大阪という街はそれだけのものか ・・・ と。
( 仕方ないのかもしれませんが、“大阪らしさ” がまた一つ消えていく ・・・ )

「くいだおれ太郎」 くん、「くいだおれ次郎」 くん、
そして、関係者・従業員の皆様、長い間、ほんとうにお疲れ様でした!





「情」 や 「絆」 で動く時代ではないことは理解していますが、
自身の周りを思いやる心は忘れてはならないと感じます。当然、一方的に
いくら思いやっても、相手には伝わらない(勘違いされる)ことも多々あります。
また、困っている人々に言葉を掛けることは大事なことですが、逆に、言葉を
掛ければそれで役割を果たしたという勘違いは一番最悪だと私は思っています。

では、どうすれば良いのか?
・・・ 自身が最善と思える考えで、自身が最善と思える行動をし、自身の考えと
行動に共感してくれるブレーンと力を合わせる ・・・ それしかありません。ただ、
それが国レベルともなれば、それぞれの思惑(国策)があり、代表者の保身も
含め、特に大国は国益という枠を嵩にして駆け引きを行ないます。当たり前ですが、
そのような柵の中で、地球規模で “良くしよう!” などという考えが纏まるわけが
ありません。ということで、今、「G8」 の必要性が問われているのだ感じます。
( 大阪の 「くいだおれ」 は必要だと思うのですが ・・・ )

私はリベラルな位置でものを見る方だと思うのですが、
それでも今の世界の流れが危ないと感じます。これだけ悪化している地球環境や
マネーゲームでしかビジネスを見ない層が世界経済を動かしている今の時代は
私利私欲主義の局地であり、先に希望が見えなくなっています。日本でも問題と
なりつつある、格差(あるいは貧富の差)が広がり、そこから大きな問題が起こり
得ると予想できます。

しかし、なぜ日本では海外(他国)のような大きなデモや暴動が起こらないのか?
・・・ たぶん、日本特有の情や絆を大切にする日本人DNAがそうさせているのだ
と私は思ったりします。言い換えれば、「情」 が 「気遣い」 となり、「気遣い」 が
「容赦」 となる。「絆」 が 「信用」 となり、「信用」 が 「信頼」 となる。その 「容赦」
や 「信頼」 が時間とともに 「他人依存」 に変わってしまったのだと思います。
反面、誰かがユニフォームを着て太鼓を叩き、フラッグを振って、みんなに団結を
呼びかけると野球やサッカーをはじめとするスポーツの応援のような一致団結が
簡単に行なえる層も存在するのです。

そうした環境で生まれ育った世代には、元々自主性がなく、リーダーシップが中々
とれず、自身はじっとしていて、誰かが何かを言ってくれるのを待っている、という
現象が広がっているのかもしれません。ですから、昔とは意味は違いますが、
日本では大きなデモや暴動が起こらないのではないでしょうか。 ただしかし、今後
状況が好転しなければ、“キレる世代” が思いもよらぬ行動を起こす可能性は否定
できません。起こってからでは遅い気がしているのは私だけでしょうか ・・・

「勝ち組」 や 「負け組」 という表現も、「先進国/後進国」 以上に歪みを生むもの
だという認識を持たなければ、「海」 という後進国や負け組が 「陸」 という先進国や
勝ち組を自然侵食する(海の水が増えれば陸は沈む)事態になりかねません。
私は最近、歳のせいか、「情」 や 「絆」 を今一度、見直すべきだと感じています。
もちろん、宗教や思想的な考えではなく、ナチュラルな日本人の感情として ・・・ 。


■ こんたく堵 ■

周りに存在する全ての人や状況を見据え
「己に何ができるかではなく、己が何をするのか」
シリアスに考え、アーネストに行動しなければならない
今、あえて “恩愛の情” に絆されてみよう
今、そういう時代なのだろう ・・・ 。

第五大成丸


SLOW FOODS & LIFE

2008年07月07日 | 楽時々益


        


緑溢れる山の中にある 「まだま村」 というところへ癒しを求めて ・・・
住所的には 「大阪府茨木市千提寺」 自宅からクルマで30分ほどで
行ける場所なのですが、そこそこ山奥で遠出した気分になりました。





確かに、都会の喧噪から離れ、空気の良い自然いっぱいの環境なのですが、
山道から少し外れ、クルマ一台が何とか通れるような細く急な坂道を下りた
竹林の溜まりにその “村” はあります。何となく、怪しげな気配も ・・・

建物がいくつか見えます。メインの建物は屋根が萱葺き(琵琶湖の葦らしい)、
床面積がたぶん100㎡くらいあるほぼ円錐形をした木造の建築物です。
中は 「竪穴式住居」 の様相で、喫茶スペース&書物、珈琲カップなどの器や
小物の展示スペースになっています。

時々、このスペースでイベント(ピアノコンサートや民俗音楽などのライブ等)も
開かれているようです。間違いなく気分がホッとする空間です。時間も普段より
ゆっくりと流れているような錯覚に陥ります。表現がおかしいかもしれませんが、
自然と腰が沈みます。そして、一旦座ると立ち上がりたくなくなります。ずっと
斜め上45度の角度に目線を置き、ボ~っとしていたい気分です。
( ほんま、
癒されました! )





昼御飯は食べて行ったのですが、
折角なので、「黒米縄文そば(古代人が食べていた黒米のおそば)」 と
「バナナのケーキ」 そして 「黒豆コーヒー」 を頂きました。「黒米縄文そば」 は
喉越しが良く見た目より大変美味でした。「黒豆コーヒー」 はお茶っぽくて何となく
健康になりそうな味わいでした。( ごちそうさまでした! )

ドライブがてら、
気分転換には結構いいかもしれませんよ ・・・ 。


◆ 「まだま村」 HP より ◆
大阪府茨木市の山間部に位置する千提寺。 豊かな自然が残っているこの地域は、
フランシスコ・ザビエルの肖像画が発見された 「隠れキリシタンの里」 として知られ
ています。 この千提寺の竹林の中にひっそりと佇んでいるのが現代風竪穴住居
「まだま村」 です。直径12メートル、高さ11メートルの円錐型をした建物は、柱に
200年前の民家20軒分の古材を、屋根材には琵琶湖の葦を使用しています。
建物の内部は囲炉裏や舞台があり、地面から1メートル掘り下げた土間(三和土)
は最大180名ほど収容できる空間です。普段はのんびりと過ごせるカフェとして、
ときにはライブや講演会などのイベントスペースとして、幅広くご利用いただいて
おります。まだま村は憩いの場所。自分が自分に戻れる場所。人と人とがつながる
場所です。お一人でのんびりもOK、お友達、 恋人、ご家族、 おじいちゃんおばあ
ちゃん、みんなを連れてホーッとしに来てください。
http://www.madamamura.com/


ここは大阪やねん。

2008年07月04日 | 街的興趣


交差点で目を閉じていても想像できる
大阪 「食の台所」 を匂わすアーケードな風景
いつもの見慣れた商店街をゆっくりゆっくり歩けば
新たな発見が一つや二つはあるもの
だから、街はおもしろい ・・・ ここは大阪やねん。





昼下り、市場や商店街を歩くのが好きである。
商店で働く人たちが一番気を抜いている時間帯である。
言い換えれば、一番素直な顔で店の人が店に立っている時間帯でもある。
商品以外、商品以上の発見があちこちにある。

この商店街(市場)にはあまり隙が無い。そこそこ手強い街である。
お客が店(商品)を見る以上に、店(店員)がお客を視ているのがわかる。
商品を並べながら、魚を捌きながら、店先を掃除しながら、まかないを食べながら、
お客の行動をしっかりと注視している。何気にお客との間合いを計っている。
やはり隙が無い。逆に、隙あらば ・・・ と。

“大阪らしさ” と、ひと纏めにできるものではありません。
その街、その商店街、そのお店、その店員さんによってその味わいは違います。
その空気感はそこでしか味わえない 「味」 なのです。だから、歩く価値があります。
だから、街はおもしろい。





午後1時半です。
“ある麺類のお店をチェック” するため目指します。やっと見つけます。
しかし、ノーゲストです。店内を覗きます。良いお店の空気がありません。残念!
入るのを止めます。予定変更です。また、歩きます ・・・

2筋ほど行ったところで 「つけ麺」 のお店を発見します。満席です。
カウンターのみです。L字カウンターに丸椅子が10脚ほどあります。
スタッフは若い兄ちゃんが二人です。目はしっかり生きています。

当たり前ですが、
この時間帯に満席で待ち客がいるお店は良いお店です。迷わず並びます。
魚系の出汁がウリの 「ラーメン」 と 「つけ麺」 のようです。お笑いネタでは
ありませんが、兄ちゃん二人 ・・・ まあまあ 「イケ面」 でした。(笑)
( ちなみに、「麺」 も “イケ” てました! )

一瞬、カウンターは常連らしき2名客と私だけに ・・・ 7席ほど空きです。
しかし、すぐさま若い団体さんが食券をご購入。キャップを被ってシルバーアクセを
2つ3つ4つと指に首に耳に付けている20代から30代の兄ちゃんたち6名と女性
1名、計7名様。またまた満席です。隣に座った若い兄ちゃんたちは、非常に
礼儀正しい御子でした。リーダーらしき人に向かって、お店のスタッフに向かって
全員で “いただきま~す!” の大合唱。どうやら、地方からやって来た同業者の
ようです。このお店を目指して来たかどうかは定かではありませんが、店の外まで
溢れ出すほど、業界人の爽やかな風が吹いていました。


■ 街的興趣 ■

街に吹く風は
その街とそこに住む人々が靡かせている
そして、
その街を訪れる人々がその風の運び役になる
今日も街から新しい風が吹くだろう

第五大成丸


あこがれ?の七変化

2008年07月03日 | 造形憧憬


雨水を含んだ紫陽花は、梅雨の晴れ間に顔を覗かせた
太陽の光を浴びて、まるで自己主張でもするかのように
挙って頭を擡げ自分色を輝かせて見せた。実に美しい。





花というものにはさほど興味はない。
ただ、この時季に咲く紫陽花(あじさい)は嫌いではない。
色艶やかに咲き誇る姿は華々しくもあるので ・・・

私は紫陽花の花の色が土壌のpH濃度やアルミニウムイオンの量によって
様々に変化していくということを大人になってから知った。別段、昔はそれを不思議
とも思わなかった。どちらかといえば見た目で個性的に感じていたのかもしれない。
しかし、ここにきて、その個性的に感じていたのは、其々の花に対してではなく、
何色もの色の紫陽花が集合している全体の様を個性的に感じていただけであった
ことに気づいた。

紫陽花個々の色は違えど、顔形はどれもさほど違いは無い。幾輪かが集まって
はじめて “色鮮やかで美しい花たち” という印象を与えている。毎日、個々の色の
変化を観察でもしない限り、通りすがりに出くわすような紫陽花では、それぞれの
個性や変化は見極めることはできない。そう思うと、何となく、それぞれの紫陽花
がそれぞれの引き立て役に見えてしまうのは私だけだろうか。

つぼみの頃は緑色、それが白くなり、花が咲く頃には水色、または薄紅色となり、
咲き終わりの近づくにつれ、花の色は濃くなっていく。また、その土地(土壌)の
酸性度が高ければ青色が強く、低ければピンク色が強い傾向が現れるようだ。
要は、自己主張ではなく、その環境や自身の成長に合わせて色を変えているのだ。
私の一番不得意で今まで避けてきた分野である。そろそろ、この “七変化” を私は
見習うべきかもしれない。

ただ、もう少し自己主張をしておきたい気もするが ・・・ 。