ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

場末のスナック

2008年09月30日 | 楽時々益


「場末のスナック」
私が今、最も注目しているフレーズかもしれない。
そして、来年あたり再ブームの予感も ・・・ 。





地元に
帰ったついでに、ツレ(友達)と会って新しくできた居酒屋(前獲れの魚がウリ)で
飯を喰った。どうやら、ツレの知り合いが経営しているようだ。( 娘がバイト? )
田舎はどうも世間が狭い。あちこち挨拶も疲れる ・・・ ? まあ、そう言いながらも
都会にはない間合いは楽しいものだ。妙に癒される。

店を出て
ツレが他のツレを集めるため電話を掛けた。しかし、誰も出ない ・・・ もうアイツら、
どこかでお姐さん方と楽しく飲っているか、彼女?とシケこんでいるのだろうか。
まあ、事前にアポを取らなかったから仕方ないか ・・・ 。いや、アイツらが悪い!

タクシーで
街一番の繁華街へ向かう男二人。絵にはならないが、それなりに楽しいものだ。
金曜の夜、時間は23時を過ぎた頃だろうか、メインストリートは飲み客と黒服で
溢れていた。今の景気 ・・・ しかも田舎 ・・・ だが、予想に反して活気があった。

若者のパーティー?
を避けながら、小さなビルの通路を抜け、奥の階段を2階まで上った。
扉を開けると、そこは 「スナック」 だった。“スナック” という響きの店は何年ぶり
だろうか。入口にすかさずママが ・・・ 30年前の時代にも存在していたような
ママだった。それはさておき、ツレは超常連なのだろうか? そうなのだろう ・・・ 。

哀愁が漂う
昭和な空気が店内を覆っていた。何故か、過ぎし日の懐かし想い出が脳裏に
去来する。すでに酒が入っているせいか、抑えてもニヤついてしまう自分がいる。
ツレが、“どないしたんゃ?” と心配げに下から見上げる。“何でもないわい” と
引き攣った笑いで答える。

“気持ち悪いヤッちゃなぁ”
と今度はツレが揶揄する。その二人の光景を見て呼んでもないのにママが話に
加わる。“あ~ぁ、ブっさいくなママの店で、マっずいウィスキーでも呑むかぁ!” と
私は大きな声で言い放ってボトルの封を切った。昔(20歳の頃)の決まり文句と
一連の行動だったような気がする ・・・ 。

私たち以外は
カウンターの椅子を一つ飛ばしに座っている各種オタクな3人様(お一人様3組)。
1人は、下を向いてグラスをじっと見つめ飲んでいる、何となく窓際に追いやられた
サラリーマン時代を演じているのだろう 「懐古オタク」 の初老男性で、もう1人は、
普段は物静かで誰とも喋らないがマイクを握ると性格が一変する 「カラオケオタク」
の様相の細身なお方。そしてもう一人は、ひたすら女の子の動きを目で追っている
「フィギアオタク」 のような雰囲気のブルーカラーな中年オヤジだった。

女の子は
二人いた(もちろんママ以外!)。しかも、二人ともそれなりに綺麗で器量も悪くない。
一人の女の子が近づいてきた。ハッハ~ン!どうやらこの子がツレの目当てらしい。
オッサンになった今でも、そういう切ない楽しみを求めて小金を落としているらしい。
昔、あれだけエライ(大変な)目にあったのに ・・・

まあ、
私も 「場末のスナック」 を楽しんだ(たぶん)。 ・・・ 酔ってて記憶ほとんど無し!
写真を撮った記憶はないが、ツレが彼女を真剣に口説いていたことは憶えている。
言葉もハッキリ憶えている。今後の展開が楽しみだ ・・・ !?

ママさん、
楽しい時間をありがとう!
また顔を出します。その時、まだお店があれば ・・・ ???



■ 楽時々益 ■

飲食業界には
仕来りや慣わしがある

しかし
一般常識は通用しない

あるとすれば
客が集う店が良い店であり

その店だけの
常識が存在するということ

だから、面白い
だから、通うのだろう

第五大成丸


母校と過去の間違い

2008年09月29日 | 昭和懐古


先週末、
30年ぶりに母校(高校)の門をくぐりました。





卒業してから
母校の前を通ることは頻繁にあったのですが、何も用事がないのに
勝手に入るわけにはいきません。そして、仕事で大阪へ ・・・
気づけば30年もの歳月が経過していたということです。

今回、
資格取得に際し、最終学歴の卒業証明(卒業証書があれば良い)が必要だと
いうことで、大阪の大学を受験し、浪人も経験して神戸の予備校にも通い、
何を間違えたか、大阪のビジネスの専門学校にも通い ・・・ あちこちに在籍した
痕跡はあるものの、結果的に最終卒業は地元の高校だったのです ・・・ という
ことで、実家へ連絡しておふくろに “高校の卒業証書ある?” と聞いたのですが、
“ほかした(捨てた)んちゃうか、いつまでも置いててもなあ ・・・ ”
まあ、うちのおふくろらしい返しでした!

ということで、
卒業証明書を発行してもらうために母校の事務室詣でとなりました。もちろん、
証明書は郵送でも対応してもらえるのですが、私の場合、少し事情が複雑で ・・・

高校の頃と
今の生年月日が違っているのです。( この話、役所の方は読まない方が ・・・ )
要は、地元に籍があった時代(正確には26歳まで)の住民票に表記されていた
生年月日(4月生まれ)と戸籍上の生年月日(11月生まれ)が違っていたのです。
そのため、これまで数々の支障がありました。

大学受験の時、
初めて戸籍謄本を取り寄せて自分の本当?の生年月日を知ったのです。
それまで、幼稚園→小学校→中学校→高校 と、何の疑いもなく4月生まれで
通してましたし、学校でもその扱いでした。もちろん、全て住民票がベースです。

ただ大学受験は、
違和感を覚えながらも戸籍上の名前と生年月日で受験した記憶があります。
そして22歳の時、「一級小型船舶操縦士」 を取得したのですが、この時も戸籍が
必要となり、戸籍上の生年月日で受験しました。しかし、まだこの頃の私は、その
生年月日に抵抗があり、同じ時期に取得した 「潜水士」 の資格では4月生まれと
申告して受験しました。( まあ、これもあとで仕事上、ややこしい問題に ・・・ )

究極は
クルマの免許です。今は知りませんが、昔は住民票で受験できましたので、
私は4月生まれ(苗字も同様)で、高校3年生の夏休み前に 「普通自動車免許」
を取得したのです。それから8年ほど過ぎたある日、クルマの助手席に置いて
いたバッグが盗まれ、財布と一緒に入っていた免許証も跡形はなく ・・・

盗難届を
出して再発行の申請をしました。ここで最大のピンチに出くわしたわけです。
戸籍謄本を添えて再申請しなければならなかったのです。私は何のためらい
もなく、警察(忘れもしません、大阪○○池)に行ったのですが、その書類を
見て担当者が私に放った言葉は、“君、本当に免許とったの?” でした。私は
その意味がわからず、“はあ、どういうことですか?” と返しました。

戸籍上の
名前と生年月日をいくら探しても該当する取得者が出てこないと言うのです。
当たり前です。私は住民票で取得した原付免許からの継続申請で取得した
のですから ・・・ 。私は事情をさかのぼって丁寧に説明をして、住民票の名前と
生年月日で検索してもらいました。当然、それはありました。しかし、担当の方
にはその経緯が理解できないようで、なかなか話が進みません。よく考えれば
わかることなのですが、戸籍上の生年月日で再発行すれば、普通免許を17歳
で取得したことになります。かといって、前の生年月日で再発行するわけにも
いかなかったのです。

話が
“もう一度、免許を取り直したら” というニュアンスの流れになっていきましたので、
私はキレそうになりながらも粘り強く話をしました。最終的には、戸籍上の字体と
生年月日で新たに免許証を作り直すこと(取得日をその日)で収まりましたが、
何となく私としては悔しい気持ちが残ったのは事実です。確かに、両親が気づいて
チェックし訂正できていれば良かったのかもしれませんが、今の時代なら未だしも
役所に何かを言うということがそんに簡単な時代でもなかったような気がします。

さて、
高校の卒業記録ですが、やはり4月○○日生まれになっていました。苗字2文字の
うちの1文字も、当たり前ですが、住民票と同じ普通に読める字体で卒業記録として
残っていました。しかし、戸籍の状態に修正して証明書をあげてもらわないと役所で
また最初から説明しなければなりません。母校(事務室)を訪れて、直接お願いする
ことにしたのはこういった事情があったからなのです。

事務室の方々は、
私の話(事情)を最初から最後までちゃんと聞いてくださり、あとで戸籍謄本を
事務室に郵送する約束をした上で、名前と生年月日を修正した証明書を出して
いただきました。それこそ、事務的な対応が増えている世の中で、事務室の方が
内容をよく鑑み、“事務的でない本来の対応” をしておられる姿には、自分のこと
ではありますが、“良い対応だった” と妙に感動を覚えてしまいました。

今は
全てが戸籍上のものに変更されていますが、何故、こういうことになったかは
わかりませんが、未だに両親は私の誕生日が4月(住民票が正しい)だと言って
おります。まあ、生まれて50年近く経過していますし、今更、戸籍が間違っている
と言うのも面倒ですので、具体的な行動を起こすことは考えておりませんが、
どこかの時点で、どこかの役所が、間違えた(あるいは確認ミスがあった)ことは
事実だと思います。毎回 “スミマセン” という言葉を使って、私サイドばかりが
事情説明して修正(訂正)してもらわなければならない現実には少々ウンザリです。

皆さんは、
こんな事情や経験はありませんよね ・・・





これは
野球部とサッカー部のグランドです。1年生の時は野球部で甲子園を目指して
ました。見事に挫折して退部したあと、友達に誘われて弱小サッカー部(今は
サッカー部の方が有名です)へ ・・・ 私はこのグランドで両方とも経験しました。
下までは降りませんでしたが、当時と変わらない景色です。夏の暑さの中で
汗を流していたあの頃がが蘇ります。


■ 昭和懐古 ■

強いものが正しい
という風潮は今の時代を映す

正しいものを正しい
と思えたあの時代が懐かしい

今、どちらが正しいのか ・・・

“お前はどちらで生きたいのか”
という問い掛けに立ち止まったままだ

第五大成丸


「伝説の男」 誕生!

2008年09月24日 | こんたく堵


日曜日、
後輩Jの披露宴でオヤッさんの挨拶に感激し、「シリウスの道」 を観て
遠い昔と原作に想いを馳せ、充実した一日を過ごしたのですが、実は
もう一つ、ブログネタが ・・・・・


          


前職場の
グループ会社(親会社)の東京オフィスで営業をしている N という男がいます。
私と郷里が近い後輩です。私は大阪在住ですので、お互い顔を合わせることは
最近少ないのですが、彼はワインを中心としたブログを持っていて、お互いの
ブログを見ることで近況を知ることができます。その彼のブログで、つい最近
まで登場していた 「伝説の男」 という同僚(後輩)の括りがありました。
「伝説の男(W君)」 の武勇伝?を面白可笑しく綴っていたのですが、どうやら、
W君 が退職?して伝説が途絶えています。私は W君 の隠れファンとして、
また N のブログに 「伝説の男」 として登場してくれることを期待しています。

実は、
私の周りにも 「伝説の男」 が存在していたことを日曜日に気づいたのです。
今まで、特に気にしていなかったのですが、“ヤツ” はそこそこ 「伝説の男」 です。
今日はその “ヤツ” を紹介します。

以前、
このブログで1回登場した後輩の 「P」 という男なのですが、非常に変わった
ヤツです。そう、普通じゃないヤツなのです。 P の風貌といえば、天然パーマを
パンチパーマ風に短めにカットして明るめのブラウンのカラーを入れ、趣味で
集めている色とりどりのグラス(眼鏡)をその日のシーンや自慢のスタイリッシュ?
な服装に合わせてコーディネイトしているという、一瞬、アパレル系の兄ちゃん風
ですが、現場(仕事場)ではバンダナを頭に巻き(天パが撥ねないように)、鼻を
フガフガ鳴らし息を荒げながら仕事をしているヤツです。実は、どんくさいこと
この上ないヤツでもあります。ヤツのエピソード(武勇伝ならぬ不勇伝)をまとめる
と、「伝説の男」 としてトップクラスの “不勇伝” が出来上がるのではないかと ・・・ 。

日曜日、
後輩Jの披露宴のあと、元職場近くで開かれた二次会 ・・・
Jの元同僚や後輩が祝福に訪れたはずです(私は不参加でした)。その中に
この 「P」 は紛れ込んでいたのです。私が家で見ていた 「シリウスの道」 が
終わったのが午後5時40分だったのですが、それから30分ほどして携帯に
着信音が ・・・ 「P」 からです。たぶん、二次会は午後6時過ぎには終わった
のでしょう。

「P」 が電話口で、
“すんません、今終わりました。どうしましょう?どうしたらいいですかっ ・・・ ?”
一応、二次会が終わったら、どこかで会って酒でも飲もうや、と約束をしていました
ので、突然の電話ではなかったのですが、私は家に帰っていましたので、梅田まで
出るのが億劫になり、「P」 に “梅田まで出るんしんどいから、お前、家に来いや!”
と伝えました。「P」 は “わかりました!伺います。” と素直に返事をくれました。
“着く前に電話入れてーや!駅まで迎え行くわ” と伝え、一旦、電話を切りました。

さて、
家に食べもの(酒の肴)がありません。P を迎えに行くついでにスーパーで
買い物を ・・・ ということで直ぐに家を出ました。二次会が堂島あたりで開かれて
いたということですので、梅田まで歩いて阪急で来るか、地下鉄で千里中央まで
来るのか ・・・ まあ、いずれにせよ1時間は掛からないはずです。
近くなれば電話が入るので、その時に最寄りの駅まで迎えに ・・・ と考えながら
私は急いでスーパーへ向かいました。

スーパーで
買い物をしていると、携帯の着信音が再び ・・・ 「P」 です。

  私 : 「 おぉ、早いなあ! もう着いたんか? 」
   P : 「 いえ、まだです。 今、門真(かどま)・・・ ですかねぇ。 」
  私 : 「 はあーっ! 門真??? なんでや? なんで門真におるんや? 」
   P : 「 え~っと、今、モノレールに乗ってます ・・・ 。 」
  私 : 「 モノレール? ( ・・・ 乗りたかったんか?) 」
   P : 「 ひょっとして、間違ってますか? 」
  私 : 「 ハイ、おもいっきり間違ってます!・・・ まあ、ええけどなぁ 。。。 」

地元大阪を反時計回りに大きくカーブ(遠回り)して楽しんでいるようです。

前回、
P が来た時に、“Pの家やったらうちからモノレール1本で帰れるから ・・・” と
教えた日、朝まで飲んで始発で帰ったことがあったのですが、二次会があった
のは堂島あたり(キタ)で、P は北新地でも働いていましたし、現在、P は
阪急電車梅田駅にすこぶる近い堂山のやきとり屋で店長をしています。
私の家は阪急の千里線に乗れば簡単に来れるのです。ひょっとして、ほんまに
P はモノレールに乗りたかっただけなのかも ・・・ ?
( これって、そこそこ不勇伝! 伝説になりますよねぇ ・・・  )

駅前のロータリーに
P が立っていました。横には後輩の “Kちゃん” がいます。誰か連れてくる予感は
ありましたので驚きもしませんが、手ぶらで来たのには驚きました。Kちゃんは
年齢からすれば、P の後輩です。言い方を変えれば、P は Kちゃんより先輩です。
私たちの業界では基本的に先輩を立てます。そしてその分、先輩は先輩なりの
振る舞いで後輩に教えなければなりません。それぞれ一人で来る時には手ぶらでも
私は構いません。ただ、後輩がいる時にはちゃんと先輩としての姿を見せなければ
なりません。缶ビール1本でいいのです。ピーナッツ1袋でいいのです。まあ、私の
今までの指導が足りなかったということでしょう ・・・ 。
( Pの先輩として私が反省しなければなりません )

そうこう考えているうちに、
家に着き、飲み会(三次会?)が始まりました。大したもてなしはできませんが、
あれこれつまみながら酒もそれなりに飲みました。P も Kちゃん も 私も酒は
何でもこい!ですので、家にある酒を端から ・・・ 。飲むとどうしても仕事の話にも
なります。ただ、私の退職の経緯に関しては、デリケートな部分もありますので、
後輩にすべて話す訳にはいきません。申し訳ないとは思いつつ、今は触れずに
流してほしいという空気をつくります。まあ、後輩たちの何人かは私の歳になれば
理解できることもあるでしょう ・・・ 。

さて、
私はまだ無職ですので、明日の朝の心配はいりませんが、P と Kちゃんは
仕事です。あまり長居をさせるわけにはいきません。時計を見ると午前様です。
もう電車のない時間になっていました。とりあえず、外へ出てタクシーを拾うことに
しました。二人は掛けてあった上着を着て家の外へ ・・・ その時です。 P が
“財布がない!どこか忘れたかなぁー、落としたんかなぁー” マンションの通路で
真夜中にわめき出しました。私は、“家に戻って見てこいや!” と声を掛けました。
皆で一旦、家に戻りました。

財布は
ありました。しかも、P 本人のスーツの上着の中に ・・・ これはよくある話です。
メガネを頭の上に掛けているのを忘れて、“ メガネ、メガネ、メガネがない ・・・ ”
と探し回るパターンです。しかし、P はそうではなかったのです。P の財布は
Pのジャケットと共に私の家にあったのです。要は、P は私の礼服のWの上着を
間違えて着たまま帰ろうとしていたのです。私のウエストは P より10cm以上は
大きいはずです。しかも、P のスーツの上着はシングルで私のはダブルです。
なぜ、着た時に気づかないのか ・・・ ???
( この日、2度目の不勇伝!です。 これが 「伝説の男」 たる証拠です。 )

ここに 『 伝説の男 』 誕生!


■ こんたく堵 ■

勇ましい手柄を立てた男の話が
武勇伝として語り継がれ伝説となる
しかし、作られたものも多いはず

どんな時でも自分らしく
素直に行動することで生まれた
“不勇伝” は悪くないものである

私はそんな不勇伝なら好きである
私はそんなヤツが好きである

第五大成丸


シリウスの道

2008年09月23日 | 造形憧憬


日曜日、
後輩Jの披露宴から帰宅すると、家には誰もいませんでした。私以外、
皆さん忙しいようです。( 私の次に暇な息子は部屋で寝ていたようですが ・・・ )





とりあえず、
礼服を脱ぎ(そこらに脱ぎ散らかし)、リビングのソファーに深く座り込み、
テレビの電源をスイッチオンする。冷蔵庫を開けて青汁を一杯飲みながら
柱の上にある時計に目をやると午後2時過ぎだったと思います。それから、
ソファーに座り直した途端、どうやら眠気に襲われ、そのまま寝込んでしまった
ようです。約1時間後、テレビから流れてきた音で目覚めたようです。

「シリウスの道」
というドラマに起こされたのかもしれません。( このドラマを見ろ! と ・・・ )
たまたまテレビをつけたまま寝込んでしまった ・・・ たまたまある番組の音声で
目が覚めた ・・・ それがこの 「シリウスの道」 というヒューマンサスペンスドラマ
だった ・・・ 。「秋のドラマW (WOWOW)」 という番組枠の第一弾のようです。
「巨額広告プロジェクト、25年前の秘密、謎の脅迫者。誇り高く生きる人々を
鮮やかに描く大型ヒューマンサスペンス」 ・・・ 私の好きなシチュエーションです。

原作は、
大阪府出身で、1985年に 「ダックスフントのワープ」 で 「すばる文学賞」 を受賞、
1995年には 「テロリストのパラソル」 で 「江戸川乱歩賞」 と 「直木三十五賞」 を
ダブル受賞された 「藤原伊織氏(1948-2007)」 です。大阪高津高校から東大の
文学部、そして広告大手の電通へ入社。その実体験でもある広告業界を題材
にした作品には、業界の仕事観や人間関係も含め、リアルな内容となり得る
要素が織り込まれることは容易に想像できるところです。

主役の
「内野聖陽(辰村佑介)」 のシュールな男臭さ、「真矢みき(立花英子)」 の
キャリア女性が持っている二面性の表現をはじめ、「寺島 進(浜井勝哉)」、
「大塚寧々(半沢明子)」、「白竜(浅井志郎)」、「栗山千明(平野由佳)」 など
個性派俳優が演じるキャラクターも、脇役として出しゃばらず薄れずの心地良い
存在感を発揮しています。ただ、「夏八木勲」「本田博太郎」「田中 健」 のキャラが、
それぞれ多少かぶっていて存在感を示しきれていなかったのが残念でした。
そんな中、立花・辰村の部下役で若手の 「黄川田将也(戸塚英明)」 の演技力
が私には際立って見えました。

この作品、
原作が良いのだとハッキリと感じとれるものでした。基本的に本を読むことが
好きでない私ですが、この 藤原伊織 という作家に触れてみたくなりました。
さて、私の本(小説などの文学書)嫌いは解消されるのでしょうか ・・・ 。

最近、
映画を観ていない気がします。といっても、元々 “映画館” が好きではない私は、
テレビでやっている映画を観ることで満足するタイプです。あとは、DVDをレンタル
して月に何本かは観ますが、嫁さんのように月に何本も一人で鑑賞に行くほど
映画(映画館)好きではありません。

要は、
家で寝転がって見る映画や海外のテレビドラマでいいのです。その為に
ずっと昔から WOWOW に加入して、大きめのプラズマテレビまで買ったのです。
しかし近頃では、そのテレビは娘たちが見ている大して筋のないチャラチャラ
ドラマやそろそろ飽和状態になりつつあるお笑い番組に独占されております。

ここ数年、
アメリカのテレビドラマにゆるくハマっています。「24」 は乗り遅れて今更、
最初から見るのが嫌でレンタルしていませんが、「LOST」 「プリズン・ブレイク」
には完全にハマりました。「CSI」 「NYPD」 や 「ER」 などの職場(特殊な仕事)
ものにはどうしても食いついてしまいます。それから、「スーパーナチュラル」 や
「トゥルー・コーリング」 などの非現実的な世界もそれなりに楽しめます。ただ、
期待して何編か観た 「HEROES/ヒーローズ」 はキャラクターが多すぎて集中
できなくなりちょっと挫折して、現在、休憩中です。

さて、明日は
TSUTAYA にでも行って、新しくハマれる作品でも探しますか ・・・


■ 造形憧憬 ■

ある作品に賭ける思い
そして役者に託す思い

人々に伝われば秀作であり
伝わらなければ駄作である

ただ、
自分が受け留めた作品は
自分の中で全て秀作であるはず

他人の評価を真に受けて
自分の好き嫌いを決めたり
変えたりはしないほうが良い

なぜなら、
○○何某という名前がついた
自分自身まで駄作になるから ・・・


第五大成丸


大安吉日の披露宴

2008年09月22日 | こんたく堵


昨日は 「大安吉日」、後輩Jの披露宴でした。





1年以上前に
籍を入れて身内だけの挙式も終えていた “J&A夫婦” ですが、
こども(男の子)が生まれ、そのお披露目も兼ねての披露宴となったようです。

毎年、
必ず1人や2人、多い時には3人以上も重なったような年もあった
後輩(部下)の結婚式ですが、ここ2年ほどはありませんでしたので、私自身、
久々に晴れやかな祝宴への出席でした。

会社に在籍している時には、
立場上もあり、必ず、主賓あるいは上司としてのスピーチが定番でした。
今回も後輩Jからスピーチを頼まれたのですが、現在、退職して肩書きの無い
無職の私が新郎側の主賓(上司)としてスピーチするのは、どうなのか ・・・
新郎側の身内のみならず、新婦にも気を遣わせるかもしれないと思い、
丁重にお断りを致しました。

ですが数日前、
後輩Jから連絡があり、“せめて元上司として乾杯の音頭だけでも ・・・” という
押しに負け、結局、性懲りもなく安請け合いをしてしまいました。元々、仕事上で
部下に熱く語ったり、これでもかというほど毒舌や笑いを交えマシンガンのように
人を圧倒しながら喋ることは得意な私ですが、こうした畏まった宴席で、言葉を
選びながら “良い話” をするのは、意外と得意ではありません。自分でも嫌になる
ほど緊張をしてしまう性質(タチ)なのです。

この緊張は、
こども(小1)の頃、学校の授業で先生にあてられて、本を読んだり歌を歌ったり
した時の緊張と同じなのです。要は、自分が好きな事、得意な事とは違うものを
人からやりなさいと強要された時に生まれる “嫌な緊張感” なのです。大人に
なって、だいぶ薄れていたのですが、ある後輩の結婚披露宴でのスピーチで
それが甦ったのです。もちろん、後輩や部下に対して “おめでとう!” という
気持ちは人よりも強くありますので、毎回、スピーチという形で引き受け、何とか
表現しようとするのですが ・・・ ( このことは意外と誰も知らなかったはず )

「乾杯の音頭」
も、言葉を選び気を遣いながら、自分の普段とは違う表現で話すという意味では、
新郎新婦に先輩として結婚生活のイロハや人生の教訓を語り、臨席されている
ご親族や友人に向けて、新郎新婦の良いところや職場でのエピソードを語る
主賓としてのスピーチとそう違いはありません。いくら、場を盛り上げるといっても、
若者のようなノリでやり過ぎるのも見苦しいものです。と、あれこれ考えるだけで、
あの緊張感が襲ってくるのです。

“おめでとう!”
という気持ちを素直に伝えたいと思えば思うほど “嫌な緊張感” に苛まれます。
もう殆どの後輩(元部下)が結婚しました。会社を辞めたこともあり、しばらくは、
新しい後輩もできないでしょう。当分、スピーチも無いということです。何故か、
今日は何かから解放されたようで爽やかな気分なのです。
( 義務教育を卒業したような気分!? )

気になっていた後輩J
の披露宴だったので、周りの目を考えてスピーチは断りましたが、何かやって
やりたいとは思ってましたので、まあ、緊張して “カミカミの乾杯” の音頭でしたが、
何とか役割は果たせたのでしょうか。( ほんまは余興がやりたかったとか ・・・ ??? )

私の微妙な乾杯の音頭
を救ってくれた(フォローしてくれた)のは、披露宴終盤の両家を代表した新郎の
お父様のスピーチでした。“最初、○○さんの乾杯の音頭がカミカミで始まったので、
この披露宴、どうなることかと思いました。” と、笑いを誘いながらハードにフォロー
してもらいました(笑)。

“歯に衣着せぬ”
という諺がありますが、正にそういった感じなのですが、そこには、たぶん
今までの環境(仕事など)で培われた洞察力と分析力、そして、その分析データ
から使えそうな言葉を掻い摘み、短い時間で纏め上げた上で、相手に聞かせる
表現力がありました。過去、私は色々なスピーチを聞きましたが、今までに無い、
なかなか破天荒で素晴らしいオヤッサンの毒舌スピーチでした。私には特に強い
インパクトが残り、今後の教訓(表現力の参考)となることと思います。

このオヤッサン、
どこか私に似てる気がしました。違うのは、こうした場でも素直な表現(自己表現)
を遣って退ける器があることでしょうか。( 私は “まだまだ” ということでしょう ・・・ )
後輩Jの才能の一部が、このオヤッサンの影響を受けていることは明らかです。
それが見えただけでも、何か収穫があったようで嬉しく感じました。職場を去った
私ですが、「一緒に働いてる仲間のことをお前はどれだけ知ってるのか?」 という
問い掛けを常に自分自身に行なうことが大事だと思っています。これは今後の
人生や新たな仕事においても変わることのない私の 「人付き合いの基本」 です。

Jのオヤッサン、ありがとうございます。
そして、J、 本当におめでとう! 末永くお幸せに!


■ こんたく堵 ■

素直に自分の表現をすることの難しさ
相手に自分の気持ちを伝えることの難しさ
この難しさを好きになれたらいいと思う

まず、素直な自分を見つけ
その素直な自分を好きになることから
始めるべきなのかもしれない ・・・

第五大成丸


能勢にハマる!

2008年09月17日 | こんたく堵


露地野菜を買いに?またまた能勢までドライブです。
ひょっとして、「能勢」 に ”ハマってしまったかもしれません。”
いや、これはもう完全に “ハマりかけていますねぇ ・・・ 。” ( オモロォー!? )


 



例の如く、
ルミオンは一般道 「R176」 を通って進みます。途中、「R171」 と立体交差している
池田の井口堂にあるカレーうどん専門店へ入ります。前々から気になっていた
お店です。川西市にもあるようですが、“究極のかすうどん” “激辛カレーうどん”
“至高の肉汁と麦とろ” の看板がどうも気になっていました。今日、ようやく ・・・


    


このお店の人気 NO.1 「あごすじかすカレーうどん(980円)」 を注文します。
神戸長田(現在兵庫区)の地ソース 「ブラザーソース」 が各テーブルに配置されて
います。カレーソース(餡)と うどん(麺)は、ほとんどノーマルのようですが、
やはり、“あごすじ” と “油かす” がポイントです。そして、このブラザーソースが
また一役買っています。このソース、「とんかつ」 ですが、香りは 「ウスター」 です。
不思議な感覚です。ハッキリ言って邪道かもしれませんが、このカレーうどんには
合ってます!イケてます!





さて、
能勢の 「道の駅」 で野菜を買い込んで、地元の黒豆アイスを頬張りつつ、
能勢一里松キャンプ場?(ちょっと怪しい雰囲気も!)へ向う道を進みます。
キャンプ場の口を少し過ぎた左奥にあるログハウス調のカフェで珈琲タイムです。

このカフェ、
家族で運営されているようです。地元の知り合いの方々が集まる一方で、
街からクルマで訪れたであろうカップルやライダーの姿もあり、能勢で人気のお店
のようです。お客さんは皆さん、山の中に佇み木々の香りに覆われたこの大きな
カフェで、昼下りのひと時を存分に楽しんでおられました。少し色づき始めた山間
の風景に、私も心を奪われたのか暫し微睡んでしまいました ・・・ 。
( こんなロケーションには誰も勝てませんよね! )


         


私は
カフェモカとティラミスを頂きました。( たいへん美味しゅうございました! )
特にティラミスが美味しかったです。上層でチーズの優しい味が広がるのとは
対照的に、下層ではリキュールのパンチがそこそこ来ます、来てます!
まさに私好みです!


     


この毬栗(いがぐり)3つで105円。もちろん、毬無しの栗もたくさん買って
帰りました。とりあえず、茹でてホクホクを ・・・ そろそろ運動会の季節ですね。
( 「栗」 をみると、運動会を想い出すのは私だけでしょうか ・・・ )





確実に、着実に、秋の気配です。



■ こんたく堵 ■

一度通った道を過去の記憶のまま奔り抜ける
初めて走る道より緊張感があったりするものだ
どこか、責任感のようなものを感じることも ・・・

第五大成丸


祭日とスペインワイン

2008年09月15日 | 家WINE


今日は
「国民の祝日」 のようですね。( 月曜日なのに、なぜか娘が家に ・・・ )
昔、「祝日」を 「祭日」 と言ってましたが、今も使っていいのでしょうか?

大阪の岸和田では、
13(土)14(日)に 「だんじり祭り」 が行なわれ、地元岸和田は盛り上がった
はずですよね。この地域では 「祭り」 を中心にして一年の生活があるというのは
大袈裟な話ではなく、地元では祭りの日は多くの学校や職場が当たり前のように
休みになります。ただ、岸和田から出て生活している者までが、祭りの日には
学校や仕事を休んで帰省するといいます。職場の許可が下りなければ、辞表を
出してでも帰省するというツワモノもいるとか ・・・ 。

姫路の浜手(海沿いの地域)にも
「灘のけんか祭り」 という勇壮な祭りがあります。私の友人も数人、この祭りの
地域に住んでいます。ある友人は、大学を出て就職した大手企業を一年持たず
退職しました。理由は嘘のようですが、上記の話と同様で、祭りの日に休みが
取れなかったので、その日に辞表を出して退職したらしいです。本当に、会社より
祭りを取ったという豪傑なヤツなのです。

どうでしょうか!
ここまでいけば、休みを認めてやっても良いのではないかと ・・・ 。
地域の祭りを 「祭日」 として帰省を許しても良いのではないかとさえ思います。
9月の14日・15日だった岸和田の 「だんじり祭り」 が、第2土曜・日曜になった
のも頷けます。地域の 「祭り」 はその地域の文化であり、人々の暮らしの
大きな部分を支えていることもあるのだろうと思います。日本的な要素が薄れて
いる昨今、この一体感こそが意外に突破口となるのかもしれませんよ ・・・ 。


      


世界のどの地域でも、
同じような “熱い祭り” が一つや二つはあるのでしょうか? 思い浮かぶのは、
ブラジルの 「リオのカーニバル」 や スペインの 「牛追い祭り」 ・・・ そんなことを
思いつつ、スペインの赤ワインのコルクを ・・・


     

Dominio de Eguren Codice 2005

  ■ ワイン 名 : ドミニオ・デ・エグーレン コディセ
  ■ 生産者 : ドミニオ・デ・エグレン社
  ■ 原産国 : スペイン
  ■ 地   方 : ラマンチャ
  ■ 品   種 : テンプラニーニョ 100%
  ■ 熟   成 : アメリカンオーク樽 6ヶ月
  ■ 上   代 : ?( 忘れました ・・・ たぶん、2,000円弱でした )

  よく熟した赤い果実やカカオ、チョコやバニラのアロマが香り、
  果実の凝縮感と酸味のバランスが良く滑らかな飲み口です。

 スペイン国内ワイン専門誌VINO&GASTORONOMIAにて “あのヴェガシシリア”
 より高い評価を得ており、ロバート・パーカー氏からも高評価を獲得している
 スターワイン“ヌマンシア”のエグレンファミリーがリオハ近郊に持つ醸造所が
 “ドミニオ・デ・エグレン” で、その醸造所でマルコス・エグレンがラマンチャで
 栽培されたブドウで造ったテーブルワインが「コディセ」となります。格付けは
 ヴィーノ・デ・ラ・ティエラです。(ある酒屋さんのHPページより抜粋)


中秋の名月

2008年09月14日 | 街的興趣

      
        ■ 中秋の名月

        


今日は日曜日ですが、
家族はそれぞれ予定が入っているようです。予定が無いのは私だけです。

昼からセンチュウ(千里中央)へ散歩に出掛けました。
「鼠先輩(ねずみせんぱい)」 が広場(野外ステージ)で歌を歌っておりました。
先日、「羞恥心」 の3人が来阪して、“黒山の人だかり” ができた広場ですが、
今日は差し詰め、“鼠山の人パラリ(ギャラリーはまばらでネズミ色くらい)”
といったところでしょうか ・・・ 。

「地方物産展」 も同時開催しておりました。
しかし、どうも興味をひく物がありません。百貨店の食料品(総菜)売り場へ
向かいました。入口付近に “黒山の人だかり” です。「月見団子」 のようです。
“あっ、昨日食べたヤツや!” 思わず声に出してしまいそうになりました。
昨夜、ベランダにあった 「すすき」 と、ダイニングにあった 「団子」 は、どうやら
今日のお月見用だったようです。( 皆、食べてたよなぁ ・・・ 私だけ? )

昨夜の 「待宵(まつよい)の月」 は、曇っていて見れなかったようです。
明日の 「十六夜(いざよい)の月」 も、天気予報ではあまり期待できません。
やはり、お月見は今日(十五夜)でしょう! ということで、ひとりベランダに出て
チェアーに腰掛け、テーブルに置いた 「すすき(もう少し枯れています)」 越しに
「中秋の名月」 を眺めます。ちょっとだけ、日本酒を片手に ・・・

ここで一句、
          
『 名月も ブログじゃある日の 1ページ 』


■ 街的興趣 ■

昔は 「月」 一色だったロマンが
木星や土星、火星の可能性にまで話が及ぶ

「 “新しい” という字は、立つ木に斤(オノ)を
 入れると書く。“新しい” の本来の意味は
 0(ゼロ)から何かを生み出すことではなく
 今すでにあるものに変化を加えたものである 」

とある方のブログにあった。
常に “新しさ” を 「街」 に求めていた気がする
勘違いした意味のない “新しさ” を ・・・

第五大成丸


ほおづえをつく女

2008年09月13日 | 昭和諳心




ほおづえをつく女 / 風


振り向きもせずに 男は去った
 
女は半年泣き続けた
薄暗い部屋で ほおづえをついたまま
何故すてられたのかも わからないまま
 
女は半年泣き続けた
新しい季節が女を変えた 出会いを求めて町に出た
髪を切り胸のボタンひとつはずして
化粧直して 女は生まれ変わった
 
お茶を飲みながら ほおづえをついたまま
 
女は男を 捜しつづけた
女はそっと煙草くわえた 男はすかさず火をつけた
かげりある女は とてもきれいに見える
思わず誰でも 手をさしのべてみたくなる
 
灰皿の中の 古い燃えさしがまた
新しい炎で燃え上がった
数える間もなく時は流れた
振り向きもせずに 男は去った
  
慣れすぎた暮らしに 女は甘えすぎて
男の心にまで ほおづえをついてしまった
夜空の星が とても美しいのは
ほんのすこし 光っているから

 
作詞 作曲 / 伊勢正三

1976





■ 昭和譜心 ■

*
**

10代の頃
付き合ってた彼女が
マストロヤンニのCMのコロンと
この歌をカセットに入れてプレゼントしてくれた
30年以上経った今もお気に入りな
この曲は遥かに想い出を
超えてしまった

**
*


第五大成丸


道は街を結ぶもの

2008年09月09日 | 街的興趣


大阪府庁に用事があって行ってきました。
クルマをコインパーキングへ入れて本館まで歩きます。
ついでに、周辺の官庁街をフラフラと散策 ・・・






さて、
どちらが本物の大阪府庁本館でしようか ・・・ ?

正解は上の写真です。( こんなに白かった??? )
下の写真は外壁に少し色を加えてみました。というより、私の府庁イメージです。
しかし、実際にこのアングルから見ると、想像より白くて綺麗な建物なのですね。

大阪市役所が新しくなった当時、
“白くて綺麗でどっしりした建物の大阪市役所” に比べ、 “暗くてくすんだ感じで
くたびれた建物の大阪府庁” という印象が残っています。もちろん、近くへ寄って
市役所と比べると確かに古さは感じます。ただ、昔の講堂のような重厚な匂いが
残る建物には凛とした空気感があります。自然と、息を殺して歩かなければ ・・・
という緊張感すら漂っています。

私は個人的に、
府政や橋下知事の政治手法に関して、どうこう言うつもりもありません ・・・ ただ、
府庁本館以外に数ヶ所の施設(分館や別館)を回った共通の感想は、やはり
一般的にいう  “お役所的” な対応(職員の目線や話し方)だったかもしれません。
“くすんだ建物の中には澱んだ空気が滞留し、働いている職員たちを覆っている”
という私のイメージは払拭されませんでした。

民間なら ・・・
と、橋下知事はよく仰いますが、ここ(役所)は明らかに民間とは違うはずです。
この前提を外して議論すれば、必ず問題や反発が起こります。また、それを力で
抑え込むような手法は、民間の実力・成果主義のエゴです。組織のスリム化や
情報開示を含めてですが、もっと、“役所にしかできない(役所だからできる)” や
“学生が 「安定」 以外の就職動機を持てるような環境” の模索こそが、延いては、
府民サービス(満足)にも繋がるような気がします。

例えば、
職員の削減や給与カットをする前に、無駄の排除やサービス向上に対する
アイデア創出やその実践行動をした職員に特別手当を出すとか、キャリアに
加えるといった具体的な文言を加えておかなければ、現場のモチベーションが
保てないことぐらい、外野の私でも容易に想像がつきます。さらに付け加えるなら、
それらを一般にも情報公開して透明性を示しておくことで、府民や市民との距離も
近づくはずである。難しいとは思いますが、“役所へ行くのがワクワク” するとか
“府庁(市役所)の職員に魅力を感じる” といった環境にできれば、この大阪が、
もっともっと、明るうておもろぉ~なるのでしょうね。

※ 私を含め、私の親族一同には、役所関係の人間は一人もおりません。



■ 街的興趣 ■

街は
様々な道を張り巡らせて結ばれている
その交差している点だけを見たならば
二本の道が交わっている点に過ぎない

街の
それぞれの道は数㍍先でまた交差する
その交差した道もまた数㍍先で交差する
道と道が繋がりスパイラルを形成している

街を
色や匂いで表現することは容易い
道だけで色や匂いを表現するのは難しい
それは道が街の一部だからである

街が
道を 「官」 と 「民」 に色分けしたならば
思いのほか走りづらいものになるだろう
目的地には辿り着けないかもしれない

街こそが
官民分けず受け入れるべきではないのか
もっと、入りやすい街にすべきではないのか
その街へは繋がる道たちで結べば良い

第五大成丸


朝食はシリアルな食品で

2008年09月08日 | こんたく堵


■ GRANOLA (グラノーラ)



若い頃から
朝食は必ずとるようにしています。パンとコーヒーというスタンダードなパターンが
多いのですが、その時々に流行っている(話題になっている)パンやサラダ、卵
料理などを楽しむこともあります。朝食は意外と、一番、非日常な食事なのかも
しれません。

そう言えば、
一時、サンドウィッチのパン(柔らかい食パンからハードなドイツパンなどまで)と
具材に凝った時期もありました。バター、マヨネーズ、塩・胡椒、マスタードなどの
味付けも同様です。新しい素材や珍しい商品があれば試します。元々、数軒の
喫茶店(今はCafé?)でバーテンをしていた時期がありましたので、一般の方々
よりはあれこれ知っているのですが ・・・





最近のパターンです。
低脂肪乳をかけたシリアル、プレーンヨーグルト、野菜&フルーツミックスジュース。
シリアルは今までも時々食べてはいたのですが、どうしても物足りなくなって
パンへ戻ってしまいます。ただ、体調を崩してからは、この大豆のグラノーラと
フルーツのグラノーラを混ぜたものを食べています。コーンフレークと比べると
最初は食べにくかったのですが、慣れると食べれるものですし、歯ごたえも良く
栄養価が高いのが実感できます。

仕事柄(夜メインの飲食業)、
不規則(一般の人の生活リズムではない)で偏食や朝食抜きといった生活が
当たり前になってしまうことが多い業界なのですが、なるべく、お客様の食生活
を意識しながら、その生活リズムを自身が実践することで、消費ニーズを探る
ことに繋がると感じています。朝、新聞を読んで、昼には街場の飲食店でビジネス
ランチを食べる ・・・

気づけば仕事。
な、話になってしまいましたが、今は体調管理(内臓保護)が目的の朝食です。
カラダに良い食品やバランスを考えたラインナップも大事ですが、私としては
まず、“ストレスのない食事” を意識しています。いくらカラダに良いと言っても、
全く食べたくない食品や美味しいと思えない味の料理を食べるのはストレスが
溜まりますので、結局、カラダには良くはありません。ここで重要なのは、“自分
の 「美味しい」 を探すこと” だと考えています。

シリアル食品も
“○○メーカーの○○に、○○を掛けて(のせて)食べると旨い!” を発見できた
時には、新商品(オリジナルな味)を開発した時に等しい感覚もあるものですよ。
また、仕事の話になっていく ・・・



■ こんたく堵 ■

人とコミュニケーションを図るように
食材と会話しながら料理する職人が居る

人は誰でも人から愛されたいものである
相手に好きになってほしいものなのである

だからこそ、
まずは有るがままの自分を曝け出し
相手を本気で愛する必要があるのだろう

第五大成丸


露地と裏路地がある風景

2008年09月05日 | 街的興趣


 京都 先斗町




   露地と露地を結ぶ細くて長い裏路地がある

   向こうの露地から零れた西陽が路地の中程まで

   差し込む様は刮目に値するのではないか、と思う

   己は知らぬ間にこの異空間に身を委ねている

   今、私は碁盤格子のどの辺りに居るのだろうか


京都 「錦市場」 をぶらぶら

2008年09月05日 | 街的興趣


夏休み最後の日曜日、
京都の 「錦市場」 へ行ってきました。





元々、
嫁さんと “京都のお寺でも廻ってみよか ・・・ ” という目的だったのですが、
この日はまるで真夏に逆戻りしたような強い日差しで、痩せている?私が、
とても外を歩けるような陽気ではありませんでした。それで、予定変更です。
大阪ならビルインか地下街へ潜入するところですが、さすがに京都では、
JR京都駅ビルとその近くにあった記憶の地下街しか思い浮かばず、少し
悩んだ末、冷房の効いた百貨店で買い物でも ・・・ というレイジーなオヤジ
発想で河原町周辺へ向かいます。

その前に、
一軒行っておきたいお店(布屋)があって、烏丸通りから六角通りを右折して
とりあえずクルマを[P]に止めます。和の素材でハンドバッグやアクセサリー、
着物などに仕立てる布素材を部分的にあしらったカジュアルなシャツなどを
製造販売しているアパレル系のお店のようです。もちろん、私の目的はその
商品を実際に見ることと、内装とディスプレイ、客層とスタッフの対応等です。
しかし、店内に入った途端、嫁さんが一言 ・・・ “何買ってくれるん?”
私は思わず、“えぇーっ!?” ・・・ 忘れてました!嫁さんの誕生日でした!

この数年、
誕生日は、「外食」 で誤魔化していたのですが ・・・ 仕方ありません(汗)。
と観念しましたが、明日からプー太郎になる私を気遣ってか、嫁さんの
ご希望の品はごくごく安いアクセサリーでした。(助かりました!)
その店を出て、クルマで移動するかどうか迷いましたが、とりあえず歩いて
四条河原町を目指しすことに ・・・





途中、
行列のできているイタリアンのお店の前で店内を覗いていると、タクシー運転手
のおっちゃんが声を掛けてきて、“1階がケーキ販売とカフェ、2階がイタリアン、
露地の奥がフレンチのお店になってて、特にイタリアンが人気みたいで、毎日
行列やわ。” と懇切丁寧に説明をしてくれました。ランチを ・・・ と思いましたが、
さすがにこの行列に並ぶ勇気はありません。

さて、先へ進みます。
四条通りに出てしまうとクルマが多くて暑そうなので、蛸薬師通りから錦通りと
下りながら東へ向かいます。ようやく錦市場が見えてきました。“やれやれ!”
汗をたっぷりかきました。とにかく屋根が日差しを遮ってくれるアーケードのある
商店街(錦市場)の西の端(高倉通り)に到着です。商店街に入ると、当たり前
ですが、いきなり市場のニオイ(八百屋と魚屋が混じったニオイ)がします。次に、
何か香ばしい匂いが ・・・ それは魚屋横のオープンスペース(カウンター6+4席、
待ち席有りな屋台風)で貝類を焼いているニオイでした。

思わず立ち止まります。
「岩がき」 「さざえ」 「あわび」 「つぶ貝」 ・・・





「ほんびのす貝」
というメニュー名が目に止まりました。“兄ちゃん、これってどんな貝?” と
私が聞くと、“ハマグリに似た二枚貝で焼いたら旨いよ!三重の鳥羽産やで”
と答えてくれました。“それ二つと岩がき、つぶ貝はバター焼きで!” とオーダー
してみました。「ほんびのす貝(写真左上)」 は、どう見ても 「大あさり」 です。
家に帰って調べたところ、「ホンビノスガイ」 別名 「大あさり(ウチムラサキ)」
とありました。確かに兄ちゃんは間違っていませんが、“大あさりです!” と
言ってくれたらええのに ・・・ まあ、私の知識不足でした。

“兄ちゃん、男前に写ってまっせ!”







やはり、
錦市場には京都らしく 「漬物屋」 さんが数軒あります。ディスプレイを兼ねた
大きな樽に漬かった野菜たちは色とりどりで、華やかさと迫力があります。
何人ものスタッフが立って売っている活気ある漬物屋さんは、ここ錦市場くらい
じゃないでしょうか。





意外ですが、
「魚屋」 さんが一番多いらしいです。(漬物や豆腐などの印象が強かった)





「京風めざし」 ・・・ ???
“魚屋さんでは売ってまへんで~ッ!”






昔ながらの仕
事を
「昔のまま」 の姿形で勝負しているお店もあれば、「今風」 にアレンジしたり、
演出してお客を誘引しているお店もあります。その両スタンスが一つの商店街
で共存しながらも、それぞれの自己主張をしている様が誇らしくも見えて、
何故か、羨ましく思えたのは何だったのでしょうか ・・・ 。





「錦市場」 の西口
高倉通り から始まり、堺町通り - 柳馬場通り - 富小路通り - 麩屋通り -
御幸町通り を超え、交差する 「寺町商店街」 と 「新京極商店街」 も超えると
「錦天満宮」 があります。ちょっと寄り道して境内へ ・・・ “苦しい時の神頼み”
で、お参りしておきました。





最初に寄った
魚屋横で貝を焼いていた兄ちゃんです。“男前の顔して!” と言って撮らせて
もらった最初の写真です。このあと、先斗町や鴨川べりを散々歩いたあとで
こんな “アホ顔” で写っていたことに気づきました。実は、焼いた貝と一緒に
載せている男前の写真は、夕方、わざわざ引き返して撮った写真だったのです。
まあ、愛嬌があってオモロイ兄ちゃんでした! ほんま、ありがとう!!


■ 街的興趣 ■

その街にはその街の歴史や習わしがある
その街でしか味わえない時間とリズムがある
「郷に入れば郷に従え」 という言葉を実践
したくなる街があるとすれば京都かもしれない
ただ、はんなりした中にしたたかさが ・・・

第五大成丸


自分の根っこを信じて

2008年09月02日 | 楽時々益


■■
■■■  世の中の
■■■■    流行り廃りの
■■■■■      周期を視つめ
■■■■■■        懐古魁新を粋に慮る
■■■■■■■          人と心の時空間を遊し
■■■■■◇■■            独自の感性で時代を周回する
■■■■■■■




勤続19年4ヶ月、
会社を退職しました。まあ、会社員になりたくて今の仕事を選択した訳ではない
ので、ある意味、“飲食業界人に戻った” という感覚です。いや ・・・ 今はまだ、
“飲食業界人に戻ろうかどうか考えている最中” が正しいのかもしれません。

飲食店には、
何代にも渡って受け継がれながら名前と店舗を守っている老舗もありますが、
それはごく一部の稀なお店です。多くの飲食店は歴史や伝統だけではけっして
存続できません。常に近隣競合店との過当競争があり、顧客ニーズをいち早く
察知して提案できなければ勝て(残れ)ないのです。そう考えると、業界の宿命
とはいえ、生まれては消え ・・・ また、消えては生まれる ・・・ の繰り返し(業界
循環)を行なっていると言えるのかもしれません。

時代が周回し、
流行り廃りを繰り返すのです。その流れや波を乗り越えて勝ち抜かなければ
なりません。それは店舗のみでなく人も同様なのです。そして経営者であろうが
スタッフであろうが、流れに乗れず波にのみ込まれた者は去らねばなりません。
無論、組織なら世代交代も含めてかもしれません。そのすべてがスムーズにいく
とは限りません。どちらかと言えば、スムーズにいかないことの方が多いものです。
だから、そこに成功と失敗という両極とも言える大きな差ができるのです。

新規出店は、
それまで積み上げてきたノウハウを駆使しつつ、業態や店舗規模・内容等の
アウトラインを決定して立地のリサーチを行ない、ヒットする店舗スタイルを
プロデュースしていきます。一方で、収支を弾きながら事業計画を練り上げ、
タイミングを計ってオープンに至ります。もちろん、その他諸々同時進行で
取り組まなければならないことは山ほどありますが ・・・ 。

既存店は、
常にブラッシュアップして新鮮さを保たなければ客数の維持ができない時代だと
言えます。加えて、そこに踏み込むには数値(売上・コスト)を睨みながらそつなく
スケジュールを組み、錆び止めに潤滑油を与えるようなイメージで維持管理を
行なうという課題も生まれてきます。また、商品開発や人材育成なども並行して
進めなければならない重要項目です。

さて、本題 ・・・
「飲食業」 の基本とは何なのか?
「飲食店」 の根本には何が必要なのか?
「飲食業界人」 の根っこはどうあるべきなのか?
私はこのクエスチョンで立ち止ってしまったのかもしれません ・・・ 。

何のため誰のための飲食店か?
果たして、上記に掲げた事業パーツを大きなジグソーパズルのピースとして
組み合わせて完成させるだけで本当に良いのか?という疑問がこの数年、
私の中で大きくなってきたのです。完成形があって、そこに埋め込むだけの
作業がしたくてこの業界に入ったのか? 確かに、現場で1スタッフとして
働いていた若い頃は、何の疑いもなく日々一生懸命、仕事(作業)に没頭
していましたし、それで良かったと思います。ただ、この歳になって、飲食業
という業界の表も裏も見れるようになると、“業界人として絶対に譲れない
自分の基本は何だったのか?” と自問自答することが増えてきたのです。

もう一度、
素直な見地から 「飲食業」 「飲食店」 「飲食業界人」 の本質に迫ってみたい
と思うのです。そして、その本質の部分に深く関わって仕事をしていきたいと
思うのです。ここ数年、気づけば店舗や会社の存続維持のためのみに働いて
いたような気がするのです。その会社は悪い会社ではありませんでした。
どちらかと言えば、飲食業には珍しく公正で穏やかな優良会社です。良い会社
だったが故に、私はその事業部を壊さないように守ろうとしたのかもしれません。
裏を返せば、知らず知らずのうちに攻める気持ちが薄れていたようです。

「フードビジネス」
という括りで紹介されるようになった 「飲食業」 では、その実態も “業” から
“ビジネス” に変化しています。“名より実を取る” ことは悪いとは言いません。
ただ、「飲食業」 であろうが 「フードビジネス」 であろうが、そのベースを支えて
いるのは、間違いなくお客様とお店のスタッフです。そして、その底辺である
街場にたくさん存在する個人経営の小さなお店があるからこそ、また、そこで
働くスタッフが存在しているからこそ、高級店やブランド企業、一流料理人が
クローズアップされているということを忘れてはならないと私は思うのです。

退職を伝えた途端、
多くの方から “これからどうする(何をする)のですか?” と質問がありました。
ほとんどの方が、私の行く末?を心配して声を掛けてくださったのですが、
中には真剣に、“なんかやってください!” と妙にプレッシャーを掛けてくる方も
おられました。今後は、ハッキリしたビジョンを持った個人オーナーさんが経営
しておられる小さなお店の支援(コンサルティング)であったり、そういう環境で
将来を夢見て汗しているスタッフの応援(コーチング)あたりの仕事ができれば
よいと考えております。「コンサルティング」 や 「コーチング」 といった横文字で
表現すると勘違いされるかもしれませんが、要は、“少しでも人の役に立つ仕事”
に携わり、もう一度、自分自身を高めてみたいと考えております。





飲食業に携わる一人の業界人として、
“飲食業の基本” を理解し、“飲食店の根本” を持って、
“飲食業界人の根っこ” で勝負している店舗やスタッフと関わり応援したい。
自身もそういう環境で個性的に役割を果たしてみたい。いや、勝負してみたい!

最終日、
礼節を欠かない独立した後輩(職人)から “長い間、お疲れ様でした。”
という電話が入りました。ボチボチ商売をしている元相方の料理長からも
さりげなく連絡が入りました。会社では、事業部の女史や本社の三十路女性陣
から頂いた温かいねぎらいの眼差し ・・・ 言葉は必要ありません。入社以来、
私が期待しているホープ3人組も今は中堅社員となり、それぞれ私の思惑通り?
(個性的)に私の退職に反応してくれました。良かった(嬉しかった)です。そして、
おばちゃん(同世代です、すんません)からは “なんでぇ~?なんでぇ~?” ・・・

皆さん、大変お世話になりました。そして、ありがとうございました。