ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

シャトー・ニコ 2006

2010年01月30日 | 家WINE




「ボルドーワインが嫌いになる?」

フレンチやステーキハウスで、渋~ 渋~ しかも、お高~いボルドーワインを
売りつけられた経験のある方もいらっしゃると思います。そういう時、多くの方は
“こんな高級なお店、しかもこの価格 ・・・ 味はわからないけど、こういう味が
良いワインなんだろうなぁ~” って思うことで、ワインがわからない自分を自分で
フォローしてみたり、お高い支払いをしたことを納得しようとしたりするのです。
そして、“この前、○○ってボルドーのいいワイン飲んだよ。美味しかったぜ!”
てなことを他人に平然と言い放つのです。しかしその後、ボルドーワインをオーダー
することは無く、ワインそのものと距離を置くようになってしまう。これは不幸ですね。


「家で喰らう焼肉に相性ピッタシ!」

今日は、肩肘張らないミディアムボディーのボルドーワインです。
ちょっと物足りないと思う方もいらっしゃるでしょうが、家で家族や友人を集めて
「ファミリー焼肉」 なぞやってしまう場合には “もってこいなワイン” だと思います。
特に赤身の安肉(醤油・味噌タレ)に対応、1等級味を引き上げてくれることが
あるかもです ・・・ 。



Chateau Nicot シャトー・ニコ 2006






まさに、これぞ 「旨安ボルドーワイン」 の極み!?

ガロンヌ川右岸、ボルドー市から南東35kmのエスクッサンに位置する家族経営の
シャトーは、ボルドーで200年以上の歴史を持つワイナリーです。現オーナーである
ドゥブール家が1874年から経営しています。ドゥブール家は女系家族であり、長らく
ワイン造りを女性の手で行ってきました。瑞々しい
ブーケと赤い果実の芳香、
フレッシュながらしっかりしたストラクチュアもあり、様々な食事との相性が
楽しめることも特徴のワインです。
近年はメディアでの評価も高くなり、世代が
変わるにつれ着実に発展しているワイナリーです。



  ■ ワイン 名 : シャトー・ニコ 2006 ( Chateau Nicot )
  ■ 原産国 : フランス
  ■ 地   方 : ボルドー
  ■ 呼   称 : A.O.C.ボルドー
  ■ 品   種 : カベルネ・ソーヴィニヨン 67% メルロー 33%
  ■ 上   代 : 1,300円


構成がしっかりして、つやのある口当たりでタンニンも滑らかなワインです。
パリ農業コンクールで 2005・2006年と連続金賞受賞。畑はボルドーの
南東約35kmのエスクッサン村にあり、標高100m南西向きの斜面15ha
粘土石灰質土壌。樹齢20年、平均収量は60hl/ha。伝統的手法で醸造、
温度管理されたタンクで2−3週間の醸し後、1/3は新樽で熟成されます。




■ 家WINE ■

眉間に深い皺を寄せた
10時10分の眉顔より
笑い転げて涙目になった
8時20分の笑顔が見たい

“ こんな笑ったんは
 久しぶりやなぁ~ ”

“ こんな楽しいのも
 久しぶりかもしれん ”

そして、
“ こんな旨いのも ・・・ ”


第五大成丸


涙をふいて

2010年01月26日 | 昭和諳心




涙をふいて / 三好鉄生


あの日 夢をさがして
オレたち 愛を 捨てたふたりさ
二度と めぐり逢うとは
思わなかった この街角で

ぬれた まつ毛 ふきなよ
あれからつらい 暮しをしたね
やせた お前の肩を
この手に抱けば すべてがわかる
涙をふいて 抱きしめ合えたら
あの日のお前に 戻れるはずさ
涙をふいて ほほえみ合えたら
遠い倖せ きっとふたりで

泣いて 涙涸れても
心に愛は 消せやしないさ
迷いつづけた人生
今日からお前 離しはしない
涙をふいて 抱きしめ合えたら
どこかで明日が 待ってるはずさ
涙をふいて 歩いて行けたら
遠い倖せ きっとふたりで

涙をふいて 抱きしめ合えたら
あの日の二人に 戻れるはずさ
涙をふいて ほほえみ合えたら
遠い倖せ きっとふたりで


作詞 / 康珍化
作曲 / 鈴木キサブロー

1982






■ 昭和譜心 ■

☆☆☆
★★


この曲が
T氏にも届きますように!!


★★
☆☆☆

第五大成丸


また、訃報が ・・・

2010年01月25日 | こんたく堵




「また、訃報が ・・・」

先週はまた、
いろいろと大変な出来事が押し寄せてきました。続く時は続くもので ・・・

関連会社の先輩T氏がお亡くなりになったという訃報が入りました。数ヶ月前に
癌を告知され治療されていたことは知っていたのですが、結局、一度もお見舞い
にも行けないまま、永遠のお別れとなってしまいました。

私のことを “○○やん” と愛称で呼んでくれる数少ない先輩でした。今思えば、
毎回、仕事面で私の部署と会社のパイプ役となり支援(援護)してくれた方でした。
綺麗好き、笑顔の素敵な方で、病気一つしない健康優良児だと思っていました。
そんな方が ・・・ 人間の命の儚さを思い知らされたような気がします。

告別式では、奥様は気丈に振舞われ、長男もしっかり喪主を務めておられました。
まだ58歳だったT氏にとっては、大好きだった奥様との別れ、お嬢さんの将来の
花嫁姿、そして孫の誕生を見れなかったことは心残りだったかもしれないと思うと、
やはり心が痛みます。何とも言えない遣り切れなさが込み上げます。

心からご冥福をお祈りいたします。


■ こんたく堵 ■

あの時、
 ああしておけば ・・・

あの時、
 こう考えておけば ・・・

あの時、
 そう言っておけば ・・・

「後悔先に立たず」

そんな諺で
片付くような話でもない

人との一生の別れに
“もう一回” は無いのだから


第五大成丸


リバーサイドホテル

2010年01月19日 | 昭和諳心




リバーサイドホテル / 井上陽水


誰も知らない夜明けが明けた時
町の角からステキなバスが出る
若い二人は夢中になれるから
狭いシートに隠れて旅に出る

昼間のうちに何度もKISSをして
行く先をたずねるのにつかれはて
日暮れにバスもタイヤをすりへらし
そこで二人はネオンの字を読んだ

ホテルはリバーサイド
川沿いリバーサイド
食事もリバーサイド
Oh- リバーサイド

チェックインなら寝顔を見せるだけ
部屋のドアは金属のメタルで
シャレタテレビのプラグはぬいてあり
二人きりでも気持ちは交い合う

ベットの中で魚になったあと
川に浮んだプールでひと泳ぎ
どうせ二人は途中でやめるから
夜の長さを何度も味わえる

ホテルはリバーサイド
川沿いリバーサイド
食事もリバーサイド
Oh- リバーサイド

ホテルはリバーサイド
水辺のリバーサイド
レジャーもリバーサイド
Oh- リバーサイド


作詞 作曲 / 井上陽水

1982


 



■ 昭和譜心 ■



大学を
受験するために
前日、初心者マークで大阪へ
宿泊したのはリバーサイドの某ホテル
翌日、その大学までの道に迷い一方通行を逆走
目の前に現れたのはPB(ポリボックス)
当然のように反則切符を切られ
試験にも間に合わず
一つのプラグが
外れた




第五大成丸


グッド・バイ・ジェーン

2010年01月17日 | 昭和諳心




グッド・バイ・ジェーン / 柳ジョージとレイニーウッド


凍る夜空の光る星に手の触きそうな
峠に立って見下す山の遥か麓には
切なく点る 街の灯

Good-bye Jane お前を一人残して
旅立つ俺を許してくれ
Passing Thirties

俺は手負いの狼 死場所探して旅を始める
凍てつく夜道 独り彷徨えば
生き残ることの 意味も解るさ

Good-bye Jane 木枯し吹き止む頃に
迎えに来るさ お前を

Good-bye Jane 木枯し吹き止む頃に
迎えに来るさ お前を

Good-bye Jane お前を一人残して
Good-bye Jane お前を一人残して
旅立つ俺を許してくれ


作詞 / トシスミカワ
作曲 / 上綱克彦

1979






■ 昭和譜心 ■


ようやく
最近、暗くて
切なさ滲む歌が好きと
素直に表現できるようになった
若い頃、心の切なさを綴ったフォークや
籠ったようなR&Bが好きだとは言えないこともあった
地方で地元意識の強い硬派だったから
標準語で話す派手なロック系や
アイドルを追っかけることも
できない環境だった
あの頃もっと
素直に




第五大成丸


十日戎 (えべっさん)

2010年01月12日 | 楽時々益




「十日戎(とおかゑびす)」

大阪市内では、
♪商売繁盛で笹持ってこい♪ のリズムに引き寄せられるように、今宮戎神社や
堀川戎神社の 「えべっさん」 に多くの人々が集まったことでしょうね。我が家は
毎年の恒例で、茨木神社の十日戎に行ってきました。人出は “例年並み” では
なかったかもしれませんが、いつになく若い人が多くて祭り(フェア)の要素が
濃かったような気がします。それからもう一つ、「福娘」 さんたちが “例年になく”
美人揃いだったような ・・・ ( スンマセン!昨年も “そこそこ” でした 。。。 )

まず、本殿に向かいます。
水で手を清め口を拭ってから参拝します。“二礼二拍手一礼やんな?” と娘が
聞いてきます。神社自体への人出は多かったのですが、手を合わせるこの場所
は意外と人が少なかったので、“おぉ、そうや。ゆっくりやったらええよ。そやけど、
10円や100円で、大~っきな願いは神様も聞かれへんでーっ!” と言いました。
娘に5円玉を5つ(25円)手渡し、“二重に御縁がありますように!や。” と続け
ました。また、“名前と住所も言わなあかんで!” と私が言うと、娘は “何で?” と
聞き返します。“どこの誰か言うとかな、神様も今のお願いがどこの誰のやったか
わからんやろ ・・・ ” “フ~ン。” 娘は妙に関心しておりました。

元旦、息子は仕事で
初詣に行けなかったので、ここで初詣です。 「おみくじ」 を引いておりました。
「中吉」 で喜ぶ、目指すは小市民?です。まあ、久しぶりに、ほのぼのとした
空気が漂い、良い時間が持てているような気分でした。

さて、本題の笹を買い、
皆で頭を垂れてお祓いを受け、そして、場所を移動して吉兆をつけてもらいます。
これも恒例ですが、吉兆をつけてくれるオヤジさん達の顔は、夜が更けるにつれ
赤く染まりだします。ほろ酔い気分、しかも二人で吉兆を付けている為か、同じ
価格でも明らかに違う吉兆の数やバランスの善し悪しに、思わず苦笑してしまう
ことも ・・・ ( 目の前にお客はんは、ご利益ないんちゃうかと心配顔でっせ! )

写真に写っている
「まぐろ」 は、“例年以上” の大物でした。10円玉や5円玉、1円玉を
まぐろの表面に張り付けて行きます。千円札は早目の “さくら” かも ・・・
( お金が “生々しく” 見えたのは、私だけでしょうか ・・・ )

そのあと、
「破魔矢」 を買って、「福餅」 のクジを引き、笹を担いで帰宅しました。
( “「商売繁盛」 たのんまっせ!” の 顔 ・ 顔 ・ 顔 ・・・ でした )



■ 楽時々益 ■

五穀豊穣、家内安全、
商売繁盛、大漁追福、
無病息災、安寧長寿、
夫婦円満、子孫繁栄、
祖先崇拝、招福祈願、
厄除祈念
・・・ 「ご利益」 を願って参拝。

だるま、招き猫、七福神、
宝船、破魔矢、お守り、
絵馬、おみくじ 、吉兆
・・・ 「ハレ」 に纏わる縁起物。

一番早い者だけが
一年の “福(福男)” を掴める
・・・ 「西宮神社」 神事の話。

もう、そんな早くは走れない。
だったら、オヤジはオヤジらしく
ゆっくりと ・・・ じっくりと ・・・
「福」 を掴みにかかろうや!!


第五大成丸


「人間の証明」 のテーマ

2010年01月09日 | 昭和諳心




「人間の証明」 のテーマ / ジョー山中


Mama, Do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago flew to the foggy canyon Yeah
Mama, I wondr what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side Out of my reach like your heart

Suddenly the wind came up
stealing my hat from me yeh
Swirling whirling gusts of wind
blowing it higher away

Mama, that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back
Like the life you gave me

Suddenly the wind came up
stealing my hat from me yeah
Swirling whirling gusts of wind
blowing it higher away

Mama, that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back
Like the life you gave me
Like the life you gave me


作詞 / 西条八十 ・ 角川春樹 ・ ジョー山中
作曲 / 大野雄二

1977






■ 昭和譜心 ■

*****

西条八十 作 「帽子」

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏 碓井から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向うから若い薬売が来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした・・・。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどとうとう駄目だった。
なにしろ深い渓谷で、それに草が
背丈ぐらい伸びていたんですもの。

母さん、本当にあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍に咲いていた車百合の花は、
もうとうに枯れちゃつたでせうね。そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが鳴いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの渓間に、静かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・Sという頭叉字を
埋めるように、静かに、寂しく・・・。
 
*****


第五大成丸


新年あけましておめでとうございます。

2010年01月02日 | こんたく堵




「2010 寅年」

新年、あけましておめでとうございます。 今年も宜しくお願い致します。


「大晦日から元旦にかけて」

大晦日の夕方から、
自宅を出て実家へ向かいます。意外にも高速道路は一度も渋滞せず通れました。
今年は嫁さんの仕事の都合もあり、一泊二日(年越しのみ)です。長男は元旦から
仕事、上娘は用事が有るとか無いとか ・・・ ということで、3人での帰省となりました。

無事、実家に到着、
挨拶もそこそこに、いつものように “おせちの味見” を兼ねてあれこれ肴をつまみ
ながら忙しなく酒を流し込みます。それから、酔い潰れないうちにきっちり年越しそば
は戴きます。ただ、年(日付)が変わる頃には目も虚ろ状態でした。( これは恒例 )

明けて元旦の朝、
皆揃ったところで新年のあいさつをします。親父が “新年あけましておめでとう!”
と発声し、それぞれのお猪口に注がれた日本酒(燗酒)で乾杯します。いつもと同じ
光景です。この元旦の “変わらぬ光景” に、なぜか年々心地良さが増していると
感じます。

親父は毎年、
夜が明ける頃に初詣に一人で出掛けます。おふくろは家で朝宴の用意です。
そう言えば、おふくろが初詣に行ったのを見たことがありません。まあ、これも
いつもの我が家の光景なわけですが ・・・ 。

私たちは毎年、
だいたい昼前後に初詣に向かいます。今年は少し参拝者が多かった気がします。
参拝に向かう列に並びます。本殿前に着くのに小1時間ほど掛かりました。その
せいか、かなりカラダが冷えたようです。( おぉー、寒~ぅ!カラダが震えます )

お御籤を引きます。
これも我が家の恒例です。大吉が出れば喜びます。中吉や小吉ならちょっと喜び
ます。至って普通のリアクションです(笑)。家族で20数年、同じ神社に参拝して
お御籤を引いてますが、初詣では一度も凶を引いたことがありません。我が家に
大きなラッキーが無いかわり、大きなアンラッキーも無いのは、この籤のおかげ
なのでしょうか ・・・ ??? ならば、究極の 「家内安全」 なのかもしれませんね。そう
考えれば、“ご利益有り!” ですかねぇ ・・・ 。





「まめまめしく ・・・」

いつもより多めに黒豆を食べたかもしれません。
今年は “まめまめしく生活して(働いて)みよう!” ということで ・・・



■ こんたく堵 ■

昔は 
“いつもと同じ” や
“人と同じ” が何より
嫌いだった気がする
「同じ」 という言葉に
魅力を感じなかった

今は
常に新しいものが上
次へ、そして、また次へ
そうした感覚そのものに
魅力を感じなくなってきた

本当に良いものを
邪念なく見極めて
それをじっくり育てる
そんな環境を広げて
人が気づかない力を
吸い上げてみたい

そんな役割を果たせる
1年を過ごしたいと思う

そんな役割を担える
人生でありたいとも思う


第五大成丸