ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

夢の中へ

2009年12月31日 | 昭和諳心




夢の中へ / 井上陽水


探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も つくえの中も
探したけれど見つからないのに

まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

休む事も許されず
笑う事は止められて
はいつくばって はいつくばって
いったい何を探しているのか

探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

探しものは何ですか?
まだまだ探す気ですか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?


作詞 作曲 / 井上陽水

1973






■ 昭和譜心 ■


大晦日
1年の終わり
聴きたい曲は ・・・
思い浮かばない代わりに
虚無だったこの1年を回顧してみる
夢や具体的な目標を持たずに、日々漫然と
“人よりも○○” という視点だけで生きてきたかもしれない
これまでの人生のツケが大きく圧し掛かってくる
“探しものは何なのか” という意味のない
自問自答に時間を費やしてきた
その後悔と反省が一気に
押し寄せてきた
もう無理
や!
と、開き
直ったと同時に
♪♪探すのをやめた時、
見つかる事もよくある話で ・・・♪♪
という陽水のこの歌のフレーズが口を衝いた
半世紀を超え新たな1年を迎える来年
いかに自然体で取り組めるかが
ポイントになるのだろうか
「夢の中へ」 は
お預け
!!
どうやら
「現実の中へ」
向かう1年になりそうです
これまでよりは自然に身を任せつつ
しかし、自分らしい “理屈っぽさ” だけは無くさず
新たな自分を発見して新しいものを創造してみるつもりです


今年1年、このオッサンのブログを
ご覧戴き、ありがとうございました。
来年からは、少し更新が少なくなる
かもしれませんが、気が向いたなら
お気軽にご訪問くださいね。そして、
コメントやトラックバックも、どしどし
お寄せください。最後になりましたが

“ 来年が、皆様にとって幸多く
良き一年になりますように!”


第五大成丸


人の七難より我が十難

2009年12月30日 | こんたく堵




「人の七難より我が十難」

年の瀬に思うのは、
衆院選で民主党が圧勝して政権交代したことで生活が一変したわけでなく、
裁判員裁判がスタートしたけれど、まだ実際に呼ばれていないので実感はなく、
新型インフルエンザの大流行に巻き込まれたわけでもなく、円高デフレの影響を
受けているという意識は薄く、事業仕分けでわが家が仕分けされたわけでもない。
WBCで日本が連覇したことは素直に嬉しく感じたが、高速道路千円乗り放題の
恩恵はあまり受けておらず、ましてや、アメリカ大統領にオバマ氏が就任には
個人的にメリットはなくデメリットもない、GMやクライスラーの経営破綻も然り、
ドバイショックも然りである。

だた、言えるのは、
変化する世の中や世間情勢に付いて行けるとか、付いて行けないではなく、
今年もまた繰り返してしまったメリハリのない生活リズムと自己評価の甘さ ・・・ 。
他人の欠点や不備は誰よりも早く気づくのに、自分自身の悪いところ弱いところは
気づかない(というより、認めようとしない)性格は今年も変わらずであった。

“反省しかない1年” となりました。
もう “来年こそは ・・・” はやめておきます。
人生も大きくみれば 「結果が全て」、言い訳や先延ばしは惨めですから ・・・



■ こんたく堵 ■

「結果が全て」 と
素直に認めてやろう

ただし、全ての結果を
素直に受け入れた上で

良い結果と悪い結果
許せるものと許せないもの

その境界線や重要性は
一般論やなく、持自論で
仕分けをしてやろうや!


第五大成丸


イゲルエラ ロブレ 2008

2009年12月27日 | 家WINE




「奇抜さだけでは続かない」

“相応” という言葉があります。料理とお酒の組合せや取合せの相性も同様です。
スーツにスニーカーが駄目だとは言い切れません。ただ、フォーマルでダークな
スーツに、いかにもカジュアルでカラフルな色使いのスニーカーをセレクトするのは
奇抜以外の何物でもありません。一瞬、注目されても、そうは続かないもので。
やはり、まず主を決め、その主との組合せには “相応” という見方を持つことで
双方が引き立つものではないでしょうか。


「やはり、“相応” に ・・・」

また、たとえば “牡蠣にはシャルドネ” という黄金?の組合せも、全てが良いとは
限りません。シャルドネを使ったワインは多くの国で造られていますし、牡蠣も全国
津々浦々、海外の物やそのシーズンまで含めると、その相性を “良い” と一纏め
で括るわけにはいきません。海外有名ブランド、しかも今シーズン初登場のスーツ
に、1,000円で投げ売りされていたヨレヨレの皮靴は違和感があります。ここでも
やはり “相応” という尺度を持つことが必要だと感じますし、多少なりとも “相応” を
考えてセレクトすることで失敗や不満足感も軽減されるものだと思います。



Higueruela Roble イゲルエラ ロブレ 2008


   


あの 「イゲルエラ」 に “兄弟ワイン” 登場!

スペイン南東部の 「アルマンサD.C.」 です。
オーク樽熟成に由来するコーヒーやキャラメルを想わせる複雑かつビターな香りが
広がります。フランス原産で、今では “アルマンサの地ぶどう” とも言われている
「ガルナッチャ・ティントレラ種(写真)」 とシラー、その二品種それぞれのクリアーな
アロマと力強い味わい、そして柔らかなタンニンが感じられます。また、樽熟成に
よる複雑味も特徴です。




  ■ ワイナリー : コオペラティーバ・アグラリア・サンタ・キテリア
           ( Cooperativa Agraria Santa Quiteria )
  ■ ワイン 名 : イゲルエラ ロブレ 2008
           ( Higueruela Roble )
  ■ 原産国 : スペイン
  ■ 地   方 : セントロ
  ■ 呼   称 : アルマンサD.O.
  ■ 品   種 : ガルナッチャ・ティントレラ 65% シラー 35%
  ■ 上   代 : 1,250円




■ 家WINE ■

本格的に ・・・
家庭的に ・・・

言葉や文字だけで
境目を判断するのは
難しいものである

「フランス産高級ワイン」
「チリ産デイリーワイン」
価格が不明でも、何となく
差を感じるかもしれない

「フランス産赤ワイン2,000円」
「チリ産赤ワイン3,000円」
“これってどっちがええのん?”
多くの人はこう悩むかもしれない

「フランス産赤ワイン3,000円」
「チリ産赤ワイン2,000円」
“これは ・・・ うぅ~ ・・・ 悩むゎ”
こう感じることもあるかもしれない

但し、
ワインが主なら好きに選べばよい

難しいのは、
ワインが副や従の場面だろうか

困った時は、“相応” に ・・・


第五大成丸


イルミナイト万博 2009 winter

2009年12月25日 | 造形憧憬




「光とアートが織りなすスペクタルな空間」

万博記念公園内で行われていた
「 イルミナイト万博 2009 winter 12/20(日)~24(木) 」 に行ってきました。
イブだったので、若いカップルが多いかと思ってましたが、冬休みに入った為か
意外と子供とおじいちゃんおばあちゃん合同の家族連れが多かった印象です。

こうしたイルミネーションイベントもあちらこちらで定着しつつあるようです。
夏の大きな打上花火もいいですが、冬の寒空の下でほのかな灯に心癒され
ホッとするのもいいものですね。

















■ 造形憧憬 ■

アートフルな光と音響が
どこか幻想的にも感じる
シチュエーションを生む

思い思いのメッセージが
あの 「太陽の塔」 の
カラダに刻まれてゆく

まるで 「20世紀少年」 の
続編のように ・・・


第五大成丸


小春おばさん

2009年12月22日 | 昭和諳心




小春おばさん / 井上陽水


風は北風 冬風
誰をさそいに来たのか
子供は風車
まわしまわされ
遠くの空へ消えてゆく

小春おばさんの家は
北風が通りすぎた
小さな田舎町
僕の大好きな
貸本屋のある田舎町

小春おばさん 逢いに行くよ
明日 必ず逢いに行くよ

風は冷たい北風
はやくおばさんの家で
子猫のひざにのせ
いつものおばさんの
昔話を聞きたいな

小春おばさん 逢いに行くよ
明日 必ず逢いに行くよ


作詞 作曲 / 井上陽水

1973






■ 昭和譜心 ■


歌詞
曲そして
その歌声にまで
独特な領域を持つ陽水
透明な氷ほどその厚さは判らない
掴めそうで掴めない、測れそうで測れない
そんなイメージさえある陽水の世界
何者とも連動一致はしない
したくはないという
若き時代に
他人
との距離
その創造力こそが
個の確立には必要不可欠
そんな風に思っていた時代に聴いた曲
未だ他人との距離を測りながら
己の立ち位置を決める
そんな自身の
心は
ちっぽけ
情けなくもあり
意地ましいとも感じる
しかし、己の姿を何かに反射させ
その存在と価値を確認しなければ不安になる
人はひとりでは生きていけないのだと
改めて感じる瞬間でもある
この陽水の歌を
への
レクイエムとして ・・・


第五大成丸


無常の風は時を選ばず

2009年12月19日 | こんたく堵

「なんでやねん!どうなってるねん!」

16日の朝、
携帯の着信音が鳴って目覚めました。見知らぬ番号が ・・・ 今の私に朝早く
から電話が掛かることはなく、有ってもナンバー登録している近しい人だけです。
“ま~た、間違い電話かぁ?” と思い、出ませんでいた。しかし、すぐさま同じ番号
からの着信が ・・・ “リダイアル!かっ?” これも間違いだと思い、この2度目も
電話には出ずパスしました。すると程無く、3度目の着信音 ・・・ ディスプレイには
後輩 「」 の名前と携帯番号が表示されていました。 私が電話に出て “ハイ。”
と声を出すと、“○○○○の携帯から電話してます” と女性の声が ・・・ すぐに
J の奥さんだと判断できました。そして、この時点で私は、電話を直ぐに切って
しまいたくなるほどの怖さを感じていました。 J に何かあったのだと ・・・

奥さんは小さな声で、
“昨日(15日)未明、 J が交通事故で亡くなりました。” と語り始めました。
奥さんから放たれる予想を超える言葉(内容)に、私は絶句してしまい慰めの言葉を
返すタイミングすら失いました。心の中で “なんでやねん!” “どうなってるねん!”
と叫びながら震えが止まりませんでした。





「17日 通夜 そして、 18日 葬儀告別式」

余りにも、ツライ別れでした。
そして、やりきれない思いが胸と胃に痛みとなって広がっていきます。
“こんなツライことあったやろか?” と、半世紀の自分の人生を振り返ります。
ありませんでした。身内の不幸でもここまでは ・・・

2年前の夏( J が同じ会社で私の部下だった当時 )、
仕事帰りバイクで事故を起こし、足を骨折して 入院・手術 ・・・
簡単には完治せず、入院・手術・退院 を繰り返しました。その間、立ち仕事が
メインとなる飲食の店舗勤務はままならず、自宅待機 ・・・ 結局、私が退職する
のとほぼ同時に J も退職しました。( 会社にこれ以上迷惑は掛けたくないと ・・・ )

お互い、
月に1度は連絡を取り合い近況報告を交換していました。足の事もあったので、
私からは “無理せんと長い目で仕事探しや!” とアドバイスはしていました。
そして、余裕のない私が心配するのも可笑しな話ですが、“生活は大丈夫か?”
と、毎回声は掛けていました。“何とかイケてます!” と気丈に返していましたが、
その後、労災の保険金給付の打ち切り期限が迫り、足の状態と相談しながらも
無理して仕事を探さなければならない状態(生活環境)になっていたと思います。
“7月末までは理想を求めます ・・・ で、見つからなければ、8月から妥協します”
と話していた J が選んだのは、理想に近づくための妥協だったかもしれません。

繁華街、
オオバコ居酒屋の新規立ち上げ、そして、その統括店長 ・・・
会社の成り立ち、そのビジョンや方向性、スタッフの面々などなど、私が判断する
前に、過酷な日々が待っていることを J は十分に理解していました。そして、私の
“大丈夫なんやなぁ?” という問い掛けに、“トライしてみます!” と、意気込んで
話はしていました。私は、また足が痛むのではないかとそればかりが心配でした。

通夜の時、
J の親父さんに事故の話を伺いました。( 奥さんには聞けなかったので ・・・ )
“まだ、私たちも詳しい事はわからへんのやけど、トラックと正面衝突して心臓破裂、
ほぼ即死状態で、本人はそんなに苦しまんかったんちゃうかなぁ ・・・ ” と客観的に
捉えることで、現実を直視したくないという父親の姿がそこにありました( たぶん )。
より一層、私の心は折れそうになりました。( 聞かなければよかった ・・・ )

11月の新規開店前から
ほとんど寝ずに仕事を詰めていたと思います。オープンして数日経ったある日、
私は J の勤務するお店に出向き少し話をしました。“どう、大丈夫(足)?” という
いつもの挨拶から話を始めました。そして、今の店舗、スタッフ、お客様の状況、
メニュー内容等を聞きました。少し私から意見もしました。その中で一番私が
心配だったのは、睡眠時間が2~3時間程度しかないということ、働き始めてから
1日も休みらしい休みを取っていないということでした。

J は元々、
体育会系ですので、体力と気力(先輩への礼儀も)には自信を持っていました。
でもそれ以上に、あの時 J には、それに掛けるしかないという悲壮感が漂っていた
かもしれません。それなのに、“お前がそう思うんやったら、ガンバってみいや!”
と私は表ヅラの良い上司のようなアドバイスをしてしまいました。ほんま(本音)は
“無理すんな!(足の痛みの再発)今度やったら取り返しつかへんぞ!嫁さんと
小さい子供(息子)おるんやから ・・・ そこまで掛けれる会社(人)なんか?” と
言ってやりたかった。でも、何の支援もできない今の私には言えなかった ・・・

今回、事故と仕事の関連性はわかりません。
ただ、自転車で通っていた J がなんでトラックと正面衝突なんや ・・・


2ヶ月前、
“オープン1ヶ月前、(店長として)何をしておけば ・・・ ” という質問を持って
私のところへ J はやって来ました。近所の居酒屋で酒を飲みながら私なりの
意見とアドバイスをしました。うちの嫁さんが仕事帰りに合流、3人でそれなりに
盛り上がりました。家に帰ってから嫁さんと話した時、J の印象がそれまでとは
違ったようでした。一瞬、取っつき難いところがある一方、好き嫌いがハッキリ
していて、本当は裏表がないサッパリした性格 ・・・ 私に似ているということです。
( 私には裏表がありますが! ・・・ ??? )

しかし何より、
たくさん居る後輩の中でも、こんな私のような存在を一番慕ってくれていることが
わかったようで、嫁さんは今まで以上に親近感を覚えたようです。そういうことも
あってか、告別式に一緒に参列してくれました。うちの嫁さんも今は飲食業界人
です。簡単には仕事を休めません。“仕事、大丈夫なん(代わってもらえるの)?”
と私が聞くと、嫁さんは “仕事より、Jくんのあの大きい顔、もう一回、見とかな
後悔しそうやから ・・・ ” と返してくれました。通夜・告別式には、一緒に働いていた
スタッフも大勢、参列してくれていました。祭壇にある J の写真を見ても、棺桶の
中の亡骸を見ても、悲しさより悔しさしか感じなかったのに、そのスタッフたちの
顔を見ると、なぜか涙が ・・・

無念やと思います。
( 奥さんの泣き崩れた姿、たぶん一生忘れません )
これからやったと思います。
( “これからやと思ってたのに ・・・ ” という親父さんの言葉も忘れません )

奥さんや親父さんはじめ親族の皆様、そして、同級生やクラブ(部活)の先輩、
後輩、仕事を一緒にやってきた方々、 J はまだ、34歳やったはず。私の中で、
“サヨナラ” には、もうちょい時間が掛かりそうです。 もう少し時間が ・・・


■ こんたく堵 ■

人間はいつか死ぬもの
いつか別れの日はくるもの

もちろん 、
そんなことわかってますよ

そやけど 、
自分より若いヤツが突然 ・・・

やっぱ、ツライですわ
うん、やっぱ、イヤですわ

これって
「無常の風は時を選ばず」
ってことですか ・・・


第五大成丸


二度とない人生だから

2009年12月16日 | 昭和諳心




二度とない人生だから / 泉谷しげる


二度とない人生だからと言って
みんなうまくは生きられない
寄り道だってしたくなるさ
それが無駄だとわかっていても

雨や風には逆らえぬが
なぜか人には逆らっちまう
別に悪気じゃないんだが
自分で相手を決めちまう

親もあれば家もある
女もいれば仕事もある
足りないものは無いんだが
それを壊しちゃよろこんでる

二度とない人生だからと言って
途中で生きるのを諦めて
次の人生に夢を託し
さよならを覚えておこう

二度とない人生だからと言って
途中で生きるのを諦めて
次の人生に夢を託す
さよならを覚えておこう


作詞 / 泉谷しげる
作曲 / 早川 隆

1973






■ 昭和譜心 ■


己の
選択した
道が常に正しい
とは限らないものだろう
どちらかといえば失敗が多くて
人生をゆるり振り返れば慙愧にたえない
ただ、「二度とない人生だから」 こそ、誰しもが
後悔はしたくないと心新たに立ち向かう
“思いきりやってみる” それとも
“諦めて次に託す” ・・・
“それも人生” と
言い訳を
発す


第五大成丸


冬京

2009年12月13日 | 昭和諳心




冬京 / 伊勢正三


ぼくの部屋の 夕暮れは
君が去った ドアの方から始まる
あの頃ぼくと そして君の夢は
同じものだと 思っていた

ぼくの胸に顔をうずめて
潮の香りがすると
故郷のない君だから
わかるのだろう

あの頃ぼくは 何のために
君と同じ朝を むかえてたんだろう

赤い電車は 止まらないほどの
その小さな駅の 見える部屋で
階段のぼる ぼくの足音
響き始めたとき

読みかけの本にしおりを
はさむ人もいない
こんな淋しさ それも東京
そして生きていくため

暖かい愛がなければ
冬は越せはしない


作詞 作曲 / 伊勢正三

1977






■ 昭和譜心 ■



西空へ
傾いた夕陽の
オレンジ色の明かりが
磨りガラス越しに見える部屋で
この 「冬京」 を微睡みながら何度も聴いた
好きな正やんの曲の中でも1・2を争うほどお気に入り
“ぼくの部屋の夕暮れは・・・” と 歌詞が始まり
“あの頃ぼくは何のために・・・” と 続く
“暖かい愛がなければ・・・”
と 流れる頃には
その夕陽も
沈む


第五大成丸


スローガン2010 <阪神タイガース>

2009年12月12日 | 虎視淡々

 
  そのプレイ、その一瞬に集中せよ!!


「チームスローガンの再登板ですか ・・・」

全体で “集中” することは難しいのでは ・・・
チームスローガンとしてはどうなのか ・・・ と、私が昨年オフに問題定義した
Focus on this play, this moment !! (そのプレイ、その一瞬に集中せよ!!) 』
が、来季(2010年)もチームスローガンとして再登板するようです。

変えればよいというものではないのでしょうが、
今季の闘いを振り返ってみて、どれだけ “集中” できたのか ・・・
どれだけ昨年までよりも “集中” したことで勝てたのか ・・・ 疑問ですねぇ~。
“集中” する前に、今季を振り返り、来季の具体的な構想を練り込むことが
大事ではないでしょうか。毎年、スローガン発表など年明けでもよいはずです。

フロント、首脳陣こそ、
 来季の戦い方、ゲームの進め方に “集中” せよ!!






「シーズンロゴマーク、インパクト弱っ!!」

差し障りのないロゴマークですよね。イエローとグリーンのグラデーション?
( 自球団のイメカラ以外は入れてはいけないという規定でもあるのでしょうか )

中央の 「虎」 も
どんだけ 吠えて ええのやら ・・・  あかんのやら ・・・






「巨人と中日を従えて ・・・」

ちょっと色を ・・・
ジャイアンツやらドラゴンズやらのカラーをロゴに取り込んで色塗りしてみました。
( 関係者各位、オッサンのほんのお遊びですのでご容赦くださいませ )

よっしゃぁー!
来年こそは! 来シーズンこそは!! ・・・ と、虎ファンは繰り返すのでした(完)。



■ 虎視淡々 ■

この時期 、
関西圏には理屈っぽい
オッサンが増殖する

この時期 、
時も 場所も 相手も
関係ナシお構いナシ

この時期 、
あーだ! こーだ!
やたら吠えまくってる

この時期 、
どっちかと云えば
みな気楽やし明るい

この時期 、
頭や胃の痛みも
なんとのう和らぐとか

そんで 、

この時期 、
虎ファン全員が
虎の監督になるねん ・・・


第五大成丸


 チームスローガン2009


阪神の赤星選手が電撃引退!

2009年12月11日 | 虎視淡々




「衝撃が走る!」

9日、
阪神タイガースの赤星憲選手(33)が、現役を引退すると電撃発表しました。
首周辺の故障は 「中心性脊髄損傷」 の重症で、このまま現役を続行すれば、
半身不随になる可能性や生命の危険をも伴う状態であるというショッキングな
事実、球団やチームメートと話し合って無念の決意をしたことなどを会見では
明かしていたようです。

赤星選手は、
小さなカラダながらプロとしてそれを補って余りある武器(俊足・好守・好打)を
磨き、自身5度の盗塁王、そしてチームを2度リーグ優勝にも導き、選手会長
としてもチームを引っ張ってきた虎の功労者です。本人には、まだまだ現役への
未練(悔しさや淋しさ)があると思いますが、とりあえず、9年間の現役生活に幕を
降ろします。先の人生を考えれば、今回の選択(決断)は正しいと思います。

今のまま
無理して現役を続けることは余りにもリスキーです。今後、指導者を目指す
ということであれば尚更、気持ちを断ち切って前へ進むべきではないでしょうか。
多くの虎ファン(特に赤星ファン)も今は、切なく遣る瀬無い気持ちで一杯でしょうが、
赤星選手のカラダの回復と今後の活躍を祈りましょう!( GO!GO!RED STAR )

“赤星選手、ありがとう! そして、ほんまにお疲れ様でした!”



■ 虎視淡々 ■

“人一倍の努力” と
世間でよく使われる

それを言い換えれば
“人並み以上の努力”

“人並み以上” とは
何g? 何cc? 何km?

スピードガンならぬ
「努力ガン」 でもあれば ・・・

選手 ひとり ひとり の
評価も変わるのだろうか?

“努力”、人によって
「150km の ストレート」 であったり
「140km の 高速スラーダー」

ならばと私は、
「90km の 超スローカーブ」 で勝負!
打たれたら “超~カッコ悪い!”

でも、
抑えたら “超~カッコええやん!” ・・・ 


第五大成丸


今年の忘年会事情

2009年12月10日 | 二升五合




                      ▼△▼△▼
リーマン・ショック、デフレ、円高、株安 ・・・ 。財布のひもを締め続けてきた庶民が、
1年の憂さを晴らす忘年会。「年末くらいはパーッと楽しみたい」 と、今年は参加する
忘年会の数を絞り込む代わりに、1回分の予算を少し奮発する傾向にあるようだ。
一方で、こうした絞り込みの影響を受け、予約が大幅に減った飲食店も。経営者ら
からは 「このままでは年が越せない」 との声が漏れる。( 読売新聞 12/8 夕刊より )
                      ▲▽▲▽▲


「今年はアゲアゲ?」

世間の情勢(景気)を考えれば、今年の忘年会が例年を上回るような需要(回数)
はないだろう、と事前に予測することはそう難しくなかったはずです。しかし、幹事
(お客)様がピックアップするお店のグレードを上げてリサーチしているというような
感触が、店側にあるかどうかは甚だ疑問ですが ・・・

飲食店検索サイト 「ぐるなび」 でも、1人4,000~6,000円の 「ちょい割高」 予約が
好調だということです。そして、11月に行ったアンケート 「幹事に期待すること」 の
トップ回答は、“少し高くても、美味しいお店を” という要望であったようです。昨年
1、2位であった “飲み放題の店を” “予算内に収めて” を上回ったようです。


「店舗ファンに仕立てる!」

関西ローカルだけの話ではないと思いますが、世の中の二極化が進み、さらに
その二極化からの再分裂が始まるのではないかという気がします。特に、この年末
の忘年会シーズンに無理した層や我慢した層が、果たして元のテリトリーラインの
お店に戻るのか、それとも ・・・

いずれにせよ、店側の対応とすれば、状況に併せてお客様を追いかけ回すような
動きをするのではなく、自店の基本ライン(ウリとターゲット等)を明確に掲げ直し、
その基本の中から自店の魅力を2つか3つ再発見(捻出)して、その魅力を中心に
キッチリ仕掛けて、シッカリ打ち出す。そして、お客様を笑顔で迎えて、楽しませて、
堪能させて、店舗ファンに仕立てる! ・・・ それをお客様も求めているはずですよ。



■ 二升五合 ■

庶民は1年もの節約に疲れ
“忘年会くらいは ・・・ ” と思ふ

待ってました!! と、ばかりに
駅前の立飲み屋にはイスが置かれ

あのオヤジがやってる赤ちょうちんも
高級店に模様替えしたとか ・・・ ???

景気以上に “心が不景気” ですなぁー


第五大成丸



日陰の気持ち

2009年12月09日 | こんたく堵




「日陰の気持ち」

日当たりの良い特等席に居たとは云わない
ただ、これまで歩んできた人生、それなりに
人様より恵まれたポジションに居たことは確か

振り返れば、ラッキーだった要素も多々ある
どこかの時点で “煩わしい人生は御免だ!” と
逃げながら繕うことを覚えたのかもしれない

無論、誰も好き好んで日の当たらぬ場所へ
積極的に足を踏み入れることはないだろうが
知らぬ間に追いやられることはあるものだ

その日陰に入って初めて知ることがある
その日陰から見て初めて感じることもある
“どう見られるか” より “いつ何をどう見るか”

日の当たらぬ場所に居る人間の気持ちが
理解できるとかできないといった感傷的で
軟なものではなかったことは意外だった

日の当たらない場所から日の当たる場所を
見れば眩しいだろうという想像は当たっていた
但し、それのみであってそれ以上の感慨はない

猛獣が草叢で息をひそめ獲物を睨んでいる
ターゲットの動きをジッと見据えて間合いを測り
ドンピシャのタイミングで飛び出し牙を剥く

残りの人生、そんな存在を目指そうか ・・・・・



■ こんたく堵 ■

四六時中、
日が当たる場所など
ここには無いだろう

深い闇が天空を覆い、
月明かりすら射さない夜
日当たりの有無は愚問

どこもが、だれもが、
同条件となって騒ぎだす

まるで、
カーニバルのように・・・ 


第五大成丸


あのリストランテが岡山へ ・・・

2009年12月04日 | こんたく堵




「不器用な職人」

大阪福島でイタリアンのお店をやっている後輩Mから久々に連絡がありました。
“年末で店閉めることにしました” という報告です。独立して何年経ったのか ・・・
小さなお店ですが、一時はイタリアンブームもあってか、異常なほどメディアに
取り上げられた繁盛店です。根強いファンに支えられ、今もそれなりに繁盛して
いるようです。ですから、もちろん “赤字での撤退” という訳ではありません。

元々、我が道を行くタイプのMなのですが、私と知り合った(Mが高校生)頃は
家計のため?夜遅くまでアルバイトをしていました。卒業後は、大好きなバイク
レースのため、定職の仕事には就かずフリーであちこち渡り歩いていたと記憶
しています。その後、“料理の道で飯を食う” ことを決心したという報告があるかと
思えば、すぐさま単身、何のツテもないイタリアへ渡って武者修行 ・・・ 目ぼしい
レストランにアポなしでいきなり飛び込み、“雇ってくれ!” と職を求めてみたりと
それなりに苦労はあったのでしょうが、2年余りで数ヶ所のレストランを回って、
良い勉強にはなったようです。

帰国してからは、数軒のお店でシェフを経験して独立したのですが、Mの料理は
派手なイタリアンではなく、イタリアの伝統的な基本料理や田舎料理がメインです。
そこにMのこだわりとポリシーがあったのだと思います。そして、大きな店からの
誘いや支援の話もあったのでしょうが、若いスタッフを雇い入れて店を大きくして
店舗数を増やす、あるいは料理監修、プロデュースといったビジネスには、興味
を示さず、自分が作った料理を自分のお店でちゃんと提供することにこだわった
ヤツです。今時の業界人ではありません。非常に不器用な職人だと私は思います。


「等身大の模索」

Mとは知り合って30年近くなります。
紆余曲折はありましたが、目標であったろう “自分の城(お店)を持つ” という
ことは達成し、それなりに業界では名も売れたはずです。しかし、2~3年前から
徐々に、“街場でこのまま店を続けることには魅力を感じない” といった内容の
話が会うたびに多くなっていました。丁度、私自身も同じような感覚に見舞われて
いましたので、お互いに将来への再展望(チェンジ)を話すようになっていました。

これまでの仕事に対して、無理したり誤魔化したりしていた訳ではありませんが、
少しずつ、少しずつ、本当に目指していたものと現実が違ってきたということが
自分の中で消化できなくなり始めたということです。私とMは、経験を積み、歳を
重ねれば重ねるほど、等身大の新たな自分探しがしたくなるタイプのようです。
要は、等身大の自分で再勝負してみたくなるということです。今まで積み上げて
きたものに頼って余生を過ごす、といったことを目標にしたくないという中年男の
悪足掻きかもしれませんが ・・・ 。( 特に、私は ・・・ )

Mのお店は年内(たぶん12月30日まで)、今まで通りの営業をして閉店します。
年明けの1ヶ月ほどで店舗の整理と処分をして、その後、岡山を目指すそうです。
まだ詳しくは聞いてませんが、土地(畑)付きの古民家に移り住み、野菜作りをし
生活基盤を整えるようです。当初、生活と情報収集の為に岡山の街場へ働きに
行くことになるかもしれませんが、なるべく早く、その古民家を改装、あるいは増設
して、前の畑で採れた野菜を使った料理が提供できるレストランを開店させたい
という考えでした。どんなLOHASなレストランができるか楽しみです!
( Mでなければ、“私にプロデュースさせてくれ!” と言うのですが ・・・ )

いずれにせよ、今、私にできることは陰でMを応援することです。
“頑張って!” と言葉を掛けることぐらいです。もっと、私に力とお金があれば、
大きな支援をしてやれるのですが、まあ、それはそれでMが嫌がるでしょうが ・・・ 。



■ こんたく堵 ■

人それぞれ 考え方があり
人それぞれ 生き方がある

今の時代
個人的なこうした思想
随分と尊重されるようになった

しかし、
立場ある人間が発すれば
まだまだ誤解を招くことがある

そして、
お堅い組織なら、降格、左遷
或いは解雇の可能性すらある

社会の中、特に組織の中で
“等身大の自分を見つけること”
それは、至難の業である

ちゃんと “コンタクト” しなければ ・・・


第五大成丸


ブランド食材と料理人の関係

2009年12月03日 | 二升五合




「ブランド化の流れ」

ここ数年、
飲食業界において 「ブランド地域」 や 「ブランド食材」 の氾濫が気になります。
ブームということもあるのでしょうが、「○○牛」 「○○豚」 「○○鶏」 ・・・ 野菜や
魚介、フルーツ、調味料などを含めると “全国うまいもの市” 状態になっている
お店も存在します。ブランド食材を扱うことが悪いとは言いません。ただ、本当に
ブランド化しなければならないのは、お店の存在自体なのではないでしょうか ・・・

“折角、腕の立つ料理人がいるのに ・・・” と思うお店もあります。しかし、ほとんど
の飲食店が、利潤追求やコスト削減で、若く経験の少ないスタッフ中心に運営して
います。そうした環境下で顧客獲得の切り札とも言うべき、「ブランド食材」 の打ち
出しがあることも事実です。そこまではないとしても、結果的にそのブランドに頼った
商品提供になっていることは否めません。もちろん、客側も求めているのかもしれ
ませんが ・・・ 。だからではないですが、料理人のレベル低下がやはり心配です。

若い料理人は、「ブランド食材」 を “切るだけ” “焼くだけ” で売れてしまえば、
“基本を押さえて” “手間暇掛けて” といった仕事が無意味に思えてしまうのでは
ないでしょうか。実際、そういう向きになっている料理人も多く見られます。有名な
ホテルや街場で人気のレストランでも、メニュー内にブランド名が氾濫しています。
「A5ランク ○○牛のステーキ」 というネーミングです。もちろん、こう表記すれば
売れてしまう現実があります。ここまでくると、経営者側からすれば、確かにプロの
料理人が不必要に思えてくるのかもしれません。

本来、食材の目利きも含め、腕の立つ料理人が厨房にいるから、そのレストランや
料理の評価があったはずです。いや、そうあるべきだと私は考えています。頑なに
その域を守っている料理人も存在します。しかし、今の時代、ビジネス目線が先行
している若い料理人が多いと感じます。否定はしません。ただ、そういう料理人は
早めに厨房から出ることをおすすめします。もっと、“日本の食文化を担っている”
という自負を持ってほしいものです。特に、注目されているお店の料理人ほど ・・・ 。





「料理人のプライドと飲食店のあるべき姿」

ブランド食材を作り育てている農家や畜産関係者には、それ相当の努力や工夫が
あるはずです。天然のブランド食材を獲っている漁師さんや猟師さんにおいては、
危険や苦労が必ず付いてきます。さてそれでは、その 「ブランド食材」 を仕入れた
飲食店では、どのような努力や工夫をして苦労しているのでしょうか? 甚だ、疑問
です。その食材が生れた背景(歴史)はおろか、特色や特徴すらほとんど知らずに、
“認知度の高い(世間にウケそうな)ブランドを箱で仕入れ、高く売れそうな所(人)
に転売” というアンダーグランドな流通業者のような仕事になっているお店が増え
つつあるかもしれません。

それこそ、これが本当に問題なのです。ブランド名に頼っているだけのお店や
上辺の料理人が氾濫して、料理屋としてのあるべき姿を忘れかけているのです。
結果として、本来の料理人としてのプライドまで捨てかけているのかもしれません。
再チェックする時期にきていると感じます。特に、地産地消という流れ(考え)が
加速すれば、いくら都会で手広く商売をしている飲食店といえど、今ほど簡単に
商品は流通しなくなります。時代は確実にECOへ向かっています。それなのに、
飲食業界はその世の中の流れを一番わかっていない(わかろうとしない)業界
かもしれません。率先しなければならないはずなのに ・・・ 困ったものです。

皆さんが通っているお店、そう感じることありませんか ・・・ ?
( 客側も、お店をちゃんと評価すべき時代になってきたということかもしれませんね )



■ 二升五合 ■

景気が 良ければ
ブランドを 持て囃し
景気が 悪くなれば
見向きもしない お客
ポリシー 無いんですか?

景気が 良ければ
高くても山ほど 仕入れ
景気が 悪くなれば
値切りにかかる お店
プライド 無いんですか?

採ってる人 や 狩ってる人
作ってる人  や 育ててる人
そんな人たちの こと
ちょっとは 考えましょうや!

これじゃ 世の中
人も お金も 回りませんよ ・・・ !


第五大成丸


片想い

2009年12月01日 | 昭和諳心




片想い / 浜田省吾


あの人のことなど もう忘れたいよ
だって どんなに想いを寄せても
遠く叶わぬ恋なら

気がついた時には もう愛していた
もっと早く 「さよなら・・・」 言えたなら
こんなに辛くは なかったのに

あゝせめて一度だけでも
その愛しい腕の中で
「このまま 傍に居て 夜が明けるまで」 と
泣けたなら ・・・

あゝ肩寄せ歩く恋人達
すれ違う帰り道
寂しさ風のように
いやされぬ心を もて遊ぶ

あの人の微笑 やさしさだけだと
知っていたのに それだけでいいはずなのに

愛を求めた片思い
愛を求めた片思い


作詞 作曲 / 浜田省吾

1983






■ 昭和譜心 ■


あの
余りにも
環境の違ってた
彼女を取り巻く人間関係で
好きとか嫌いという問題じゃなかった
別次元で、激しい葛藤が生じていた気がする
でも、お互いへの想いは高まるばかり
やりきれなさが胸を強く突いた
別離を決断するために
長い時を費やし
得たのは
後悔




第五大成丸