ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

174. まぼろしの野性蘭

2021-04-01 | エッセイ

シャンパーニュシイの花(2021年3月26日、セトゥーバル郊外で撮影)

 

 たしか10年前だったと思う。いつもは二人で一緒に出かけて野の花観察に行くのだが、その日は日本に帰国前日ということもあり、私がぐずって出掛けるのを嫌がった。しかたなくVITは一人で近くの山に出かけたのだが、帰って来るなり「すごい発見や。初見花がみつかったで」と興奮状態。さっそくデジカメを見ると、そこには今まで見たこともない新顔のランが写っていた。しかも一本ではなく、数十本も群生している。その花は道路から外れた人目の付かない草むらに咲いていたという。しかし、隣の農家の犬に吠えられて、そうそうに帰って来たらしい。犬に吠えられるのは嫌なものだ。何も悪いことをしているわけではないのに、落ち着かない。野草を観察して、写真を撮っているだけなのに。私たちは決して花に触ったり、匂いを嗅いだりもしない。まして花を切り取ったり、掘り上げて持ち帰ったりはしたこともない。それどころか、写真写りを良くするために周りの枯れ草を取り除いたりして、綺麗に掃除をしてから写真を写す。VITがひっしに掃除をして写真を写したあと、私が写真を撮る。写真の出来栄えは?もちろんVITの写真が素晴らしい。しかも小さな普通のデジカメで撮っているのだ。

 翌年、その野生ランを観察にいったところ、なんと一本も無かった。あれだけ群れて咲いていたランが一本も見当たらなかった。不思議なこともあるものだ。その後も毎年同じところに見にいっているが、全然ない。ひょっとしたら、業者がそのランを根こそぎ取っていったのではないだろうか。

 その野生ランの名前はシャンパーニュシイという。その場所で一度見たきりで、忽然と姿を消し、他のところでも一度も見たことがない。まぼろしの花だ。

 ところが今年、意外な場所で出会った。ちょっとした山の尾根道を走っていると、道端に赤紫の花がすっくと立っていた。「あれ!」何だか予感がした。急いでクルマをバックして確認すると、それは「まぼろしの花」だった。それも一株だけ。しかし高さ20センチほどで、すっくと立っている。あれほど探していたランが、山道とはいえ、目立つところに咲いている。

 VITがさっそく周りの枯草取りを始めた。枯草を取り除くと、ますます目立つようになった。撮影を終えると、周りにないかと探し始めた。すると少し離れた場所に数本あり、トゲトゲの草に守られて咲いていた。

 来年はもっと増えるかもしれない。10年前に見た群落を又見られるかもしれない。

 数日後、再びその場所に行ってみると、シャンパーニュシイは見当たらなかった。VITが花の周りをきれいに掃除して目立つようになったから、通りがかりの人が花を手折って持って行ったようだ。折られた茎のあとが無残に見える。でも株は残っているから、きっと来年は見事な花が咲くだろう。

 今まで私たちは毎年2月終わりに日本に帰国し、5月の末にポルトガルに戻って来る。いつもほとんど同じような時期に帰国していたので、3月にはポルトガルにいなかった。ところが2020年、2021年とコロナウィルスが蔓延して帰国を断念せざるを得なかった。

 2020年3月はポルトガルでは自宅待機で、一歩も外出できなかった。野の花観察に近くの山でさえ行けなかったのだ。この時、思い切って出かけていたなら、去年の時点で、「まぼろしの花」を発見していたかもしれない。そう、まぼろしの花は3月に開花していたのだ。

 

道端に咲くシャンパーニュシイ(2021年3月25日、セトゥーバル郊外で撮影。翌日には手折られて花はなかった。)

 

 2021年3月は近場の山に出かけた。そしてとうとうシャンパーニュシイが開花しているのを見つけたのだ。思い返せば、これもコロナウィルスでポルトガルから出られなかったせいかもしれない。MUZ

2021/03/30

 

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173. コロナ禍の2月

2021-03-01 | エッセイ

 ポルトガルに武漢ウイルスが侵入して1年が過ぎた。これ程何もしなかった1年はない。そしてあっという間の1年でもあった。

 去年の2月29日の便で一時帰国する予定だったが、断念した。チケットの解約で半額しか戻ってこなかったのは痛かったが、飛行機の往復で感染の恐れがあるし、帰国しても中国人が大量に観光に押し寄せるだろうし、大阪などはいつの間にか周りが中国語だらけになり、どこに行っても彼らの大声に囲まれる。2019年の日本は恐怖だった。

 宮崎では路線バスの音声ガイドで中国語や韓国語、英語のテープが停留所が近付くごとに流れて、思わず耳をおおいたくなった。バスの乗客はほとんどが地元の人達で、中国語や韓国語など必要とする人などいない。観光客のためにどうしてもと言うなら、英語テープだけで良いのではないだろうか。海外に観光に行く中国人や韓国人たちは英語ガイドで理解できるだろう。私たちも今まで多くの国を旅してきたが、日本語の音声ガイドなど聞いたことがない。日本はおもてなしをやり過ぎではないだろうか。

 

バルレア・ロベルティアナ 春の訪れとともに真っ先に咲く大型の地上ラン。

 

 ポルトガルでは今もロックダウンが続いている。緊急事態宣言で、スペインとの国境はすべて閉鎖されて、必要物資を運ぶトラック車両だけが通行できる。国民も自宅待機で、食料などは買いには行かれるが、スーパーの中の衣服売り場はロープが張られて、見ることも買うこともできない。もっともほとんど家にいるから、手持ちの服で充分なのだが。

 今まで運動がてら出かけていた露店市も閉鎖されているから、去年は一度も行けなかった。露店市はあらゆるものが売られているからちょっとした買い物ならほとんど揃う、すごく便利な場所だった。それに、2時間ほど歩き回るので、適当な運動になっていた。早く復活してほしい。

 

ユーフォルビア・カラキアス 大型のトウダイグサ、2mほどになる。

 

 復活といえば、ちょうど今の時期はパスコワ、復活祭である。これも中止。パスコアの前にあるはずのカーニバルも全国的に禁止。ポルトガルは年々規模が大きくなってあちこちで盛大に、派手に開催していた。本家本元のリオのカーニバルも中止になってしまった。

 カフェやレストランもほとんどが閉まっている。テイクアウトに力を入れて頑張っている店もあるのだが、私たちはどういう風に注文するのか判らない。

 

ロスマリヌス・オフィキナリス 無数の蜜蜂が蜜を求めてブンブン飛び回っていた。

 

 ネットをみていると、広告で寿司の盛り合わせが盛んに出てくる。なかなか美味しそうだが、店名が気になる。店名に都市名が使われているものも多い。『TOKYO』『OSAKA』『NAGOYA』などと言うものもある。日本人なら決して付けない『YAKUZA』などもあり、ぎょっとするが、このYAKUZAが口コミでは評判が良かったりする。最近、セトゥーバルに出来た寿司店は『KODACHI』という名前だ。『木立』なら何だか森林浴が出来そうで、清々しい命名だなと思っていたら『小太刀』という意味らしい。何処からの引用かは知らないが、日本人の私にさえ難しい名前だ。寿司といっても、ほとんどが巻物で、それも海苔を使わないカラフルな裏巻き寿司。使っている魚もサーモンばかり。コロナ禍の最中に寿司を注文するポルトガル人がいるのだろうか。寿司は調理する時も過熱していないし、食べる時ももちろん加熱しないで、そのまま食べる。考えると、ちょっと怖い。忍者の小太刀と巻物。煙にまかれてしまいそうだ。2021/03/01  MUZ

 

 

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172. どうしよう

2021-02-01 | エッセイ

我が家のベランダから西の空を撮影

ポルトガルはこのところ毎日どんよりとした曇り空が続き時折雨が降る鬱陶しい空模様。そして寒い。部屋の中は底冷えがする。午前中は9℃だったのが、昼過ぎには7℃に下っていた。セラ・ダ・エストレラは去年の暮れから大雪で、とうとう通行止めになって頂上には行けなくなった。異常な寒さである。

ポルトガルの武漢ウィルスもますます異常になってきた。一時は死者が2桁から1桁台になり数人という日が続いて、ワクチン接種と言う話も出始めたので、このまま終息に向かっているのかとひと安心していたのだが、とんでもないことだった。その後イギリスからの変異種が侵入して、一日の死者が100人、200人と驚く様な事態になり、今もますます続いて今日の死者は303人。日本の10分の1の人口のポルトガルで今までの死者が1万2482人となってしまった。

リスボンの病院前には患者を乗せたままの救急車の列。順番待ちで16時間も待たされているとのことで、医療崩壊と言わざるを得ない。とうとうポルトガル政府はイギリスからの飛行機を止めてしまった。そして今日、スペインとの国境を再度閉鎖した。大変なことになった。そのうえ、EUは日本人旅行者の入国を禁止するとの通達があったらしい。日本はそんなに大変なことになっているのだろうか。感染者はどんどん増えている様だが、死者はたいして多くはない様に思えるのだが。

3月か4月ごろには日本に一時帰国しようかなと期待していたのだが、みごとに打ち砕かれた。今帰国しても、みんな一様に2週間の待機をさせられるという。

ポルトガルでも「フィッカ・エン・カザ」(家にいなさい)とキャンペーンがあって、どこにも行けない。セトゥーバル県外にも、もちろんポルトガル国外にも行けない。しかも外食に行くことも出来ない。レストランからのテイクアウトも禁止になったとか。レストランはテイクアウトで何とか細々と営業してきたのに、それも禁止されたらどうして生き残れるのだろう。

昨日は空いている時間帯を狙って、近くのスーパーに買い物に出かけた。お昼時はいつも空いている筈なのだが、結構大勢の買い物客であった。レジを済ませ買い物した食料などをクルマに積み込んでいると、隣のクルマの運転席で男が昼飯を摂っている姿が見えた。スーパーで買った物で済ませているのだろうが、よく見るとそういうクルマがあちこちにあった。日本でならスーパーで弁当などが売られているので不思議はないが、ポルトガルにはその様な物は殆どない。家に持ち帰ってレンジなどで温めなければならない物を冷たいままで食べているか、パンとジュースだけで済ませているかだが、昼食と言えばゆっくり1時間もかけて楽しみながら摂るポルトガルの人にとっては今まではなかった光景だ。

コロナ禍で生活形態が大きく変わるのかもしれない。私たちも買って来たラザーニャを皿に分けてオーブンに入れた。便利で簡単。こうしていつの間にか食事形態が変わって行くのだろう。どうしよう。

MUZ 2021/01/30

 

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169. 武漢ウィルス第2波がヨーロッパに押し寄せた

2020-11-01 | エッセイ

トロイア半島と貨物船が待機するサド湾のパノラマ(2020年10月30日、台所の窓から撮影)

 

我が家から見晴らせるサド湾にこのごろ貨物船の出入りが急激に増えている。いつもだとドックに入りきれなくて沖合に待機している貨物船はせいぜい2~4隻ほどだけだが、29日には今まで最高に多い9隻が錨を下ろしている。9隻の内、7隻がほとんど同じような形をしている。細長くて、低い。出ていくときはコンテナを山積みにしている。これだけを見たら、ポルトガルの経済は順調に進んでいるように思える。

セトゥーバルに入港するコンテナ船(2020年11月3日、ベランダから撮影)

今日10月30日から武漢ウィルスに対する外出禁止令が始まった。11月3日まで続く。でも第一波に比べて、緊張度が感じられない。我が家の窓から見えるカフェには昨日までと変わらない風景が見える。外出禁止令が出ているのに、人々が次々に出入りし、その前の道路ではクルマがふつうに走っている。第一波の時は、何処に行ってもシンと静まり返って、クルマの姿がほとんど見られなかった。まるで元旦のようだと驚いたものだ。いつもはうるさいほど聞こえるパトカーのサイレンもぜんぜん聞こえてこなかった。しかし今日の様子は緊張感がまるでない。そういえば昨日24時間のコロナ死者はポルトガルで34人と急激に増えたので、驚いた。それまでは死者は3人から4人と推移していたのに、一気に10倍も増えた。更に10月30日の死者は40人。コロナ第二波は強烈に変異しているらしい。

イタリアでは暴動がおこり、フランスではアラブ人の多発テロがニースやリヨン、パリで同時に起こった。

先日は南のアルガルベ地方に大量の難民を乗せたボートがたどり着いた。今まではギリシャやイタリアなどにたどり着くのが大半だったが、このごろポルトガルを目指してやってくる難民が増えている。ほとんどがモロッコから来るそうだ。難民を運ぶルートができたのだろう。難民の中には小さな子供や乳児まで抱いた家族が何組もいる。モロッコからポルトガルのアルガルベまで大型フェリーでも数時間かかる。それをモロッコからぎっしりすし詰め状態の小さなボートでたどり着くのはどう考えても不可能だ。たぶんすぐ近くまで大型船でやって来て、ボートに乗り換えるのではないだろうか。

難民は不法入国で逮捕され、その中の一人の男は収監された檻の中から役人に毒づいていた。男にしたら、せっかくたどり着いたポルトガルで、温かくもてなされるだろうとおもっていたのだろうが、これでは話が違うじゃないかと、怒り狂っているのだろう。

以前にポルトガルにたどり着いた難民たちは住居と仕事を与えられて、「とっても幸せです」と喜んでいた。そういうニュースを何処かで見て、「ポルトガルに行こう」と夢を描いたのだろう。

今年は3月に帰国の予定だったが、武漢ウィルス第1波が始まってせっかく買っていた航空券をキャンセルせざるを得なかった。代金は半額しか戻ってこなかった。それでも武漢ウィルスにかかって死ぬよりましだと諦めた。9月か10月ごろにはもう収まっているだろうと淡い期待を持っていたが、急激に死者が増えていることで、もうそれも叶わなかった。こうなったらどっしり腰を落ち着けてじっと待つことにしよう。

MUZ 2020/11/01

夕焼け(2020年11月1日午後5時55分我が家のベランダから西の空を撮影)

 

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164. Covit-19とは言いたくない

2020-06-01 | エッセイ

2020年2月28日に日本に帰国する予定だったが、苦渋の選択で断念した。

 

断崖の岬。大西洋を照らす灯台の足元も花盛り。(2020年5月21日撮影)

 

毎年3月から5月は日本の春を満喫するため帰国するので、ポルトガルには居ない。しかし今年は中国で発生した武漢ウィルスが中国国外へも広がり始めた。日本も桜の季節は大勢の中国人が押しかけて、去年はどこに行っても中国語だらけ。大阪城も難波も北も観光バスで押し寄せてくる。吉野の山でさえもぞろぞろ歩いている。しかも日本政府は大歓迎で武漢から来た観光客もほとんど税関を素通りだ。これでは日本はコロナウイルスが急激に感染を広げるだろう、と帰国を断念して飛行機のチケットをキャンセルした。キャンセル料は5割も取られたが、仕方がない。日本で感染して死ぬよりはずっとましだ。

この際と、3月からさっそく野原に出掛けようと意気込んでいたのだが、中国から今度はイタリアやフランスやスペインなどヨーロッパにもシフトし始めたのだ。ポルトガルも例外ではなく、2度ほど出掛けた後は「フィッカ・エン・カザ」(家にいよう)キャンペーンが始まり、自粛が始まった。国境は閉鎖され、あちこちで警察や軍による検問が行われている。これでは気分的にも実質的にも外に出掛けられない。

1週間に一度、スーパーに買い出しに出かけるだけ。しかもスーパーの外には買い物客の行列ができている。見張りのガードマンが厳しくチェックして店内に入れる人数が制限されている。道路はどこもがらすきの状態。まるでポルトガルの元旦のようで、めったにクルマと出会わない。そしてパトカーのサイレンも町から消えた。

私たちも3月、4月、5月と自宅待機を続けたし、出掛ける時はハンカチで作ったマスクを着けて、薄い手袋をはめ、帽子を被り、サングラスをかけた。これではまるで銀行強盗のようだが仕方がない。5月も半ばを過ぎると、32℃を超える夏日が続いた。自宅待機もそろそろ限界だ~と人々はビーチに集まり始めた。みんなすっかり解放された感じで楽しそうだ。でもドローンの撮影のニュースを見ると、みんなきっちりと2mの間隔を取っている。人間は太陽の光を浴びてビタミンDを吸収し、海に浸かって塩水で殺菌をした方が身体に良い。

私たちはまだ海には出かけないが、誰もいない森の中を歩き、断崖の岬に行き、野の花を写真に収めた。5月の野の花はまだまだ咲き誇り、美しい姿を見せている。

 

 

もうそろそろ終盤、シュンギクの原種とヤグルマギクの1種、ガラクトーシス・トメントーサ Galactites tomentosa(2020年5月21日撮影)

 

今が盛りのベニバナセンブリ Centaurium erythraea(2020年5月21日撮影)

 

大西洋の水平線を見下ろす金魚草。アンティリヌム・キリゲルム Antirrhinum cirrhigerum(2020年5月28日撮影)

 

ポルトガルの固有種、草丈15cmほどで可愛らしい、クラセア・バエチカ・ルジタニカ  Klasea baetica subsp.lusitanica(2020年5月28日撮影)

 

飛燕草。デルフィニウム・ペンタギヌム Delphinium pentagynum(2020年5月28日撮影)

 

こぶし大の巨大なアザミ。キナラ・フュミリス Cynara humilis(2020年5月28日撮影)

 

 ラヴァテラ・クレティカ Lavatera cretica(2020年5月17日撮影)

 

3月にも咲いていたが、5月末でもまだ咲き続けるアナガリス・モネリ Anagalis monellin(2020年5月21日撮影)

 

プリカリア・オドラ Pulicaria odora

5月末の岬はこの花で埋め尽くされていた。(2020年5月28日撮影)

 

エキウム・ジュダエウム Echium judaeum

ヨットが浮かぶ大西洋を見下ろす断崖絶壁に咲く。その断崖には恐竜の足跡も見ることが出来る。(2020年5月28日撮影)

(c)2020 MUZVIT

 

 

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163. 3月のセトゥーバル

2020-04-01 | エッセイ

どのチャンネルでも武漢ウィルスの事ばかり。ポルトガルも死者が160人を超えたそうだ。もう随分前から全国で自宅待機の命令が出て、レストランやカフェやホテルなどほとんど閉店している。我が家の前にあるカフェもこのところずっと閉まっているし、斜め前のホテルもいつもなら週末にイベントをやっているのだが、ひっそりと静まり返っている。

そんな時に、ビトシがメガネを失くしたことに気が付いた。それは形状記憶合金でできた眼鏡で、運転中にすぐ取り出せるように胸のポケットに入れていたらしいが、花の写真を撮る時に低いアングルから撮るので、状態を地面に伏せるようにする。その時たぶん落ちたのではないかと思う。

心当たりはないが、最近行った近くの森を探してみようということになった。

セトゥーバルの出口辺りで検問を受けるかもしれないが、その時は「眼鏡を失くしたので探しに行く」と言えば良いし、それでも「ダメ」と言われれば諦めて引き返すしかない。クルマは普段の10分の一程しかない。道はガラガラに空いている。検問なども気配すらしない。

森の入口にあるカフェにも人影は見当たらず、森の中も誰もいない。爽やかな風が吹き、しんと静まり返った森の中は様々な野の花が咲き誇っていた。

先日歩いた場所を点検しながら探した。意外なところにポンと落ちているかもしれない。以前にも別の森でサングラスを落とした。気が付いてあちこちさがしたら、低木の上に載っているのが見つかった。キノコ観察の時に、キノコに着いた砂を払い落とすのに使う筆をどこかに置き忘れたのに気が付いて、歩いたルートを記憶をたどって戻ってみると、ちゃんと発見した。他の人がいないから失くした物も発見できる。ところがその後、クルマのトランクに入れていた七つ道具の入ったバッグを盗まれた。自宅の前の駐車スペースに停めていたのだが。だいぶ経ってから、近くのゴミ収集場所に見覚えのあるバッグが捨てられていた。それは間違いなく盗まれたバッグだったが、なかに入れていた七つ道具はすべて無くなっていた。

 

森の中は誰もいないし、クルマも通らない。近くの葡萄畑には葡萄の新葉よりも一足先にアルクトテカ・カレンドュラ  Arctotheca calendula がびっしりと咲いている。

 

アルクトテカ・カレンドュラ  Arctotheca calendula

 

コルク樫の森にはラベンダーがびっしりと咲き誇っている。まるで栽培している様な規模だ。3月はいつも日本に帰国しているので、この森でこんなにたくさんのラベンダーが咲いている状態は初めて見た。

 

 

 

大株のラベンダー

 

草丈10cmほどのアキス・トリコフェラ Acis trichophylla

 

この辺りで眼鏡を落としたのではないかと重点的に探したがなかった。

 

近くの牧場に咲くケンタウレア・プラタ Centaurea pullata

 

ヒアキントイデス・ヒスパニカ  Hyacinthoidesu hispanica

 

国道脇に群生する野性蘭オルキス・イタリカ Orchis italica

 

昆虫に擬態した鏡蘭、オフリス・スペクルム Ophrys speculum

 

森に行ってからその後ずっと家に引き籠り。TVではニュースキャスターはもちろんだが、局のカメラマンをはじめ、名前も知らない様々なスタッフとかが口々に「フッカエンカザ」(家に居なさい)と言っている。昨日は近所の露地を消毒液を積んだトラクターが噴霧していた。ここまでするか!大変な事態になってきた!

©2020 MUZVIT 写真は何れも2020年3月4日から26日までの間にセトゥーバル半島内で撮影。

 

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162. 帰国断念で春満喫

2020-03-01 | エッセイ

今年は武漢ウィルスが世界中に広がって、恐怖をまき散らしている。私たちも日本行きの往復航空券をキャンセルした。半額しか戻ってこないらしいが、途中の空港やヒコーキの中で感染する恐れがなくなったから、これで良かったかなと諦めた。

そのおかげで野の花観察の時間がたっぷりできた。このところ毎日の様に素晴らしい天気が続き、しかも野の花もまだ虫に食べられることがなく、とても新鮮な状態だ。昨日はビーチにでかけたが、フランス人やイギリス人たちが目についた。彼らは寒い国からやって来たので、ポルトガルの25℃の温度を夏に感じるのか、さっそく泳ぎ始めた。私たちはセーターを着こんで彼らを眺めていた。

 

大西洋を見下ろす断崖に群生する野生のペチコートスイセン。(2020年2月20日撮影)

 

岬の灯台の下も香りよいサルビアやカモミールなどの花盛り。(2020年2月20日撮影)

 

草丈10cmほどの地上蘭オフリス・テンツレディニフェラ。(2020年2月20日撮影)

 

山道に咲くアナガリス・モネリ瑠璃ハコベ。(2020年2月21日撮影)

 

アナガリス・モネリもパリッとして新鮮。(2020年2月21日撮影)

 

アナガリス・モネリの反対側には昆虫に擬態したクモラン。(2020年2月21日撮影)

 

石ころだらけの荒れ地に彩を添えるオルキス・マスクラ。(2020年2月25日撮影)

 

いつもすっくと花径を伸ばし紳士面のオフリス・フスカ。(2020年2月20日撮影)

 

太陽光線を反射、鏡蘭とも呼ばれるオフリス・スぺクルム。(2020年2月25日撮影)

 

山頂の岩場にはチューリップの原種とオルキス・マスクラ野生蘭のブーケ。(2020年2月27日撮影)

 

丁度今が見頃の野性蘭オルキス・マスクラ。(2020年2月25日撮影)

 

誰よりも早く春を告げるサルビア・ヴェルべナカだが今年は他の花と同時に咲きそろったセトゥーバル半島。(2020年2月20日撮影)

©2020 MUZVIT 写真は何れも2020年2月20日から27日までの間にセトゥーバル半島内で撮影。

 

 

 

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161. プラスマイナスでセーフ

2020-02-01 | エッセイ

北のベランダで咲いた月下美人

ああ~寒い寒い~。炬燵が欲しい~。

部屋の中は底冷えがする。スマホで天気を見ると気温16℃。足元からしんしんと冷えが立ち昇ってくる。狭い居間にはオイルヒーターが1台。部屋はほのぼのと温かいのだが、身体はなかなか温まらない。これでも南向きの部屋だから、晴れの日は窓際に座ると太陽がさんさんと当たって、天国だ。ところがいったん曇ると一転して地獄の寒さ。一方、北向きの部屋はまるで冷凍庫のように冷えて寒地獄。昔、家族で行ったことのある阿蘇のすそ野の温泉。それはたしか寒地獄という名前の冷泉で、真夏なのに氷水に手を付けた様に冷たくて震え上がったのを思い出す。

ポルトガルの冬は過ごしにくい。暖炉のある家は良いかもしれないが、我が家はマンションで、そんなものは付いていない。もし暖炉があっても燃やす薪がない。広い庭に木がたくさん生い茂っている一戸建てだったら、伐採した枝を燃料にできるのだろうが、あいにく狭いベランダが二つあるだけだ。

そのベランダではプランターで栽培しているニラやパセリがたいした世話もしていないのにすくすく育ち、花を着けたかと思うと、種になり、それがいつの間にか落ちて、そこから芽が出てくる。それは南向きのベランダではなく、北向きのベランダだ。その他にもサボテンの「月下美人」が3鉢あって、もう20年以上も昔から毎年花を咲かせている。大きくて立派な花だ。でも月下美人というだけあって、夕方遅く、8時か9時ごろにならないと開花しない。最初のころはまだ株が小さかったので、ベランダで花が咲き始めると、鉢ごと居間に持って来て蕾がほころび始めてから開花するまで観察できた。開花と同時に良い香りが部屋中に漂い、思わずうっとりして眺めていた。でもこのごろは鉢が大きくなって、開花する時に居間に持ち運びが出来なくなってしまった。北のベランダに置きっぱなしで、いつ開くのかわからない。朝、ベランダを見ると前夜に開花したらしく、花はすっかり萎んでだらんと垂れ下がっている。「しまった~」と嘆き悲しまなくてよいのです。この花はこれからもうひと花咲かせるのです。

萎んだ花を細かく刻んで、炊き立てご飯にのせて生卵やノリと一緒に混ぜると、花のネバネバが美味しい納豆かけ御飯の出来上がり。サボテンの花とは思えない、まるで納豆のネバネバ御飯。この話をすると、皆さん、顔を引きつらせておののきます。まるで毒草を進められたかのように、「そんなの食べたらしんじゃうよ」と腰を抜かさんばかり。

でも心配ご無用。私たちは毎年花の咲くのが楽しみで、6月から9月まで花を愛で、花を食しているのです。

南のベランダからはサド湾を出入りする船やヨットが見られるし、北のベランダではニラやパセリ、そして納豆ご飯の元が収穫できるのです。

冬の間、少々寒くてもプラスマイナスでセーフです。

 

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160. カストロ・マリムのプレゼピオ

2020-01-01 | エッセイ

近くの塩田で取れた塩を土台にしたプレゼピオ

 

今年のクリスマスはいつも通り、ポルトガルのアルガルベで過ごすことにした。

まずベジャの町を過ぎてひたすら南下、スペイン国境の町カストロ・マリムに到着。駐車場もその隣の空き地もキャンピングカーがびっしりと駐車している。冬になったらドイツやオランダやイギリスなどのリタイヤ組が本国の寒さを避けて、ポルトガルに押し寄せる。何しろ温かい。ほとんどの人が半そでTシャツ一枚、短パンで歩き回っている。私たちでさえ、コートやセーターを脱ぎ捨ててしまった。

去年来た時、偶然プレゼピオが飾り付けられた会場に行き当たり、そのあまりの規模の大きさに魅せられてしまった。今年もまた見たいと思って去年の場所に行ったのだが、扉はきっちりと閉まっていた。町の通りには案内板が貼ってあるが、いったいどこなのか分からない。

観光案内所ツーリスモで尋ねようと行ってみたら、なんとその奥にプレゼピオが設置されていた。今年はカストロ・マリムの塩田で取れた塩をどっさり使ってプレゼピオを作っているという。

会場はまるで雪景色の様に真っ白。その上に様々な場面がとても詳細に再現されている。

10トンの塩を使い、4500体の人形を飾ってあるという。風車が回り、人形の職人たちの手が動く。思わず見入ってしまう。

 

プレゼピオとは馬小屋と言う意味。馬小屋で誕生したキリストをお祝いする人たち。

 

当時の生活様式を再現。

 

川に架けられた橋とその先には水道橋。

 

塩を運ぶのも薪を運ぶのもロバの出番。

 

素焼きの壺などを作る。

 

アラブ式建築と絨毯を売る店。

 

塩田で塩を作る人たち。

 

絵皿を売る店。

 

子供の遊び場。

 

野菜畑

 

オリーヴ油を絞る時に使う莚を編む様子。

 

荷馬車を作る職人。

 

釜戸でパンを焼いている。

 

カストロ・マリムのプレゼピオは当時のアラブ人の村の生活をとても細かく再現している。

ポルトガルのアレンテージョ地方やアルガルベ地方は800年以上にわたってアラブ人に支配されていたから、いまでもアラブ風の文化が残り、アラブ人風の顔つきをした人たちも多く見かける。

 

2020年、明けましておめでとうございます。新年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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159. 11月の森を歩いてみた

2019-12-01 | エッセイ

雨が降らない、ダムの底が見えた~と騒いでいたら、11月になってから毎日雨が降り始めた。それから10日後、ようやく晴れ間が戻って来た。ひょっとしたら森の中ではキノコがむくむく頭をもたげているのではないだろうか~、そう思うと無性に行きたくなってきた。

森の中は木漏れ日がさんさんと照り、気持ちの良い風が吹き抜ける。

土曜日なので近くの塩田で働く労働者の姿も見かけない。

コルク樫や松の大木の下は、以前はトゲトゲのきつい草がびっしり生えていたのだが、森全体がトラクターできれいに耕されている。その中に点々と淡いピンクの花が咲いていた。あっちにもこっちにも今を盛りとさいている。サフランだ。サフランはアヤメ科の多年草で、そのめしべを乾燥させた香辛料をさす。西南アジア原産で、最初に栽培されたのがギリシアとされる。地中海の島で発掘された壁画によると、青銅器時代から栽培されたと考えられる。

サフランは袋入りで売っているが、結構高い。初冬の森にたくさん咲いている花の黄色い雄蕊を取ろうかなと思っていたが、ひょっとして毒のある犬サフランではないかと心配にな

り、写真を撮るだけにして何年も過ぎた。

 

コルクの皮をはがれたコルク樫がずらりと立っている森。皮をはいだあとは茶色の塗料を塗って数年経つとまたコルク質の分厚い皮が再生する。

 

陽当たりのよい草地に咲くサフラン。

 

森に咲くサフランの花

 

森の中に入ると土はふかふかで、むっくりと土を持ち上げてキノコが顔を出していた。もうすでに溶けかけたものもある。少し遅かったかと思いながら奥に進むと驚くほど巨大なキノコがドンと一本立っていた。これはなんだろうか?これ一本だけで存在感があり過ぎる。

軸の周りは10センチほど、傘は直径20センチ以上もあり、がっしりと立っている。傘の表面は黒い。しかしかなりめくれている。名前は全然見当がつかない。ずいぶん前によく似たキノコを見たことがある。それはかなり細い普通サイズだったが、その時も名前が判らなかった。今回も不明。

 

直径20センチ以上もある巨大なイグチ系キノコ。

 

朽ち木に生えるオオワライタケ

 

 チチタケ?土からむっくりと顔をもたげた肌色のキノコ。直径10センチほどで、周りの落葉を優しくどけただけで白い乳液が出てきた。

 

名前の判らない地味な色のイグチ系キノコ。

 

今回は出ているキノコも少ないし、またしばらくしてから来てみよう。

 

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158. オリーブオイル

2019-11-01 | エッセイ

露店市で量り売りされている摘みたてのオリーヴの実

 

 我が家から2時間も走ると、バイショアレンテージョ地方の中心にたどり着く。そこは赤土に被われた乾燥した大地が広がっている。乾燥に強いコルク樫やオリーブの木などが植えられて、その下には羊や牛や黒豚などが昼寝をしている。黒豚は樫の実を食べて美味しい肉になるそう。道路脇に植えてあるコルク樫の大木の下で、バケツを持って何か拾い集めている人を時々見かけたけれど、あれは黒豚に食べさせるコルク樫の実を拾っていたようだ。

 今年は雨季になってもまったく雨が降らない。去年もそうだったが、アレンテージョ地方のダムはいよいよ底が見え始めている。

 久しぶりにアレンテージョ地方を走っていると、オリーブの木は畑の中にポツンポツンと前後左右に空間を取って一本ずつ植えてあり、実がなると、人々は木の下に布を敷いて、長い棒で実をたたき落としていた。それから落ちた実をトラクターの荷台に積み込み、収穫した。この方法は人数がいるし、時間がかかる。別の場所で見かけたのは、ブルドーザーのアームで幹をつかんで振動を与える。するとばらばらと実が落ちる。これは棒で叩き落すのに比べて格段に効率が良い。しかしオリーブの木が傷むのではないだろうか。

 アレンテージョからの帰り道、前を走るトラックの荷台には緑色の実が満載されて、山積みだ。それは収穫されたオリーブの実だ。

 オリーブ畑は、見慣れない風景が広がっていた。画期的だ。畑での植樹風景がまったく違う。オリーブの木は今までは横に広がっていたが、今は縦長に伸びている。木の前後はびっしりと植えてある。まるで茶畑のようにまっすぐ一列に奥の方まで続いている。その代わり隣の木との間隔が広く、その間を機械が通りながら刈り取って行く。収穫した実はそのままトラックに乗せて、加工工場まで運んでいく。この方法だと人手はほとんどいらない。なにしろ今までは収穫時期に短期間に多くの人を集めなくてはならない仕事だから、コストもかかる。それがほとんどかからないのだから結果的に消費者の手に渡る時も値段がぐんと安くなる。

 この頃、オリーブ油の値段がどんどん安くなっているのは、こういう訳だったのだ。

 私たちが約30年前にポルトガルに来た時は、オリーブオイルの値段はびっくりするほど高かったし、メーカー品しか目につかなかったのを覚えている。ところがこの数年の間に知らないメーカーの製品がどんどん増えて、売値もずいぶん安くなった。しかも味は悪くない。

 我が家では天ぷら油はオリーブ油を使う。最初の頃はヒマワリ油や揚げ物専用の油を使っていたが、ある日、近くのレストランで食事をした時、添え物のバタータフリット(フライドポテト)がすごく美味しかった。尋ねてみると、オリーブ油であげているのだという。それ以来、天ぷらや揚げ物はオリーブ油を使っている。油の値段がどんどん安くなっているのは嬉しいことだ。

 オリーブのヴァージンオイルに炒めたニンニクのスライスを加え、そこにどっしりパンをちぎって浸しても美味しい。レストランで注文を済ませると、まず出てくるのがどっしりパンとオリーブの実の塩漬け。そこにガーリックオイルが掛けてある場合は、料理が出てくる間、パンをちぎって浸すと美味しい前菜になる。美味しさに釣られてパンを食べ過ぎるとメイン料理が入らなくなるから、ご注意!

MUZ

 

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157. パルメラのヴィンディマス

2019-10-01 | エッセイ

8月末から9月にかけてポルトガル全国でワインの仕込みが始まる。個人農家では収穫されたブドウを踏みつぶして果汁を絞る。農協などでは各農家から集めたブドウを大型機械にかけて粉砕した後、果汁を絞る。

サン・ペドロ教会前に設置された桶と樽。

セトゥーバルの隣町パルメラでは9月1日にブドウの収穫祭ヴィンディマスが行われた。サン・ペドロ教会の正面階段に大きな桶が設置され、収穫されたばかりのブドウが入れられる。市役所前の辺りからドンドコドンドコと太鼓の音が聞こえてきて、大太鼓、小太鼓、そしてバグパイプの演奏者が現れた。民族衣装を着せられた幼児たちや小学生や中学生たち、そのうしろから年配の女性たちがブドウの入った大きなかごを頭に乗せて下の方からぞろぞろと上ってくる。

儀式ではまず小さな子供たちが正面左の階段を登って小さなかごに入ったブドウを大桶に入れていき、それから右の階段から下に降りてくる。

 

年配の女性たちはブドウをぎっしり入れた籠を頭に乗せて歩いている。

みんなが桶に入れ終わった後に、ブドウが山の様に入った大桶を積んだ荷馬車を二頭の赤牛が坂道を駆け上がってきた。その後に二頭立ての馬車が続いて上がって来たが、勢い余って牛にぶつかりそうになってしまった。

仰天した牛たちはパニックになったのか、特設の日除けテントに突っ込んでしまった。牛は柱に角をひっかけ動けなくなったので、その間にそこにいた子供たちや若者たちはちりぢりににげて無事だった。騒然となった出来事だったが、ひとりの怪我人も出ずにすんで良かった。

 牛を引いていた老人はかなり慌てていたが、なんとか牛をなだめてどこかへ連れて行った。子供たちや吹奏楽団は戻ってきたが、テントの柱は曲がったまま。

ブドウを足で踏む男達 

牛車に積んであったブドウはバケツに入れて階段の上にある四角いマスに入れられ、3人の男達が足で踏み始めた。これをピサと言うらしい。

広場では民謡を歌い始め、それに合わせて民族衣装を着た男女が踊り始めた。

 

 

 

 絞りあがった葡萄果汁を樽に詰めて、いよいよ品質検査

黄色いマントを着た審査員たちが教会の中の祭壇に向かう。

今年の品質の結果を待つ間、フォークロアのダンスは続く。

やがて祭司が教会から出て来て、糖度や品質ランクを発表して、今年のワインの出来を占う。そうして今年のヴィンディマスは幕を閉じた。MUZ

 

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156. オートキャンプ場の思い出

2019-09-01 | エッセイ

 セジンブラで蜂蜜祭りが開かれている。セジンブラの蜂蜜メル祭りということで、「ジンブラメル」というらしい。今日は大西洋に突き出たカーボエスピシェルに行く予定で、途中にあるセジンブラにも寄ってみよう。でもどこでやっているのかわからない。走っていて、目に付いたら寄ってみよう。

 ところが直ぐに見つかった。セジンブラのずっと手前にマッサンという村があり、広大な公園が整備されていて、その公園内で『ジンブラメル祭り』は開かれていた。

 そこにはかつてキャンプ場があったのだが、大型テントがびっしりと常設する、まるでスラム街のような雰囲気のオートキャンプ場になってしまって、その後、全面的に取り壊されてしまった。その跡地を市民の憩いの場、公園として改造され、家族連れなどがちらほらと利用している姿を見かけた。

 オートキャンプ場は旅行者には便利なものだが、使用料が安いのでいつのまにか地元の人たちが別荘代わりに陣取り、設置した大型のテントの中にはキッチン設備や寝室が整い、テントの周りには花壇を作っている。まるで第二の家で、週末にはやってきて近所付き合いが忙しいそうだ。そういうキャンプ場はほとんど空きがないから、旅行者の入る隙間がない。

 9月になると暑い日差しもいくぶん和らぎ、各地からの帰省客も出稼ぎ先に帰ってしまって、旅行者のクルマもぐんと減る。そうしたころにフランスやドイツ、北欧などからキャンピングカーを運転して老人たちが押し寄せてくる。オートキャンプ場には入る隙間がないから、彼らは風光明媚な広い空き地にクルマを停めて1週間ほど滞在する。アルガルベのサグレス岬の駐車場はこうしたキャンピングカーでいっぱいだ。クルマの外に椅子を出し、暑い日差しを浴びて日光浴で、気持ち良さそうだ。9月、10月といえば、かれらの本国ではもう雪が降っている日もある寒い季節だ。でもポルトガルは真夏の陽射し。天国だ。キャンピングカーにはキッチンもトイレもシャワーも付いているし、なかにはソーラーパネルを設備しているクルマもある。本国のTV ニュースなどもいつでも見られるのだろう。国道沿いには大型スーパーが幾つもあり、駐車場も広いから乗用車ではなく、キャンピングカーで直接買い物に行ける。そういう所でしばらく過ごし、また別な場所に移動してしばらく過ごす。あっという間に2~3か月が過ぎてしまう。

 実は私たちも20代のころスウェーデンに5年ほど住んでいて、大学の語学コースに入っていたのだが、大学の夏休みや冬休みになるとおんぼろワーゲンマイクロバスを駆り立てて、ヨーロッパ各地に旅行していた。1970年代のころだから、もうずいぶん昔の話だ。ワーゲンのマイクロバスの中を改造して、手作りのベッドや食器棚を備え、ドイツ、ベルギーなどを回り、フランスに到着。パリに3か月滞在。その間、ブローニュの森にあるキャンピング場と、バンサーンの森のキャンピング場と移動してフランス語の学校に通った。オートキャンピング場にはコインを入れるとお湯が出るシャワーがあったが、お湯が出るはずなのだが熱くはない、ぬるい水のようなシャワーで、しかも5分ほどで止まってしまった。そんなシャワーを浴びながら1月、2月、の最高に寒い冬を過ごした。クルマの中は寒かったが、友人夫婦が使っていない石油ストーヴを貸してくれたので暖かく過ごし、夜は布団と羊のアフガンコートを被って寝た。バンサーンのオートキャンプ場には一角にジプシーたちが住んでいたがなんの問題もなく過ごした。

 その後パリを出て、スペインに向かう途中、モンサンミッシェルを訪れた後、ナントの郊外で急に私が病気になった。周りは畑ばかりで、ビトシが探し回って近くの村に医院を見つけたのだが、少し走ったら大きな病院があるので、そこに行けという。その町がアンジェだった。その病院に5日間入院したのだが、病気は一日で回復して退屈だったが念のため検査をすることで引き留められた。その病院は大学病院だったらしく、毎朝10人程の学生を引き連れた教授が回診にやってきた。アンジェに来た時は、私は腹痛で転げまわっていたのだが、退院後に町のお城や美術館を訪ねて驚いた。小さな美術館には膨大な数の浮世絵とその版木までもがたくさん保管されていたのだ。

 ボルドーを経てピレネー山脈を越えてスペインに入ると辺りは春満開。道端には矢車草が咲き乱れていた。花畑の中でイスとテーブルを出して、昼食。爽やかな風と暑い陽射し。凍っていた身体がどんどん軽くなった。ところがキャンプ場が見つからない。ようやく見つけた看板を目指して走るのだが、行けども行けども見つからない。とうとうビーチにたどり着いた。でもそこは料金を取るだけで、なんの設備もなかった。1970年代のころなので、スペインではフランコの時代、キャンピング場などなかったのだ。もちろんポルトガルはサラザールの独裁政権時代。ポルトガルにはビザなしではたったの3日間だけしか滞在できないということで、諦めた。そしてジブラルタル海峡を渡り、スペイン領のセウタからモロッコに行った。

 モロッコのオートキャンプ場は周りを高い塀で囲まれ、銃を持った警備員がガードしている、あとで思うと、まるで刑務所の様なところだったが、安心して眠れた。クルマの保険が切れるというのでモロッコには一週間しか滞在できなかったのが、残念だった。マラケシュのオートキャンプ場では頑丈なジープに乗ったフランス人やオランダ人たちと話をしたが、彼らは山岳地帯まで行って、宝石の原石などを採取したという。私も見つけた。キャンプ場で10センチほどの柱状の結晶を。でもたぶん彼らが捨てて行ったものだから、なんの価値もないのだろうと思ってそのままにしておいた。このごろニュースで、最大のダイヤの結晶が見つかったという。その映像はマラケシュで見たあの結晶とそっくりだ。ひょっとして、あれはみんなが見逃した原石だったのでは?

 

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155. ルアス・フロリーダス

2019-08-01 | エッセイ

 ニュースを見ていたら、アレンテージョ地方のルドンドで7月27日から8月4日まで恒例の祭り「ルアス・フロリーダス」が開催されるという。町の幾つもの通りにテーマを決めて飾りつけをする。全て紙を使って表現する、紙の祭りだ。以前は毎年開催されていたが、最近は2年に一度ということになって、そうなると今年は開催年かどうかわかりにくいので、うっかり見逃すところだった。ニュースを見て、出掛ける気持ちになったのだが、初日の27日の土曜日以外は他に用事があって行けない。天気予報では27日だけ曇り、しかも降水確率90%。でもまさか7月末に雨は降らないだろう。しかもアレンテージョ地方は今年の冬から雨が少なすぎて、溜池やダムの貯水量が危険水域だという。いくら天気予報とはいえ、まさか雨は降ることはないだろう。ということで翌日でかけることにした。

 ところが朝、外を見ると濃い霧が立ち込め、しだいに霧雨が降り始めた。でもいつも霧はしばらくしたら何処かに消えて、そのあと青空が現れて、良い天気になる。しかも3時間ほど走ってスペインとの国境近くまで行く間に、暑い夏日になるだろう。

 でも1時間走っても2時間走っても空はどんよりと厚い雲におおわれて、エヴォラを抜ける頃には霧雨が大粒になり、とうとうワイパーを使うはめになった。ルドンドに到着すると、雨は小やみになったが、歩いている人たちは傘をさしている。私たちも傘を持っていくことにした。真夏の7月末、傘をさすとは?異常気象だ。

 

 飾り付けた作品がこれ以上濡れない様に、スタッフが慌ててビニールで覆いをしている。

スペイン人の観光客が傘をさしてそれを見物。

せっかく作った屋根の日よけも雨にあたって無残。

 

石畳の上にもたくさん落ちている。

 

例年なら猛暑のための日除けで、風に吹かれてかさかさと音をたてて気持ちが良いのだが、今年は異常気象で雨が降り、溶けた染料が私の白い服に点々と染みを着けた。

 

白い紙の花も無残!

 

路上に飾られた花も色が溶け出して、石畳を染めている。

 

教会の前の広場も雨で濡れそぼっている。

 

ずらりと並んだ風車

 

 

 

 扉を開けている妖精たちも濡れない様にすっぽりとビニール袋をかぶせられている。

 

 

仮設のバルの入口にはシマウマ

 

ルドンドの市役所前。立派な噴水からは水がちょろちょろとしか出ていない。冬から雨が少なく、アレンテージョは水不足なのだ。ところが祭りの初日に雨が降ってせっかくの盛り上がりに水を差されたようだ。でもスペイン人観光客が大勢詰めかけて、盛り上がっていた。帰り道、観光客で満席の観光バスが数台すれ違った。夜には舞台でバンドが演奏して、数人の歌手が歌うらしいから、スペイン人もポルトガル人も飲みながら夜中まで歌い踊ることだろう。

 

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154. リオ・マイヨールの塩田

2019-07-01 | エッセイ

 

以前、ブサコの森に行った帰りにお昼でも食べようと、高速道を降り、リオ・マイヨールを目指したことがあるが、道に迷ってしまって、行かず仕舞いになっていた。

今回はバターリャに行くのに国道1号線を使った。その途中リオ・マイヨールがあるので、難なく行くことが出来た。

 

だいぶ前から朝食に食べるパンはリオ・マイヨールのどっしりパンを愛用している。でもリオ・マイヨールがどんな町かあるいは村か知らない。地図を見ると周りにポルトデ・モシュやバターリャがある。

スケッチ旅行のついでにリオ・マイヨールに立ち寄ってみた。町なかはあまり魅力的なモチーフはなかったけれど、町の外れにある塩田を示す看板を見つけた。以前、TVのニュースでやっていた塩田だ。道路脇にそれらしきものが見えてきた。

 

 

道路から見下ろすと、10人程の男たちが働いている。川をせき止めたような場所に塩田が広がり、男たちは出来上がった塩をかき集めて三角推の小山を作っている。板の上でさらに水を切っている様子だ。それがあちこちにある。

リオ・マイヨールは海からは30キロも離れた内陸にある。そんなところに何故塩田が?と不思議に思い調べてみると、大昔に海だった場所が地殻変動で海水が地下に閉じ込められているのだという。それを汲み上げて塩田で乾燥させて塩を製造している。何しろ海水の7倍もの濃度があるそうだから、海辺の塩田よりも簡単に塩を製造できるそうだ。

 

 

 

1970年代に私たちは二人で10か月余りの12か国の中南米旅行をして、途中でボリビアのラパスも訪れた。そのラパスの近くにウユニ塩湖があるという。今では観光旅行でかなりの人達が訪れているというが、その当時、わたしたちはウユニ塩湖と言うのはぜんぜん知らなかった。直ぐ近くのラパスに1週間ほどいたのに、今から思うと残念だった。ウユニ塩湖もやはり内陸に閉じ込められて行き場を失った海だったという。

塩田を初めて見たのはポルトガルに来てからだ。ポルトガルには塩田がずいぶんたくさんある。南のアルガルベ地方でも町のすぐそばにあって、その時は電車に乗ってオリャオンの近くを通ると、線路沿いに白い巨大な山があり、それが塩の山だった。セトゥーバルの町外れにも塩田があり、そこには冬になるとフラミンゴの群れがやってくる。

 

 

リオ・マイヨール塩田の道沿いには木造の古びた小屋が立ち並んでいる。たぶん昔の作業場だったのだろう。入り口の柱はオリーブの古木が使われて、今にも崩れ落ちそうな小屋を支えている。なにしろ塩を扱う小屋だから、金属を使うとすぐ錆びてしまう。小屋の戸締りをする鍵も木製だ。立ち並んだ長屋ふうの小屋は今では塩を中心にした土産物屋になっている。私たちが毎朝食べているリオ・マイヨールのどっしりパンを売るパン屋も一軒あった。

 

 

 

 土産物屋の店先に並べられたハーブ塩

 

 どっしりパンを売るパン屋

 

カフェも2軒ほど、郷土料理を出しているレストランが一軒ある。でもまだ昼食には時間が早いので入るのを諦めた。あとで考えたら、メニューは煮込み料理のコジード・ア・ポルトゲーサだったので食べてみたら良かった。リオ・マイヨールの塩田で現地の取れたての塩を使った煮込み料理はどんな味だったのか、気になる。

 

 

お土産に小さな袋詰めの塩を5種類買った。魚料理用と肉料理用、それぞれ塩にハーブが混ぜてあり、食欲をそそる良い香りがする。今夜はキャベツやニンジン、タマネギ、などとベーコン、チョリソ、などの煮込み料理ポルトゲーサにしよう。肉料理用のリオ・マイヨールの塩を使って。

 

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