ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

131. 大型帆船がサド湾に勢ぞろい

2016-10-31 | エッセイ

10月14日、サド湾に3本マストの大型帆船がやって来た。

 

 

我家の台所から撮影したサグレス号

 

そのあと4本マストの大型帆船、そして大昔にアフリカの喜望峰まで航海したというカラベラ船も姿を見せた。

カラベラ船とは大航海時代のポルトガルで用いられた三本マストの中型帆船である。

ポルトガルの北部、ポルトのさらに北に位置するヴィラ・デ・コンデという漁業の町に10年前に行った時、岸壁にこの木造のカラベラ船が繋いであった。15世紀に使われていた船を再現したものである。その前にある博物館はこのカラベラ船の出来上がるまでの映像を上映していて、興味深いものだった。

そのカラベラ船がセトゥーバルの港にやってきたのだ。

 

サド湾に入港するカラベラ船

 

(注) カラベラ、カラヴェルなどとも表記。大航海時代のポルトガルのエンリケ航海王子の時代、1440年頃に開発された、三本マストで三角帆を装備した外洋航行可能な帆船。大体50トンから200トンの間で、当時としては中型船の部類である。エンリケ時代の遠洋航海術の発達を象徴する船舶の改良であった。バルトロメウ=ディアスの喜望峰到達はこの船で行われ、コロンブスの第一次航海は3隻の内2隻が横帆式カラベル船、1隻はそれを大型にしたカラック船(またはナウ船ともいう)で行われた。カラベル船は積載量の点でより長期の航海には不十分であったため、その大型化が図られ、カラック船があらわれた。

大航海時代の幕開けに活躍したポルトガルの秘密兵器─カラベル船

https://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_183.html

 

1595年9月、Fes entorada em Goa、インドのゴア到着のお祝い。

 

トーレス・ヴェドラスの修道院の壁に残されているアズレージョ。

カラベラ船団の海上パレードと思われる。

 

セトゥーバルの港に停泊中のカラベラ船

 

カラベラ船を見学中の人々

 

カラベラ船の後部にはVila de condeの文字

 

翌日、ドンドコドンドコという太鼓の音が下の町から聞こえてきた。その音に誘われて、港に行ってみると、帆船が3隻、岸壁に泊っていた。普段は関係者しか入れないフェンスの中には見物客がぞろぞろと歩いている。

 

4本マストのオーロラ号。万国旗がはためき、夜には我家から船のイルミネーションが見えた。

 

サグレス号の舳先にはエンリケ航海王子の像

 

帆船は遠めに見ても大型だが、近くで見ると巨大だ。

3本マストの帆船はポルトガルの海軍を代表する「サグレス号」だ。大航海時代の先駆けを作ったエンリケ航海王子の像が航海の水先案内人の役割で船首を飾っている。

 

メルカドの岸壁に停泊するサグレス号

 

今日はセトゥーバル市が開催する海の祭で、大勢の人たちが詰め掛けているが、市内の幼稚園からも大型バスを数台借り切って見学に来ている。

サグレス号の甲板には幼稚園児たちで埋めつくされていて、子供たちが降りてくるのを待って、私たちもサグレス号の甲板に昇った。岸壁から甲板までわりと急な勾配で、ちょっとぐらぐらして冷や冷やしながら昇った。小さな子供たちがよく平気で昇り降りできたものだ。

 

サグレス号の順番を待つ。

 

甲板にはサグレス号の乗組員があちこちに立ち、手助けをしてくれる。サグレス号はポルトガル海軍の船だから、彼らは海軍軍人である。中には腰にピストルを携帯した人もいて、ちょっと緊張する。

 

サグレス号のメインマスト

 

サグレス号の船首。ポルトガル国旗と日の丸も見える。丘の上にはサン・フィリッペ城の砦。

 

見学を終えた小学生たちの下船

 

10月半ば、晴れ上がった青空の下、大型帆船の見学は感動的だった。

セルベージャ・サグレス(ビールジョッキ)を片手に、サウーデ!

 

サグレス岬の要塞にエンリケ航海王子が作った航海学校、その地に残っている巨大羅針盤「ローサ・ドス・ヴェントス」の側に自生するスウィートアリッサム、ロブラリア・マリティマ Lobularia maritimaの花。

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