ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

044. 山火事と遺跡

2018-11-30 | エッセイ


 

 今年の夏は変な天候で、いつもよりずいぶん早い時期に猛暑がやってきたり、8月の半ばに突然雨が降ったりして仰天した。
セトゥーバルではパラパラと通り雨程度だったが、リスボンなどは本格的に降ったらしい。
 山火事は今年も多発した。
我が家の周りでも4回も発生して、そのたびに肝を冷やした。

 ポルトガルの北部に久しぶりにまた行ってみようかなと、かなり前から思っていたのだが、そのあたりは毎年山火事が多発するので、いつも取りやめになっていた。
 私たちの旅は小さな村や町などを訪ね歩くので、山道を走ったり、森の中を通ることが多くなる。
そんな時に山火事が起きたら、火がどの方向から迫ってくるのか、いや、山火事が発生しているのも知らないで、走っていることだろう。
そんな心配をしなければならないほど頻繁に山火事が起きているし、消火活動をしている最中の消防士達でさえ火に囲まれて亡くなる事件が毎夏、数件起こっているのだから。

 8月も半ばを過ぎると急にさわやかな空気が漂い、山火事のニュースもほとんど聞かなくなった。
北部の山火事もどうやら収まったらしいので、ちょっと出かける気になって、ガイドブックを見ると、ヴィアナ・デ・カステロでちょうど祭をやっている。
町のツーリスモ(観光案内所)に問い合わせたら、第3日曜日の今日が祭の最終日だというので、急いで出発した。

 北部に行くに従って、高速道路の両脇に山火事の黒々と焼けた跡が目に入ってきた。
それも一箇所や二箇所ではない。
道の両脇が広い範囲で燃えているのに、道路自体は何のダメージも受けていないのはちょっと不思議。

 家を出発して、5時間半かかってやっとヴィアナ・デ・カステロにたどり着いた。
祭はその1時間後、夜の9時半から始まった。
伝統的な民族衣装を着た人々のパレードが終わると、大規模な花火大会が始まり、夜中の1時過ぎまで続いた。

 翌日、少しずつ南に下ることにしてバルセロス、ブラガに寄ってギマラエスに泊ったのだが、ブラガの郊外の村からは「セラ・ド・ジェレス」の黒く焼け焦げた山肌が見えて、痛々しかった。
私たちはこの山から沸き出るミネラルウォーターを飲んでいる。
スーパーで売っている水をいろいろ試した結果、ジェレスの水が気にいって、それ以来ずっと飲んでいる。
だけど今回、7日間も燃え続けた山火事の影響が出るのでは…と少し心配。

 アマランテからぺナフィエルに寄った。
この町からさらに小さい田舎道をたどる予定で、ちょっと休憩したのだが、思いがけなく町の博物館が目に付いた。
麻の織物や陶器など伝統的な物の他に発掘品の展示コーナーもあり、興味深かった。

 ここでもらったパンフレットの中に「モンテ・モジーニョ」というのがあり、走っている途中で、その看板が目に留った。

 ちょっと脇道にそれて、案内板に従って走ると、両脇はぶどう棚が広がる小高い丘になった。
ミーニョ地方からこのあたり一帯のぶどうは棚に枝をはわせて栽培している。
特産のビーニョ・ヴェルデ(発泡性ワイン)用のぶどう畑だ。

 


モンテ・モジーニョのぶどう棚

 ぶどう畑を過ぎて、道は空地に突き当った。
どうやら「モンテ・モジーニョ」の駐車場らしい。
向こうに展示場らしき白い建物が見えるが、ぴったりと閉まっていて、人の気配がない。
その左側のずっと奥にもう一軒、大きな建物がある。
犬の声がしたのでそっちに行くと、犬3匹と小さな女の子がひそっと顔を出した。
声をかける間もなく、女の子は姿を消し、かわりに母親らしい女性が出てきた。
大きな犬3匹はどう猛そうな顔で吠えながら、私たちのクルマに近づいてきたので、その女性に物を尋ねるのに、車の中から声をかけることになった。
いくら犬好きの私でも、興奮した3匹に囲まれてはたまらない。
「モジーニョとは、どこにあるのですか?」
「クルマをここに置いて、あそこの小道を歩いて登った所です。ちょうど今、夫がそのあたりで片付けをしているはずですよ」

 教えられたようにクルマを置いて、崖を上ると、周り一面の森が黒こげになっている。
 山火事がこんな所でも起きていた!
この広い駐車場のおかげで、二軒の建物やぶどう畑には燃え移らなかったようだ。
でも山道の両脇は黒焦げの立木が並んでいる。
しかし不思議なことに、葉っぱの一枚まできれいに枝についた状態で残っている。
葉っぱはちりちりと燃えて、真っ先に灰になって落ちるはずなのに?

 黒焦げの森の中から子供の声が聞こえてきた。
5歳ぐらいの女の子と3歳ぐらいの男の子が朗らかに喋りながら姿を現した。
モジーニョのことを尋ねると、「すぐそこよ。お父さんがいるよ」と指さした。
二人とも顔がほっそりとして、髪の色も少し金髪みたいだ。
セトゥーバルやアレンテージョなど南の方ではムーア人的、丸顔、黒目あるいは茶色がちの人が多いが、北の方はほっそり顔で、うす青系の目をしたタイプを時々見かける。

 森を抜けた丘の上には石組みの遺跡があった。
入口の所でカツカツとクワを使って石畳の間の草取りをしている男性がいる。
さっきの子供たちの父親で、モジーニョの管理人らしい。
遺跡の周りは広範囲にまっ黒く焼けて、凄まじいほどだ。
遺跡も猛火に包まれたのだろうが、石組みだけなので燃えるものはなく、山火事の影響はなさそう。
管理人の話ではつい15日前に山火事があったのだという。

 


山火事に遭って黒焦げのユーカリ林とモンテ・モジーニョのローマ遺跡

 遺跡は紀元後1世紀から4世紀のローマ人の集落で、装飾品や土器や石像の一部などがここから発掘された。
発掘品はぺナフィエルの博物館に展示してある。
私たちはそれをすでに見てきたのだ。

 モジーニョを出て、田舎道を走り、ドウロ川を渡って、さらに南に下った。
その間も山火事の跡をいくつも見た。
去年あたりの山火事の跡には、黒く焦げたユーカリの根元から新しい枝がたくさん伸びて、銀色の葉をゆらしている。
 別の焼け跡では焦げた木を伐採して積み上げてある。
よく見ると、焼け焦げたのは表面だけで、中味はちゃんと使えそうな木材だ。

あちこちの山火事の跡を何ヶ所も見たが、ユーカリは強い!
同じ場所の松やコルク樫はダメージがひどくて枯れているものがほとんどだったが、ユーカリだけは根元からも、枝の途中からも勢いよく新葉を繁らしている。
再生力というか、生命力の強さには感心する。

MUZ
2006/08/31

©2006,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい
Copyright Editions Ilyfunet,All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

 

(この文は2006年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.058. テラコッタのワインクーラー Vaso da Terracota para Vinho Fresco

2018-11-30 | 飾り棚

高さ 23.5cm

 長年ポルトガルに住んでおられた坂本朗子さんの手書きの絵柄。
 ワインをこよなく愛されているご夫妻から記念に頂いた。
 今度は我が家でだいじに使って、美味しいビーニョを味わうことにしよう。

 素焼きのワインクーラーはポルトガルの赤瓦と同じ赤土で作られている。
 この中に冷えたビーニョを入れておくと、食事の間中、安定した冷たさを楽しめる。
 さて、つまみは何がいいかな~。MUZ 2005.03.13

©2018 MUZVIT

 


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043. 異邦人の住む町

2018-11-29 | エッセイ


 同じ建物の二階の部屋がかなりの間、空き部屋になっていた。
そこに住んでいたポーリンさんが数年前に亡くなって、一人残された奥さんはフランスに住む息子に引き取られていった。
奥さんは80歳を超え、しかも足が悪くて一人で歩けないし、この建物にはエレベーターがないので、とても一人で住むのは無理だったのだろう。
部屋は売りに出されていたが、なかなか買手がつかないようだった。

 それが去年、私たちが日本から戻ってきた時、2階の物干しに洗濯物がかかっているのを見た。
2階の部屋にどうやら借家人が住み始めたようだ。
でも洗濯物の干し方がなんとなく変だ。
ポルトガル人の干し方と違う。

 まずポルトガル式の物干しの説明をすると、物干しは外壁に取り付けてある。
窓から身を乗り出すようにして洗濯物を干すのだが、慣れない内は下を見ると目が眩んだ。
台所の窓の外壁の左右に鉄の棒が取り付けてあり、その左右の棒には小さな滑車が二個ずつ付いていて、その滑車に洗濯ロープが1本ずつかけてある。
 我が家は最上階の4階にあるので、うちの物干しの下に3階から1階までの物干しが段々に並んでいる。
だから洗濯物を干す時は下を見ながら気を使う。
しっかり脱水をしてから干すようにしているから、洗濯物からしずくが落ちることは決してないが、それでも下の階の洗濯物がすっかり乾いた時に、上の階に濡れた物を干すのはちょっと気が引ける。

 


上の階の洗濯物が下の階の窓を半分ふさいでいる

 ところでポルトガル人は、たとえばシーツは一方の端を数個のクリップでロープに止めて干す。
つまりカーテンを下げるようにぶら下げるやり方だ。
シーツは長く垂れ下がり、風が吹くと下の階の窓にパタパタと当たって、結果的に窓の拭き掃除をすることになる。
下の階の住人は窓の外に他人のシーツが下がって、せっかくの眺めを塞がれてしまう。
でもぜんぜん気にしないどころか、自分も同じようにそのまた下の階までシーツを垂らして干している。
幸い我が家は最上階なので、窓が他人のシーツで塞がれることはないが、もしそうなったらかなりうっとうしいことだろう。

 私は日本式にロープにかけて二つ折りにして干している。
折り目がはっきり残ってしまうが、他人の窓の眺めを塞ぐことはないし、他所の窓の掃除をしなくてすむ。

 ところで二階に住み始めた人の洗濯物は驚いた事に、私と同じようにシーツを二つ折りにして干している。
それにシーツや他の衣類の柄もなんとなくアジア的な気がする。
ひょっとして、日本人かも?
こちらでは引越してきても、ご近所に挨拶回りの風習はないから、どんな人がいつから住み始めたかということは、あまり分らない。

 その夜、我が家のキッチンに外からいい匂いが入ってきた。
明らかにポルトガル料理とは違う、中華の八宝菜を作っているような匂いだった。
同時に大きな声で中国語の会話が聞こえてきた。
数人が集まって喋っている様子だ。
やっぱり洗濯物のあの干し方は東洋人だったのだ!

 私たちがセトゥーバルに住み始めたころは、中華レストランはトロイアビーチに一軒しかなかったと思う。
それが駅前に一軒、メルカドの近くに一軒、と次々に開店して、10軒以上に増えた。
 そしてこの数年間に異常な現象が起きている。
中国人経営の衣類や雑貨を売る店が次から次に開店しているのだ。
最初はぽつんと一軒できたが、しばらくするとあそこにもここにも…。
通りを隔ててあっちにも、こっちにも…と、今では何軒あるのかもわからないほど増え続けている。

 地方に出かけるともっと驚く。
小さな町にも2軒、3軒とできている。
ほとんどの店が入口に派手な赤い提灯を看板替りに下げているから、よく目立つ。

 


赤い提灯が中華雑貨店の目印。セトゥーバルの大通りにもまた一軒開店した。

 一番驚いたのがアライオロスに行った時のこと。
アライオロスは手作りの絨毯で有名な町である。
博物館にはこの絨毯の古くて良い物が展示されているし、ポサーダ(国営の古城ホテル)などでは由緒あるアライオロスの絨毯をよく目にする。
ポルトガルの人たちは家を建てると、ここの絨毯を敷くことに憧れを持っている様だ。
 町の女性たちがひと針ひと針刺繍したみごとな絨毯が、町の伝統的特産品となっていて、商店街には絨毯を売る専門店が軒並み肩を並べている。
ところが商店街のど真ん中、しかも絨毯専門店だった所が、いつのまにか中華の雑貨屋に変っていたので驚いてしまったのだ。

 アライオロスの絨毯にかなりよく似た絨毯が、露天市やスーパーで売っている。
よく見るとデザインも色もアライオロスのものとは少し異なるし、中国製である。
手作りだとしても人件費の格段に安い中国産だから、値段はぐんと安いのでよく売れているようだ。
そのせいでアライオロスの絨毯の売上はかなり打撃を受けているのではないだろうか。

 下の部屋の中国人は一度チラッと姿を見かけただけで、この一年間顔を合わしたことがなかった。
たぶん朝早くに出かけて、夜遅くに帰宅していたのだろうと思う。
洗濯物は入れ替わっていたので、住んでいる様子は感じられた。

 今年日本から戻ってきてから、下の部屋の洗濯ロープに一週間も2週間も洗濯物が干してないのに気が付いた。
どうも人の気配がしない。
それにベランダの植木鉢の花もすっかり枯れている。
いつのまにか引っ越したようだ。

 サッカーのワールドカップがドイツで始まると、ポルトガル中が家の窓に国旗を掲げた。
セトゥーバルでも、一戸建ての家も集合住宅にも軒並み国旗がはためいた。
ポルトガルの赤と緑の国旗に混じって緑地に黄色のブラジル国旗がかなりたくさん目に付いた。
ブラジル人が国旗の数以上にセトゥーバルに住んでいるのが、ひと目で分かる。
ブラジル人の経営するカフェが一軒、レストランが一軒、
私が知っているのはそれだけだが、もっとあるかもしれない。

 下の階の部屋には新しい入居者が住み始めたようだ。
小さい子供の声も時々聞こえる。
そして下の駐車場には「~BRASIL~」と車体の横に大きく書かれたワゴン車が毎日止まっている。
下の階の新しい住人はブラジル人の一家らしい。

 露天市に行くとペルーからのインディオが民芸品の店を開き、青い目をした美しいウクライナ人カップルが両手にいっぱいの買物をしている。
その屋台ではウクライナ人労働者たちが輪になって、ポルトガルの強いアグアデンテ(焼酎)を飲んでいる。

 セトゥーバルにはたくさんの中国人の店ができ、ブラジル人やウクライナ人も多く住み、そして少数派だが、ペルー人や日本人も住み、日本人の経営するすし屋も一軒できている。
それ以上に、旧植民地のアンゴラやモザンビクなどアフリカ人も多い。

 私たちが住み始めた16年前は、町を歩いても東洋人や黒人の姿はほとんど見かけなかった。
私たち二人はこの町では珍しい東洋人、異邦人として人々から見られていたように思う。
ところがこのところ急速にこの町も様々な人種が住み着き、異邦人の住む町になってきたようだ。
それはセトゥーバルに限らず、ポルトガル中、そしてヨーロッパ中、そして日本にも当てはまると思う。
世界中で、民俗大移動が静かに起きているような気配がする…。

MUZ 2006/07/30

 

©2006,Mutsuko Takemoto
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(この文は2006年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.057. 黒豚飼いの絵皿 prato Pintura Alentejana

2018-11-29 | 飾り棚

直径 27.8cm Redondo

 長年ポルトガルに住んでおられた知人から頂いた絵皿。
 アレンテージョ地方の黒豚飼いはそのあたりを旅している途中で偶然見かけたことはあるが、黒豚飼いの描かれた絵皿は珍しい。
 スペインとの国境の町バランコスは黒豚の産地で、黒豚飼いの姿もそのあたりで見かけた。
 毎日広い地域を移動しながら活きの良い草やどんぐりなどを食べて育つ黒豚は健康に満ちている。バランコスは黒豚のチョリソ(ソーセージ)などが有名。

 この頃はスーパーなどでも肉売場で黒豚のコーナーが常設されている。レストランでも黒豚の料理を出す店が増えている。炭火焼のステーキなど抜群に美味しい。MUZ

©2018 MUZVIT


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042. ジラソル(ヒマワリ)はどこに?

2018-11-28 | エッセイ


 



5月の18日にポルトガルに戻ってきて、車検や画材の購入などを大急ぎですませてから、野の花を見るのを楽しみに郊外に出かけたのだが、もうどこもほとんど枯れていて、がっかりしていた。
今年は野の花が終るのがずいぶん早かったようだ。

それから猛暑がやってきた。
猛暑が去った後、しばらくして季節はずれの雨と風それに雷まで加わった嵐が3日ほど続いた。
バターリャの近くの町ポルト・デ・モシュでは集中豪雨で、車に乗っていた親子が亡くなったという。
例年なら6月半ばといえば毎日晴天続きで、この時期に大雨が降ることは考えられないことだ。
スペインではこぶし大のヒョウが降って、屋根を突き破ったというニュースが流れた。

嵐が去った後も数日どんよりとした日が続いて、なかなかすっきりと晴れない。
でも天気の回復をいつまで待っていてもらちがあかないし、
ちょうどサッカーワールドカップの「日本ーブラジル」戦まで数日間あるので、アレンテージョの旅に出ることにした。
目的はスケッチとそして、ジラソル、つまりヒマワリ畑。

いつのまにかもう6月も半ば。
今の時期はヒマワリの花が満開になっているはず。
ヒマワリは種から食用油をとったり、マーガリンを作ったり、種そのものをつまみで食べたりする。
畑で栽培している作物だが、広大な面積にいっせいに咲いている光景は、野の花の咲き乱れる豪華さとはまた違う、豪快さがある。
「よし、ヒマワリ畑を見に行こう!」

何年か前になるがモウラの近郊で見かけたことがある。
どこかを走っていて、偶然ヒマワリ畑に出会ったのだった。
でもどの道路沿いだったかまでは覚えていない。
とりあえずあのあたりの田舎道を走ればどこかで見られるかもしれない…。

朝、どんよりと曇っていた空もだんだん晴れて、エヴォラに着く頃には強烈な陽射しになった。
町を歩いても知らず知らずに日陰を求めている。
海岸沿いの町に比べて、内陸は暑さがぜんぜん違う。

エヴォラからモウラに向かった。
道の両脇には大きな鬼アザミがところどころに紫の花を咲かせている。
花の大きさは10センチ以上もあるだろうか。
でも茶色に枯れかかったのも多い。
もう鬼アザミも終わりかけだな~とがっかりしたのだが、そのあと次々に群生が現れ、咲いている花の数もどんどん多くなっていった。
ちらっと見た目にはゴワゴワとごついが、近くで見るとなかなかきれい。
群生していると、紫色が周りの枯れ野にくっきりと映える。

 

 


花はこぶし大よりも大きい巨大アザミ

ところでヒマワリ畑はどこにある?
次々と現れるのは、麦刈りの終わった畑や枯れ草の茂るオリーヴ畑ばかり。
結局、モウラまでの間にはヒマワリ畑はぜんぜんなかった。

モウラの特産はオリーヴ油。我が家でもよく使っている。
ラヴェルにはモウラのお城が描かれている。
そのお城の前にあるレシデンシャルに泊った。
部屋を決める前に「見せてください」と言うと、「どうぞどうぞ」と気持ち良く見せてくれる。
ホテルと名のついた宿は無理だと思うが、ペンションやレシデンシャルなどはどこでもそうして下見ができるから、
もし気に入らなかったら他の宿をあたればよい。
気にいった部屋と納得値段で泊れるから、すごく親切なシステムだと思う。
そのレシデンシャルはもともとは古いペンションだったらしいが、建物全体を立て替えてあり、どこを見ても清潔で気持良かった。
風呂はシャワーだけだが、エアコンまで付いている。
内陸の町に泊まると、夏は熱帯夜、冬は冷蔵庫の状態なので、今までは真夏と真冬は旅をしなかったのだが、
エアコン付きの宿がどんどん増えてきたのは旅行者にとってありがたい。
私たちはいつもレシデンシャルに泊る。ほとんどがリメイクして、しかも同じ程度の設備のホテルに比べて低料金。
モウラのレシデンシャルも二人で朝食つき35ユーロ(約5000円)。
朝食も普通はパンとミルクとコーヒーとジャムだけだが、このレシデンシャルはハムやチーズやヨーグルトなどが用意してある。
モウラでは数年前に三ツ星ホテルに泊まったことがあるが、そこに比べてバスタブが付いてないのと、部屋が少し狭いだけの違いで、朝食の内容はほとんど同じだ。

 


モウラの城と、泊ったレシデンシャル

モウラのお城は城壁だけは立派に残っているが、中には入れない。
ずっと廃墟のままだったのだが、今度ようやく改修工事が始まったようで、塔の周りに鉄骨の足場が組んであるのが見えた。
その塔のてっぺんにはコウノトリが大きな巣を掛けている。
工事が始まったらどこかに移されるのだろう。

翌日、モウラからセルパに行く途中の国道沿いでローマ橋を見かけたので車を止めると、今は使われていない石橋を囲むように、広大なヒマワリ畑が広がっていた。
まだ花びらをつけたのもチラホラと残っているが、そのほとんどがもう種をつけて地味な色になっている。
もしローマ橋がそこになかったら、ヒマワリ畑に気が付かずに通り過ぎていただろう。

久しぶりにセルパの町を歩き回った後、ヒマワリ畑を求めて走ることになった。
ローマ橋の所は花がもうすっかり終わっていたが、ひょっとしたら他の場所ではまだ咲いているかもしれない。

地図を見て今度は国道ではなく、もっと田舎の道を選んだ…つもりだったのだが。
セルパを出る時、どこでどう間違ったのか、行けども行けども一本道が続き、しかも道路標識も何もない。
地図はあっても、道路標識で確認できないので、自分たちが今どこを走っているのか見当がつかなくなった。
だいぶ走ってようやく他の道との交差点に出た。
そこにやっと見つけた標識を見ると、なんと目的地と反対方向に来てしまったようだ。
左に行くとモウラに戻る道、右は地図を見るとスペインへ行ってしまう。
今きたばかりの道をセルパに戻るのもいやだし、そうすると残された道はまっすぐしかない。
ぐるりとずいぶん無駄な遠回りだがしかたがない。

その道に入ってすぐ、二本の大きな松の木が立っていて、空にはコウノトリが一羽飛んでいるのが見えた。
その松の枝には大きな巣が架かっている。
しかもあっちにもこっちにも、数えると7個もあった。どの巣にもヒナが育っている。
二本の木に大きな巣が鈴なりの様子で、コウノトリの集合住宅といったところ。
このあたりには川や湖が多いので、えさになる小魚もたくさん捕れるのだろう。

そこを過ぎると牧場があった。
その向こうの丘になんだか薄っすらと黄色い畑が見える。
ひょっとしてあれはヒマワリ畑?
10倍ズームをいっぱいにしても遠景にしか写らない。
他人の敷地に入り込むわけにもいかないし。
せっかくヒマワリを発見したのに、近くで見られないのは残念だがしょうがない。
やがてT字路に突き当った。
左に曲らないといけないのだが、ふと右を見ると、黄色に染まった畑がすぐ側にある。
「わっ、あれだ!」
土ぼこりのもうもうと立つ道を100メートルも行かない所に、あった、ありました!
広大なヒマワリ畑が道の端から向こうの丘の斜面いっぱいにうねうねと広がっている。
接写、遠景、なんでも撮り放題!
しかも今が満開の花畑だ。

 


ヒマワリ畑の端っこに咲く鬼アザミ

 


ひまわり畑とコルク樫

田舎道に迷いこんだおかげで、ぐうぜん出会えたヒマワリ畑でした。

MUZ
2006/06/28

©2006,Mutsuko Takemoto
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(この文は2006年7月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.56. ニワトリ型卵入れ Galinha Caldas

2018-11-28 | 飾り棚

長さ13cm

  今年は鳥年。
 トップバッターにふさわしい物をと思い、ニワトリの卵入れを選んでみた。

 オビドスの隣町、カルダス・ダ・ライーニャ特産の焼き物。
 縮めんキャベツの葉脈まで克明に模した陶器で有名だが、
 その他にもイセエビの形、フルーツの盛り合わせの陶器などいろいろある。

 ボルダロという人が1884年に窯を開いて創始者になった。
 ボルダロの作品は手作りの良い物がリスボンの古代博物館にある。

 でもこれは型で作った超安物。

 我が家では、原則として禁煙だけれど、たまに来られる愛煙家にこれをそっと出す。
 ニワトリを持ち上げてタバコをサッと入れてすばやく蓋をすると、煙が立たない。

 本来は長さ30センチほどの大きなもので、ニワトリの蓋を取ると、卵を入れる中皿があり、12個の卵が置けるようになっている。MUZ

©2018 MUZVIT

 


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041. 久しぶりのセトゥーバル

2018-11-27 | エッセイ

 

 二ヶ月ぶりにポルトガルの我が家に帰ってきた。
日本を発つ時は雨模様で、乗換え地点のパリもどんよりと曇ったさえない天気だった。
夜遅くに帰り着き、次の朝、目が覚めると、少し雲はあるがそのうえには青空が広がっていた。
20羽ほどのツバメたちが空高く舞い上がり、スイスイと風を切って飛び回っている姿は、見ていて気持がいい。

窓の外を見ると、水道局のタンクの上に生えている草はすっかり枯れている。
周りの空地の草はまだ緑が残っていて、黄色い花も咲いているが、なんだか勢いがない。
もうドライフラワーになりかけているのだろうか。
5月の末だけど、まだ野の花はじゅうぶん咲いているだろうと期待していたのに、
家の周りはすっかり枯れ野原になっていて、がっかり。

でも町に降りると、あちこちの家の庭先にはピンクや赤のブーゲンビレアの花が咲き誇り、ルイサ・トディ公園通りにはジャカランダが紫の花を咲かせている。
木によって個体差があり、まだ大半が7分咲きだが、もう満開になっているのもある。
もう少ししたら全部が咲き揃い、紫色の豪華な並木が楽しめることだろう。

 

 




久しぶりの公園には蚤の市が出ていた。
見るたびに規模が大きくなっている。

蚤の市は最初のころは、商店街の中にある小さな広場で毎週土曜日に開かれていた。
その当時は規模も小さくて、切手やコインの愛好家達が数人集まって、小さな机に並べた自分たちのコレクションを売ったり買ったりしていた。
その小さな広場には一本の大きな木が立っていて、枝葉を四方に思い切り伸ばして繁っている。
土曜日になるといつの間にかその木の下に、古道具屋が商売物の机や椅子などを並べるようになった。

私たちはそのころから、メルカドに買物に行ったついでにそこを冷やかす習慣がついた。
といっても何かを買うわけでもなく、ただぶらぶらと見て歩くだけなのだが。
でも時には「欲しいなぁ」と思うものもあった。
今でも思い出すのは、2mほどの高さの棒に吊り下げられた木製の鳥かご。
かなり古びていたが、手の込んだ作りで、いかにも「古き良き時代の手間のかかった物」という感じだった。
でも値段を聞いて諦めた。
それに、狭い我が家には大きすぎる物だった。
しかも鳥かごに入れるべき小鳥もいなかったのだから、鳥かごだけ買おうとしたのも変な話だけど…。

その後しばらくして古道具屋たちの姿は見えなくなった。
あまり売れていそうにもなかったから、他所へ行ったのだろうと、少し残念に思っていたのだが…。

4年程前になるだろうか。
その時も日本から戻って来た時だったのだが、久しぶりにルイサ・トディ公園を歩いていたら、蚤の市が出ていた。
しかも小さな広場の時よりも数倍も多くの店が並んでいたので、嬉しくなったものだ。

それいらい蚤の市はだんだん店の数が多くなって、並べている物もいろいろ雑多で、面白くなってきた。
見て歩く人の数もかなり増えてきて、ぶらぶらと散歩がてら古道具の品定めをしたり、公園のカフェに座って蚤の市を眺めたりして楽しんでいる様子。

土曜日はほとんどの商店が昼の1時で閉まるので、人びとは郊外の大型スーパーに行くか、町の商店街で、閉まっている店のウィンドーを見て歩くかしかなかった。
でもこのごろは、毎週ではないけれど、蚤の市を冷やかす楽しみが増えたのがいい。
リスボンの「泥棒市」などと違って、セトゥーバルの「蚤の市」はスリにやられる心配がないから、のんびり、ゆったりと見て回れる。

それから一週間ほど経った先日、なんだか街全体がモヤモヤとかすみ、熱い空気と湿気にすっぽりと覆われた。
「アンダルシアのフライパン」が早くもやって来たのだ!
その正体はアフリカのサハラ砂漠から飛んでくる熱砂だという。
地中海を越えてはるばるやって来る。
街中の車がうっすらと砂を被り、粘ついた空気は肌にまとわりつく。
その日のニュースではリスボンで気温が38度、どこのビーチも押し寄せた人々でいっぱいだったという。
夜は熱帯夜になり、かなり寝苦しかったのだが、でもそれは2日間ほどで、その後突然、強風が吹き、熱砂はどこかへ行ってしまった。
そして今日は涼しい風が吹く、気持の良い一日になった。

MUZ
2006/05/29

©2006,Mutsuko Takemoto
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(この文は2006年3月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

 

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K.055. フイゴ figo

2018-11-27 | 飾り棚

長さ39cm

 ポルトガル語で何というのか、辞書を引いても解らないから、ここでは日本語でフイゴと言おう。
 でも日本語ではなさそうだ。ひょっとしたらポルトガル語かもしれない…?
 ポルトガルのフットボールのスター選手、フィーゴ(Figo)これを辞書で引くと、「イチジク」と出ている。
 このフイゴの形も逆さにすると、イチジクに見えなくもない。

 鍛冶屋で火を起こす時に使うフイゴだが、これは飾りを兼ねたもの。
 でも家で炭火を起こすときには、立派に役立つ優れもの。
 かすかに着いた小さな火種が、フイゴのひと吹きでゴーッと勢いよく燃えあがる。
 ベランダで炭火を起こすのはだいぶ前から止めたので、このごろ使うこともなく、壁の飾りになってしまったのが残念。MUZ

©2018 MUZVIT

 


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040. セトゥーバルのカルナバル

2018-11-26 | エッセイ

 

カルナバル(カーニバル)が2月26日から始まった。
去年は2月6日から8日までだったから今年はずいぶん遅い。
セトゥーバルだけでなく、全国各地で同じ時期に始まった。リオのカルナバルも今やっている。
去年に比べると開始が20日も遅いのに、ずいぶん寒い日で、空はどんよりとした雲が足早に流れ、
時々のぞく青空も寒風が吹きすさび、真冬に逆戻りしたよう。

カルナバルは午後3時から始まるので、その前にモイタの露天市に出かけたが、前夜の大雨のせいで露天市の道はぬかるみ、出ている店も半分以下で、それも3時前だというのにバタバタと片付けを始めて、どんどん引き上げていく。
私たちは予定の半分も歩いていないので運動不足なのだが、しかたがないので帰ることにした。
モイタの駐車場に植えてある木に蕾がたくさん付いていて、小さくてかわいらしい花が数輪ほころんでいるのを見つけた。
梅の花にそっくりだが、ふた周りほども小さい。
花の写真を撮っていたら、突然カモメの大群が現れ、強風にあおられて騒いでいる。
それからすぐに雨がぽつぽつと降り始め、瞬く間に嵐のようになった。
途中のスーパーで買物ついでに雨宿り。
30分ほどして外に出ると、雨はもう上って空は抜けるような青空が広がっていた。
天気が悪いので行くのは止めようかと思っていたカルナバルだが、やっぱり行ってみることにした。

 

 




会場に着いた時はカルナバルのパレードは最好調。
空は真っ青で、もう雨は降りそうにない。
ルイサ・トディ大通りは公園を真ん中にして一方通行の車通りが両脇にあるのだが、カルナバルの三日間は一部を通行止めにして柵で囲って会場にしている。
観客は2.5ユーロ(約350円)のチケットを買って柵の中に入る。
パレードは長く楕円形につながった両側の道をぐるぐると何回も回る。
周りはたくさんの人々が群がって、知り合いのいるグループが来ると盛んに声援を送っている。
基本的には地区ごとの出し物だが、その他にも何かの運動をしている市民団体も参加しているようだ。
今年は、中国で発生して、アジアで広がり、ヨーロッパでもドイツ、フランス、スペインと迫ってきている鳥のインフルエンザがテーマのグループもいた。

 


「グリッペ・ダス・アヴェスに気をつけよう!」



鳥のインフルエンザはポルトガル語で「グリッペ・ダス・アヴェス」という。
露天市で生きてる鶏や小鳥などを売っていた店は去年から突然姿を消したので、政府の対策の素早さに驚いたものだ。
私は野鳥が好きで、つい先日も野生のフラミンゴがやってくる干潟を発見したり、コウノトリの巣を見に出かけたりして楽しんでいる。
でも最近のニュースではトルコやドイツあたりで野生の白鳥が鳥インフルに感染して大量に死んだという。
そうするとバードウォッチングもしばらく控えないといけない。
「グリッペ・ダス・アヴェスに気をつけよう!」と掲げてパレードしているグループに私も参加しようか…。

パレードに参加しているのは若い人が多いが、家族そろって出ていたり、老人や子供、中には赤ん坊づれもいる。
ものすごい大音響の中でその赤ん坊が二周してきたのを見たが、二周する間ぐっすりと眠りっぱなしだった。
家中で毎日のようにパレードの稽古をしているのだろうか?
それに慣れてしまったのか、さすがに図太い!

 


大音響が子守唄?

2本の道路に囲まれた所は公園で、そこには屋台が数軒出ている。
パンにチョリソを入れてカマドで焼きながら熱々を売っている「パオコンチョリソ屋」
巨大な蚊取り線香のようなものを油で揚げている「ファルチュラス屋」
もうもうと煙を出しながら炭火で栗をやいている「焼き栗屋」
どれも美味しいが、中でも人気があるのが「ファルチュラス」
ふかふかに揚がったものにシナモン入りの砂糖をたっぷりまぶして1ユーロ。
私もつい買ってしまった。
カルナバルのパレードを見ながら食べるファルチュラスは美味い!

 


ファルチュラス屋

 


巨大な渦巻き状にして揚げる


ポルトガルのカルナバルはトーレス・べドラスが有名で毎年ニュースになる。
大西洋に浮かぶ島、マデイラ島のフンシャルでも華々しく行われ、ファドも歌うしサンバも踊る名物知事が今年も先頭に立って踊っていた。
トリノの冬季オリンピックが26日で閉会して、かわりにカルナバルが始まり、全国各地でサンバのリズムが聞こえてくる。

MUZ
(2006/02/27)

 

(この文は2006年3月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.54. 波型オリーヴ入れ azeitoneira

2018-11-26 | 飾り棚

直径10cm


 オリーヴ入れで縁が波打ったものは珍しい。
 描かれたオリーヴの実もまっ黒に熟れて美味しそうだ。
 このオリーヴ入れはサンペドロで買ったもの。陶器の村サンペドロはモンサラスのふもとにある。
 その周りには野原が広がり、ANTA(古墳)があちこちに点在している。いつの時代のものかは判らない。
 数個の巨石を柱状に立てかけ、その上に平たい大石を屋根として乗せただけの簡単なものである。
 ANTAの側にはオリーヴの古木が何本も生い茂り、枝には完熟した黒い小さな実がたくさんついていた。
 ちょっと離れた所から人の話し声とバシ、バシッという音が聞こえてきたので行ってみると、村人たちが数人でオリーヴの古木を囲み、長い棒を振り回してオリーヴの実をたたき落としていたのだった。MUZ

©2018 MUZVIT

 


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039. 春はそこまで

2018-11-25 | エッセイ

 このところずっと寒い日が続いている。
 ロシアではマイナス50度とか30度とか信じられないほど異常な低温だとついこの間まで騒いでいたが、その寒波はトルコやギリシャまですっぽり覆い、ポーランドやドイツでも犠牲者が出ている。
 ポルトガルもいつもの年よりずっと寒い感じがする。
 それでも昼間の気温は14度前後あるからパリやロンドンなどに比べるとずっと暖かいのだが、なにしろ暖房設備が完備していないから、家の中は底冷えがする。

 寒さの厳しいスウェーデンに住んでいた時は、どの家もどのアパートもセントラルヒーティングが完備していたので、部屋の中ではTシャツ一枚で快適に過ごしていた。
 外に出るとマイナス10度以上の低温で、ビトシの口髭はピッピッと瞬く間にツララができたほどの寒さだったのに、部屋の中はとても過ごしやすかった。

 それに比べると冬のポルトガルの家の中は底冷えがする。
 なにしろ我が家は暖炉などは付いていないし、暖房器具といえばオイルヒーターがふたつあるだけ。
 曇った日などはセーターやカーディガンを重ね着して、足には裏毛の付いたブーツ型のスリッパを履いて、オイルヒーターにぴたっと引っ付いてやっと暖をとっている。
 それでもまだ寒い時はオイルヒーターに小さい毛布を掛けて炬燵がわりにしている。
 そうすると足元がホカホカと暖まり、やがて身体中がぬくもってくるからありがたい。
 帰国したら日本から炬燵を持ってこようといつも思っているのだが、なにしろかさ張って荷物になるし、毎年オイルヒーターでなんとかしのいでいるから、「まっ、いいか…」ですんでいる。

 そんな寒さの中でも植物は春を感じて、蕾をほころばせ、花が咲き始める。
 我が家の南側には昔、セトゥーバルの町を囲んでいた城壁の一部が見える。
 その上にはアーモンドの木がたくさん植えられていて、一月も半ばを過ぎたころからそれまで灰色だった木々が薄っすらと色づき始める。

 底冷えのする日々の中にポッカリと暖かい日がやって来る。
 そんな日は強い日差しと真っ青な空、それまでの灰色の冬日を忘れるような、まるで初夏のような陽気。
 陽気に誘われて郊外に出かけた。

 道路沿いにも1本、2本とアーモンドの木があり、桜によく似た薄いピンクの花を咲かせている。
 去年満開の花を堪能したパルメラ城の下に行ったが、セトゥーバルよりも高い場所のせいかまだほとんど咲いていなかったのでがっかり。
 目当ての屋敷の数本のアーモンドの木は枝がばっさりと剪定してあり、今年の花は期待できそうもない。虫でも付いたのだろうか。
 パルメラからアゼイタオに行ったが、ここの木もまだのようだったので、帰りはアラビダ山を回ることにした。
 アラビダ山は二年続けて大規模な山火事が発生して、セトゥーバル方面からは通行止めになっている。
 アゼイタオからだったらひょっとしてある程度は行けるかもしれないということで、久しぶりに足を延ばした。

 登り口辺りには大きな別荘が何軒もある。
 上から降りてくる車がけっこう多い。
 しばらく登ると分かれ道に出た。
 右に行くとポシーニョの海岸に出る。
 レストランが数軒あり、ダイビングスポットもある。
 でもその道は注意の看板がしてあった。
 左はアラビダ修道院への道で、そっちには行けそうだ。

 アラビダ修道院は昔修道僧たちが自給自足の生活をしながら修業を積んだ所で、立派な建物の他に、山中には一人でこもって瞑想に耽る狭いスペースの小屋がいくつも残っている。
 以前、アラビダ修道院をテーマにした展覧会のために、セトゥーバルの画家たちが招待されて敷地内で制作する機会があって、私たちも参加したことがある。
 普通は門は閉ざされていて、中に入ることはできないらしい。
 今日も閉じられた門の前に人びとが集まっていた。
 服装からするとアラビダ山をトレッキングするグループのようだ。

 そこから道路はくねくねとカーブの多い山道が続き、道路脇には薄いピンク色の小さな花をびっしり付けた背の低いかん木がたくさん生えている。
 車を降りてじっくりと観察し、カメラでズームアップするとなかなか美しい姿をしている。
 花にはミツバチもとまっていた。
 これはロスマリーニョス(ローズマリー)の花に違いない。

 


ミツバチが好むロスマリニョス

 


花を接写するとまるで蘭のようで美しい。

 メルカドでいつも買っていた蜂蜜はアラビダ山で採れる蜂蜜なのだと店の人は言っていた。
 ラベルにはミツバチが集めてくる花の種類が書いてあって、その中にロスマリーニョスの名前があった。
 その蜂蜜は「メルピュ-ロ」、つまり混じりけのない純粋な蜂蜜ということだった。
 大規模な山火事の後、アラビダで採れるピュアーな蜂蜜はいつのまにか姿を消してしまったので残念に思っていたのだが、こんなに花が咲いているのをみると、また復活するかもしれない。
楽しみ!

 初夏のような陽射しは残念なことに一日だけで、翌日からはまた薄寒い天気になってしまった。
 そういえば今年はツバメの第一陣もまだ姿を見せない。
 春よこい、は~やくこい!

MUZ
(2006/01/27)

(この文は2006年2月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.053. バルセロスのロウソク立て Castiçal

2018-11-25 | 飾り棚

高さ9.5cm

 ポルトガルの北方、ミーニョ地方の町、バルセロスの焼き物。
 この町の陶器は茶色の素焼きの上に白い上薬を使った点描模様が特徴。
 我家には同じ模様の土鍋や壺など、いつのまにか数が増えている。
 このロウソク立ては、今年の夏のサンチャゴ祭で見つけて買ったもの。
 このところ停電はほとんど起きなくなったので、ロウソク立ての出番はないが、陶器市で見かけるとついつい買ってしまう。
 片手で握れる取っ手がいい。 MUZ

©2018 MUZVIT


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038. すっきりと初日の出

2018-11-24 | エッセイ

 新年はどうやらまともに初日の出が拝めそうだ。
  というのもベランダの東側を覆っていた松の大木がばっさりと切り倒されたおかげ。
  ここに住んで長年の間に周りの松の木たちは伸びに伸びて、もうちょっとで我が家のベランダに届きそうなほどだった。

  夏は猛暑続きで全国各地で山火事が次々と発生して大騒ぎだった。
  そのニュースは日本にも流されたそうだ。
  その騒ぎのあと、政府広報らしきもので「家の周囲50mに生えている木を切りましょう」と何度かTVのCMで流れるのを見たことがある。

  「うちの周りの木も切ってほしいな~」と思い続けていた。
  この松林は下から吹き上げてくる風を防ぐためにもずいぶん役にたっているし、山鳩の巣もずいぶん前から枝の二股に架かっている。
  多産な山鳩は雛が巣立ったかと思うと、すぐに次の卵を抱いている様子で、巣の中が冷える暇もないほどしょっちゅう使っていた。
  もし松林を伐採したらきっと山鳩一家は困ることだろう。
  火事を心配すると伐採してほしいし、山鳩のためには切らないでほしいし…と私も困ってしまった。

  でもある日、一台のトラックと三人の男たちがやって来て上を見上げてなにやら相談をしていた。
  そしてとうとう松の木の伐採が始まったのだ。
  でも大木を二本切り倒してそれで終わりだった。
  山鳩の巣がある松ノ木はそのまま残った。我が家のベランダに一番近い木なのだが。
  切り倒した木材はいつまでもそのまま置いてあった。

  私たちはそのあと旅に出て、帰宅したのは一ヶ月近く後だった。
  さすがに木材はどこかへ運ばれていた。
  それから一週間程経ったある日、騒がしい声が下のほうから聞こえてきた。
  以前に木を切った男たちがまたやって来たのだ。
  どうやら残りの木を切るつもりらしい。

  今度は木の上には登らずに、根元にチェンソーを入れて切り始めたのだが、なにしろ幹が大きいのでなかなかうまくいかないようだ。
  ある程度鋸を入れるとその少し上にワイヤーを結んで、ちょっと離れた所に停めてあるトラックがワイヤーを巻き始めた。
  松の木は鋸の切り目からメリメリと引き裂かれて、一階の家の風呂場の窓枠を直撃した。
  マリアさんとこのトニーさんが驚いて家から飛び出してきて、目を丸くしている。
  でも幸いにも窓は大丈夫だったらしい。
  男たちは次の大木もなんとか切り倒した。
  この木に山鳩の巣があったのだが、今は空家だったらしく山鳩の姿はどこにもなかった。
  残念だが仕方がない。

  三本目の大木は、トラックが水道局の周りをぐるっと大回りして今までと反対側に降りてワイヤーを掛けた。
  ずいぶん乱暴なやり方でワイヤーを引っぱると、大木は根元からバリバリと割れて周りの木の枝を引き裂きながら、それでも男たちの狙った場所へなんとか無事に倒れていった。
  前回のように短く切らずに、一本の木材が転がっている。
  今度は立派な長い板が何枚も取れることだろう。

  おかげで松林もずいぶんすっきりとなった。
  今まで隠れて見えなかった町の家並も、サド湾の入り江の奥もかなり見晴らせるようになった。
  そして何よりも良いのは朝の太陽が顔を出す瞬間が見えるようになったことだ。
  今までは初日の出は、風呂場の小さな窓からしか見られなかった。
  今度からは居間のベランダからたっぷりと真っ赤な初日の出を拝めるようになる。

  山鳩も松の木の巣がなくなっても平気な様子で、「クエーッ」と鳴きながらベランダの上を目指して行ったり来たりしている。
  どうやら屋根の隙間に新しい巣を作ったようだ。
  そこからはもっときれいに初日の出が拝めることだろう。

MUZ
(2005/12/31)

 

(この文は2006年1月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ 』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.052. エルバス市紋中皿 Prato

2018-11-24 | 飾り棚

直径26cm

 エルバスのTURISMO(観光案内所)で10年以上も前に買ったエルバス市の紋章入りの中皿。
 そのツーリスモはエルバスの中心地にどっしりと構えるノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオン教会と対峙するところの古い趣のある建物の中にある。

 教会とツーリスモの間には三角形の白と黒にモザイクされた美しい広場があった。
 その広場は今、大きく掘り返され、2台のショベルカーが忙しく働いている。たぶん地下駐車場を造っているのだろうと思う。

 かつてはツーリスモの真ん前に路線バスの発着場があった。
 エルバスの町は城壁に囲まれている。
 二階建てのバスはその城壁の中に入りグルッと五分の一ほど周り狭い石畳の道を家の軒先を引っ掛けんばかりにして中心広場まで上って行く。そしてツーリスモの真ん前で人々を降ろす。
 「何もこんなに苦労をして上って来なくても城壁の外にバスターミナルを造れば良いのに」といつも思っていた。

 だいたい小さな町である。
 せめて城壁の中はクルマ禁止にして、町の人や観光客のためにトランだけを走らせれば良いのに!と思っている。
 町の人には無料で定期券を配布して、観光客からは乗車代金を徴収する。
というアイデアはどうであろうか?
 商店への納入業者の通行は早朝のみ!とかに制限して。
 観光資源の豊富な古い町である。果たして地下駐車場は必要なのだろうか?

 各町ごとにそれぞれ特徴的な紋章があり、それを見るのも楽しい。
 ちなみにセトゥーバル市の紋章は中心部分に帆船が描かれている。 MUZ

©2018 MUZVIT

 


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037. オンフルールの朝市

2018-11-23 | エッセイ

 今年の晩秋はフランスのノルマンディ地方を旅した。
 その中でもルーアンとオンフルールは二度目だが、一度目はもう30年も昔のことだから、初めて訪れるのと変らない。
 でも忘れられないこともある。

 オンフルールというとすぐに思い出す場面、それは…
 そのころはワーゲンのオンボロバスで旅をしていたのだが、オンフルールに着くと港に車を停めて町を見て回った。
 そして車に帰ってきて、「さあ、出発!」とエンジンをかけようとした時のこと、コトッと小さな音がするだけでいっこうに始動しない。
 何回やっても駄目で、ビトシも私も真っ青になって、それまでの楽しさがいっきに吹っ飛んでしまった。
 それから30分以上もいろいろやって、「もう駄目だ!ここでとうとうこの車を捨てることになるのか!」と、ほとんど絶望しかけた時に、突然「ブルンッ」とエンジンがかかった。
 二人とも飛び上がって喜んだ。
 「これで旅が続けられる!」
 この車はその後も時々ハプニングを起こしはしたけれど、いつも何とか自力回復してその後もスペイン、モロッコまで旅をして、スウェ-デンまで無事に戻る事ができた。
 戻る事ができたどころか、その後4年間も使い、5万キロを走破したのだ。

 今度オンフルールを訪れて、あの時車を駐車したのはどのあたりだったのだろうかと、懐かしく思い出した。
 昔は人影もまばらでのんびりした雰囲気の港だったが、今はレストランが軒並み立ち並び、観光客がわんさかと歩いている。
 でも港に面した村役場は昔のままだ。
 たぶん役場の前の広場あたりに車を停めたのだろうと思う。

 今回はル・アーヴルからバスで来て、次の日にまたバスに乗ってカーンまで行く予定だから、車の故障とは関係なく楽しめる。
 バスの時刻さえ間違えなければだいじょうぶだ。
 その日はブーダン美術館や異色の作曲家サティの家などを楽しんだ。
 町の建物は木組みの家(コロンバージュ)がほとんどで、どこを見ても絵になる。
 一ヶ月ほど部屋を借りて住んでみたいと思ったほど…。

 旧港から坂を少し登った所にサント・カトリーヌ教会(15-16世紀)がある。
 建物全体が全て木で作られていて、フランスではとても珍しい教会だ。
 オンフルールの後、ノルマンディの町や村を訪れたが、どこも石造りの教会ばかりだった。

 サント・カトリーヌ教会の前は石畳の広場で、その周りには駐車場の屋根にしては少し変な木組みが並んでいる。
 それを見て、明日は土曜日だから、ひょっとしたらここに朝市が立つのかもしれないと、わくわくした。

 次の朝、7時過ぎに出かけた。
 まだ薄暗い中で露天商の人たちがパイプを組んでテントを張ったりと、準備に忙しそうだ。
 私たちの泊っているホテルの前は衣類や鞄や雑貨を売る店が出るようだが、どの人も大きな声でお喋りをしながらのんびりと作業をしている。
 そういう出店が旧港まで続き、それからぼちぼちと食料品を売る店が出てきた。



 まず目に付いたのがカボチャを並べた店。
 そんなに大きくはないが、その色に驚いた。
 鮮やかな朱色で表面がつるりとしたカボチャ。
 ハロウィンの祭が近いので、その時に使うためのものかと思ったが、切り売りで買っているお客がいるのをみると食べるのだろう、味は美味しいのだろうか。
 ポルトガルのメルカドでは巨大なカボチャを売っているが、こんな朱色は見たことがない。
 カボチャ屋の先にはハムやソーセージを並べた店、その隣にはびっくりするような巨大なチーズを積み上げた店が準備に忙しそう。
 その店の名前はチーズを売っているのに「豚屋」、何故だろう?

 


巨大なチーズを切り売りする店。後ろは木造のカテドラルと鐘楼

 その先にはオリーヴを売る店。
 種類ごとに木の桶に入れてある。
 ほとんどの店がまだ準備中なので、いったんホテルに帰って朝食をとってからまた出かけた。

 もう全ての店が開店して、買物客もぞろぞろと増えている。
 ずらりと並んだ八百屋の店先には珍しい野菜が美しく飾ってある。
 いつも感心するのだが、フランスの市場や露天市の店でさえ、野菜や果物を見事に並べてある。
 庶民の末端までデザイン感覚が行き渡っている。
 そういうところも朝市の楽しみである。
 八百屋では赤い大根と煤をなすり付けたような薄黒い大根が並んでいたが、白い大根は見かけない。
 赤大根の隣にゴツゴツした蕪の様な物が並べてあった。
 これはすりおろすとワサビのように辛いらしいが、ポルトガルでは一度見ただけなので味は試していない。

 


ワサビ大根と赤大根とスス黒大根

 ちょうど茸の季節なのでいろんな種類の茸が売っている。
 見た目がマッタケに良く似たセップや黄色い茸、それに生椎茸も並んでいる。

 




 ポルトガルの市場やスーパーではいつもマッシュルームしか売っていないので、茸好きの私としては楽しみがない。
 森に出かけたら色とりどりのたくさんの種類の茸が生えているのだが、毒にあたったら大変なのでうっかり手を出せないでいる。

 ノルマンディはブルターニュと同じように牧畜とリンゴの栽培が盛んだという。
 なぜか葡萄は栽培できないのでノルマンディのワインというのはないそうだ。
 そのかわりリンゴから作られたシードル酒とカルヴァドスという強い蒸留酒。
 そして有名なカマンベールチーズなどが特産品だ。
 この朝市でも様々な種類のチーズやシードル、カルヴァドスなどの専門店が数件出ていた。

 


自家製のシードルやカルヴァドス

 シードルは普通のものが1本が3~5ユーロ。
 私たちはカフェに座るとビールではなく、グラス一杯のシードルを飲んだ。
 店によってシードルの味はかなり違う。美味しい時もあるし、はずれることもある。
 値段は一杯が3~4ユーロ。
 酒屋で売っているビン1本分の値段だが、ゆっくり休憩する席料が入っているのでしかたがない。

 珍しいところでは馬肉屋もあった。馬肉で作ったソーセージなどもいろいろ売っていた。
 フランスでは馬肉をミンチにして生卵を混ぜてそのまま食べるタルタルステーキというのがある。
 昔パリの友人宅でご馳走になったことがあるが、あっさりとしてなかなか美味しかったのを思い出した。

 


馬肉屋

 オンフルールは海に面しているから、シーフードもどっさり並んでいる。
 生牡蠣も値段がいろいろ、ハサミの大きなオマール海老も籠の中でもそもそ動いている。
 その他にはムール貝やアサリに似た二枚貝など種類が豊富だ。

 


オマール海老

 生牡蠣は日本の牡蠣とずいぶん違う。
 日本の牡蠣のように腹がぷっくりとはしていない、ペタンコ。
 それにレモン汁をかけたりして生で食べる。
 レストランでは12個いくらでメニューに載っている。
 ノルマンディのレストランでは定食メニューで前菜として生牡蠣六個付き、というのをたびたび注文した。
 デザートもチーズを選ぶと、ノルマンディのチーズが三種類付くからエコノミー料金で地方の味を楽しめた。

 


朝市のチーズ屋さん

 


商店街のショウウィンドウにはノルマンディの特産品が飾ってある

 私たちはパリに行くと、いつも小さなリュックをひとつずつ担いで地方に出かけて10日間ほどの旅をする。
 ノルマンディの旅では珍しいチーズやシードルなどをせめてひとつずつでも買いたいと思っていたが、あちこちの美術館でカタログを買ったらずしりと重くなって、空きスペースがなくなった。
 ポルトガルに帰る直前にパリのムフタール市場でノルマンディのチーズを買おうと計画していたのだが、急用でパリから日本に一時帰国したのでそれどころではなかった。
 次の時には車で行くのもいいかもしれない。
 そしたら重いものもかさばる物も気にしないで買える。
 でもポルトガルからパリまではすごく遠い。
 車で行くと最低3日はかかるだろう。
 それに我が家の車もかなり古くなってきた。
 ひょっとしてどこかの町角で、30年前のオンフルールでのハプニングが起こるかもしれないな~と、ちょっと心配でもある。

MUZ
(05/11/30)

 

(この文は2005年12月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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