ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

121. ヘルペスは突然やってきた!

2015-09-30 | エッセイ

ふと気がつくと、左のほほをポリポリと掻いている。

そんなに痒くはないのだが、なんとなく手が行く。

数日経って、左のほほにぶつぶつができているのに気がついた。ほほが硬くなって少し腫れている。

それから数日経つと、左のほほに引っかいたような痕がいくつもできて、それが黒くなっている。

ここまでくるとさすがの私も「これは変だ」と心配になった。

ネットで調べてみると、ヘルペスの症状にそっくりだ。写真例を見ると、間違いない。

薬局に行って、ヘルペスの薬を買った。ヘルペス用と書いてあるから、これを塗ったら治るだろう。

ところがなかなか良くならない。

黒い傷跡は硬くなって、まるでドメスティックヴァイオレンスを受けたように見える。

ほほはますます腫れて、まるでお岩さんのようになった。

ポルトガルでは国民一人に主治医がつく。私は国民ではないが、主治医が決められている。数年前に電話が掛かってきて、「サウーデに来て、あなたの主治医と面接してください」という。

わたしは今まで病気になったことがなかったので、病院とは無縁だった。風邪は引きかけるが、くしゃみが3回出たらすぐに市販の薬を飲むと、それで大丈夫だった。

昔、薬のコマーシャルで、「くしゃみ3回ルル3錠~」と流れていたのを覚えている。

それは日本の薬だったが、ポルトガルの市販の風邪薬「イルヴィコン(ILVICON)」は良くきく。もうずいぶん長いことこの薬を愛用していて、日本に帰国する時も余分に買って持って行く。

病気といえば、風邪を引きかけるだけだったので、これは病気とはいえない。

ところが今回のヘルペスは市販の薬では治りそうもない。

とうとうサウーデに行く決心をした。

サウーデというのは、簡単に言えば「保険所」だが、日本の保健所とは少し違って、病院の要素が大きい。

電話で予約をしようとしたが、なかなか繋がらないので、直接行くことにした。

受付で主治医の名前を言うと、「今日は予約がいっぱいで、明日になります」と言う。

「緊急でみてもらえないでしょうか」と無理を承知で頼んだところ、「別の先生でよかったら、できますよ」という。

受付の人も私の顔の腫れ具合を見て、これは緊急だと感じたようだ。

サウーデにはみたところ10人以上の医者が待機している。それぞれ個室を持って、次の患者を呼び出す。

ほとんどが女性の医者で「ドトーラ」という。男性の医者は「ドトール」

緊急で見てくれた医者もドトーラ(女医さん)だった。

私が使っている市販の薬を見せると、「市販のを買う前にサウーデに来て、指示した薬を使ってください」と少し厳しく言われてしまった。

「左耳の奥も痛い」と訴えると、小さなラッパ型の器具で耳の奥を調べて、処方箋を書いてくれた。診療代金5ユーロ。

そのあと、町の薬局で処方箋を見せて、薬を買った。

ヘルペスはウィルスなので、それを殺す薬を2種類と、ほほに塗るワセリン。

1週間後、2種類の薬のうち、一種類が切れたので、またサウーデに出かけた。

サウーデは朝8時から始まるので、8時前に着くように家を出たのだが、なにしろクルマで家から3分ほどしかかからないので、7時40分には着いた。それでも入り口には数人の患者が待っていた。

ポルトガル人は並ぶ順番をきっちり守る。バスを待っている時でも、今回の様な場合も。

誰が最後かを尋ねて、その人の顔を覚えて後につく。

8時になって入り口が開かれると、まず番号札を取ってから待合室に座る。

自分の番号が表示されると、受付のカウンターで自分の主治医を申し込む。

そして主治医の部屋のある待合室に移動して自分の名前が呼ばれるのを待つ。

私は受付が6番目だったので、わりと早く呼ばれた。

主治医に会うのはこれで2回目。初めて面接に来てからもう2年たっている。ドットーラクローは私のことを覚えているのかいないのか判らないが、以前の様にやさしい口調で対応してくれた。

それに引き換え、受付の3人の内の一人、60代の神経質そうなおばさんはまるで噛み付くような応対。完全に公務員的なヒステリックな女。そういうのに当ると、それでなくても病気で気が弱くなっている患者はビビッてしまう。

ドットーラクローは簡単な問診と触診をしてから、体重をはかり、処方箋を書いてくれた。

それを持って、ファルマシア(薬屋)に行った。ここでも番号札を取った。すでに5人ほど待っている。

日本も最近そうだが、病院と薬をもらう所が分離している。これは患者にとって不便なシステムだ。

順番が来ると、処方箋を見ながら薬をくれる。そして「血液検査を受けなければいけませんよ」と言った。

そう言えば、ドットーラクローが「サング(血)、サング」と言っていたのを思い出した。

「何処に行けばよいのですか?」

「ラボ」

それがどこにあるのか、薬局の人も知らないらしいが、名前だけ書いてくれて、場所は「ボンフィム公園のあたり」という。

帰宅してグーグルで調べたら、なんといつも車を駐車する水道橋の近くだった。そういえばあのあたりで、救急車がしょっちゅう老人を運んでいる「ルイサトディクリニック」というのがある。あそこがラボも兼ねているのか。

しかしそれは早合点だった。

そこの受付は「それはここのフレンテ(正面)にありますよ」と簡単に言う。外に出てあたりを探したけれど見当たらないので、引き返した。引き返してきた私たちを見て、受付は「カフェが2軒あって、2軒目のフレンテですよ」という。最初からそういってくれたら良いのに、不親切だ。カウンターに寄りかかっていた客の女性が「2軒目のカフェで聞けば判るわよ」と言った。当たり前だ。馬鹿にするな!アジア人と見ると、中国人と思って見下した態度をときどき感じる。中国からの安い衣料品が大量に入ってきて、そのせいで、縫製工場がばたばたと倒産して解雇された従業員がたくさんいるとニュースで何回も報道されている。それを見た人々が「中国にくし」の感情を植えつけられているのだろう。

中国はポルトガルの電気EDPの株を大量に買い占めたり、金持ちの中国人に特別のヴィザを与えたりして問題になったりしている。ヴィザの件はそれに関った官僚が逮捕されて、おじゃんになったが。

2軒のカフェを過ぎたフレンテに小さな入り口があり、そこがラボだった。

一階の受付で書類を見せると、「明日、なにも食べないで来てください。そして朝一番に尿をこの器に取って、持ってきてください」

翌朝8時前にラボに着いた。私たちと同時に緑の服を着た中年の女性が先に立ってシャッターの鍵を開け、ラボの入り口の鍵を開けた。小柄だがすらりとしている。待合室にはまだだれもいなくて、私たちはぼんやり座っていたが、その間に彼女はあちこちのドアの鍵を開け、ゴミ箱のゴミを集めたり、てきぱきと仕事をしている。すっかり掃除の人だと思ってしまった。

しばらくして受付の女性が二人やって来て、すぐに受付が始まった。

私の番で、「いつ生れましたか?」という質問で、誕生日のことだと思って、「明日です」と思わず言ってしまった。

爆笑!

生年月日をちゃんと言わなければいけないのに、「明日です」とトンチンカンなことを言ってしまった。やっぱりヘルペスのせいで頭がぼんやりしているのだろう。でも、実は明日が誕生日なのだ。

緑の服の女性が来て、英語で説明してくれた。彼女はドットーラだったのだ。

採血の手際も良く、見る間に終った。そして結果は10月1日。

たぶんコレステロールが多いと言われるだろう。

ヘルペスはだいぶ良くなったが、完治にはまだ遠い。

今まで3回ほど、立ち上がったひょうしにグラ~と身体が回り倒れてしまった。ヘルペスに左耳もやられているので、三半規管がおかしくなって平衡感覚が変になっているのだ。ほほもときどき引っ張られるように鈍痛がするし、足元もまだ少しふらつく。

もう一ヶ月近くなるのに、病状は少しづつしか良くならない。

日本ではヘルペスの患者が薬を飲んで一週間ほどで完治したという体験談が出ていた。今航空運賃が安いので、一ヶ月ほど日本に帰国して、日本の病院でみてもらったほうが良いのか~とも考えるが、往復の飛行機に乗るのが体力的に辛そうだ。もう少しこちらで様子をみることにしよう。

 

 

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