ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

154. リオ・マイヨールの塩田

2019-07-01 | エッセイ

 

以前、ブサコの森に行った帰りにお昼でも食べようと、高速道を降り、リオ・マイヨールを目指したことがあるが、道に迷ってしまって、行かず仕舞いになっていた。

今回はバターリャに行くのに国道1号線を使った。その途中リオ・マイヨールがあるので、難なく行くことが出来た。

 

だいぶ前から朝食に食べるパンはリオ・マイヨールのどっしりパンを愛用している。でもリオ・マイヨールがどんな町かあるいは村か知らない。地図を見ると周りにポルトデ・モシュやバターリャがある。

スケッチ旅行のついでにリオ・マイヨールに立ち寄ってみた。町なかはあまり魅力的なモチーフはなかったけれど、町の外れにある塩田を示す看板を見つけた。以前、TVのニュースでやっていた塩田だ。道路脇にそれらしきものが見えてきた。

 

 

道路から見下ろすと、10人程の男たちが働いている。川をせき止めたような場所に塩田が広がり、男たちは出来上がった塩をかき集めて三角推の小山を作っている。板の上でさらに水を切っている様子だ。それがあちこちにある。

リオ・マイヨールは海からは30キロも離れた内陸にある。そんなところに何故塩田が?と不思議に思い調べてみると、大昔に海だった場所が地殻変動で海水が地下に閉じ込められているのだという。それを汲み上げて塩田で乾燥させて塩を製造している。何しろ海水の7倍もの濃度があるそうだから、海辺の塩田よりも簡単に塩を製造できるそうだ。

 

 

 

1970年代に私たちは二人で10か月余りの12か国の中南米旅行をして、途中でボリビアのラパスも訪れた。そのラパスの近くにウユニ塩湖があるという。今では観光旅行でかなりの人達が訪れているというが、その当時、わたしたちはウユニ塩湖と言うのはぜんぜん知らなかった。直ぐ近くのラパスに1週間ほどいたのに、今から思うと残念だった。ウユニ塩湖もやはり内陸に閉じ込められて行き場を失った海だったという。

塩田を初めて見たのはポルトガルに来てからだ。ポルトガルには塩田がずいぶんたくさんある。南のアルガルベ地方でも町のすぐそばにあって、その時は電車に乗ってオリャオンの近くを通ると、線路沿いに白い巨大な山があり、それが塩の山だった。セトゥーバルの町外れにも塩田があり、そこには冬になるとフラミンゴの群れがやってくる。

 

 

リオ・マイヨール塩田の道沿いには木造の古びた小屋が立ち並んでいる。たぶん昔の作業場だったのだろう。入り口の柱はオリーブの古木が使われて、今にも崩れ落ちそうな小屋を支えている。なにしろ塩を扱う小屋だから、金属を使うとすぐ錆びてしまう。小屋の戸締りをする鍵も木製だ。立ち並んだ長屋ふうの小屋は今では塩を中心にした土産物屋になっている。私たちが毎朝食べているリオ・マイヨールのどっしりパンを売るパン屋も一軒あった。

 

 

 

 土産物屋の店先に並べられたハーブ塩

 

 どっしりパンを売るパン屋

 

カフェも2軒ほど、郷土料理を出しているレストランが一軒ある。でもまだ昼食には時間が早いので入るのを諦めた。あとで考えたら、メニューは煮込み料理のコジード・ア・ポルトゲーサだったので食べてみたら良かった。リオ・マイヨールの塩田で現地の取れたての塩を使った煮込み料理はどんな味だったのか、気になる。

 

 

お土産に小さな袋詰めの塩を5種類買った。魚料理用と肉料理用、それぞれ塩にハーブが混ぜてあり、食欲をそそる良い香りがする。今夜はキャベツやニンジン、タマネギ、などとベーコン、チョリソ、などの煮込み料理ポルトゲーサにしよう。肉料理用のリオ・マイヨールの塩を使って。

 

ポルトガルのえんとつ MUZの部屋 エッセイの本棚へ

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする