ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

186. ウクライナからの避難民

2022-04-01 | 風物

3月に咲く野生蘭、Orchis italica

 

 ロシアがウクライナに攻め込んでもう一ヶ月以上が経つ。ポルトガルのニュースでも毎日やっていて、数局あるTVもそれぞれ特派員を現地に滞在させている。中でも激戦地の首都キエフに残ってレポートしている女性記者キャンディダ・ピントは凄い度胸だ。彼女はイラク戦争の時も激戦地の真っただ中からポルトガルに向けてレポートしていた。身体は細くて小柄なのに恐れを知らない女性だ。

 一方、ウクライナの避難民たちはポーランドやルーマニア、モルドバなどに命からがら逃げこんでいる。女性や子供達がほとんどで、ウクライナの男性たちは戦闘義務があり、国外に避難することが禁じられているそうだ。妻や子供たちがバスや列車に乗り込むと、外から夫たちがガラス越しに手を差し伸べて別れを悲しんでいる。家族がバラバラに分かれてしまう。

 ポルトガルに避難する人たちは少ないが、受け入れ体制はかなり整っている。今回ニュースを見て驚いたのだが、ポルトガルに住んでいるウクライナ人は意外に多い。彼らが組織立って支援物資をまとめて、バスのトランクにぎっしり、座席などにも詰め込み、ウクライナの国境付近の避難所に届けている。バスは3日程で到着し、帰りにはそのバスに避難民を乗せて帰って来るという。

 ポルトガルには元々『バンコ・アリメンタール』(食品銀行)というボランティア活動がある。その活動時期になると、スーパーの入口で買い物客に専用の袋を配る。強制ではないが、それに何か一つでも品物を入れて寄付をするのだ。

 米1キロの一袋でも良いし、スパゲティの一袋でも缶詰めなどでも良い。私たちもそんな時は米1キロの一袋を寄付する。せいぜい1ユーロ足らずの負担で済む。それがボランティアの人たちの手で仕分けされ、貧しい一人暮らしの老人や、母子家庭、ホームレスの人たちなどに配られるボランティア活動だ。その制度そのままが今回のウクライナ避難民への支援に活用されている。

 そうした支援の輪はポルトガル全国各地で組織されて、主だった町ではそれぞれワゴン車や大型バスやトラックに支援物資を満載してウクライナとの国境付近の町に運んでいる。中には支援物資だけではなく、ボランティアのポルトガル人もそこまで行って現地で手助けをしている。

 ポルトガルに到着したウクライナ人家族はそれぞれ避難所に集められ、食事や寝具を与えられ、それから後日、ホテルやAL(民間宿泊所)などの部屋に移動する。ALなどはこの数年で急速に増えてきた。でもコロナ騒ぎで旅行客が激減して、空き部屋が多い。そこに避難民を収容しているようだ。北部の小さな田舎町にも空き家にウクライナ難民の一家がやってきた。田舎の老人たちは親切だ。困っている人たちを助けようと、自分の持っているわずかなものでも持ってくる。その老人は自分の庭に生ったリンゴを2個ほど持ってきた。

 

 そんな中、3月31日に閣僚の新旧交代式が行われた。ポルトガルの政治家は資産家の子弟が多いから、語学教育はしっかりと受けていて、英語はもとより、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語など普通に会話している。ポルトガルのマルセロ・デ・ソウザ大統領も、国連総長のグッテイレスも数か国語を操っている。EU議会で他の国の政治家との会話も相手国の原語で喋っている。

 でも今回のウクライナ戦争を見て、なにもできない国連の不甲斐なさを感じた。

 日本の経済は世界のランクから大きく後退し、周りの国から領土をねらわれている。

 ロシアは北海道を狙い、中国は尖閣諸島や沖縄を狙っているらしい。日本の国防は弱そうだから、そうなったら日本の国民はどこにいけば良いのだろう。周りは海ばかり、ウクライナの様に地続きの国境などないから、日本人は逃げようがない。

MUZ 2022/03/31

 

 

 

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