yanの気まぐれ山雑記

山行記や山野草について綴っていきたいと思います。

平戸往還(川棚庄屋跡→彼杵思案橋)(8)

2024年04月12日 | 平戸往還

日時…2024.4.10(水)  天気…晴れ  気温…最高20℃前後

佐世保駅6:52→川棚駅7:26着  本日の平戸往還の出発点である「川棚庄屋跡下」まで歩いて15分(2036歩)で到着。

 

コ-ス図1 タイム ❶川棚庄屋跡下7:52→❷長浜大明神宮鳥居下7:55→❸飛び石分岐8:01→❹百津郷のナメキ8:07→❺幸秀庵一里塚8:13→❻百津郷の太宗8:24→❼眺め→❽百津堤・両領堤8:31→❾分岐8:34→間違いル-ト❿引返す❾分岐8:55→❿小音琴の堂神酒9:04→⓫国道9:08

 

  コ-ス図1

 

コ-ス図2 タイム ⓬松の上9:18→⓭「西部歴史ふれあい」の看板9:24→⓮「平戸街道」の柱9:25→⓯水準点9:27→⓰国道9:53→⓱八幡神社下10:04→⓲簡易郵便局前10:21→ベンチにて休憩10:23~10:41→音琴浦問役所跡方面へ→引返す→⓱

  コ-ス図2

 

コ-ス図3 タイム

往還分岐11:05→塚本一里塚跡11:07→国道出会11:19→㉒口木田千部塔11:39 

   コ-ス図3

 

 

コ-ス図4 タイム ㉓国道出会い12:02→㉔大村純伊旧領奪回戦蹟碑12:12→コ-ス間違い→正規コ-ス12:27→㉕十二社大権現宮鳥居12:33~12:39→㉖思案橋の碑13:02   ㉗元禄船着場跡  ㉘彼杵本陣跡  ㉙脇本陣跡  ㉘庄屋跡

  コ-ス図4

 

出発地点の川棚庄屋跡下からアップ致します

  ❶川棚庄屋跡下7:52

 

 

 

  ❷長浜大明神宮鳥居下7:55

 

  

 

 

 

  ❸から川棚川の流れを見る。水量が少なければ 飛び石等を利用して渡れるはずでしたが残念でした。8:02

 

  左岸から流れの様子を観察8:07

 

  ❹百津郷のナメキ8:07

 

  岩立公民館 

 

  ❺幸秀庵一里塚8:13

 

 

 

  一里塚の名前と道標の名前が違いますが、…

 

  一里塚から往還は急坂を上っています

  岩立公民館

 

  ❻百津郷の太宗8:24

 

  ❼眺め8:28 堤も見えています

 

  ❽百津堤・両領堤8:31

 

  旭ヶ丘公民館8:33

 

  間違ったコ-スからパチリ8:37

 

  ❾分岐8:55 引き返しして再スタートです。

 

   上記の画像に写っている道標

 

  

 

  ❿小音琴の堂神酒9:04

 

  国道が見えてきました9:07

 

  ⓫国道9:08

 

 

 ヒラドツツジ

 

  ⓭「西部歴史ふれあい」

 

   ⓮「平戸街道」の柱9:25

 

  ⓯水準点9:27

 

 

  国道が見えてきました9:53

 

  国道近くにて

 

 

  ⓱八幡神社下10:04 前の交差点を渡って港へ向かいます

 

  音琴の往還の様子

 

  簡易郵便局と漁協

 

  浦漁港の様子10:22

 

 

  音琴間役所跡の石垣?10:43 この石垣に看板が設置されていましたが、現在は撤去されているとのこと。 

 

 

 

  往還分岐11:05

 

  塚本一里塚跡11:07

 

  一里塚跡から少し上った所から振り返る11:09

 

  平戸往還の様子11:12 

 

  同上 先の方はやぶこぎが強いられます。11:14

 

  往還は石垣の下を通って、採石会社の専用道路?に出ました。11:18  このコ-スは通らないほうが安全です。

 

  国道の海側に蕎麦屋がありました。11:19 いつか食したいですね。

 

 

 

  ㉒口木田千部塔11:39

 

 

 

  同じ敷地内にに建立されていました。 福田有信村長の記念碑?

 

  和田平海岸を振り返る11:52

 

    大村純伊(すみこれ)旧領奪回戦蹟碑12:12   島場半島に本拠を置く有馬氏が文明6年(1474)大村に進入、16代大村純伊は大奮闘したが部下の裏切りにあって、見方は大敗、純伊は郡岳に逃れ、領外に脱出。6年後文明12年敵方が陣取っている松岳城を攻撃、敵方は大敗し逃亡した。

※大村の郷土料理「大村寿司」又芸能「黒丸踊り」等は大村純伊の領土回復を紀念して誕生したとも伝えられています。

 

  さくら12:17

 

  ㉕十二社大権現宮鳥居12:33 (建物は蔵本郷公民館になっていました)

 

  13:00

 

  「思案橋」の碑が見えてきました。13:02

 

  平戸往還と長崎街道の接点の㉖思案橋の碑13:02 

 

 

 

 

 

 

 

  「シーボルトが江戸参府の時、文政九年(1826)七月五日同行した絵師、川原慶賀に描かせた当時の彼杵港」このように絵の脇に書かれています。

 

 

 

  元禄船着場跡の碑 上記の説明板から少し離れています。

 

  ㉘彼杵本陣跡

 

 

 

 

  ㉙脇本陣跡

 

 

 

 

 

  ㉚庄屋跡

 

 

 

 

 

本日歩いた平戸往還の沿面距離…川棚庄屋跡下から彼杵町思案橋の碑まで…9755m(ガーミンのGPSによります) ※ルートミスして歩いた沿面距離…1758m  川棚駅~川棚庄屋下+思案橋~彼杵駅…約1200m  合計歩行距離…12713m 

 

本日歩いた川棚~彼杵は車やバス、列車等で通ったことはありましたが、実際に歩いたのは初めてでした。一里塚、役所跡、領土奪還の戦い、平戸往還と長崎街道の接点である思案橋、元禄船着場跡等あげればきりがないほどの勉強を、させて頂きました。 82才には1日の歩行の限度のようでした。 途中で情報の提供をして下さいました皆様に感謝致します。 

機会がありましたら彼杵の歴史資料館等や史跡旧跡も訪問したいと考えています。 野山の花たちにも逢いたいし忙しくなりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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