今朝の中国新聞…読者の声欄に
高橋慶彦氏にカープ復帰願望する読者のコエが掲載された。
ファン以上にカープを気にかけ、他球団のユニフォームを着ていても、常に赤ヘル軍団を意識し続けていたのは、高橋慶彦氏ひとり…と言っても過言ではなかろう。
松田オーナーとの確執云々は間違いのない事実。
それにより高橋氏が…二度と広島の地で赤く染まることはないと、言われ続けてた。
しかし…今の球団内部は、少しずつ変化を見せ始めているのも事実。
その証拠が、今回行われたコーチ陣の再編である。
これは、カープとしては異例なこと。
さていつもの様に妄想してみたい。
シーズン終了後、鈴木本部長と野村監督の会談が行われた。
その時、鈴木本部長は、これまでにない辛辣な言葉を野村監督に浴びせたハズである。
「来期、もし今年の二の舞であるなら、解任を覚悟してくれ」
恐らく野村監督とすれば、いつの日か解任の二文字が口にされることは予想はしていたとしても、現実に発せられるとは夢にも思っていなかったハズである。
球団フロントとしては、早くから辞意表明していた大野コーチの後任に佐々岡氏というレールを敷いており、間違いなく佐々岡氏が就任してくれるものと思っていた。
ナゼなら大野氏の退任コメントを思い出してもらいたい。
「ここまでやるべきことは達成した。ここからは後任の人に任せたい」
このニュアンスの裏側に、大野氏が、後輩である佐々岡氏に総仕上げを任せたい思いが汲み取れる。
実際に大野氏も、そう願っていたハズ。
しかし佐々岡氏の思いは…「大野さんの気持ちはよく理解できる。しかし…」のしかしが、どうしても自身を前に進める気持ちにならなかったのだと思う。
この事態は球団として想定外である。
さて球団…
少しずつではあるが変化しているのは間違いない。
その兆候は昨年から実はあった。
しかしうまく行かなかった。
球団は努力しているつもりであろうが、昨年までの球団の行動は、正直他球団と比較すれば大きな開きがあったのも事実。
その大きな要因は、情報不足と人脈のなさ。
何かあったら…Y氏任せのY氏情報を鵜呑みにしすぎで、自分たちから直接行動することがなかった。
それはオーナーの腰の重さが原因で、何でもかんでも人任せが、身内のOB依存の体質につながった。
数年前までは、そのOBも…オーナーに逆らうことはなかったが、O、K、Aなどの心ある改革者は徐々に球団から距離をおき、自分の生活を自身の力で確保した。
すなわち…「カープで面倒を見てもらわなくても、自助努力で生きていく」方法を自ら掴み取ったのだと思う。
そのような…カープからの独立を果たし、オーナーの呪縛から開放されるOBが現れると、さすがに困るのは球団上層部の面々である。
確かにフロントの言い分はわかる。
勝ち慣れしすぎた古葉監督時代…昭和54・55年以降、観客動員は伸び悩んだ。
「勝ち方が緻密すぎて面白くない」
多くのファンは打ち勝つ豪快な野球を望んだ。(あの200発打線である)
守りを中心に、投手力を向上させ、塁上をかき回す機動力野球に、多くのファンは球場に足を運ばなくなった。
最近の若い人はご存知なかろうが、昔の市民球場は毎試合…ガラガラの空席ばかり目立つ悲惨な光景であった。
勝って、上位争いを続けても、ファンはほとんど球場に足を運ばなかったのである。
そのことに関しては、私も大きく反省をしている。
恐らくフロントの声は
「ファンの言い分はわかる。しかし言い分を聞いてもファンが飽きたとき、あのときの二の舞はごめんである。そのための対策がグッズ売りであり、野球以外に関心を持てる球場内の魅力アップをしておかないと、放映権などの収入が激減している現状…独立採算の球団としては仕方がない」だったのであろう。
しかしさすがに、そうは問屋が卸さない現実に直面したようである。
それが今回の外部招聘…
野村監督もさすがに、今回ばかりは球団の心変わりに、内心焦りがあるのだと思う。
宮崎に飛んだのも…自身の身の危険を大きく感じたからとの噂もチラホラ。
球団は来期…シーズン中でも大ナタを振るう可能性が強い。
石井琢朗がコーチに就任した条件も、球団の強い危機感の表れ。
あの石井が残留した裏には、石井のこれまで4年間見たカープのぬるま湯体質に苦言を呈し、それをオーナーが受け入れたという話も見え隠れする。
残念ながら豊田招聘は巨人との契約問題絡みから断念したが、間違いなく球団は改革に歩を進めていると見て間違いなかろう。
そう考えれば…あの栄光の背番号2
来期あたり可能性がないとは言えまい。
彼が再び赤の栄光を見る日がくるかどうかは、彼の今後の活動を見れば明らか。
他球団が日本シリーズ終了後に招聘せず、評論家活動に入れば、かすかな望みがあると思う。(野村監督である今は…まず無理であろう)
高橋慶彦氏にカープ復帰願望する読者のコエが掲載された。
ファン以上にカープを気にかけ、他球団のユニフォームを着ていても、常に赤ヘル軍団を意識し続けていたのは、高橋慶彦氏ひとり…と言っても過言ではなかろう。
松田オーナーとの確執云々は間違いのない事実。
それにより高橋氏が…二度と広島の地で赤く染まることはないと、言われ続けてた。
しかし…今の球団内部は、少しずつ変化を見せ始めているのも事実。
その証拠が、今回行われたコーチ陣の再編である。
これは、カープとしては異例なこと。
さていつもの様に妄想してみたい。
シーズン終了後、鈴木本部長と野村監督の会談が行われた。
その時、鈴木本部長は、これまでにない辛辣な言葉を野村監督に浴びせたハズである。
「来期、もし今年の二の舞であるなら、解任を覚悟してくれ」
恐らく野村監督とすれば、いつの日か解任の二文字が口にされることは予想はしていたとしても、現実に発せられるとは夢にも思っていなかったハズである。
球団フロントとしては、早くから辞意表明していた大野コーチの後任に佐々岡氏というレールを敷いており、間違いなく佐々岡氏が就任してくれるものと思っていた。
ナゼなら大野氏の退任コメントを思い出してもらいたい。
「ここまでやるべきことは達成した。ここからは後任の人に任せたい」
このニュアンスの裏側に、大野氏が、後輩である佐々岡氏に総仕上げを任せたい思いが汲み取れる。
実際に大野氏も、そう願っていたハズ。
しかし佐々岡氏の思いは…「大野さんの気持ちはよく理解できる。しかし…」のしかしが、どうしても自身を前に進める気持ちにならなかったのだと思う。
この事態は球団として想定外である。
さて球団…
少しずつではあるが変化しているのは間違いない。
その兆候は昨年から実はあった。
しかしうまく行かなかった。
球団は努力しているつもりであろうが、昨年までの球団の行動は、正直他球団と比較すれば大きな開きがあったのも事実。
その大きな要因は、情報不足と人脈のなさ。
何かあったら…Y氏任せのY氏情報を鵜呑みにしすぎで、自分たちから直接行動することがなかった。
それはオーナーの腰の重さが原因で、何でもかんでも人任せが、身内のOB依存の体質につながった。
数年前までは、そのOBも…オーナーに逆らうことはなかったが、O、K、Aなどの心ある改革者は徐々に球団から距離をおき、自分の生活を自身の力で確保した。
すなわち…「カープで面倒を見てもらわなくても、自助努力で生きていく」方法を自ら掴み取ったのだと思う。
そのような…カープからの独立を果たし、オーナーの呪縛から開放されるOBが現れると、さすがに困るのは球団上層部の面々である。
確かにフロントの言い分はわかる。
勝ち慣れしすぎた古葉監督時代…昭和54・55年以降、観客動員は伸び悩んだ。
「勝ち方が緻密すぎて面白くない」
多くのファンは打ち勝つ豪快な野球を望んだ。(あの200発打線である)
守りを中心に、投手力を向上させ、塁上をかき回す機動力野球に、多くのファンは球場に足を運ばなくなった。
最近の若い人はご存知なかろうが、昔の市民球場は毎試合…ガラガラの空席ばかり目立つ悲惨な光景であった。
勝って、上位争いを続けても、ファンはほとんど球場に足を運ばなかったのである。
そのことに関しては、私も大きく反省をしている。
恐らくフロントの声は
「ファンの言い分はわかる。しかし言い分を聞いてもファンが飽きたとき、あのときの二の舞はごめんである。そのための対策がグッズ売りであり、野球以外に関心を持てる球場内の魅力アップをしておかないと、放映権などの収入が激減している現状…独立採算の球団としては仕方がない」だったのであろう。
しかしさすがに、そうは問屋が卸さない現実に直面したようである。
それが今回の外部招聘…
野村監督もさすがに、今回ばかりは球団の心変わりに、内心焦りがあるのだと思う。
宮崎に飛んだのも…自身の身の危険を大きく感じたからとの噂もチラホラ。
球団は来期…シーズン中でも大ナタを振るう可能性が強い。
石井琢朗がコーチに就任した条件も、球団の強い危機感の表れ。
あの石井が残留した裏には、石井のこれまで4年間見たカープのぬるま湯体質に苦言を呈し、それをオーナーが受け入れたという話も見え隠れする。
残念ながら豊田招聘は巨人との契約問題絡みから断念したが、間違いなく球団は改革に歩を進めていると見て間違いなかろう。
そう考えれば…あの栄光の背番号2
来期あたり可能性がないとは言えまい。
彼が再び赤の栄光を見る日がくるかどうかは、彼の今後の活動を見れば明らか。
他球団が日本シリーズ終了後に招聘せず、評論家活動に入れば、かすかな望みがあると思う。(野村監督である今は…まず無理であろう)