KKです。
前回はボランティアの基本的な考えを
書きました。
今回は私とボランティアの関わりに
ついてです。
私は高校生の時に今住んでいる県にある
日本赤十字社の献血ルームで
ボランティアを週1回していた。
高校には確かクラブがあったがそこに
属さず、個人的に半年位お世話に
なった。
進学をする際ボランティア活動を
しておいた方がよいのではないか
と思った。
福祉系の学校を進路にしていた
からだ。
高校生だった私に出来た事は
少なかった。
献血をする人に用紙を配ったり、
献血を終えた人に希望する飲み物を
聞き、運んだり、おかしの補充をした。
献血のお願いのプラカードを持ち、
呼びかけながら商店街を歩いたり
などもした。
一応自分の意思で始めた事だから
ボランティアではあったと思う。
だがあまりお役に立てなかったと
感じる。
次に進学した学校にあったボランティア
サークルに所属した。
そこは学校にある正式なサークルでは
なかった。
ある宗教系の団体が母体のNGOで
(学生)ボランティアとスタッフの
協働により運営をする所だ。
そこが学生ボランティアを募っていた。
私は県外に進学した為寮生活だった。
寮の先輩が所属しており、子どもと
一緒に夏はキャンプ、冬はスキーに
行けると勧誘され楽しそうだと思い
入会した。
その当時住んでいたのが県庁所在地の
市から電車で1時間位離れた市だった。
1時間かけて県庁所在地にある
その会の事務所に行き説明を受けた。
そこには専従のスタッフが3人いた。
主に活動を管理している
ディレクターは1人。
他の2人は事務担当であり活動自体は
あまり一緒にしなかった。
そのディレクターからまず初めに
ボランティアとは何か?を問われた。
本来の意味は当然知らなかったので
教えられた。
ボランティア1にある志願兵が語源で
あり、自発的に積極的に参加する事で
ある。
自分が所属している会を最後まで
支える事だ。
リーダーシップを取る人について
行く事ではないと聞かされた。
毎月会員の子どもたちで希望する子を
野外活動に連れて行った。
また2泊3日や3泊4日で夏は
キャンプ、冬は4泊5日位でスキーに
行ったり日帰りでスケートもした。
学生ボランティアは交通費を支給
されるのみ。
キャンプ等で発生する私たちの
費用は会が負担した。
自然を舞台に遊びを通し子どもたちの
集団における学びのキャンプだった。
学生ボランティアとスタッフは
子どもたちがいろんな体験をしたり
人間関係を作る事により、
軋轢や醍醐味を体験し気づきを助ける
のが役割だ。
キャンプは疑似(社会)体験だ。
帰宅し親に話したり自分がキャンプの
様子を振り返る。人間関係を考える事で
成長する。
上から子どもを引き上げるのではなく、
下から子どもを支えるのが役割だった。
子どもの良い所を探し、たくさん褒める
ように言われていた。
下は年長から高校生までがキャンプの
対象だ。
小さな子どもでは生活のサポートが
特に大事だ。
夜になると親を思い出す子もいた。
子どもたちは親元を離れ6~7人位の
年の近い子どもとかつての私のような
若い学生のボランティアと寝食を共にする。
夏はテントをグループ毎に張って過ごす。
スキーキャンプは旅館にグループ毎に
宿泊した。親離れの一歩だ。
夜子どもが寝た後、記録の整理が
あり大変だった。
記録を書く事で子どもにどう関わった
のかが分かる。
記録を書けないのは子どもを見ていない
からだ。
手がかからず自分が声かけをしていない
のかも知れない。
自分の抜けている点を認識する為でもある。
キャンプの終わりには、キャンプ修了証
を子どもたち一人一人に渡す。
その修了証を書く時にその記録が
役立つのだ。
修了証を渡す時は寂しさも感じた。
ずっと何日も過ごした子どもたちとの別れだ。
次のキャンプで会える子どももいるし、
会えない子どももいる。
楽しく過ごせなかったり二度と行きたく
ないと思った子どももいたかもしれない。
それでも何か心に残って大きくなって
思い出してくれるといいな、
という気持ちは今でもあります。
なかなか奥が深くきちんと出来ていたの
か自信がない。
子どもが唯一頼れる存在が学生の
ボランティアだ。
話を聞くのが大事だ。
危ない事をする時は全力で注意し阻止する。
分からない事は教えるがそれ以外は
基本見守る。
見守ると言うのが実は一番難しい。
子育てをする時もそうだが、
つい手や口を出し子どもの自主性を
奪う事をやりがちである。
年に何回か研修があった。
キャンプをする上で必要になる
野外で遊ぶ為の知識や技術を
実際に体験し勉強をした。
カヌーやアーチェリーや
スキーなど初体験もあった。
カレーや飯盒炊飯をする際の
火を起こす方法や救急法も
あった。
子どもの命を預かっている
以上必要な事はしっかり
研修を受けた。
キャンプ前には危険予測やミーティ
ングを持ち入念に準備をした。
初めて行く場所の場合は下見も行った。
目印になる場所や時間を記録し、
子どもから後どれ位で目的地に着くのか
や次のトイレ休憩までどれ位かかるなど
聞かれた際は答えられるようにする為だ。
子どもが感じる不安を取り除いたり
信頼関係を築く事は大事だ。
ただ当日思いがけないトラブルや
アクシデントは当然ある。
そのダメージをいかに最小限にするかが
大事だ。
いつも予見を言われていた。
⒈ベスト ⒉中間 ⒊最悪
3パターンの予見だ。
最悪の状況を考え備えていればそれが
無用でも文句は言われない。
1つでもトラブルの可能性が
あるなら準備する考えだ。
晴れでも雨支度。夏でも冬支度と
よく言われた。
山を登る人の基本らしい。
今でもその習慣が抜けず、私は人より
荷物が多いとよく言われる。
身についているのか。
いや染みついているのだ。
事故が起きた場合の自分の動揺を抑える
方法、パニックコントロールも
教えられた。
不測の事態も考え準備をした上で
楽しむ。これが難しかった。
幸い預かった子どもがケガをするような
事はなく活動を終えた。
しかしいろんな失敗もあった。
今振り返っても未熟だった。
最初のキャンプでは私自身も18才の
子どもだった。
でもキャンプに来ている子どもから
すると学校の先生ではない、少し年の
離れたお兄さんやお姉さんだった
と思う。
頼りない存在だったと思うが
それでも子どもと一緒に
過ごすのは楽しかった。
海水浴や白玉団子を作ったり虫取りや
魚釣りをした。
魚釣りのえさはゴカイだ。
18才までゴカイなど触った事はなく
最初は衝撃的だった。
ニョロニョロする海辺にいる水生動物だ。
しかし訓練し場数を踏めば、ゴカイを
素手で触り、針に刺す事も難なく
出来るようになった。
ワイルドになったはずだ。
夜はキャンプファイアーをし歌ったり
ゲームをした。
子どもと一緒に泣いたり笑ったりと
いろんなことがあった。
キャンプを終えた後の子どもの成長を
感じる親御さんが多かったように感じた。
キャンプに行く度に私も少しずつ
成長させて貰ったと今でも感じる。
もう二度と会う事がない、かつての
子ども達や親御さんには感謝の気持ちで
いっぱいだ。
当時の事は今でも忘れてはいない。
大事な思い出として心に焼きついている。
ボランティアは人に施すのが目的ではない。
ボランティアをした人もいろんなものを
貰っているのだ。
もし自分がボランティアをして何も得る
ものがないのなら、ボランティアを
していなかったのではないかと私は思う。
ある程度予想しているものもあれば
思いがけず得るものもある。
その時に一緒にいた人、場所、状況など
条件によりきっと変わる。
同じ場所で同じキャンプをしても
その時々により参加する子ども、
学生ボランティア、スタッフの顔ぶれが
違う。
キャンプに行く度に毎回違うものを
得ていた。
これは絶対自信を持って断言出来る事だ。
私は18才の頃からボランティアを
知っていたし実際に体験している。
そんな私からするとPTAが
ボランティアとは到底思えないのだ。
私の意思は何も聞かれていない。
自発的に参加してもいない。
自分の考えは反映されていない。
そもそも自分の意思で入会などしていない。
こんなおかしな事はないだろうと
今でも思っている。
今回はここまで。
まだまだボランティアについて
考えます。
前回はボランティアの基本的な考えを
書きました。
今回は私とボランティアの関わりに
ついてです。
私は高校生の時に今住んでいる県にある
日本赤十字社の献血ルームで
ボランティアを週1回していた。
高校には確かクラブがあったがそこに
属さず、個人的に半年位お世話に
なった。
進学をする際ボランティア活動を
しておいた方がよいのではないか
と思った。
福祉系の学校を進路にしていた
からだ。
高校生だった私に出来た事は
少なかった。
献血をする人に用紙を配ったり、
献血を終えた人に希望する飲み物を
聞き、運んだり、おかしの補充をした。
献血のお願いのプラカードを持ち、
呼びかけながら商店街を歩いたり
などもした。
一応自分の意思で始めた事だから
ボランティアではあったと思う。
だがあまりお役に立てなかったと
感じる。
次に進学した学校にあったボランティア
サークルに所属した。
そこは学校にある正式なサークルでは
なかった。
ある宗教系の団体が母体のNGOで
(学生)ボランティアとスタッフの
協働により運営をする所だ。
そこが学生ボランティアを募っていた。
私は県外に進学した為寮生活だった。
寮の先輩が所属しており、子どもと
一緒に夏はキャンプ、冬はスキーに
行けると勧誘され楽しそうだと思い
入会した。
その当時住んでいたのが県庁所在地の
市から電車で1時間位離れた市だった。
1時間かけて県庁所在地にある
その会の事務所に行き説明を受けた。
そこには専従のスタッフが3人いた。
主に活動を管理している
ディレクターは1人。
他の2人は事務担当であり活動自体は
あまり一緒にしなかった。
そのディレクターからまず初めに
ボランティアとは何か?を問われた。
本来の意味は当然知らなかったので
教えられた。
ボランティア1にある志願兵が語源で
あり、自発的に積極的に参加する事で
ある。
自分が所属している会を最後まで
支える事だ。
リーダーシップを取る人について
行く事ではないと聞かされた。
毎月会員の子どもたちで希望する子を
野外活動に連れて行った。
また2泊3日や3泊4日で夏は
キャンプ、冬は4泊5日位でスキーに
行ったり日帰りでスケートもした。
学生ボランティアは交通費を支給
されるのみ。
キャンプ等で発生する私たちの
費用は会が負担した。
自然を舞台に遊びを通し子どもたちの
集団における学びのキャンプだった。
学生ボランティアとスタッフは
子どもたちがいろんな体験をしたり
人間関係を作る事により、
軋轢や醍醐味を体験し気づきを助ける
のが役割だ。
キャンプは疑似(社会)体験だ。
帰宅し親に話したり自分がキャンプの
様子を振り返る。人間関係を考える事で
成長する。
上から子どもを引き上げるのではなく、
下から子どもを支えるのが役割だった。
子どもの良い所を探し、たくさん褒める
ように言われていた。
下は年長から高校生までがキャンプの
対象だ。
小さな子どもでは生活のサポートが
特に大事だ。
夜になると親を思い出す子もいた。
子どもたちは親元を離れ6~7人位の
年の近い子どもとかつての私のような
若い学生のボランティアと寝食を共にする。
夏はテントをグループ毎に張って過ごす。
スキーキャンプは旅館にグループ毎に
宿泊した。親離れの一歩だ。
夜子どもが寝た後、記録の整理が
あり大変だった。
記録を書く事で子どもにどう関わった
のかが分かる。
記録を書けないのは子どもを見ていない
からだ。
手がかからず自分が声かけをしていない
のかも知れない。
自分の抜けている点を認識する為でもある。
キャンプの終わりには、キャンプ修了証
を子どもたち一人一人に渡す。
その修了証を書く時にその記録が
役立つのだ。
修了証を渡す時は寂しさも感じた。
ずっと何日も過ごした子どもたちとの別れだ。
次のキャンプで会える子どももいるし、
会えない子どももいる。
楽しく過ごせなかったり二度と行きたく
ないと思った子どももいたかもしれない。
それでも何か心に残って大きくなって
思い出してくれるといいな、
という気持ちは今でもあります。
なかなか奥が深くきちんと出来ていたの
か自信がない。
子どもが唯一頼れる存在が学生の
ボランティアだ。
話を聞くのが大事だ。
危ない事をする時は全力で注意し阻止する。
分からない事は教えるがそれ以外は
基本見守る。
見守ると言うのが実は一番難しい。
子育てをする時もそうだが、
つい手や口を出し子どもの自主性を
奪う事をやりがちである。
年に何回か研修があった。
キャンプをする上で必要になる
野外で遊ぶ為の知識や技術を
実際に体験し勉強をした。
カヌーやアーチェリーや
スキーなど初体験もあった。
カレーや飯盒炊飯をする際の
火を起こす方法や救急法も
あった。
子どもの命を預かっている
以上必要な事はしっかり
研修を受けた。
キャンプ前には危険予測やミーティ
ングを持ち入念に準備をした。
初めて行く場所の場合は下見も行った。
目印になる場所や時間を記録し、
子どもから後どれ位で目的地に着くのか
や次のトイレ休憩までどれ位かかるなど
聞かれた際は答えられるようにする為だ。
子どもが感じる不安を取り除いたり
信頼関係を築く事は大事だ。
ただ当日思いがけないトラブルや
アクシデントは当然ある。
そのダメージをいかに最小限にするかが
大事だ。
いつも予見を言われていた。
⒈ベスト ⒉中間 ⒊最悪
3パターンの予見だ。
最悪の状況を考え備えていればそれが
無用でも文句は言われない。
1つでもトラブルの可能性が
あるなら準備する考えだ。
晴れでも雨支度。夏でも冬支度と
よく言われた。
山を登る人の基本らしい。
今でもその習慣が抜けず、私は人より
荷物が多いとよく言われる。
身についているのか。
いや染みついているのだ。
事故が起きた場合の自分の動揺を抑える
方法、パニックコントロールも
教えられた。
不測の事態も考え準備をした上で
楽しむ。これが難しかった。
幸い預かった子どもがケガをするような
事はなく活動を終えた。
しかしいろんな失敗もあった。
今振り返っても未熟だった。
最初のキャンプでは私自身も18才の
子どもだった。
でもキャンプに来ている子どもから
すると学校の先生ではない、少し年の
離れたお兄さんやお姉さんだった
と思う。
頼りない存在だったと思うが
それでも子どもと一緒に
過ごすのは楽しかった。
海水浴や白玉団子を作ったり虫取りや
魚釣りをした。
魚釣りのえさはゴカイだ。
18才までゴカイなど触った事はなく
最初は衝撃的だった。
ニョロニョロする海辺にいる水生動物だ。
しかし訓練し場数を踏めば、ゴカイを
素手で触り、針に刺す事も難なく
出来るようになった。
ワイルドになったはずだ。
夜はキャンプファイアーをし歌ったり
ゲームをした。
子どもと一緒に泣いたり笑ったりと
いろんなことがあった。
キャンプを終えた後の子どもの成長を
感じる親御さんが多かったように感じた。
キャンプに行く度に私も少しずつ
成長させて貰ったと今でも感じる。
もう二度と会う事がない、かつての
子ども達や親御さんには感謝の気持ちで
いっぱいだ。
当時の事は今でも忘れてはいない。
大事な思い出として心に焼きついている。
ボランティアは人に施すのが目的ではない。
ボランティアをした人もいろんなものを
貰っているのだ。
もし自分がボランティアをして何も得る
ものがないのなら、ボランティアを
していなかったのではないかと私は思う。
ある程度予想しているものもあれば
思いがけず得るものもある。
その時に一緒にいた人、場所、状況など
条件によりきっと変わる。
同じ場所で同じキャンプをしても
その時々により参加する子ども、
学生ボランティア、スタッフの顔ぶれが
違う。
キャンプに行く度に毎回違うものを
得ていた。
これは絶対自信を持って断言出来る事だ。
私は18才の頃からボランティアを
知っていたし実際に体験している。
そんな私からするとPTAが
ボランティアとは到底思えないのだ。
私の意思は何も聞かれていない。
自発的に参加してもいない。
自分の考えは反映されていない。
そもそも自分の意思で入会などしていない。
こんなおかしな事はないだろうと
今でも思っている。
今回はここまで。
まだまだボランティアについて
考えます。
しばらく、忙しくしていて
久しぶりにお邪魔して
ため読みさせていただいています。
毎日更新はけっこうしんどいですよね。
実は、私3つブログを掛け持ちしているのですが
メインブログも毎日は更新できません。
どうか、ときどき休んで息をつきながら
ブログでお話お聞かせくださいね。
ボランティアのお話、大変興味深かったです。
だって、私も高校生のときに献血ルームでボランティアを初めて体験し、
大学時代に短い期間でしたが
子供達の支援活動のボランティアに
参加していたんですもの(^-^)/
その時の体験と現在のPTAのギャップをどうしても埋められません。
そして…、私も微力ながら意見書を提出しました。
一貫して「PTAはボランティアであり、ボランティアの理念を尊重した活動にすべきである」との視点から書いてみました。
日本では、小さい頃にボランティアについて
学んだり、体験する機会がない人が多いので
学校の先生含め、ボランティアについて
正しく理解している人は少ないと思います。
世界の中でも非常に特異なPTAであり、
恥ずべき活動方法をとっていることに
1日も早く気がついてほしいです。
コメントありがとうございます。
ボランティア経験が似ているのでしょうか。すごく嬉しいです。
ガーラさんの書かれた熊本PTA裁判の意見書をガーラさんのブログで公開する事をお願い出来ませんでしょうか?難しいでしょうか?
多くの方の参考になると思います。
私自身も可能なら読ませていただきたいなと思っています。
ぜひご検討下さい。
ブログ3つお持ちなんですね。すごいですね。
毎日更新を目標にしてきましたが力尽きてしまいました(笑)。
仕事に家の事、諸々雑用もあり無理をしていました。
それでも伝えたい気持ちが勝りブログを書いてきました。
誰かに強制された訳ではありません。
少しペースが落ちますが考え続けます。
今奉仕とボランティアについて考えています。線引きや自分なりの定義がまだ出来ません。考え中です。
ボランティア体験の少なさは同感です。
私が学生の頃所属した会は日本由来ではなく海外でした。
海外では空気を吸う位当たり前や存在自体が気にならないのだと思います。
日本でボランティアというと身構えられる気がします。特殊な事ではないはずなんですが…。
日本もボランティアが当たり前になるといいですよね。
小さな頃からの経験は大事だと私も思います。