100万パワーズ日記

100万パワーズがあなたに幸せをお届けする

覚のおもしろ日記

2005年01月25日 | SATORU
今日はお正月の話。もうすぐ2月になるのだが今年のお正月の話をしたい。100万パワーズの住む西脇と言う田舎の町にも芸人がやって来たのだ。100万パワーズが住む田舎にもカナートと言うスーパーがあり、そこに海原やすよ・ともこがやって来たのだ。別にやすともが好きと言うことではないが田舎に芸人が来ることはすごい事であって、当然相方と見に行こうと考えていたのだ。やすともがカナートにやってくる前日相方に「カナートにやすとも来るから見に行こうな」と言った時、相方の家には親戚がきていて明日はみんなで食事に出かけると言っていたあまり乗り気でない相方を半ば強引に誘った。翌日、昨日開店時間である10時にカナート集合と約束していたのだが2人共11時くらいに着いた。そして前から3列目の席をとった。でもやすともが来るのは1時半でまだまだ時間があり待ち時間にシケてしまった。やすともが来る1時半よりちょっと前にマイクを持った女性が喋りだしカナート西脇店を何度もカナート北楽店と言っていた。100万パワーズだけ爆笑していた。そうこうしているといよいよやすともが現れた。大した笑いもなく30分で漫才は終わった。相方に「ごめん」っていった。漫才が終わると100万パワーズは裏口に向かった。ちょうど裏口に着くとやすともがでてきた。周りには他に4,5人しか人がいなかった。しかし100万パワーズはそこで握手や写真を求めるのではなくネタをしたのだ。「100万パワーズの!電撃コント!スルメイカ漁!」しかしやすともは無視だった。帰り道ああいう「芸人にはなりたないな」って話をした100万パワーズであった。

今日1番のボケ→でも1番の調味料はみーちゃんの灰やな
  2番→俺は頭がいいから発明ができる

ネクタイ

2005年01月25日 | RYOTA
学校が休みの日以外は毎日締めていたネクタイ。高校のネクタイを締めるのもあと数回だと思うとやはり寂しくなる。
8割以上の人はもう一生逢わない、もしくは逢っていても気づかないんじゃないかと思う。その人ともう逢わないということはその人は(自分の脳の中に限り)「死ぬ」ということと同じなんじゃないだろうかとたまに考える。つまり逢わない人というのは「思い出」として残っていて、それは時間とともに薄れていく。そのうちどんな顔、声かも思い出せないようになってくる。それは自分にとって特別な存在であっても、忘れる時間の長さが違うだけで結局はみんなと同じように忘れてしまんじゃないかと思う。卒業アルバム等を見ると顔がわかる。しかしこれは死者にも同様のことが言える。そう思うと本当に怖くなり寂しくなる。それも異常なほどに。親しい友人だと近況報告やたまに遊んだりということもあるだろうが、大方の人間とはそれをし得ない。同窓会があるかもしれないがそれはクラス単位であって学年全体ですることはない。

「今」しかないという言葉はなかなか今思えないものである。
「今」しかないという言葉は「今」を失って初めてわかるんだろうなとぼんやり考えた。