クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

頼朝伝説

2014-04-24 23:05:36 | 日記
タケノコの話はこのくらいにして、この里山で語り継がれている源頼朝の「頼朝伝説」についてお話しよう。

拙者が住む屋敷の前の道を、時々、ハイキング姿の人が通る。最近は、気候も良くなったせいか、その姿が増加しているようだ。村人の話によれば、この道は「房総の秘境コース」のひとつと言われ、マニア達の中では有名らしい。

なぜ有名なのかと言うと、頼朝伝説があるからである。
その昔、この道を頼朝が馬に乗って通ったのだそうだ。この道を通って、その先にそびえる高宕山に登り、行基ゆかりの観音堂で平家打倒の必勝祈願をしたという話が連綿と語り継がれている。

相模国の石橋山の戦いで平家勢に敗れた頼朝は、真鶴岬から船に乗り房総(安房国)に逃れる。やがて、味方を得た頼朝は、潜んでいた房総南端の鴨川(仁右衛門島)を家来と共に出発し、関東坂東武者を糾合しつつ房総半島を北上して鎌倉に向かう。この時、頼朝一行は上総湊付近(現富津市峰上地域)を通る。
まさにその時、頼朝は高宕山に通じるこの屋敷の前の道を通って、観音堂に向かったのである。ご主人様が住むこのお屋敷のご先祖様は、その時、頼朝の馬のお世話係を仰せつかったそうである。

その当時、高宕山満福寺の観音堂(十一面観世音菩薩)は関東一円に広く知られていた。その頃の満福時は数百町歩の荘園と九十九の僧坊を有しており、関東屈指の大寺院であった。そんな名高い寺院に、信仰心の篤い頼朝が参詣しないはずがない。打倒平家の執念に燃えていた頼朝である。できることなら全ての神仏に祈念して回りたかったであろう。ちなみに、万福寺はその後大火にあい、現在は平野部の田原(たばら)に移転されているが、観音堂だけはそのまま残っている。

今では限界集落的里山となったこの村のこの道を、秘境コース愛好家達は、頼朝が生きたその時代を思い起こしながら、今日も静かに歩いて行く。
拙者もいつの日か、ご主人様のお供をして、観音堂のお参りに行ってみたいものだ。

房総の秘境には、頼朝伝説がよく似合う。
コメント
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