幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

網走と同じ気温では大御所様も寒かろう 徳川家斉没 天保十二年閏一月三十日(西暦1841年3月22日)

2012-07-22 18:38:59 | Weblog



 天保十二年は文化文政を含む江戸文化の花開いた大御所時代の終焉の年であるとともに、水野忠邦の天保の改革が本格的になる節目の年であったように思います。

天保十二年年の正午の気温を現在の平年値と比較しますと、


となって、現在に比べると大変寒冷であった事がわかります。

この年の閏一月三十日辰下刻(西暦1841年3月22日)将軍継承いらい、五十年の長きにわたり君臨し続けた大御所徳川家斉が没して大御所時代が終わりました。
家斉の没した1841年の3月は正午の平均気温が摂氏6、7度と現在の平年値である11、9度より5、2度も低くなっています。
実際家斉が没した日の天候と気温をみると、

朝薄曇、31度(摂氏マイナス0、6度)
午正薄曇、42度、(摂氏5、6度)
初昏曇、49度、(摂氏9、4度)【霊憲候簿】

となっていて、3月も下旬だと言うのに朝は零下を記録しています。
家斉が没したのは、辰の下刻ですから午前9時ころですので、
気温はおよそ、摂氏1度前後だったでしょう。



戯れに、今年(平成24年)3月11日の午前九時で摂氏1度前後であったところは、
なんと、北海道の網走付近でした。
江戸城とは言え木造建築です。
よくは分かりませんが、暖房とても火鉢や湯たんぽ程度だったでしょう。
とても、現在の家屋や暖房とは較べる事はできません。

してみますと、現代人の感覚では、「徳川家斉ロシアに死す」と言う感じでしょうか。

やっぱ現代人は楽ですねえ。

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