おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。41。「わたらせ渓谷鐵道」。その6。

2023-09-28 18:34:07 | ローカル鉄道

「渡良瀬川」左岸沿いに進む。

「取水堰」。

渓谷が続きます。

              

すばらしい渓谷美が続きますが、かつては足尾銅山からのひどい汚染水が流れていました。今は、澄んだ流れに。

 

           

河川の氾濫などにより、大量の鉱毒が下流の広範囲の田畑に甚大な被害を与えました。

                   

            

集落に近づきます。

「原向(はらむこう)」。

栃木県に入って最初の駅です。
足尾町には山歩きをするには格好の場所がたくさんあり、初心者から健脚者まで楽しめます。備前楯山、庚申山登山は原向駅からのアプローチがよく、道標も整備されています。
駅を降りて庚申川に沿って北(銀山平)に登って行くと、2017(平成29)年にリニューアルした国民宿舎「かじか荘」・庚申の湯(日帰り入浴可)があります。

危険! サル出没中

女性や小さなお子さんは特にご注意下さい

・目をみつめない・物を与えない・威嚇しない        日光市

庚申川。

この付近から、わたらせ渓谷鉄道線は、再び、右岸沿いに進みます。

振り返る。

              「古河機械金属(株) 足尾事業所 技術課」。「旧足尾銅山」「古河」関連の施設が増えてきます。  

右手が「足尾銅山通洞選鉱所」跡。

       「古河機械金属(株) 足尾事業所 鉱務課」。   

「通洞変電所」。

変電所は、発電所から送電された電気の電圧を適切な値に変え、必要な所に配分する役目を果たすものです。昭和46年の記録によると、足尾銅山は使用する電力の全量を古河鉱業日光発電事務所(平成15年に古河日光発電株式会社)に所属する5つの発電所(馬道発電所・細尾発電所・上ノ代発電所・背戸山発電所・神戸発電所)によって賄っています。そしてこれらの発電所より、日光足尾2回線、神戸足尾1回線の送電線を経て、通洞変電所・本山変電所・間藤変電所で受電し、それぞれの受持電力使用箇所に送電されました。通洞変電所は、足尾銅山関連施設の多くが廃止され、また取り壊されている中で、現在も足尾地域に電力を供給(東電が古河の施設を使用して各家庭に送電)していると同時に、電力需要の拡大に伴う増設・改変の歴史を伝える貴重な施設です。(「日光市」HPより)

「通洞大橋」が右手下に。

                  足尾の町が眼下に広がります。    

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ローカル私鉄の旅。40。「わたらせ渓谷鐵道」。その5。

2023-09-27 18:34:13 | ローカル鉄道

渡良瀬川渓流沿いを進む。

               

この先、草木ダムに差し掛かります。鉄道は長いトンネルに入ります。

 けっこう長く感じる。

草木ダム(くさきダム)

群馬県みどり市東町座間、一級河川利根川水系渡良瀬川の本川上流部に建設されたダムである。旧名は神戸ダム(ごうどダム)。

独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムで、東京都を始めとする首都圏への利水と渡良瀬川・利根川の治水を目的とした利根川上流ダム群の一つである。高さ140.0 mの重力式コンクリートダムであり、利根川水系では川治ダム鬼怒川)と並んで奈良俣ダム楢俣川)の158.0 mに次いで高い。ダムによって形成された人造湖草木湖(くさきこ)と命名され、ダム湖百選に選ばれている。

沿革

渡良瀬川流域は古くから穀倉地帯として、鎌倉時代以後は右岸を新田氏、左岸を足利氏が領有して後に雄飛。江戸時代には館林藩を始め多くの藩がこの地を領有して新田開発を盛んに行った。また、明治時代以降は桐生市を中心に絹織物業が発達する一方で源流部での足尾では古河市兵衛により足尾銅山が大拡張され、流域人口は年々増加していった。

だが渡良瀬川は古くから氾濫を繰り返して流域に多大な被害を与えた。さらに足尾銅山から流出する鉱毒は沿岸農地へ深刻なダメージを与え、洪水による伝播もあって農地への鉱毒被害は更に拡大(足尾鉱毒事件)。渡良瀬川以外の水源に乏しいこともあって水争いも広がった。明治政府はこれを解決すべく田中正造などの反対を意に介さず1905年明治38年)に当時の谷中村を強制廃村させて渡良瀬遊水地を建設。これにより洪水調節と鉱毒防止を図ろうとした。だがそれ以降も洪水は流域を襲い、特に1947年昭和22年)のカスリーン台風においては桐生市を中心に甚大な被害が発生した。こうしたことから利根川水系の根本的治水計画が再検討されることとなった。

多目的ダムの建設

多目的ダムによる洪水調節を利根川水系でも図ることとした。これに基づき利根川水系に九箇所のダムが計画され、藤原ダム(利根川)・相俣ダム(赤谷川)・薗原ダム(片品川)などが完成した。さらに1951年(昭和26年)には国土総合開発法の制定に伴い利根川流域は首都圏の発展に資するという目的で「利根特定地域総合開発計画」地域に指定され、かんがい上水道工業用水道確保を図るための更なる河川整備が計画された。この際に矢木沢ダム(利根川)・下久保ダム神流川)などと共に計画されたのが神戸ダムで、1958年(昭和33年)より予備調査に入った。

この間人口が爆発的に増大した首都圏の逼迫した水需要解消が急務となり、神戸ダムは支流思川の左支川・南摩川の南摩ダムなどと共に第二次フルプランの中心事業として位置付けられ、事業は公団へと移管された。

反対運動

1967年(昭和42年)より工事に着手したが、ダム建設によって東村神戸・沢入(そうり)地区などの住民230戸が水没対象となった。この地域は比較的開けた山村で足尾と桐生の中間点に位置し、交通の便も悪くなく居住者が多かった。このため住民の反対運動は激しく、漁業権補償と並んで容易に解決できない問題となった。このため一般補償交渉は難航し、当初1970年(昭和45年)完成を目標としていたが、同年7月9日に利根川水系におけるフルプランの全面変更を行い、1975年(昭和50年)度完成へと遅らせることとした。

難航していた補償交渉は1973年(昭和48年)には妥結し、本体工事に着手。同時に路線が水没する国鉄足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道)の付け替え工事(草木トンネル建設など)を実施した。結局当初の計画より7年遅れること1977年(昭和52年)3月に完成し、運用を開始した。

なお、完成前に神戸ダムは草木ダムと名称が改められたが、これは地元住民の要望によるものである。こうしたケースは全国各地のダムでも見られる。

目的

洪水調節不特定利水かんがい上水道工業用水道供給、水力発電の六つであり、多目的ダムの中では用途が広い。なお、計画当時は足尾銅山が採掘を行っていたこともあって、足尾銅山鉱毒防止も目的としていたといわれている。だが補償交渉の最中足尾銅山が閉山(1973年〈昭和48年〉)、以降鉱毒流出が極端に減少したこともあって鉱毒防止目的は除外されている。完成以後草木湖では厳重な水質調査が毎年行われているが、環境に影響を及ぼす数値は検出されていない。

草木ダムは完成以降、渡良瀬貯水池(谷中湖)と共に首都圏への重要な水がめとして機能している。

草木湖

ダム湖である草木湖総貯水容量が約6千万トンと利根川水系でも屈指の規模を誇る人造湖である。湖上流部にはキャンプ場等が整備され、夏には草木湖上で花火大会も行われる。ダム右岸には国道122号が通過しており、右岸展望台駐車場はツーリングを楽しむライダーが休憩のために利用する光景がよく見られる。冬季には晴天時に冠雪した日光連山の風景を湖越しに見ることも出来る。ダム直下流にも足を運ぶことができる。

(この項、「Wikipedia」より)

着工前のようす。

       完成後のようす。

※写真は、「」HPより。

草木トンネル

わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線にある、群馬県みどり市東町草木を通過する全長5,242 mの鉄道トンネルである。

1973年(昭和48年)6月27日 - 草木ダム建設に伴い、神土(現・神戸) - 沢入間を現在の新線およびトンネルに付け替え

草木ダム建設によって線路の一部が水没するため新線に付け替えることになり、ダム湖迂回する形で本トンネルが建設された。神戸駅沢入駅の間(駅間7.0 km)にあり、列車は約10分かけて通過する。トロッコ列車を運行する第三セクター鉄道の中では一番長いトンネルである。本トンネルの神戸口と沢入口との高低差は約140 mあり、草木ダムの堤体高さとほぼ同じである。

廃止された旧線は一部が遊歩道になっているが、ほとんどがダム建設により草木湖の中に沈んだ。草木湖に架けられている草木橋辺りに旧草木駅があった。

(この項、「Wikipedia」より)

   ダム建設の前後。左岸沿いだった線路はダムの底に。(「今昔マップ」より)   

 やっとトンネルを抜け、視界が広がる。

渡良瀬川。

           「群馬県沢入発電所」が左手に。

沢入(そうり)地区に入ります。

         

           黒坂石川。

「沢入(そうり)」。

長い草木トンネル(5,242m)を抜けて渡良瀬川を鉄橋で渡ると、まもなく沢入駅に停車します。駅舎内に簡易郵便局がある珍しい駅です。 沢入駅はあじさいの名所としても知られ、毎年7月頃には約2,200株のあじさいが駅構内を彩ります。また、秋はもみじの名所でもあり、駅構内をもみじが真っ赤に染めます。 待合所及びプラットホームが登録有形文化財として登録されており、ドラマやCMの撮影などにも利用されることの多い駅です。 黒坂石バンガロー・テント村は、黒坂石川の清流に囲まれた大自然の中のキャンプ村で、夏になると多くの若者や家族連れが川辺の水遊び、釣り、ハイキングを楽しんでいます。ハイキングでは、弘法大師が開眼したといわれている世にも不思議な「寝釈迦」「相輪塔」への下車駅です。

     

             

なかなか趣のある駅舎。

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ローカル私鉄の旅。39。「わたらせ渓谷鐵道」。その4。

2023-09-25 18:37:37 | ローカル鉄道

振り返る。

           

次第に高度を上げていきます。

渡良瀬川が眼下に。

              

                     小中川。

「小中(こなか)」。

小中川と渡良瀬川にはさまれた場所に位置する小中駅周辺は、四季を通じてせせらぎが聞こえる大自然の美しさにあふれた、のどかさがあります。この小中川の上流には落差96mの小中大滝と最大傾斜44%でスリル満点のつり橋(袈裟かけ橋)があり、春夏秋冬を問わず素晴らしい絶景を見せてくれる、みどり市自慢の名所です。また、袈裟丸山へのハイキングコース、小中大滝を経由する健脚コースもあります。
駅から徒歩約4分にある大蒼院のキリシマツツジは、樹高約4メートル、一般に庭園でみられる標準的なキリシマツツジの4倍以上の大きさです。推定樹齢は600年を超え、群馬県内のツツジの中では有数の古木です。毎年4月の終わりから5月上旬にかけて真紅の花が咲き、燃えるようなその樹容は見る人を圧倒します。

松島橋。

             

「神戸(ごうど)」。

             

かつては蒸気機関車C12型の連結・切り離しが行われた広い構内に、現在は「列車のレストラン清流」があります。東武日光線で活躍していた特急「けごん」の車体を利用したお食事処で、食堂車のような雰囲気を味わえます。駅弁の「トロッコ弁当」「やまと豚弁当」も、ここで製造販売しています。
神戸駅は近年花桃の名所としても知られ、毎年3月下旬から4月上旬には約300本の花桃が咲き誇り、大勢の見物客が訪れます。また、駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されており、上神梅駅とともに足尾鉄道の開業当初からの歴史を見守ってきた数少ない駅舎として人気があります。
みどり市東町は、水彩の詩画を通して、生命の尊さ・優しさを語り続けてきた星野富弘さんの故郷です。水と緑に囲まれた草木湖畔には「富弘美術館」があり、いつもやさしく迎えてくれます。
周辺には、石原和三郎の資料を集めた「童謡ふるさと館」や、豊かな水をたたえた草木ダム、湖畔には国民宿舎「サンレイク草木」などがあり、神戸駅は観光拠点になっています。

駅舎内外の風景。

             

お願い 駅構内でを散歩させないでください」

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ローカル私鉄の旅。38。「わたらせ渓谷鐵道」。その3。

2023-09-24 13:28:18 | ローカル鉄道

車窓から。黒保根(くろほね)大橋。

「水沼(みずぬま)」。

全国的にも珍しい、駅構内に温泉のある駅として知られ、上りホームに隣接して水沼駅温泉センター「すっぴん美人の湯」が併設されています(休業中)。渡良瀬川を望む「かっぱ風呂(露天風呂)」からの眺めは絶景です。
駅近くには、「森と水のビレッジ スミテラス水沼」がオープン。BBQやパンケーキなどのブランチが楽しめる新名所です。 また、山麓にはさわやかな気候の花見ヶ原キャンプ場や利平茶屋森林公園があり、夏期は多くの人々で賑わいます。常鑑寺、医光寺、古路瀬渓谷などの数々の名所・旧跡があります。
1997(平成9)年には「関東の駅百選」に選定されました。

             自販機。

のんびりと列車の旅。

         

小さな集落に。

                  

「花輪(はなわ)」。

渡良瀬川が中心に流れるみどり市東町は、江戸時代に足尾の粗銅を運ぶあかがね街道の宿場町として栄えました。当時の銅蔵や古文書が今も残っています。
1865(慶応元)年10月12日、花輪に生まれた石原和三郎は、だれもが歌ったことのある童謡「うさぎとかめ」「金太郎」の作詞者です。童謡の父として称される石原和三郎の出身地であることにちなみ、駅のホームにはうさぎとかめの石像が設置されています。また、列車の発着時には「うさぎとかめ」のメロディーが流れ、訪れる観光客を出迎えます。
駅近くの旧花輪小学校は、日本鋼管の創立者である今泉嘉一郎の寄付により建てられたものです。1931(昭和6)年に建てられた木造の校舎が今も残り、登録有形文化財に指定されています。校庭には和三郎の功績をたたえる歌碑もあります。

童謡『うさぎとかめ』。

もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか 

なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの おやまの ふもとまで
どちらが さきに かけつくか

どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろ
ここらで ちょっと 一ねむり
グーグーグーグー グーグーグー

これは ねすぎた しくじった
ピョンピョンピョンピョン
ピョンピョンピョン
あんまりおそい うさぎさん
さっきのじまんは どうしたの

※1901年(明治34年)に『幼年唱歌 二編上巻』上で発表された。

『金太郎』

まさかりかついで きんたろう
くまにまたがり おうまのけいこ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ

あしがらやまの やまおくで
けだものあつめて すもうのけいこ
ハッケヨイヨイ ノコッタ
ハッケヨイヨイ ノコッタ

※1900年(明治33年)『幼年唱歌』に掲載された。

              史跡案内板。

「中野」。

わたらせ渓谷鐵道の開業と同時にできた駅です。 小夜戸(さやど)地区の入口にあたる場所に、地元からの請願駅として開業しました。 ゆるやかな曲線上にプラットホームのみが設置されたのどかな無人駅です。ホームの先には100mほど続く桜並木があり、春は乗客の目を楽しませてくれます。

             

紅葉には、まだまだ。  

                   次第に山間部へ。

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ローカル私鉄の旅。37。「わたらせ渓谷鐵道」。その2。

2023-09-22 18:33:38 | ローカル鉄道

「運動公園」。

次第に郊外へ。

               

「わたらせ渓谷鐡道株式会社本社」。

「大間々」。

          下り方向。

トロッコわたらせ渓谷号の始発・終着駅で、わたらせ渓谷鐵道の車両基地があります。
駅前には、引退した開業当時の車両(レールバス「わ89形」)が保存展示されています。
駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されています。
大間々町は江戸時代に足尾銅山に通じる「あかがね街道」の宿場となり、絹糸や農産物の産地として栄えました。商店街には歴史のある酒蔵や醤油蔵があります。

(この項、「」HPより)

大間々駅は、明治44年(1911)4月15日に開業しました。現在の本屋は開業当初の本屋の老朽化や貨物輸送や旅客の増加で建て替えられたもので、昭和16年3月30日に竣工したものです。木造平屋建セメント瓦葺で外壁はモルタル塗り、内部待合室は内壁の腰は人造石、壁面はモルタル塗りで昭和初期のモダンな雰囲気が現在でも残されています。半世紀以上も現役で稼働してきた歴史的経過の中で、明治から昭和初期にかけての歴史的な建造物の建ち並ぶ大間々の町並みと調和し、市場町として発展してきた大間々町の玄関口にふさわしい風格を持っています。

(この項、「」HPより)

わたらせ渓谷鐵道わ89-300形気動車。

車内風景。

              車内広告。

右手に渡良瀬川。

足尾の山々が見えてきます。

左手には森が迫る。

旧養蚕農家の趣。【高窓のある民家】

蚕は、群馬の農村経済を支える柱でした。「身上(家財、財産)をつくるのもつぶすのも蚕」といい、座敷を蚕室とし、「身上がけ」「命がけ」で蚕を飼いました。それだけに、人々は蚕を大切に「オカイコ」「オカイコサマ」「オコ(蚕)サマ」と尊称で呼ぶのが普通でした。そんな養蚕は、群馬の民家構造にも大きな影響を与えました。
 富士見村原之郷や渋川市赤城町勝保沢、片品村針山では、掃き立ててから2階で飼育し、下の炉で松などの太い薪を燃やして煙を立てる「いぶし飼い」を行っていました。天井の板はすき間を開けて、暖かい空気が上昇するように、2階はまわりに障子をめぐらし、床にむしろをひきました。
 大正から昭和にかけて、稚蚕期に蚕室を目張りして、養蚕火鉢などで保温する密閉育になると、稚蚕期は下の座敷で飼い、大きくなったら2階も含め家全体を使って飼うようになります。一般に、養蚕農家の二階は、蚕室として活用できるように、仕切が無く広々としています。さらに、2階への採光や、壮蚕期に必要な空気の流れを良くするため、さまざまな民家構造が考え出されていきました。
 北部山間部にある、茅葺き屋根の妻を切り落とした民家。赤城南麓に分布する、茅葺き屋根の前面ヒラの一部を切り落とした赤城型民家。あるいは、榛名山麓のやはり前面のヒラを切り落としてそこに庇(ひさし)をつけた榛名型民家。屋根の棟の上に、換気のために建てられた高窓(ヤグラ。ウダツとも言う。)も養蚕農家の特徴です。

(この項、「」HPより)

コスモスが咲き乱れる。

「上神梅(かみかんばい)」。

2008(平成20)年に、駅舎及びプラットホームがわたらせ渓谷鐵道の施設としては初めて登録有形文化財に登録されました。足尾鉄道の開業当初からの歴史を見守ってきた駅舎は1912(大正元)年の建造で、駅舎ファンの間では全国的にも「横綱級」と称えられています。珍しい木製の改札が残り、昔と変わらぬ姿の現役の駅舎とともに写真撮影スポットとしても人気があります。

「本宿(もとじゅく)」。

    <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/9a/4cdcc2aa755846b1b061bf1d6f16ebfb.jpg">渓谷と山間を進む。   

 

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