おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

お祭り・図子。ヤマアジサイ。カルガモの雛たち。梅の実。(向島百花園)。

2023-06-05 18:34:54 | 向島百花園

「向島百花園」周辺では、にぎやかに「白鬚神社」のお祭りが行われていました。

幟や半纏を見ると「図子」と書かれています。

※1「図子」=細道、小路、横町の意。別名 「辻子」、「十字」、「辻」、「通子」、「厨子」、「途子」。(「weblio辞書」より)

普通は町会などが氏子・地域組織としてありますが、ここでは、氏子組織として「図子」(ずし)があり、現在は11図子があります(必ずしも現行の町会とは同一ではない)。

西図子、南図子、辰己図子、八雲図子、六一図子、中図子、東図子、玉ノ井図子、巴図子、北図子、堤図子

※2最近知り合った方で、「ずし」という読みで「圖(「図」の旧字体)さんがいます。この字体・名字はかなり珍しいようです。

さて、園内は、「てっぽうゆり」がお出迎え。

  かきらん。

路地には、ヤマアジサイが可憐な花を咲かせています。

「花吹雪」。

           

              

「黒姫」。

「紫紅梅」。

「墨田の花火」。

「深山八重紫」。

花菖蒲。

          手前が「七変化」、奥が「山紫水明」。

池を見ると、カルガモの親子。小さな雛たちが親鳥の周りを泳いでいます。昨夜(2日)来の雨で濁った水の中ですが。

       

帰り際に係員に話したら、気付かなかったようで、いつもはもう少し遅いのですが、いましたか、と。

6月中頃にはここから子ども達を連れて移動するようです。そのときを見たいものです。

去年。池で泳いでいるのを見かけましたが、しばらくして訪れたときは、親子共々いませんでした。

やまほたるぶくろ。

とちかがみ。

ひるむしろ。

梅の実も色づいてきました。

紅千鳥。

              

次第に深まり行く夏模様。しばらくすると、「梅雨入り」。雨の日が続きそうです。

カルガモの親子がまだいる頃にやってこようと思います。

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タチアオイ。隅田公園あじさいロード。東京大空襲追悼碑。東京スカイツリー。

2023-06-04 18:35:25 | 向島百花園

前々日から「台風2号」や前線の影響によって、各地で激しい風雨に見舞われ、多くの被害が続出、死者、行方不明者が出、交通機関の大きな乱れがあった、6月3日(土)。

東京地方は、午後から日差しが届きました。そんな昼下がり、隅田公園を訪れました。

途中、近所の団地の公園には、タチアオイが。

                 

さて、浅草側にある「あじさいロード」。

              

             

三々五々、人々の出も。

アジサイの向こうに石碑が見えます。

「東京大空襲の追悼碑」。

「あゝ東京大空襲 朋よやすらかに」

隅田公園のこの一帯は、昭和20年3月10日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。

第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後荼毘に付され東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。

戦後40年、この不幸な出来事や忌まわしい記憶も、年ごとに薄れ、平和な繁栄のもとに忘れ去られようとしている。

いま、本区は、数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調整するとともに、この地に碑を建立した。

                                   昭和61年3月 台東区

この碑にもアジサイなどが手向けられていました。

今、すでに77年以上も経過し、戦争体験者も少なくなり、次第に忘れ去られようとしています。再び戦争の惨禍に見舞われないよう、改めて心に。きな臭くなりつつある世の中で。

                

スカイツリー。激しく流れる雲の中。

  

帰り道、向島百花園に。近所の神社の祭礼が行われています。雨上がりの日差しの下で。

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5・21。晴れ間の。向島百花園。バショウ。ヤマアジサイ。ユスラウメ・赤い小さな実。京鹿子・京鹿子娘道成寺。。

2023-05-22 18:33:29 | 向島百花園

寒暖の差が激しい、今日この頃の東京地方。

バショウもいよいよ色濃く。他の木々も。

ヤマアジサイ。

                

           小ぶりですが、それぞれ鮮やかな色合い。

地植えのガクアジサイ。

ヤマアジサイ。

ユスラウメ。

              赤く小さな実がいっぱい。

ユスラウメは、サクラの花が咲きだすころ、ウメに似た5弁の白~淡紅色の花を枝いっぱいに咲かせ、梅雨の初めごろ直径1cmほどの真っ赤な小さい果実がつきます。熟果は生食でき、小果樹としても扱われています。中国原産ですが、江戸時代の初期にはすでに栽培されていました。当時は「桜桃」と呼ばれていましたが、明治時代になってサクランボとの混同を防ぐため「朱桜」(ユスラウメ)と呼ばれるようになりました。(「みんなの 趣味の園芸 NHK」より)

和名ユスラウメの由来について、植物学者の牧野富太郎の説によれば、食用できる果実を収穫するのに木をゆするのでこの名がつけられたのではないかとしている。

現在では、サクラを意味する漢字「櫻」は、元々はユスラウメを指す字であった。ユスラウメの実が実っている様子を首飾りを付けた女性に見立てて出来た字である。(この項、「Wikipedia」より)

京鹿子(きょうがのこ)。※「きょうかのこ」ともいう。

つぶつぶのつぼみとふわふわとした密集して咲くお花、紅葉にも似た形の良いすっきりとした葉との組み合わせがたいへん美しい植物です。古くから茶花としても愛されてきました。名前の由来は京染めの文様「鹿の子絞り」からきています。
似たお花にシモツケやシモツケソウなどがあります。山野草の中では比較的丈夫で育てやすい方です。

               (「オザキフラワーパーク」HPより)

百花園で初めて見ました(これまで気がつかなかっただけかも)。大変すてきな花です。

「京鹿子」といえば、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」が浮かびます。女形の踊りとして最高峰だと思います。

京鹿子娘道成寺』(きょうがのこむすめどうじょうじ)

紀州道成寺を舞台とした、安珍・清姫伝説の後日譚。

桜満開の道成寺。清姫の化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。以来鐘がなかったが、ようやく鐘が奉納されることとなり、その供養が行われることになった。

そこに、花子という美しい女がやってきた。聞けば白拍子だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)たちは白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。

花子は舞いながら次第に鐘に近づく。所化たちは花子が実は清姫の化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込む。と、鐘の上に大蛇が現れる。

…と、一応上のような「あらすじ」ではあるが、実際にはその内容のほとんどが、構成の項で解説した主役による娘踊りで占められている。つまり、本作のあらすじは舞踊を展開するための動機と舞台を用意するための設定で、劇的な展開を期待すると作品の方向性を見失ってしまう。まずは演者の踊りそのものを鑑賞するのが、この作品の要点である。

歌舞伎舞踊の粋[編集]

四代目歌川国政画、『白拍子花子 市川團十郎』 。
 
明治14年4月東京市村座上演の『鎮西八郎英傑譚』から中幕『春色二人道成寺』を描いた役者絵。
 
『娘道成寺』は、舞に華麗さ、品格の高さが要求されるのみならず、1時間以上をほとんど一人で踊りきるので、芸の力と高度な技術に加え、相当の体力が必要となる。

歌舞伎舞踊の頂点をなす作品で、過去に多くの名優がこれをつとめてきた。初演以後は、三代目坂東三津五郎四代目中村芝翫、九代目市川團十郎、五代目中村歌右衛門、六代目尾上菊五郎、七代目坂東三津五郎、六代目中村歌右衛門、七代目尾上梅幸などの名優がつとめ、現在では七代目尾上菊五郎十八代目中村勘三郎四代目坂田藤十郎五代目坂東玉三郎が得意としている。

成駒屋では五代目中村歌右衛門がこれを当り役として以来、一門の歌右衛門芝翫福助の襲名披露興行で必ず出す演目となっている。

「劇聖」と呼ばれた九代目團十郎は、立役でありながら十代の頃は『娘道成寺』を毎日踊ることを日課としていた。後に本人は、この踊りには踊りの要素のすべてが入っており、所作の基礎訓練には格好の教材だったからだと述懐している。また、六代目菊五郎も『娘道成寺』で多く評価を得たが、本人はまだまだ不本意だという感が常にあったらしく、死去するさいの辞世の句「まだ足らぬ おどりおどりて あの世まで」の「おどり」は、この『娘道成寺』を指している。

(この項、「Wikipedia」より)

ザクロ(柘榴)。

ドクダミ。園内のいたるところに。

原産地が東アジアのドクダミ科の多年草。 独特な匂いでコンクリートの割れ目からも生えてくるくらい強く、抜いても抜いても生えてくると、雑草扱いされることも多い草花だが、化学薬品のなかった昔は民間治療薬としてゲンノショウコセンブリとともに日本の三大民間薬の1つとされる。どくだみ茶やハーブ野菜として利用されることもあり、このような需要のため商業的に栽培されている。また観賞用として栽培されることもあり、欧米でも東洋のハーブとして人気がある

 

ウメもに実がなって、唐紅梅。

ぼけ(木瓜)にも。

             「東京スカイツリー」。

めっきり初夏めいた百花園でした。明日は、急激に寒くなるとか。

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向島百花園。4月29日(土)。すっかり初夏の模様。なにわいばら。しゃくやく(芍薬)。むさしのきすげ。たにうつぎ。ひつじぐさ。ゆきもちそう。・・・

2023-05-04 13:39:07 | 向島百花園

久々の「向島百花園」。

                       緑もめっきり濃くなって、初夏の雰囲気。

        

ばしょう(芭蕉)。

               なにわいばら。

孟宗竹。筍もあっという間に生長しています。

 

しゃくやく(芍薬)。

             

むさしのきすげ。

たにうつぎ。 

ひめうつぎ。                

たむけやま。

梅もしっかりと実をつけています。

こうとうじ(紅冬至)。

しろかが(白加賀)。

               

ぼだいじゅ(菩提樹)。

四阿から。

つがいのカルガモ。そのうち、ひな鳥が泳ぎ回る? 

あやめ。

ひし。

         ひつじぐさ。

ゆきもちそう。

しらいとそう。 

      ちょうじそう。

次回来るときには、もっと夏らしくなっていることでしょう。

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浅草側の隅田公園。ワシントン桜。ユリカモメ。桜橋。櫻茶ヤ。葛飾区役所通り。

2023-03-30 19:25:47 | 向島百花園

隅田川越しのスカイツリー。

やはり満開の桜も入れないと、

シダレザクラの向こうに。

29日は久々の晴れ。気温の上昇に伴って、雲も夏雲のような・・・。

 

墨田区側に比べると、人通りは少ない。

足もとには小さな花が満開。

桜橋のたもとで。

「ワシントン桜」。

1912年(明治45年)、東京市(当時)はアメリカ合衆国ワシントンD.Cへ桜を贈りました。これらはポトマック河畔の桜として大切に育てられ、桜の名所として親しまれています。ここに植えてある桜は、桜橋の架橋(1985年ー昭和60年ー)にあわせて、ワシントンの桜(子孫木)の里帰りをじつげんさせたものです。・・・

「桜橋」の下を眺めると、いました! 都鳥(ゆりかもめ)の群れが。

このところ、隅田川ではまったく見かけませんでしたが。

    

       

              

       

一安心しました。

 

                           鳥が悠々と大空を。

「墨堤通り」の桜並木。

帰りに向島・「櫻茶ヤ」さんの門前にあるシダレザクラを見に行きました。

咲き始めていました。

             

ついでに、葛飾区役所前の「さくら通り」を。

           ここの桜並木は見事です。

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