おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第2日目。)

2024-07-03 18:33:28 | 元荒川

「国道4号線(現日光街道)バイパス」を渡ります。.

              

元荒川橋から下流を望む。

川沿いには歩道がないので、県道を進みます。

                      この標識板には、「↑越谷 国道4号線 →春日部 ←上野」とあります。

左手に「元荒川」。

「〆切橋」(人道橋)。

越谷市においては最も歴史の古い橋である。江戸時代宝永年間)には橋が架けられ、明治時代には長さ約29メートル、幅員約3メートルの土橋が架かっていた。また、1924年大正13年)には先代の橋が架けられていた。現在の橋は1937年昭和12年)竣工RC橋で、市内の元荒川に現存する橋の中でも古い部類。橋長54.6メートル、幅員4.15メートル。 老朽化に伴い、大砂橋開通後の2005年(平成17年)度以降は橋の両詰めに車止めが設置され、人道橋として歩行者のみの通行が許されている。 元荒川はかつて〆切橋の上流で大きく北に蛇行するルートで流れていたが、屈曲していることにより大きな水害を発生させていた。そのことから1706年(宝永3年)に伊奈氏の治水事業により現在の流路に変更し、古い流路を締め切ったことから、荻島村の南部は「〆切の地」と呼ばれるようになった。そして橋が架橋されると「〆切橋」と呼ばれるようになったことが由来となっている。

また、かつて河岸場として1711年(宝永8年)より設けられた「〆切河岸」があった

老朽化により、2021年令和3年)5月1日午前10時から通行禁止となった。交通量が多く危険であるが、400メートル下流側に架かる国道4号バイパスの元荒川橋か、600メートル上流側に架かる大砂橋へ迂回を要請してたが、歩行者の負担が増していた。付近は河川改修が計画されており、橋の架け替え、もしくは廃止時期については未定であったが、その後橋を補修することが決定し、2023年(令和5年)度より補修工事が行なわれていた。同年7月12日午前10時に補修工事が完了し、通行止めは解除された。復旧後も復旧前と同様、人道橋として供されており、バイク等は引き続き迂回を要請している。

                

下流方向。 上流方向。

市内に架かる元荒川の人道橋として文教大学前に架かる出津橋などがある

なお、直線で西へ約6.8 ㎞離れた場所を流れる見沼代用水東縁埼玉県道214号新方須賀さいたま線の交差地点には、同音異字の締切橋が架かっている。こちらも江戸期に同地点で新田開発のため見沼を締め切った過去があった。

                               (現在)↓が「〆切橋」。上流に「大砂橋」、下流に「元荒川橋」。

                                (1880年代)上下流に「〆切橋」以外の橋は、ない。

※元荒川には人道橋がけっこう架設されています。かつては耕作地との関わり、現在では、市民の通行の便利のためだからでしょうか? 

コメント
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