このところ、出歩く機会がなく、ブログも滞りがち。訪問者も激減、ということに。
そこで、「YouTube」を視聴。第三回目の「歌舞伎鑑賞教室」さらに「落語鑑賞教室」でも開いてみることに。
今回は、去年行われた夏の「歌舞伎鑑賞教室」を。
実は、とある関係で、この公演の予約取りに協力したことがありました。
紅葉が夕日に照り映える戸隠山。余吾将軍平維茂(よごしょうぐんたいらのこれもち)が従者の右源太、左源太とともに紅葉狩にやって来る。そこには宴を張る先客がいた。聞けば、やんごとない女人が侍女たちとお忍びでお出掛けとのこと。維茂が遠慮しようとすると、その高貴な姫自ら、是非ご一緒したいと誘う。そこまで言われてひいては男がすたる。言われるままに維茂は宴に加わることにする。
美女に美酒
さっそく酒よ、肴よと下へも置かぬもてなしぶりに、盃を重ねる維茂。腰元が舞を舞い、調子に乗った右源太、左源太も滑稽な踊りで座を盛り上げる。
なおも一献とすすめられた維茂は、その代わりにと姫に舞を所望する。恥ずかしがる姫だったが、局に手を取られ舞い始め、やがて二枚の扇をつかってあでやかに舞いすすめてゆく。
だが、ふと見ると美酒に酔いしれたか維茂はうたた寝をしている。姫は用心深く何度か様子を窺い、維茂が熟睡したことを確認すると表情を一転させ、維茂と従者を残して一同とともに山へ姿を消す。
山神の警告
入れ替わりに眠りこける維茂主従の前に現れたのは山神である。この山奥には鬼神がいて人を取って喰う、こんなところで寝ていては命は風前の灯同然と、山神は杖を突き、肩をゆすり、地団駄踏んで維茂らを起こそうと躍起になるが、一向に目覚める気配がない。とうとうあきれ返って帰ってしまう。
鬼女の出現
夜風にようやく目が覚めた維茂は、姫の正体を見届けようと山奥へ向かう。従者二人は恐れわななき、ころがるように山を下りていく。やがて維茂に追われて出てきたのは、形相凄まじい鬼女。
勇猛な維茂もたじたじと押されていくが、平家に伝わる名剣小烏丸(こがらすまる)の力を借り、鬼神を追い詰めていく。
信濃国の戸隠山に鬼がおり、平維茂によってそれが退治されたというのが共通する伝説の要素である。その鬼は女性であり、名前を紅葉(もみじ)であるとするものが一般に流布されている。
室町時代から江戸時代にかけて、能や浄瑠璃、歌舞伎では「紅葉狩」(もみじがり)という題名で描かれつづけ、平維茂が戸隠山におもむき、そこで出会った紅葉見物の美しい女性たち一行に出遭うという展開を設けている。その女性たちの正体が戸隠山の鬼、鬼女・紅葉であるとする。能をもとにして作られた河竹黙阿弥による歌舞伎『紅葉狩』(1887年)は、紅葉に相当する鬼の名を更科姫(さらしなひめ)としている。
※鬼無里での紅葉伝説は他と違い、紅葉が村人に施した事が伝えられている。一般には主人公の「紅葉」は妖術を操り、討伐される「鬼女」であるが、鬼無里における伝承では医薬、手芸、文芸に秀で、村民に恵みを与える「貴女」として描かれる。
(この項、「Wikipedia」より)
美女が鬼に変身して暴れる、という意外性が面白い。当然、同じ役者が演じるわけですが。
華やかな舞台が繰り広げられます。
女性の俳人・三橋鷹女の有名な句、「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」を想起させます。
燃えるような夕紅葉には鷹女の句を通して、ゾクゾクとさせるものがあります。
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