昨日叔母の葬儀に出席した。叔母は96歳の天寿を全うしたのであるが、10数年前より病院が経営する施設に入居していた。一見幸のように見えるが、80歳過ぎた頃から膝が衰え歩くことがおぼつかなくなったゆえの入居である。80歳と言えば、私の5年後の姿であるが、
ソクラテスは「ただ生きる事ではなく、よく生きること」「よく生きる為には何をすべきか」と説いた。おそらくであるが、叔母は足が思うようにならなかった事により、施設入居という事が頭をよぎるようになったのであろう。これを度々思うようになると、人生はそのようになって行く。この力が想念力であり、インドの教えではサンカルパという。すなわち自分の深い強い想念によって人生もそのようになるという事を教えている。
お金があれば、幸になれる。誰しも思う事であろうが、お金を稼ぐには、ただただ毎日念じるだけでは叶わないような気がする。何のためにお金が欲しいのかを明確に自分の心に刻まなければ、神様も応援をしてくれないだろう。別荘が欲しい。ヨットが欲しい。海外旅行三昧で暮らしたいでは、神は振り向いてくれないだろう。これらの欲望は身を亡ぼす事になるから、神は我が子にそのような道に進んで欲しくないので、全力で阻止するであろう。
神の立ち位置からのビジョンが必要なのである。何のために霊性修行をしているのか?お金を儲ける為なのか?名声を得る為なのか?今の境遇から抜け出したいためなのか?自問自答が必要であろう?もしそれが叶ったらどうするのか?
私は間違っても高級サロンのような施設に入る事は考えない事にしている。死ぬまでババと一緒に暮らしたいと思っている。今後の人生はババと一緒に住めるババの家を建てたいと思っている。そのためには何をすべきか?を考えた結果やらなければならない事が分かった。お金が必要なら感情を捨てなければならない事が分かった。あの人は好きだが、この人は嫌いであるやあの人の言葉が許せないなどの感情を捨てなければならない。
お金を追い求めれば、お金は逃げて行くであろう。これが宇宙の真理であり、今に満足しなければ神のエネルギーは寄って来ない。もう十分ですという満足感が無いとお金は寄って来ない。これ、これを行う為にお金が必要であると明確的なビジョンを示さなければお金は寄って来ないだろう。恋愛関係も同じである。自分は将来このような生活するビジョンを持っている。そのためには苦労もするであろうが、ついて来るかい。である。この苦労が必要なのである。
その苦労の多くは人間の感情から起こる事が多い。ゆえに自分の感情をコントロールできないと、相手の感情に流されるあろう。これを会得するためにババは「赦して、愛せよ」と教えている。これが普通に出来るようになった暁にはババの家が完成すると思っている所であります。今年は、自分の魂が、どこまで成長しているかを試す一年になりそうです。
・篠山紀信さん 死因は老衰と発表 小学館も追悼「先生とともに『時代』を疾走させていただいたことに感謝」
え、え、え~83歳で老衰とは、意味が分からない!10年後は普通になるのであろうが?老衰の言葉を使うなら90歳以上にして欲しい。