嫌われ者の「労働者」と「賃金」

2014年08月01日 | 日記

「労働者」という言葉は嫌われているようです。

法律や通達では「労働者」となっているので、つい何の考えもなしに「労働者」という言葉を使うと、工場で流れ作業をしている人のことみたいで嫌とか言われてしまう。

自分たちの仕事はそんなんじゃない、ということだろうか。

「賃金」も同様に嫌われている。お駄賃じゃあるまいし、なんかみじめな気分になる…

確かに言葉は大事です。たかが言葉、されど言葉です。

でもですね、だからといって言葉を変えてなんとなく中身もそんなかんじ、と思ってみたところで、それは気休め・ごまかしにしか過ぎないと思うのですが。

「労働者」「賃金」には、雇用されている感がよくでています。一方、職員・社員・スタッフ・報酬・給与などには、雇用されていることをすこーし忘れさせるような感じがあります。少なくとも、「労働者」「賃金」よりは自分で選んだ・自主的・やりがいのある仕事という感じがでています。

けどですね、『ナニワ金融道』の作者・故青木雄二の言いぐさじゃありませんが、どう思おうと本人の自由ですが、事実は事実として変わらないわけです。雇用されて働くということは、「労働者」であり、社員や(そもそも法律上は株主・出資者ですから)ビジネスマン・ビジネスパースンではない(そもそも経営者・経営のセンスのある人ですから)のです。雇われている、被用者である、エンプロイーであるという自覚が必要だと思います。嫌かもしれませんが、受け入れたくない事実かもしれませんが、そこから目を逸らすと、永遠に青い鳥を探し続けることになります。

労働法学者の大内伸哉さんは、「事業主にとって魅力的な人材になれば正社員にもなれるし、解雇もされない」とか言ってますが、他人にとって魅力的な人間であり続けるのは難しいです。景気のいい時には魅力的な人材も、景気が悪くなると魅力がなくなりますから。社長は生活レベルを落としてないのに、自分は待遇が下がっても黙って今まで通りの仕事をしていたら魅力も維持できるかもしれないけど。能力とか技能が報われるような賃金制度がないのに、能力や技能の向上が求められるのは嫌です。

耳触りのいい言葉で本質を曖昧にしている労働市場ですが、ファーストフード業界はグローバル企業なだけに、働く人間を完全にモノ・コスト扱いしていて、そのことに腹は立つけれども、わかりやすい。勝手な労働時間の削減をレイバーカット、アルバイトの1円単位の時給の評価をウェッジレビュー、勤務表をラインとよんではばからない。コストとしか思っていないのに、人材を人財と言ってみたり、人を大切にする会社といってみたりする日本企業とは大きく違う。悪事を働くのに正々堂々とやるか、こっそりやるかの違いだろうか。

どちらも、がんばれば報われるとして労働者にはっぱをかけているのは同じだが。

 

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