写真・「日本の婦人達よ団結して消費組合を護れ」1925.11(神戸)
1925年労働者の状態 (読書メモ)
参照 「日本労働年鑑」第7集/1926年版大原社研編
1925年労働者の状態
前年以上の空前の不況により工場閉鎖、解雇、失業の嵐が工場労働者・鉱山労働者らに残酷に押し寄せ、労働者の賃金は大幅に下落し続けます。
1、幼年・児童労働
1923年(大正12年)現在、工場労働者数1,765,133人中、16歳未満幼年・児童労働者は268,959人で、15.2%にも上ります。とりわけ、16歳未満の女性労働者に至っては実に女性労働者全体の約四分の一を占めている有様です。1922年の民間工場にあっては、16歳未満のものが18.4%も占め、特に紡績工場では22.7%、次いで製本印刷業が14.7%と多いです。
2、労働時間
(1922年東京都、大阪府、三重県及佐賀県の集計調査、工場数7,676)
労働時間
7時間~8時間 2.48%
8時間30分~10時間 57.76%
10時間30分~12時間 36.56%
12時間30分~16時間 2.34%
10時間工場 48.29%(内、機械65.32%、染織26.48%、飲食37.01%、化学47.53%)
12時間工場 18.04% (内、機械0.76%、染織40.08%、飲食17.41%、化学15.73%)
3、休憩時間
(大阪府1924年調査)
1時間休憩 工場では46.6%
4、公休日
(大阪府1924年調査)
月に1日だけ 0.77%
2日 73.84%
3日 5.49%
4日 17.33%
5日 2.57%
*山梨県では月2日公休の工場が95%です。紡績工場をはじめ山梨県下の労働者がいかに過酷な状態であったかを示しています。
5、夜勤・深夜労働
夜勤・深夜労働が多いのは、紡績・染織・化学・機械器具・飲食物・新聞印刷・魚介缶詰業などです。
6、労働災害
工場(1922年)
・工場被労災者数31,314人(男27,023人、女4,281人)、死亡229人。
・500名以上の工場における3日以上休んだ負傷者及疾病者数は、負傷者計24,565人、疾病者計205,871人です。
鉱山(1924年)
・死亡902名(男772人、女131人)
・重症7311人(男5,922人、女1,371人)
・軽傷168,391人(男139,167人、女29,224人)
7、小作料(1925年6月農林省発表)
一毛作田の収穫高に対する小作料は、50%以上55%未満が38%。
二毛作田の収穫高に対する小作料は、50%以上55%未満が31%。
8、自由(日雇い)労働者
・自由労働者の失業率は18.98%に上っています。1925年の東京市の調査によると、市内の木賃宿・簡易宿泊所の宿泊者10,772人中失業率は22.60%です。
9、女性労働者と前借金
・前借金
東京市の1924年調査によると一府16県の紡績工場など調査した工場938における、新たに「募集」に応じた女性労働者168,614人中の80%に前借金があり、135,822人に上り、しかもその金を本人が受け取ったのは僅かに14%で、残りは家族が受け取っています。
10、移民労働者
朝鮮における朝鮮総督府による農業事業政策の影響もあり、この年の在留朝鮮人は1925年末で129,870人です。