先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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大坂全域が応援した大坂ガス会社争議 1924年主要な労働争議⑪ (読書メモ)

2022年05月10日 08時00分00秒 | 1924年の労働運動

〈電車の運転手が居眠りをしていて電車を衝突せしめたということを聞いて、
その無責任に驚くが、
しかし、もし、その運転手が12時間、15時間の引き続いての過労の結果であった
ということが分かったらどうだろう。
我々はその運転手を憎む代わりに、
斯(かく)のごとき長時間の労働、過労を運転手に強いるところの
会社の無暴と虐使を憤らずにはいられない。〉
(ビラ大阪瓦斯争議団「再び市民諸君に訴う」1924.5.23)

大阪全域が応援した大坂ガス会社争議 1924年主要な労働争議⑪ (読書メモ)
参照
「協調会」史料(大坂瓦斯会社争議)
「日本労働年鑑」第6集/1925年版 大原社研編

大坂ガス会社争議
 大阪市北区中之島の大坂瓦斯会社は労働者数367名、社長渡邊千代三郎。5月14日、日本労働総同盟大阪合同労働組合に加盟している大阪瓦斯本工場の163名労働者は、交替勤務のため昼部午後1時30分より、夜部午後7時30分の2回に分けて茶話会を催し、大阪聯合会役員5名らも参加し討議した。会場の労働者からは、12時間労働など他の会社に比べ我が社の労働者の待遇が劣悪で、賃金が安すぎると真剣な訴えが続いた。下の嘆願書が決まり、18日に会社に提出した。

嘆願書
一、現在の12時間労働時間を10時間として、昼夜交替者は2時間を残業とする
二、日給に手当65銭を加えたものを本給とし、その本給を2割賃上げ
三、退職・解雇手当の支給 勤続一ヶ年未満日給の35日分、以上一ヶ月を増す毎に3日分を加える等
四、半期賞与の改正
五、試験工の本工採用
六、職工専用の食堂と浴場の建設
七、一ヶ月に2回の公休日に日給を支給すること
八、春秋2回の慰安会の開催

 労働者は会社の拒絶を見込んで、各人から日給の5日分を集め、ストライキ基金とした。

 5月22日、片岡副社長ら会社側と労働者代表5名の話し合いがなされた。片岡副社長は、組合が22日朝から市内で配布した「大阪市民諸君に訴える」のビラを示してビラの中身に反論した。
  会社側は、現在の12時間労働を10時間に短縮することは目下のところ改め難いと答え、手当金65銭を本給に繰り入れ、更に本給2割の増額については「手当金35銭にを本給に入れ、1割増給」とする回答を示した。解雇・退職手当の制定についても会社の改善案を示した。いずれも労働者側は納得しなかった。大坂瓦斯の労働者と応援の大阪聯合会約200名は、階上の交渉室まで押し寄せ、扉の向こうで示威行動を続けた。
 
 結局この日労資で合意できたのは
 第一、試験工を至急(少なくとも2ヶ月以内)本工とする
 第二、現在の試験工は直ちに本工とする
 第三、設備改善の第一歩として技師・労働者共同の食堂を設備する
この三項に止まった。結局交渉は決裂した。報告を聞いて激昂した約350名は現場職場から飛び出した。事実上のストライキだ。全面ストライキに向けて労働者の勢いはいよいよ高まった。労働者は組合支部旗を先頭に整然として工場から争議団本部へ引き上げ、交渉員から報告を受け、会社の誠意なき態度を糾弾し、最後まで闘う決意を固めた。全面ストライキが決行され、ついに労資間の戦端の幕は切って落とされた。

 争議団は『瓦斯を使用する大阪市民諸君に訴ふ』のビラ約5万枚(すごい数!)を大阪市内に配布した。市民の争議団への同情はすこぶる高かった。争議団は白米2俵と沢庵漬一樽を購入し、炊き出しを行った。会社からの組合切り崩し対策として組合幹部50名は手分けして労働者の私宅を訪問し労働者と家族と話し合った。

 23日朝8時、大阪瓦斯会社争議団本部に集合した約150名労働者は、大阪合同労働組合旗、同岩崎支部旗を掲げ気勢を挙げた。午後3時中之島の本社で労資交渉が始まった。労働者側からは新たに「この争議での犠牲者(解雇や検挙)は出さない事」の一項目が要求に加えられたが、会社はこの新要求の受け取りを拒絶した。報告を受けた労働者は怒り、いよいよ持久戦の決意を固め、争議資金の徴収に努めた。この日の未明、争議団の幹部6名が電線切断の嫌疑で九條署に検挙された。

(大阪全域の支援体制)
 24日、西部交通労働同盟は、米十俵を荷車三台で大阪瓦斯争議団に届け、また下の激励の立て看板を争議団に贈った。
『・・諸君の勝敗は諸君のみの勝敗にあらずして実に全労働者階級の勝敗なることを思い、いかなる障害にも打勝ちて最後の一人迄も戦われん事を切望する次第であります。』

 大坂聯合会は、大阪瓦斯争議の徹底支援と、〈今後官憲が不法に弾圧してきた場合、聯合会としても相当の犠牲者を出す覚悟を持って死力を尽くして闘う〉と決議した。また聯合会長山内鉄吉を大阪瓦斯争議団本部に張り付けて争議指導を強めた。

 日本総同盟大坂伸銅工組合は争議団に以下の決議文を送った。
『健闘を続けつつある兄弟よ! 兄弟は永い間不合理なる資本主義中に最も悪辣なる搾取階級に恨を呑んで穏忍自重をしてきたが、今度こそは奮然と立ち上がり、最後の一人迄奮闘を望む、我らは精神的物質的に応援す。』
 25日、ガスタンクの蓄積量は減少する一方なので労働者は歓喜した。向上会から送られた白米5俵の荷車を先頭にして工場を一周・包囲するデモを敢行した。
 26日、大坂電気労働組合が白米5俵を贈り、朝鮮労働同盟会は役員会を開き大阪瓦斯争議の徹底的応援を決めた。
 27日、大坂造船労働組合は、組合員14名が会旗2本を押し立てた荷車で薪200貫、沢庵漬一樽、金一封を届けた。
 27日28日両日にわたり天王寺公会堂において大阪瓦斯糾弾演説会が盛況に開催された。

(会社のスト対策)
 会社はあらかじめ全面ストライキを予想し、新たに雇い入れた職工130名と会社内の中島組の人夫270名のうち130名は就労させ、残りは工場の中と外に警戒・警備として配置した。また全体の監督として阪神電気鉄道株式会社など2社より呼び寄せた技術者30名を片岡副社長自らが指揮し、工場各出口を閉鎖し、外部よりの入場者は「ノック」させ、首実験の上入場させた。また組合からの誘いを怖れて、これら外部の労働者は工場内に寝起きさせ組合と一切接触させないようにした。

(労働者の動揺)
 会社内の埋管職工、屋内工事工、修繕工など約300名は争議団との共闘を拒否しスト破り就労を続けた。外部から導入した労働者と内部の就労者によって当初は減ったガスの蓄積も回復し、ガスの市内への供給は支障なく続けられ、ストライキはほとんど会社に打撃を与えることはなかった。それを知った争議団側は意気消沈した。

(会社脅しの通知状)
 5月30日、会社は『6月3日までに就労するとのハガキを会社に提出しない者は、退職とみなす』の最後通牒となる通知状を全労働者宅に郵送し脅してきた。

(争議団の屈服)
 会社の通知状に争議団は「御奉祝(皇太子結婚)を前にしてこのまま闘いを続けることは一般国民として不謹慎であり、また6月1日からはじまる御奉祝祭で、官憲の圧迫も猛烈となり争議団本部の解散命令も予想される。この際、妥協して争議を打ち切ったらどうか」という意見が出て、多くの労働者は賛同し、また大阪聯合会も了解した。大阪聯合会の藤岡文六が片岡副社長と関係のある阪神電気鉄道株式会社の杉本元次郎を訪ね、争議団側の妥協の意向を伝えた。労資は5月31日妥結し、ここに大阪瓦斯ストライキは終わった。(尚、先に電線切断の嫌疑で検挙された6名は、争議解決と同時に証拠不十分として釈放された。)
 
(妥結内容)
一、手当30銭を本給に繰り入れ、この本給を1割増して、さらに10銭を加増して本給とする。また現在の手当を30銭に改める
一、解雇手当の改善
一、半期賞与は本雇用6ヶ月以上に適用する
一、試験工は満3ヵ月までの間で本工とする採否を決める
一、会社は、罷業労働者全員に、「御成婚奉祝の意味」として金若干を給付する

6月3日、約330名労働者は報告集会を開き、争議団本部を解散し、翌4日から全員就労した。

(労働年鑑のまとめ)
 労働者側要求の八分通りの勝利だ。ガスという公共事業であるにもかかわらず、市民の世論はむしろ労働者側を応援したその結果だ。そしてこの争議こそ、その後2ヶ月間にわたり全国各地で繰り広げられた大小多くのストライキ・労働争議の口火となったのであった。



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