先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1920年の女性労働者 (読書メモー「日本労働年鑑第2集 1921年版」大原社研編)

2021年08月22日 09時00分00秒 | 1920年の労働運動

1920年の女性労働者 (読書メモー「日本労働年鑑第2集 1921年版」大原社研編)

女性労働者問題
製糸女性児童労働者
長野県松本市の製糸工場における女性労働者の年齢調査(写真)
12歳 35人
13歳 68人
14歳 95人
15歳 305人
16歳 342人
17歳 611人
18歳 536人
19歳 315人




日本の女性炭坑労働者の夜業
 鉱山労働者の総数は男女合わせ約46万5千人。その内、女性労働者は約10万5千人であるが、この中の約7万6770人が夜業に従事している。

ILO
 1919年に設立された第一回国際労働会議(ILO)は、世界に向かって8時間(週48時間)労働制、女性と児童夜業(深夜労働)の禁止、女性の産前産後各6週間の保護、14歳未満の児童労働の禁止等を勧告採択した。

 ただし、日本に対しては,次のような特殊規定が設けられた。
 ①一切の公私の工業的企業で15歳以上の者の実際労働時間は、一週57時間を超えてはいけない。ただし、生糸工業は一週60時間。
 ②一切の公私の工業的企業で15歳未満の労働者と鉱山に於て坑内作業に従事する鉱夫は、一週48時間を超えてはならない。
 ③1週1回継続24時間の休暇を、すべての労働者に与えること。
 ④日本の工場法令の適用を15人以上の者を使用する場所に限るとの規定は、10人以上の者を使用する場所に該法令を適用することに改められること。

製糸・生糸工場の不況全国一斉休業と女性労働者の争奪戦
 11月10日、全国製糸業者大会は、不況を理由として1920年(大正9年)11月30日から翌年2月15日までの全国一斉の操業中止を決めたが、休業中は雀の涙の賃金(少しの食事代と平均賃金の3割とか5割)しか支払わなかった為、この状態を利用した紡績会社からの女性労働者争奪戦が全国各地で起きた。

印刷局女性労働者への裸体検査禁止
 印刷局では退出時に男性は勿論女性労働者にも裸体検査を行ってきた。これは紙幣や郵便切手などを製造していたからであるが、4月1日より裸体検査を禁止した。

「芸娼妓」の公休
 吉原遊廓では、日本堤警察署長からの「娼妓に月2回の公休を」との説得により、11月13日以降任意に月1回の公休を実行した。

松島遊廓で公休獲得運動おきる
 3千人「娼妓」がいる松島遊廓で「毎月1回か2回の一定の公休日を与えよ」の要求運動が起きた。

岐阜県の「芸娼妓」虐待問題
 容易に返済できない前借金と雇い主による甚だしい虐待に対し、岐阜県は県令を発した。「雇い主に帳簿の記録と警察による検査と毎月1回一昼夜の公休日を設ける事」

女性教員(1918年で小学校の女性教員53,499名、高等女学校女性教員3,013名)
広島県女性教員大会開催
 6月400名の女性教員が参加して3日間開催された。
 一、男尊女卑の習慣を廃止して、女性教員も一人の人、人格者として遇せられん
 一、女性教員の地位を向上させ、公平なる処遇に改めること
 一、将来女性に参政権を与えること
などを要求として掲げた。
 
広島県庁の女性教員圧迫事件
 11月15日広島で女性教員による新婦人協会の平塚講演会に対して、広島県庁は「協会は政治運動に関係しているから女性教員の入会はいけない」と圧迫をかけて事実上禁止してきた。

京都市小学校女性教員協議会
 10月21日市内70校の首席女性教員77名が参加して開催された。以下はその場での女性教員からの訴えです。
 「女性教員は、無事に出産しても日中乳児に授乳ができないため生まれた子供は完全に育たず、私たちは5人の中3人も殺してしまいました。」
 「乳児を持つ女性教員の乳は張り切ってしまい、小使い室などで搾って捨てます。それを見て、みだらな振る舞いのようだと嘲笑する男性教員もいる。また、授業中乳児を小使い室などに待たせておくため火の出るように泣き叫んでいる乳児に、授業の合間にやれやれ可哀そうにと授乳をしようとすると風紀を云々してと学校に乳児を連れてくることはお断りなど教室の黒板に書かれる。これはいかなる考えなのか。子供に乳を与えるのは母親の役目です。女性教員の生む子は育たず、育っても弱いのはこうした無理解があるからです。」
「男子が女子の生理上の違いに少しも理解を持っておらず、月経時でも登山を引率させられ、運動会にも飛びまわされるという始末で、ほとんど虐使です。」

東京市女性教員組合の成立
 7月3日、東京市内小学校の女性教員有志が発起人会を開催した。女性教員は90名が参加した。二校に一人の割り当てであった。市側から渋谷市教育課長らが出席した。

女性労働者のストライキ
産後、職場復帰した仲間への理不尽な仕打ちに怒った女性たちのストライキ 
芝煙草専売支局赤羽分会争議
 1920年7月、300余名の工場。ストライキに参加したのは全員が女性労働者。一人の女性上司(工長)が出産で約一ヶ月休んで職場復帰すると工長の地位がはく奪されていた。この女性工長に同情し、理不尽な当局に怒った女性たちだけでストライキに突入した。当局はスト参加者の内、16名を解雇してきた。結局このストライキは全面敗北したが、解雇された16名の女性労働者の団結は固く、「16人会」を組織し、今後は新婦人協会の平塚らいてう、市川房江等の援助を求めることとした。 

看護婦9名のストライキ
 7月2日門司防疫班看護婦9名が突然ストライキを行ったため門司市役所の防疫業務に多大な支障がでた。彼女らの怒りは、賃金の2割看護婦会へとられ、また弁当代50銭も引かれるほか夜勤手当すら2割を看護婦会に差し引かれることに憤慨し、賃金を3圓に値上げすることを要求しても拒絶されたからである。

朝鮮人看護婦のストライキ
 京城のセブランス病院の看護婦19名は12月6日朝よりストライキをはじめた。原因は、排日思想の看護婦らが病院に親日看護婦の解雇を要求し病院側に拒絶された為と言われているが、普通の待遇改善を求めてのストライキに過ぎぬとも伝えられている。

富士瓦斯紡績押上工場ストライキ(既載) 
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/bde10674f27a839b40a523533f59e544



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