1923年向上会名古屋支部のビラ(広告入り)
1923年労働組合運動の共通した闘い(読書メモ-「労働年鑑」第5集1924年版大原社研編)
1、対失業運動
2、普選運動
3、過激社会運動取締法反対運動
4、工場法改正反対運動
5、労働組合法反対運動
6、震災救済運動
7、亀戸事件への対抗運動
8、対ロシア通商開始運動
9、水平社運動
1、対失業運動
2月24日東京における第一回失業問題協議会が総同盟と反対総同盟の労働組合30余団体の代表者が参加して開催され、3月5日に第二回協議会が開かれたが、反総同盟側が議会主義的運動をしないことを主張し方針がまとまらなかった。総同盟・反対総同盟の意見は一致しないまま、3月18日、総同盟の関東機械工組合、南葛労働組合、野田労働聯合会など1500余名で芝公園において野外大演説会「失業防止労働者同盟大会」を開催した。3月25日には、小石川労働会、土工総同盟、立憲労働党、工人舎、純労会等が「失業問題に政府の誠意が見られないため一日も早い内閣の打倒」を決議した。
一方大阪では3月15日午後6時、天王寺公会堂において「全大阪失業者大会」が開催され多数の労働者が結集し、「失業中は家賃の支払いを中止すること」「失業者に一年以上の失業手当を支給すること」「大阪市土木事業工事で失業者を雇うこと」「大阪で近く失業者の大デモンストレーションを行うこと」「労農ロシアと即時通商の開始」「8時間労働制の実施」を決議した。
3月25日、芝公園において東京砲兵工廠職工の失業者大会が開催され、小石川労働会、土工総同盟、立憲労働党、工人舎、純労会などが結集し、失業問題に政府当局の誠意がないとする「内閣打倒」の決議がなされた。
2、普選運動
一昨年より昨年にかけて盛り上がった普選運動の熱が一旦下がったが、本年9月に至り山本内閣が成り、普選運動は労働総同盟、労働組合同盟会共に熾烈にその運動を再燃した。
3、過激社会運動取締法案反対運動
過激社会運動取締法案、労働組合法案、小作争議調停法案の三悪法に対する反対運動が全国的、連続的に猛烈に取り組まれた。労働総同盟関東本部、日本農民組合、水平社、芝浦労働組合、信友会、総同盟関西聯合会は反対の決議を行い、東京、関西で大々的な過激社会運動取締法案批判演説会を開催し、2月10日は機械労働組合聯合会3千名が反対デモを行った。2月11日の「紀元節」には、東京、大阪、京都、名古屋など全国同時の反対行動が決行された。東京では総同盟系20団体約2千名が芝浦埋立地で三悪法反対の演説会の後、デモを行い、多数の検束者をだした。千葉野田町において野田労働聯合会主催の市内を一巡する大デモ行った後に演説会をした。大阪では三悪法案反対の檄文を総同盟が配布しようとして取り押さえられたが11日総同盟大阪聯合会、向上会らの30余団体約5千名がデモと演説会をし、その間、警官隊と衝突した。京都でも9日夜デモと演説会が行われ、随所で警官隊と衝突し12名の検束者をだした。名古屋でも三悪法反対の演説会とデモが行われた。
南葛労働協会の決議文
「決議
日本の資本家政府はきたるべき46議会において無産階級解放運動を脅威とする過激運動取締法案を提出せんとす
本会は徹底的に該法案の撤回を期す
右決議す
南葛労働協会 大正12年1月7日」
4、工場法改正法案反対運動
1月20日、労働総同盟は「我らは一切の社会政策を以って我らの理想実現に対し根本的の故果なきものと信じるが故に我らは今回の工場法改正案も労働状態の改善に対しほとんど価値なしと認む」と決議した。
5、労働組合法反対運動
1月20日、労働総同盟は「我らは労働組合法の制定に絶対反対す。政府はこれによって労働組合の自由を抑圧しその発達を阻害せんとするものなればなり」と決議した。2月2日、労働総同盟、芝浦労働組合、日本農民組合、信友会、水平社など20団体代表は三法案を満場一致で反対を決議した。
6、震災救済運動
9月1日に勃発した関東大震災により、関東の多くの労働者が被災し失業した。日本労働総同盟は、東京関西で緊急幹部会を開き救済委員会を組織し救済運動を開始し大がかりな救済募金を募った。また、英国、フランス、アメリカ、イタリア、ドイツ、オーストラリアなどの世界の各国労働組合団体に向け援助要請を行った。総同盟関西の指導者賀川豊彦は、上京し運動の拠点を東京下町に移して救済運動の指揮を執った。
救済運動で総同盟系と反総同盟系の提携は実現しなかった。総同盟側は、関東労働組合聯合協議会を組織し、11月10日から首相、内務大臣、海相、陸相、法相等関係大臣を歴訪し大震災被災労働者救済を求めた。11月末、政府より6萬円内外の下附金を得て、芝、本所、深川の三か所に労働宿泊所を設置することとなった。
7、亀戸事件への対抗運動
10月10日各新聞は、関東大震災の渦中、亀戸警察署において南葛労働組合幹部ら9名が刺殺された事を初めて報道した。ただちに日本労働総同盟と自由法曹団は遺族と会見し、真相調査を開始し、また警視庁当局に面会し詰め寄った。11月16日、自由法曹団は長文な公開状を発表し、12月11日総同盟は「対南葛飾事件聯合協議会」を設置した。
全国で事件に対する怒りが高まり、各地で連続的に集会が持たれた。
11月20、大阪中之島公会堂「亀戸事件労働者会、官憲暴行応戦労働者大会・演説会」開催
11月23日、神戸「亀戸事件労働者大会」開催
11月25日、東京「亀戸事件批判官憲糾弾演説会」開催
12月6日、明石市「亀戸事件批判演説会」開催
12月10日、岡山市「亀戸事件真相発表、官憲暴行糾弾演説会」開催
12月11日、12日、高知市開催
8、対ロシア通商開始運動
この問題は、前年の対ロシア非干渉運動より一歩進めた運動となった。労農ロシアのヨツフェ氏の来日により促進された。5月1日メーデーのスローガンの一つともなり、5月、6月と大阪、岡山、東京、名古屋等で演説会が開催された。
9、水平社運動
昨年1922年末には300余であった各地水平社は、本年1923年中には2千余となり、会員は数百万人に達した。奈良県内が一番多く、京都、大阪、兵庫、和歌山、三重、岡山、群馬、東京の順である。3月京都の第二回大会で決議した「少年少女水平社」の設立は、全国で約200社となり、その三分の一は少女社である。
差別行動や言語への糾弾闘争の件数は2万余件で、その大部分は小学校内における差別事件であった。一年間に開いた演説会は420余回。
3月2日全国水平社第二回大会が京都市公会堂で開催された。3月3日大会二日目、来会者3万余名。京都館前に集合した各地の代表3千名は各地毎の荊冠旗を押し立てデモで水平歌を高唱しつつ東本願寺に乗り込み、さらに西本願寺本堂を占拠した。各地代表者はそれぞれ賽銭箱の上から西本願寺糾弾の演説をした。
陸海軍等への抗議決議
大会は、陸海軍大臣に対して、「陸海軍における我ら特殊部落民に対する虐殺的差別は今も存在している」と指摘し以下の決議をした。
決議
一、我らに対し・・言行をもって侮辱の意思を表示したる時は徹底的糾弾をなす
一、東西両本願寺に対し募財拒絶の断行を期す
一、政府その他一切の侮辱的改善策、恩恵的施策の根本的改善を促す
3月28日、大阪で大会報告演説会が天王寺公会堂で開かれ2千余名が結集した。
3月17日から19日、右翼との大乱闘事件
奈良県磯城郡の都村で全国水平社と右翼団体1500人が互いに武装して大乱闘、数十人が負傷した事件。