先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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目黒蒲田・東京横浜電鉄会社労働争議—1928年の労働争議

2025年02月12日 08時00分00秒 | 1928年の労働運動

目黒蒲田・東京横浜電鉄会社労働争議—1928年の労働争議
参照・協調会史料

会社 目黒蒲田・東京横浜電鉄株式会社
場所 東京大崎
労働組合
目黒蒲田電鉄株式会社 市電自治会東横支部約200名と争議団(関東電気労働組合)約15名
東京横浜電鉄株式会社  同上約10名、争議団(関東電気労働組合)約13名
争議発生 1928年6月12日

(解雇反対運動)
1928年6月12日、東京大崎町の目黒蒲田・東京横浜電鉄株式会社は渋谷横浜間の工事が終了した工員の淘汰として8名を解雇してきた。その内5名は関東電気労働組合の応援を得て、解雇反対闘争に起ちあがった。6月15日から世田谷町奥澤に争議団本部を設置した。

(関東電気労働組合目蒲分会と市電自治会目蒲東横支部)
もともと同社の車掌・運転手200名は東京市電自治会目蒲東横支部を組織していた。この争議では関東電気労働組合目蒲分会と市電自治会目蒲東横支部は一回連名でビラをだしている。旧労農党系の新党組織準備会が争議支援した。

(関東電気労働組合について)
東京電灯を中心とする関東電気労働組合は、この頃つぶされた評議会再建に向けて先進的な奮闘をし当局から睨まれ、直後の7月8月の東電争議で官憲の検挙弾圧による集中砲火を受け、また「全東京暗黒化陰謀」なるデッチあげにより一千名の関東電気労働組合は壊滅させられた。目黒蒲田・東京横浜電鉄会社争議は、この関東電気労働組合の分会争議ということで当局と官憲の仕打ちは情け容赦のない対応であった。

(ビラ1)
目蒲電鉄会社の不当馘首を
 全従業員の結力でケトバせ !!
・・・見よ奴等資本家は自分の懐を肥やすためには俺達にいかなるギセイも与えようとするのだ。・・・おれ達からこうして搾り取った奴らは自動車にふんぞりかえり、一本何円というハマキをフカシタリ酒や女に使い放題使っているではないか。

全従業員諸君よ!
・・・俺達の兄八人はなにか会社の不利益になることをしたのか、仕事が出来なくなったのか、否否否だ。今迄忠実に働いて来たではないか。此の同志八人の問題は目蒲電鉄会社の全国の労働者の問題だ。かかる会社に対し、田園詰所全員は関東地方の電気労働者が団結している関東電気労働組合に加入し、敢然と立って自治会支部の全員も立たんとしている。今日は自治会支部と関東電気労働組合分会と共同で交渉に行くんだ。
全従業員は一斉に立って、今首にならんとする兄弟のために、また全従業員のために戦うではないか。
馘首絶対反対だ!! 全従業員は団結して会社の暴挙と戦え
一九二八.六.一二
市電自治会目蒲東横支部
関東電気労働組合目蒲分会

(ビラ2)
長い間しぼりあげられ
  おしつけられて来た全従業員は
    今こそたって会社のでたらめを叩きつぶせ !
親愛なる全従業員諸君!
おれ達をしぼれるだけしぼっておいて、少し給料が多いとなるとおっぽり出してしまうのが会社のやりかたなんだ。おまけに賃金は安くなる、公休はとりあげられる。線路が十里増しても人数は減らされる。これで俺達がだまっていられるか。今おれ達がだまっておれば会社の水ぶくれ共はつけあがってどしどし俺達を首きったり、賃金をさげたり公休もなくしたりするんだ。

親愛なる乗務員諸君 !
日本で三番目に利益の多い会社でありながら、諸君の賃金はどうだ。五十円、六十円で妻子を養ってゆけるか。しかも諸君の給料が少しよくなれば、直ちに首をきるではないか。今に欲にぬけめのない会社は、女車掌や少年車掌を沢山やとい込んで諸君を首きる計画だ。

ふみにじられた駅員諸君 !
諸君の賃金は十銭もさげられたではないか。公休も一日とりあげられたではないか。昨日大井線で諸君の兄弟が首きりを言い渡されたことを知っているだろう。

武蔵新田、武蔵小山の駅長、助役もいらないようにしたではないか。

おしつけられたる信号係従業員諸君 !
調布で諸君の兄弟が四名も首にされようとしている。大岡山でも一名やられようとしている。線路が増して人数が減るとは何事だ !

しいたげられたる全従業員諸君 !
今こそ俺達は一斉に起って でたらめきわまる会社と戦うんだ。
やらなければ俺達のうたつはあがりっこないんだ !

調布の工手、信号手は全部いっしょになって起った。
全従業員は一斉に起って戦うではないか。

首切り絶対反対だ !
賃金二割値上げしろ !
公休四日よこせ !
1928.6.14
関東電気労働組合田園調布従業員

6月18日、市電自治会の目蒲電鉄全従業員大会が約200名の参加で開催された。関東電気労働組合と旧労農党系の新党組織準備会が応援にかけつけた。
解雇された4人が以前加入していた右翼団体が争議に登場し介入してきた。

(解決)
6月22日、「一、被解雇者一人に金50円支給、争議費用として185円、計385円支給」で争議は終わった。

(市電自治会目蒲東横支部 再び決起)
1928年7月15日、目黒蒲田電鉄で電車追突事故が勃発した。乗客乗員ら5名の負傷者をだした。原因は信号器の故障にあったにもかかわらず、当局は運転手見習いの一人と車掌2人に過失があったとして3名を懲戒解雇にする所だがと辞職勧告をだしてきた。市電自治会目蒲東横支部はただちに会社の処置に強く抗議した。

7月19日、市電自治会目蒲東横支部従業員大会を開催し、参加者約100名は以下の決議をし会社を糾弾した。

一、馘首絶対反対
二、森田監督不信任
三、公休代務絶対中止
四、信号不良の場合は三分間停車のこと(一時間六里の速力で進行すること)
五、ラッシュアワー特に車掌は全部ドアを閉鎖の上発車すること

(職場の闘い)
7月21日全線、全現場で一斉に運転手、車掌らによる「公休代務拒否」の闘いがはじまった。市電自治会目蒲東横支部の指令だった。この闘いはすごい効果をあげた。全線で動いたのは一時約半数に減ってしまった。電車はどこも遅延した。会社はあわてて交渉に応じてきた。

(解決)
労資交渉の結果、解雇された運転手見習いと車掌にはあらたに金一封の支給とまた入院中の車掌には「公傷入院」として治療代全額支給、車掌には手当増額、また運転手見習いなどが乗客から訴えられた場合の訴訟費用は全額会社が支払うこと等が決まり、争議は終結した。

以上


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