1930年世界恐慌
1929年10月24日「暗黒の木曜日」で有名な世界大恐慌の大嵐はその後約10年、世界を吹き荒れた。
日本でも倒産、大量解雇で1930年から32年には、失業者は250万人に及んだ。
多数の労働者が決起した。労働争議が頻発する。1929年には1420件17万2144人(うちストライキ闘争を伴う争議は576件7万7444人もある)。翌年30年には2289件19万1805人(うち、スト争議は906件8万1329人)と爆発する。
1930年には、
東洋モスリン亀戸工場の3千女工のストと支援の総力戦。
鐘ヶ淵紡績(鐘紡)大阪淀川工場の籠城闘争のストはたちまち京都・兵庫・東京(隅田工場)の全国の鐘紡工場での闘いとなった。
富士瓦斯紡績(富士紡)川崎工場の3千人のストライキ。130時間滞空の「煙突男」の英雄的闘いが起きた。
1931年には、
横浜造船、芝浦製作所、住友製鋼、陸軍火薬製造所、川崎造船等々の大企業からさらに全国の中小企業争議へと爆発・拡大する。この年の争議は2456件と戦前の最高となり、ストライキ争議も864件であった。
(小林多喜二は、1929年に小説「蟹工船」を発表。30年に検挙され「不敬罪」で起訴。1933年2月20日築地警察に検挙され、激しい拷問による虐殺。わずか29歳。)