上・1925年の白鳥省吾
詩『峠』と『殺戮の殿堂』白鳥省吾 プロレタリア詩集
詩 『峠』
白鳥省吾
峠
峠を越えてくる若者に遇った。
八月の日は熱く
落葉松(からまつ)に鶯の啼く峠を
喘(あえ)ぎ喘ぎ上ってくろ紺の法被姿(はっぴすがた)は
日本の労働者そっくりであるが
道をきいたそのアクセントに
異邦人の響きがある。
「日野春へはどう行きますか。」
長野県から山梨県へ
峠を越えた茫漠たる高原を過ぎて
日野春までは十里もあろうか
仕事を求めてゆくらしい漂泊の朝鮮人よ。
汗は油のように流れている
異邦人の恐怖が顔に刻まれている
国土を失って他郷に生きる悲哀よ
私はこの悲哀に蝕(むし)ばむ君の魂を見返し
涙ぐましい心で見送る。
ああ誰であったろう!
弱者に浴びせた「虐殺」の血!
いまも君等は怯(おび)えている
その心で私に路を訊(き)く。
私は行きにも二人の朝鮮人が
私達とあとさきになってこの峠を登るのを見た
何事かあるように
彼等は西から東へ流れて行く。
(『日本詩人』1924年9月号に発表)
*白鳥省吾
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%9C%81%E5%90%BE
*1919年、靖国神社の遊就館をうたった『殺戮の殿堂』(詩集『大地の愛』に1919年収録)は日本を代表する反戦詩として注目を集めた。
詩『殺戮の殿堂』
殺戮の殿堂
人人よ心して歩み入れよ、
静かに湛へられた悲痛な魂の
夢を光を
かき擾すことなく魚のように歩めよ。
この遊就館のなかの砲弾の破片や
世界各國と日本とのあらゆる大砲や小銃、
鈍重にして残忍な微笑は
何物の手でも温めることも柔げることも出来ずに
その天性を時代より時代へ
場面より場面へ転転として血みどろに転び果てて、
さながら運命の洞窟に止まったやうに
疑然と動かずに居る。
私は又、古くからの名匠の鍛へた刀剣の数数や
見事な甲冑や敵の分捕品の他に、
明治の戦史が生んだ数多い将軍の肖像が
壁間に列んでいるのを見る。
遠い死の圏外から
彩色された美美しい軍服と厳しい顔は、
蛇のぬけ殻のやうに力なく飾られて光る。
私は又手足を失って皇后陛下から義手義足を賜はったといふ士卒の
小形の写真が無数に並んでいるのを見る、
その人人は今どうしている?
そして戦争はどんな影響をその家族に与へたらう?
ただ御國の為に戦へよ
命を鵠毛よりも軽しとせよ、と
ああ出征より戦場へ困苦へ・・・・・
そして故郷からの手紙、陣中の無聊、罪悪、
戦友の最後、敵陣の奪取、泥のやうな疲労・・・・・
それらの血と涙と歓喜との限りない経験の展開よ、埋没よ、
温かい家庭の団欒の、若い妻、老いた親、なつかしい兄弟姉妹と幼児、
私は此の士卒達の背景としてそれらを思ふ。
そして見ざる溜散弾も
轟きつつ空に吼えつつ何物をも弾ね飛ばした、
止みがたい人類の欲求の
永遠に血みどろに聞こえくる世界の勝ち鬨よ、硝煙の匂ひよ、
進軍喇叭よ、
おお殺戮の殿堂に
あらゆる傷つける魂は折りかさなりて、
静かな冬の日の空気は死のやうに澄んでいる
そして何事もない。
(白鳥省吾 1919年「大地の愛」所収)