百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「13」
※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。
和歌番号013
作者:陽成院
author of waka:THE RETIRED EMPEROR YŌZEI(YŌZEI IN)
原文
筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる)
現代訳
筑波山の峯から流れてくるみなの川も、(最初は小さなせせらぎほどだが)やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。
英訳
THE Mina stream comes tumbling down
From Mount Tsukuba's height;
Strong as my love, it leaps into
A pool as black as night
With overwhelming might.
It was a frequent custom in the old days for the Emperors of Japan to retire into the church or private life, when circumstances demanded it. The Emperor Yōzei, who was only nine years of age when he came to the throne, went out of his mind, and was forced by Mototsune Fujiwara to retire; he reigned A.D. 877-884, and did not die till the year 949. The verse was addressed to the Princess Tsuridono-no-Miko. Mount Tsukuba (2,925 feet high) and the River Mina are in the Province of Hitachi.
Koi here means the dark colour of the water from its depth, but it also means his love, and is to be understood both ways. Note also mine, a mountain peak, and Mina, the name of the river.
解説
陽成院(ようぜいいん・貞観10年~天暦3年 / 868~949年)は清和天皇の第一皇子で、貞観十九年(877年)、十歳のときに第五十七代天皇として即位されましたが、病気などのため、わずか十五才(或いは十七才)で廃位され、皇位を孝徳天皇に譲られました。
また、百人一首・第20番を詠まれた元良親王(もとよししんのう)は陽成天皇の第一皇子ですが、退位して上皇となられた陽成院は、孝徳天皇の内親王に恋をしていたと言われていて、この和歌はその恋心を詠ったものと伝えられています。
筑波山は恋の歌に取り上げられることの多い題材ですが、この和歌では、そこから流れ出るみなの川を取り上げています。
その様子は、小さな恋心が、やがては大きく育っていく様のようで、自然の姿をうまく重ねた、作者の深い思いが伝わってきます。
★おススメ本★
本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/
厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。
※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。
和歌番号013
作者:陽成院
author of waka:THE RETIRED EMPEROR YŌZEI(YŌZEI IN)
原文
筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる)
現代訳
筑波山の峯から流れてくるみなの川も、(最初は小さなせせらぎほどだが)やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。
英訳
THE Mina stream comes tumbling down
From Mount Tsukuba's height;
Strong as my love, it leaps into
A pool as black as night
With overwhelming might.
It was a frequent custom in the old days for the Emperors of Japan to retire into the church or private life, when circumstances demanded it. The Emperor Yōzei, who was only nine years of age when he came to the throne, went out of his mind, and was forced by Mototsune Fujiwara to retire; he reigned A.D. 877-884, and did not die till the year 949. The verse was addressed to the Princess Tsuridono-no-Miko. Mount Tsukuba (2,925 feet high) and the River Mina are in the Province of Hitachi.
Koi here means the dark colour of the water from its depth, but it also means his love, and is to be understood both ways. Note also mine, a mountain peak, and Mina, the name of the river.
解説
陽成院(ようぜいいん・貞観10年~天暦3年 / 868~949年)は清和天皇の第一皇子で、貞観十九年(877年)、十歳のときに第五十七代天皇として即位されましたが、病気などのため、わずか十五才(或いは十七才)で廃位され、皇位を孝徳天皇に譲られました。
また、百人一首・第20番を詠まれた元良親王(もとよししんのう)は陽成天皇の第一皇子ですが、退位して上皇となられた陽成院は、孝徳天皇の内親王に恋をしていたと言われていて、この和歌はその恋心を詠ったものと伝えられています。
筑波山は恋の歌に取り上げられることの多い題材ですが、この和歌では、そこから流れ出るみなの川を取り上げています。
その様子は、小さな恋心が、やがては大きく育っていく様のようで、自然の姿をうまく重ねた、作者の深い思いが伝わってきます。
★おススメ本★
A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu | |
Tuttle Pub |
図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化) | |
河出書房新社 |
百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! ) | |
歌林苑 |
本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/
厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。
※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!