百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「20」
※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。
和歌番号020
作者:元良親王
author of waka:THE HEIR-APPARENT MOTO-YOSHI(MOTO-YOSHI SHINNŌ)
原文
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
(わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ)
現代訳
あなたにお逢いできなくて) このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、あの難波のみおつくしのように、この身を捨ててもお会いしたいと思っています。
英訳
WE met but for a moment, and
I'm wretched as before;
The tide shall measure out my life,
Unless I see once more
The maid, whom I adore.
The composer of this verse was the son of the Emperor Yōzei, who reigned A.D. 877-884; he was noted for his love-affairs, and he died in the year 943.
Mi wo tsukushite mo means 'even though I die in the attempt', but miotsukushi is a graduated stick, set up to measure the rise and fall of the tide; and Naniwa, the modern seaport of Osaka, seems to have been inserted chiefly as the place where this tide-gauge was set up. The poet may have meant, that the river of his tears was so deep as to require a gauge to measure it; or, as Professor MacCauley reads it, he was hinting, that if he could not attain his ends his body would be found at the tide-gauge in Naniwa Bay. The picture seems to show the poet on the verandah and his lady-love looking through the screen.
解説
元良親王(もとよししんのう・寛平2年~天慶6年 / 890~943年)は陽成天皇の第一皇子で、和歌の才能にすぐれ、情熱的な和歌を詠む歌人として知られています。
「後撰和歌集」に多くの和歌が伝えられている他、「今昔物語集」や「徒然草」などにも元良親王の逸話が残されています。
天慶六年に五十四歳で歿、兵部郷であったので三品兵部郷とも呼ばれました。
元良親王は宇多上皇の后・京極御息所と愛し合っていましたが、ふたりの間は宇多上皇の知るところとなり引き裂かれてしまいます。
この和歌は、元良親王が「もう一度お会いしたい」と思って、自らの恋心を詠んだ和歌だと言われていますが、後半部では、激しい決意が表されています。
★おススメ本★
本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/
厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。
※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。
和歌番号020
作者:元良親王
author of waka:THE HEIR-APPARENT MOTO-YOSHI(MOTO-YOSHI SHINNŌ)
原文
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
(わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ)
現代訳
あなたにお逢いできなくて) このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、あの難波のみおつくしのように、この身を捨ててもお会いしたいと思っています。
英訳
WE met but for a moment, and
I'm wretched as before;
The tide shall measure out my life,
Unless I see once more
The maid, whom I adore.
The composer of this verse was the son of the Emperor Yōzei, who reigned A.D. 877-884; he was noted for his love-affairs, and he died in the year 943.
Mi wo tsukushite mo means 'even though I die in the attempt', but miotsukushi is a graduated stick, set up to measure the rise and fall of the tide; and Naniwa, the modern seaport of Osaka, seems to have been inserted chiefly as the place where this tide-gauge was set up. The poet may have meant, that the river of his tears was so deep as to require a gauge to measure it; or, as Professor MacCauley reads it, he was hinting, that if he could not attain his ends his body would be found at the tide-gauge in Naniwa Bay. The picture seems to show the poet on the verandah and his lady-love looking through the screen.
解説
元良親王(もとよししんのう・寛平2年~天慶6年 / 890~943年)は陽成天皇の第一皇子で、和歌の才能にすぐれ、情熱的な和歌を詠む歌人として知られています。
「後撰和歌集」に多くの和歌が伝えられている他、「今昔物語集」や「徒然草」などにも元良親王の逸話が残されています。
天慶六年に五十四歳で歿、兵部郷であったので三品兵部郷とも呼ばれました。
元良親王は宇多上皇の后・京極御息所と愛し合っていましたが、ふたりの間は宇多上皇の知るところとなり引き裂かれてしまいます。
この和歌は、元良親王が「もう一度お会いしたい」と思って、自らの恋心を詠んだ和歌だと言われていますが、後半部では、激しい決意が表されています。
★おススメ本★
A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu | |
Tuttle Pub |
図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化) | |
河出書房新社 |
百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! ) | |
歌林苑 |
本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/
厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。
そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。
※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!